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ジビエ料理「潮吹亭」  作者: 白くじら
春の訪れ
31/114

現在㉒ 下処理(根回し)は大事

「準備ができました。こいつをあそこの鍋にお願いします」


 フェリルがイシュメールから渡されたのは一本の木の枝。そこに二羽のコジュッケイがぶら下げられている。丁寧な血抜きはフタバ爺の教えが生きている証拠だ。


「わかったわ」


 フェリルは躊躇することなく鳥がぶら下がった木の枝を持つと、橋をかけるようにして寸胴鍋の上に置いた。

 だらんと垂れたコジュッケイは湯につかり、その瞬間、むわっと野生動物独特の香りが昇る。それでもフェリルの表情は変わらない。


「臭くないですか?」

「ちょっとね。でも平気」


 鍋の中で鳥を踊らせておく時間はそう長くない。毛穴が開くタイミングを見計らって鳥を引き上げると、そのまま作業台へと移動し、おもむろに毛をむしり始める。

 湯にくぐらせたおかげでスルスルとむけるが、気持ちのいい作業ではない。羽毛は油を含んでいて、ぬるぬるとした触感が手に残るのだ。


「私もやる」


 ――にもかかわらず、イシュメールの横で見ていたフェリルが、コジュッケイの一羽をおもむろに掴んだ。ビックリしたのはイシュメールである。


「まじですか?」

「なに?やっちゃダメなの?」

「いや、助かりますけど、抵抗とかないんですか?」

「ないと思う?」

「あると思います」

「じつは、すっごく抵抗あるの。なんか、濡れた羽毛って髪の毛みたいで……」

「じゃあ、いいですって。私がやりますから」

「イヤ!」


 手を伸ばすイシュメールから、フェリルは身をよじって逃げた。そうなればイシュメールとしては言う事はない。


「……じゃあ、頑張ってください」

「なにその言い方、やさしくない」

「俺にどうしろと!?」

「やり方を教えて。っていうか適当にむしるだけ?」

「そうですよ。適当に、こうずるずるとむいちゃってください。ああ、でも抜いた羽毛はそこの篭へお願いします」

「こんなもの、どうするの?」

「加工して布団とかの材料にするんですよ。羽毛布団は軽くてあたたかい」


 眉をしかめながら作業するフェリルだが、こうと決めれば割り切れるタイプらしく、ハンドスピードは決して遅く無かった。あっというまに、二羽のコジュッケイはむき身なった。


「ありがとうございます。これで、後は内臓を取り出しておしまいです」

「それもやりたい」

「これはダメ。まずは見ていてください」

「なんで?こう見えても私、料理とかできるのよ?」

「出来上がった料理を皿に盛り付けるのは料理といいませんよ?」

「よし、歯を食いしばりなさい!!」


 フェリルのストレートが、イシュメールの鼻先をかすめた。


「あぶね!なにするんですか!?」

「バカにするからよ!!」

「だって、貴族の娘が料理なんてするわけないじゃないですか。いいとこお茶を入れるくらいでしょう」

「だから『貴族の娘』っていうパッケージに括らないでって言ってるでしょう!これでも私、いろいろ仕込まれてるの」

「いろいろ?」

「料理、洗濯、掃除、裁縫は一通り。後は、財務管理に、経理まで」

「シェラード家の教育方針はどこに向かってるんですか?」

「シェラード家っていうより、私の単純な興味。あとはシバの所為ね。あの女は自分が楽するために、私をよくメイド室に連れて行ってたのよ。そうすれば、我儘なお嬢様を一人で面倒みる必要がないじゃない?癇癪を起しても、みんなでなだめればなんとかなるし」


 イシュメールは、彼女の侍女であったでっかいおばさんを思い出した。

 なるほど、彼女だったら、フェリルをメイド連中にあずけて楽するくらいやるだろう、と納得した。


「財務管理は?」

「それは必要に迫られてって感じ。前にも言ったけど、シェラード家は火の車だったでしょう?でもって、経済感覚がある人が皆無だったから、私がやらなくちゃって感じだったのよ」

