現在⑰ 短期決戦のゆくえ
落ちていったプロプテロップスの生死を確認するために、イシュメールとクロエは谷底へ向かっている。さすがに岩場は下りられないので、大きく迂回せざるを得ない。
クロエはその間にプロプテロップスが動き出してしまうことを心配していたが、イシュメールは「大丈夫」と太鼓判を押した。
「――プロプテプロッスは索敵と急襲に特化しているけど、骨格が脆いっていう欠陥がある。あの高さから落下すれば、そうそう無事じゃあ済まないだろう。過去の駆除事例でも、飛んでいるプロプテロップスに縄をからめて落下させる方法があったぐらいだ」
「なるほど……過去の駆除方法まで精通しているんなんて、さすがは『教授』ですね」
「やめろって。そのあだ名は、体術が弱くて本ばっかり読んでいる俺を馬鹿にするために付けられたんだぞ?」
「いいじゃないですか『教授』。『筋肉』とかより、よっぽどセクシーです」
「それはクロエの好みの問題なんじゃないか?」
「ええそうですけど……なんの問題が?」
クロエだけに好かれてもなぁ――と言おうとして振り返ったイシュメールだったが、彼女のとっても良い笑顔を見て、すぐに方針を変えた。
「あー……え~と、なんの問題もありませんよ?」
「ですよね~、びっくりしました。隊長が不特定多数の人――特に『珍しいジビエ料理を食べに来る女性客』にカッコいいと思われたいなんてしょうもない考えを持っていたら、一から教育をしなおさなくちゃいけないところでしたから……」
あぶないところである。きっと、彼女のいう「教育」とは「洗脳」に近いところにあるだろう。
すんでのところで危機回避に成功したイシュメールだったが、依然として納得のいかなそうなクロエに押され気味……。
「でも……それでもちょっと分からないんですよ」
「そ、そんなことないぞ。単純明快、簡潔明瞭、とっても分かりやすいじゃないか!!」
「……なんの話ですか?」
「いや、女性客に色目を使うってのは良くないなぁって……」
「そうじゃなくて……っていうか、ほんとにあやしいですね……。何か思い当たるところがあるんですか?」
実を言うと、イシュメールの脳裏には暖炉の炎に照らされるフェリルの横顔が思い浮かんでいたのだ。しかし、それを馬鹿正直に言うほどイシュメールの危機管理意識はザルじゃない。
「ありません。まったくもって清廉潔白。ほら、この曇りなき瞳を見てください」
「う~ん…………まあ、いいですけど………現時点では確かめようもないし…………。でも、そうじゃなくて、私が聞きたかったのはさっきのことなんですよ」
「さっき?」
「ほら、プロプテロップスが崖下にいるって隊長が教えてくれたじゃないですか。――あれ、ただの『教授のうんちく』じゃあないですよね?ほぼ、予言だったじゃないですか。あれって、何か特別な術とか使ってるんですか?」
「へ?」
「だからぁ、さっきの魔獣の行動を予測したやつですって!!」
「ああ、あれか!!あれはだな――」
どうやらクロエが聞きたかったは、先ほどイシュメールが「後で種明かしをする」と言っていたことだったらしい。
安心したイシュメールは、自分がフタバ爺から教わったことを話し始めた。その際、ちょっと早口になってしまっているのはご愛嬌である……。
「――足跡とか、爪痕とか、糞とか、残った鱗とか、個体情報ってのは追跡している間に蓄積されていくだろう?一流の猟師は、それを頭の中に描いた個体像と照らし合わせながら進むらしんだ。『こいつは、ここでコッチの道を行くだろうな』とか『ここで飛びあがるだろうな』とか……。そうすることで、頭の中の個体像と実体像がリンクしてくる。そのブレが少なくなれば、予測値がより正確になってるってことだろう?まあ、俺なんてまだまだ下手糞だから、かなりの個体情報が集まらないと予測精度は低いまんまなんだけど、今回は比較的新しい個体情報が多かったから分かり易かったな――」
話を聞いたクロエは、信じられないという目でイシュメールを見た。
