現在㉒ 下処理(根回し)は大事
「準備ができました。こいつをあそこの鍋にお願いします」
フェリルがイシュメールから渡されたのは一本の木の枝。そこに二羽のコジュッケイがぶら下げられている。丁寧な血抜きはフタバ爺の教えが生きている証拠だ。
「わかったわ」
フェリルは躊躇することなく鳥がぶら下がった木の枝を持つと、橋をかけるようにして寸胴鍋の上に置いた。
だらんと垂れたコジュッケイは湯につかり、その瞬間、むわっと野生動物独特の香りが昇る。それでもフェリルの表情は変わらない。
「臭くないですか?」
「ちょっとね。でも平気」
鍋の中で鳥を踊らせておく時間はそう長くない。毛穴が開くタイミングを見計らって鳥を引き上げると、そのまま作業台へと移動し、おもむろに毛をむしり始める。
湯にくぐらせたおかげでスルスルとむけるが、気持ちのいい作業ではない。羽毛は油を含んでいて、ぬるぬるとした触感が手に残るのだ。
「私もやる」
――にもかかわらず、イシュメールの横で見ていたフェリルが、コジュッケイの一羽をおもむろに掴んだ。ビックリしたのはイシュメールである。
「まじですか?」
「なに?やっちゃダメなの?」
「いや、助かりますけど、抵抗とかないんですか?」
「ないと思う?」
「あると思います」
「じつは、すっごく抵抗あるの。なんか、濡れた羽毛って髪の毛みたいで……」
「じゃあ、いいですって。私がやりますから」
「イヤ!」
手を伸ばすイシュメールから、フェリルは身をよじって逃げた。そうなればイシュメールとしては言う事はない。
「……じゃあ、頑張ってください」
「なにその言い方、やさしくない」
「俺にどうしろと!?」
「やり方を教えて。っていうか適当にむしるだけ?」
「そうですよ。適当に、こうずるずるとむいちゃってください。ああ、でも抜いた羽毛はそこの篭へお願いします」
「こんなもの、どうするの?」
「加工して布団とかの材料にするんですよ。羽毛布団は軽くてあたたかい」
眉をしかめながら作業するフェリルだが、こうと決めれば割り切れるタイプらしく、ハンドスピードは決して遅く無かった。あっというまに、二羽のコジュッケイはむき身なった。
「ありがとうございます。これで、後は内臓を取り出しておしまいです」
「それもやりたい」
「これはダメ。まずは見ていてください」
「なんで?こう見えても私、料理とかできるのよ?」
「出来上がった料理を皿に盛り付けるのは料理といいませんよ?」
「よし、歯を食いしばりなさい!!」
フェリルのストレートが、イシュメールの鼻先をかすめた。
「あぶね!なにするんですか!?」
「バカにするからよ!!」
「だって、貴族の娘が料理なんてするわけないじゃないですか。いいとこお茶を入れるくらいでしょう」
「だから『貴族の娘』っていうパッケージに括らないでって言ってるでしょう!これでも私、いろいろ仕込まれてるの」
「いろいろ?」
「料理、洗濯、掃除、裁縫は一通り。後は、財務管理に、経理まで」
「シェラード家の教育方針はどこに向かってるんですか?」
「シェラード家っていうより、私の単純な興味。あとはシバの所為ね。あの女は自分が楽するために、私をよくメイド室に連れて行ってたのよ。そうすれば、我儘なお嬢様を一人で面倒みる必要がないじゃない?癇癪を起しても、みんなでなだめればなんとかなるし」
イシュメールは、彼女の侍女であったでっかいおばさんを思い出した。
なるほど、彼女だったら、フェリルをメイド連中にあずけて楽するくらいやるだろう、と納得した。
「財務管理は?」
「それは必要に迫られてって感じ。前にも言ったけど、シェラード家は火の車だったでしょう?でもって、経済感覚がある人が皆無だったから、私がやらなくちゃって感じだったのよ」
「意外と苦労人なんですね」
「『意外と』って、言い方がムカつくわ」
「失礼しました。『見かけによらず』って言い方に訂正します」
「大して変わってないわよ!でも、まあ、『エレガントな見た目にも関わらず』という解釈もできなくもないから許してあげる」
「すぐにスラングを口にしますけどね」
「それは愛嬌になるからいいの。っていうか、ほら、だから包丁とか使い慣れているからやらせてよ。横について教えてくれればきっとできるわ」
「ダメ」
「なんでよ!!」