「意外と苦労人なんですね」

「『意外と』って、言い方がムカつくわ」

「失礼しました。『見かけによらず』って言い方に訂正します」

「大して変わってないわよ!でも、まあ、『エレガントな見た目にも関わらず』という解釈もできなくもないから許してあげる」

「すぐにスラングを口にしますけどね」

「それは愛嬌になるからいいの。っていうか、ほら、だから包丁とか使い慣れているからやらせてよ。横について教えてくれればきっとできるわ」

「ダメ」

「なんでよ!!」


 今度は、フェリルがズイと身体を寄せて抗議をしめす。

 イシュメールは半歩引く事でそれをかわした。


「逃げたわね」

「かわしたって言ってください」

「いっしょじゃない」

「トラブルと向き合う姿勢が違うんです」

「トラブルって言った?」

「人妻との接近なんて、トラブル以外のなにものでもないじゃないですか」

「その人妻が免罪符を持っていたとしても?」

「良識の問題です。罪に問われるかどうかが問題じゃありません」

「そう来たか……」


 何か考え込むフェリル。何やら「既成事実……」という単語も聞こえるが、イシュメールは無視することにした。


「とにかく、鳥をさばくのは待ってください。まずは、私がお手本を見せますので、それを見て、できそうならやってもらうことにしますから」

「あ、そういうこと……なら、最初っからそう言ってよ」

「聞かない方が悪いんですよ」

「言わない方が悪いのよ」

「聞く態度が悪いからです」

「バカにするから悪くなるのよ」

「自意識過剰が悪いんですね」

「悪いのはその口ね!!」

 

 フェリルの手が伸びてきて、イシュメールの口元をつまむ。


「痛いから!!」

「じゃあ夢じゃないわね。このフェリルと一緒にいれるなんて、夢みたいでしょうけど」

「夢にもいろいろありますが?」

「ふふふふふふ」

「聞いてねえな……」

「聞いてるわよ。いい夢ねって話でしょう?」

「やっぱり聞いてないじゃないですか」


 イシュメールは苦笑いをしながらも、迷うことなくコジュッケイの腹を薄く裂いた。開いた腹には腹腔膜ごしに腸管が顔のぞかせている。


「――そんなに難しくなさそうじゃない」

「難しくはないですよ。でも、内臓の位置を知っておかないと、腸を傷付けてしまうことがあるんです」

「傷付けるとどうなるの?」

「鳥のフンって、ばい菌だらけなんですよ」

「ああ~……なるほど……」

「その腸も食べるんですけど、その下処理は衛生的にここではやりません。」


 手際よく作業していくイシュメール。

 あっという間に、作業台の上には標本のような鳥の部位が並んだ。


「まあ、こんな感じですかね。腸以外は血抜きもしているので、多少は傷付けてもかまいません。ゆっくり丁寧にやれば大丈夫ですよ」

「了解よ。まかせなさい」


 フェリルは包丁を受け取ると、見様見真似で作業を開始した。

 彼女の包丁さばきは、決して下手ではなく、むしろ、そこら辺の一般市民よりも上等だった。そして、なにより、物覚えがよく、作業が正確である。


「なるほど、言うだけのことはありますね」

「見直した?」

「見直すっていうか、ちょっとびっくりしてます」

「惚れ直した?」

「事実関係を歪めないでください――っていうか、そもそも、なんでこんなにうちの作業を手伝いたがるんですか。自分で店を持ちたいって言ってましたけど、ジビエ料理をやるつもりは無いんですよね?」

「え?ああ、それね……まあ、いろいろ事情があるのよ」

「?」


 珍しく歯切れの悪い回答。

 彼女らしくない。


「もう、細かいことはいいじゃない。あなたも、人手が増えて困らないでしょう?だから、ほら、さっさっと次の仕事を教えなさい」

「……なんか怪しいな……」

「な、何にもないわよ!ほら、『高貴なるものに課せられし義務』ってやつよ」

「『高貴なるものが発症する気の迷い』じゃなくてですか」

「違うわよ!あなたは私をなんだと思ってるの?」

「ヒト科の女性。少なくとも、アカキバイノシシだとは思ってません」

「よく言ったわ!!歯ぁくいしばれ!!」


 フェリルが拳を握った時、タイミングを見計らったように店の表側から声が聞こえてきた。何やら、堅苦しい言葉でイシュメールを呼んでいるようだ。


「げえ、もう来た!!準備に二~三日はかかるって言ったのに!!」

「何のことです?」

「計算が狂ったのよ!!もっとこう、丁寧に籠絡しようと思ってたのに!!」

「籠絡って……。とにかく、全く話が見えないんですけど誰が来たんですか?」

「い、行けばわかるんじゃないかしら?」

「こころの準備の話をしてるんです。誰が来たかを知ってるんですよね?」

「………知らにゃい」

「噛んでるじゃないですか。ホントは?」

「たぶんだけど………」


 一呼吸おいて、フェリルは「夫の家から派遣された人達」と答えた。

 控えめに言って、シャレになってない状況である。




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