なぜなら、獣騎士隊の魔獣駆除は包囲網を築きつつ追い詰めていくのであって、小部隊が後を追いかけて行って仕留めるという考え方がないのだ。
クロエにとってみれば、追跡技術ですら目新しいのに、そこから派生する「獣の行動予測」など、想像がつかない領域なのだろう。
「――もちろん追跡だけならそこまで精度の高い情報はいらないんだが、その後の射撃の段階になると、その情報がすごく便利なるんだ。なにせ、銃弾ってのは相手の先に置かなけりゃあ当たらないんだからな」
そもそもこの「行動予測」は、弾を当てるのが難しい小さい獣を狙う猟師の間で発達した技術で、イシュメールはそれを魔獣相手に応用しているという形になる。単独で魔獣を駆除する場合「身体のどこに当たってもいいから攻撃回数でダメージを与える」という戦法が使いにくいからだ。
「凄いですね……私の知らない間に、そんなこと出来るようになってたなんて……」
寂しい――に近いもやもやとした感覚が、クロエの中に生まれている。
元気にやっていて欲しいという気持ちがある一方で、自分という存在が入り込める余地を求めてしまう。決してクロエがあさましいとかではなくて、あたりまえっちゃあ、あたりまえの感覚なのだが、それを良しとしない葛藤も彼女らしい。
「……私にもできますかね?」
せめて、肩を並べたい――。
そう思ったようだ。
もちろん、騎士隊育ちのイシュメールにそういう機微を察知する力はない。
「特別な技術じゃないからな。何度も繰り返せばできるようになるよ。もし、ここまで来るのが億劫じゃあなければ、俺が教えてもいい」
「億劫なわけがないじゃないですか……」
「なら、手が空いた時に遊びに来いよ。シーズンになれば普通の猟もするし、俺も助かる」
「……言質……とりましたよ?」
「ん、なんだ?」
「いえ、なんでもありゃしません」
「なんだよ、変なヤツ……。まあ、いいか、そろそろ下に着くぞ。一応だが、近接戦闘の準備はしておいてくれよ」
「大丈夫じゃなかったんですか?」
「だから一応って言っただろう。ヤツに一噛みでも出来る力が残ってれば一大事なんだから、警戒だけはしておいてくれ」
複雑な乙女心は隠されたまま、二人は先へ進んだ……。
朽ちた倒木をかわして崖下に着くと、そこにはあらぬ方向に首を向けたプロプテロップスがいた。どうやら頭から落ちたらしい。魔獣とはいえ、こうなると生きてはいれないだろう。
「うわあ……」
「ああ、これなら大丈夫そうだな。首の骨までイってそうだいる。
「この感じ……受け身も取れなかったんですかね」
いくら飛行中に撃たれたからといっても、頭から地面に突っ込む動物なんてありえるのだろうか。クロエは目の前の魔獣が、なんだかマヌケに見えてきた。これならば、むしろ飛んでいるところを狙った方がいいのではと思ってしまう。
「まあ、こうなったのはそういう弾丸を撃ったからだけどな。さっき話をした縄で絡めとる駆除方法は、やつらの感知能力のおかげで成功率が低いらしいぞ」
「そういえばプロプテロップスって羽根の振動で索敵するんでしたっけ……」
「だからの獣騎士隊は地上に降りている時を狙う。作戦本部は馬鹿じゃできないよ」
「でも、隊長の撃った弾丸なら、落っことすことができるんですよね?」
「できるよ」
「じゃあ、それを使えばいいじゃないですか」
「あの弾は特殊なんだって。作るのに数か月はかかるし、この銃じゃないと使えない」
イシュメールは肩に背負っている魔銃をポンと叩いた。よく見ると、クロエが知っているイシュメールの銃とは大分違う形をしている。
「それも……昔とは違う気がします」
「こっちに来てから改造したんだ。『ピークオッド』っていう銘も付けてもらったよ」
「そういえば、射程も威力も上がっている気がしました」
「実際に上がっている。おかげで単独駆除できる対象も広がって村の人も大喜びだ」