今度は、フェリルがズイと身体を寄せて抗議をしめす。
イシュメールは半歩引く事でそれをかわした。
「逃げたわね」
「かわしたって言ってください」
「いっしょじゃない」
「トラブルと向き合う姿勢が違うんです」
「トラブルって言った?」
「人妻との接近なんて、トラブル以外のなにものでもないじゃないですか」
「その人妻が免罪符を持っていたとしても?」
「良識の問題です。罪に問われるかどうかが問題じゃありません」
「そう来たか……」
何か考え込むフェリル。何やら「既成事実……」という単語も聞こえるが、イシュメールは無視することにした。
「とにかく、鳥をさばくのは待ってください。まずは、私がお手本を見せますので、それを見て、できそうならやってもらうことにしますから」
「あ、そういうこと……なら、最初っからそう言ってよ」
「聞かない方が悪いんですよ」
「言わない方が悪いのよ」
「聞く態度が悪いからです」
「バカにするから悪くなるのよ」
「自意識過剰が悪いんですね」
「悪いのはその口ね!!」
フェリルの手が伸びてきて、イシュメールの口元をつまむ。
「痛いから!!」
「じゃあ夢じゃないわね。このフェリルと一緒にいれるなんて、夢みたいでしょうけど」
「夢にもいろいろありますが?」
「ふふふふふふ」
「聞いてねえな……」
「聞いてるわよ。いい夢ねって話でしょう?」
「やっぱり聞いてないじゃないですか」
イシュメールは苦笑いをしながらも、迷うことなくコジュッケイの腹を薄く裂いた。開いた腹には腹腔膜ごしに腸管が顔のぞかせている。
「――そんなに難しくなさそうじゃない」
「難しくはないですよ。でも、内臓の位置を知っておかないと、腸を傷付けてしまうことがあるんです」
「傷付けるとどうなるの?」
「鳥のフンって、ばい菌だらけなんですよ」
「ああ~……なるほど……」
「その腸も食べるんですけど、その下処理は衛生的にここではやりません。」
手際よく作業していくイシュメール。
あっという間に、作業台の上には標本のような鳥の部位が並んだ。
「まあ、こんな感じですかね。腸以外は血抜きもしているので、多少は傷付けてもかまいません。ゆっくり丁寧にやれば大丈夫ですよ」
「了解よ。まかせなさい」
フェリルは包丁を受け取ると、見様見真似で作業を開始した。
彼女の包丁さばきは、決して下手ではなく、むしろ、そこら辺の一般市民よりも上等だった。そして、なにより、物覚えがよく、作業が正確である。
「なるほど、言うだけのことはありますね」
「見直した?」
「見直すっていうか、ちょっとびっくりしてます」
「惚れ直した?」
「事実関係を歪めないでください――っていうか、そもそも、なんでこんなにうちの作業を手伝いたがるんですか。自分で店を持ちたいって言ってましたけど、ジビエ料理をやるつもりは無いんですよね?」
「え?ああ、それね……まあ、いろいろ事情があるのよ」
「?」
珍しく歯切れの悪い回答。
彼女らしくない。
「もう、細かいことはいいじゃない。あなたも、人手が増えて困らないでしょう?だから、ほら、さっさっと次の仕事を教えなさい」
「……なんか怪しいな……」
「な、何にもないわよ!ほら、『高貴なるものに課せられし義務』ってやつよ」
「『高貴なるものが発症する気の迷い』じゃなくてですか」
「違うわよ!あなたは私をなんだと思ってるの?」
「ヒト科の女性。少なくとも、アカキバイノシシだとは思ってません」
「よく言ったわ!!歯ぁくいしばれ!!」
フェリルが拳を握った時、タイミングを見計らったように店の表側から声が聞こえてきた。何やら、堅苦しい言葉でイシュメールを呼んでいるようだ。
「げえ、もう来た!!準備に二~三日はかかるって言ったのに!!」
「何のことです?」
「計算が狂ったのよ!!もっとこう、丁寧に籠絡しようと思ってたのに!!」
「籠絡って……。とにかく、全く話が見えないんですけど誰が来たんですか?」
「い、行けばわかるんじゃないかしら?」
「こころの準備の話をしてるんです。誰が来たかを知ってるんですよね?」
「………知らにゃい」
「噛んでるじゃないですか。ホントは?」
「たぶんだけど………」
一呼吸おいて、フェリルは「夫の家から派遣された人達」と答えた。
控えめに言って、シャレになってない状況である。