「どれだけ威力が上がったのか分からないですけど、それでもその特殊弾を使わなくちゃあ飛んでいるプロプテロップスを落せないんですか?」
「プロプテロップスの皮膚なら撃ち抜けるけど、飛行能力を落すには正確に羽根の付け根を狙わないと難しい。だから全身にダメージを与えて、一時的な硬直を生み出す必要があった」
「全身にダメージ……どんな特殊弾なんですか?」
「特殊弾は全部で四種類あるんだけど、今回撃ったのは『フラスク』って呼んでいる弾。威力もそこそこで、射程距離も長くはならないんだが、着弾すると対象の魔獣の全身に衝撃を伝えるルートを作るんだ」
「全身?ルート?」
「ああ、それだけじゃあ良く分かんないよな。え~っと、なんていうのかな、普通、銃弾の衝撃ってのは波みたいに全身へ広がっていくんだけど、中心から外にいくにつれてどんどん減衰していっちゃうんだ。でも、この『フラスク』っていう弾丸は、減衰率の低いルートを血管みたいに相手の体の中に張り巡らすから、次に銃弾を受けた時――例えば爪先に当たったとしても――全身に均等な衝撃が加わる」
「ああ~……なんとなくイメージできてきました……」
「もちろん、衝撃事体を大きくさせるわけじゃないから、使いどころはむずかしい。衝撃がどんどん逃げちゃうから、場合によっては有効なダメージを与えずらくなっちゃうんだよ」
「相変わらず、ややこしい術を使いますね……」
「ややこしいとはなんだ、ややこしいとは。けっこう凄い技術なんだぞ」
「そんな術を使うから『魔銃を使う人間はひねくれ者』って言われるんですよ」
「くっ!たしかに、そういう誹りを受けた事はあるが……」
「だってそれ、撃つ時にそのイメージを正確に持たなくちゃあだめなんですよね?」
「そうだけど……」
「戦闘中に、そんなややこしいイメージできるのは隊長だけですよ。凄い技術であることは認めますけど、騎士隊での導入はありませんね」
「そんな……あわよくば、技術特許料で店舗拡大もねらってたのに……」
「あきらめてください。隊長には、田舎の小料理店がお似合いです」
「うるせえ、田舎の小料理店で何が悪い」
「だからぁ、田舎の小料理店がいいんですよ。自由で、楽しそうで……」
――きっと、この人は自由である方がいい。
クロエは素直にそう思った。
そして、同時に、自分のもやもやとした気持ちの正確な「形」を知った。
嫉妬である。
自由に自分の考えている事を表現しているイシュメールが、自分という存在がなくても完結しているように見えた。しかし、クロエ自身はイシュメールがいなくなったことで、完結しなくなってしまっている。
――この人は私と違って、私がいなくても大丈夫なんだ。
そう、思わずにはいられない。
間違った思考回路だと、本人も自覚しているのだが、それを押し戻せるほどの人生経験がクロエにはないのだ。
「――さて、なにはともあれ魔獣は倒したんだ。店に戻るぞ」
「そうですね、さすがにちょっと疲れました……」
「明日は非番なのか?」
「ええ。明後日は他の小隊と合同訓練がありますけど……」
「まじか~。じゃあ、さっさと帰って休まないとな。入りたいなら、風呂の準備もしてやるぞ?」
「……何か、期待してます?」
「大人しく寝て、明後日の訓練でいい結果を出してくれることを期待してる」
「かわいくないですね」
「かわいいと言われても嬉しくないからな」
ふう、と溜息を吐くクロエ。
だが――。
「まあ、今回はこれで良しとしますよ。言質は取りましたしね」
「なんの話だ?」
「また来ますって話です。いいんですよね?」
「駅馬車の最終便じゃなければなー」
どうやらクロエは長期戦を挑むつもりらしい。
現時点で自分の居場所がなくとも、むりやり割り込むことができないわけではないだろう。今回の魔獣駆除は短期決戦だったが、それだけが戦い方ではないのだ。
長い準備は、長く効く――。
これは使い古された教訓であるが、人生経験が足りなくとも聡明な彼女は、そこから正しい道を選び取った。
第4章「クロエ・ノーム」了




