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ジビエ料理「潮吹亭」  作者: 白くじら
フェリル・シェラード
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現在①:来訪者

 フェリルは、吹き付けて来る雪に閉口しながら足を進めた。山を縫って吹き下ろしてくる風の所為で、傘は役に立たない。目深くフードを被って、もう、進むしかなかった。


 ――まったくもって、ツいてないわ。


 普段の彼女であれば、こんな未舗装道路くらいなんでもない。家の者の制止を振り切って、野山に出かけて行くくらいなのだ。

 しかし、今日は違う。

 ぬくぬくとした馬車で目的地まで行くつもりだったから、足元はヒール。流石にドレスは着ていないが、明らかに軽装である。悪いことに、防寒着はすでに宿へ送ってあって、手元には無い。


 そもそも、汽車が遅れたのがケチの付け始めだった。

 日暮れまでには別荘へ着いておきたかったので、馬車を急がせたら、子牛ほどある大きなアカキバイノシシにぶつかった。不幸中の幸いで、直撃は避けられたが(直撃していたら死者が出ていた)、馬が負傷。近くの民家に助けを乞うため、こうして歩く羽目になっている。


 ちなみに、先頭を行くのは御者である。真面目な男だが、イマイチ頼りない。フェリルの後ろを歩くのはアカキバイノシシも真っ青のたくましい侍女――シバ。彼女がいる限り、後ろから獣に襲われる心配はないだろう。


「って、民家なんてないじゃない!!」


 我慢強いフェリルも、文句を言いたくなる。

 ここは温泉地へと続く国道だが、辺りに民家の気配はない。


「フェリル様、そんな声をだしてみっともない。貴族の女性というのは、もっと優雅でなければなりません。外見の美しさだけでは、売れ残ってしまいますよ――」


 シバがお決まりの説教を始めた。

 余計なお世話である。


「こんなところじゃあ、聞いてるのは獣ぐらいよ。そんな事より、早くなんとかしないと、凍え死んじゃう」

「私の上着をお召しになりますか?」

「それをやったら、貴族云々の前に人ですらなくなるわ。いいから行きましょう」

「また恰好つけて、風邪を引いても知りませんよ」

「こんな場面なんだから、ちょっとくらい恰好つけさせてよ」


 凍えながら、ウインクをするフェリル。それを笑って受け止めるシバ。

 二人の仲は悪くない。


「じゃあ、頑張って歩きましょう。なに、すぐに着きますよ」

「あなたの、前向きな所、嫌いじゃないわ」

「だからモテるんです」

「言ってなさい」


 明らかにマニアックなファンしかつかなそうなシバの体型。

 一方で、非の打ち所のない姿をしているのはフェリルである。

 茶色いウェーブのかかった髪は艶々しく、しかし簡素にまとめれられている。雪に映える真っ白な肌は、シミ一つない。目鼻立ちがくっきりしているのに、冷たさを感じないのは人柄だろうか?

 余談だが、彼女の美貌は、彼女の家にとって、重要な収入源になっていたりする。社交界の花である彼女と、スポンサー契約を結びたがる服飾ブランドが後を絶たないのだ。

 

「お嬢さん!建物が見えましたよ!」


 どれぐらい歩いたか。先頭を行く御者が声を発した。

 フェリルが顔を上げると、確かに、ツギハギされたログハウスのような建物が見える。


「民家じゃないわね……」

「お店……っぽく見えますけど……」

「聞いてきましょう!!」


 御者が勢いよく、駆けだした。きっと、事故を起こした責任を感じているのだろう。


「お嬢さん、どう思いますか?」

「ここからだとよく見えないの。でも、たしかに、お店っぽいわ」

「食事が出来るところが理想ですね。寒いとお腹の減りが早い気がします」

「そのわがままボディは、少しだけ遠慮を覚えた方がいいわね」


 しばらくして、建物の扉が開かれ、御者が手を挙げているのが見えた。大きく〇を作っている。


「大丈夫みたいですね」

「よかった――」


 だが、疑問もあった。

 こんな、人気のない場所に出す店とは?


「早くいきましょう。ホラ、お嬢さん、ぐずぐずしない!」

「コラ。さっき、貴族の女性は優雅にしろと言っていたのは誰?」

「時と場合によるんですよ。こんな場所に長くいたら、凍っちゃいます。お腹もすいたし」

「食事の出来る店とは、限らないわよ」

「人がいるんだから、何かあります」


 この女は、他人の個人的な食糧にまで、食指を伸ばすつもりなのか。

 呆れ顔のフェリル。

 だが、素直にシバに従った。彼女自身も空腹だったのだ――理想は、温かいシチューである。


 


 

 「潮吹亭」と木製の看板に書かれている。

 この山奥には、不釣り合いな感じがする。


「ごめんください」


 シバが扉を開けた。

 ぎぃという木がこすれる音がして、中から暖かな光と空気が流れ出てきた。フェリルも中に続く。


「いらっしゃい。寒かったでしょう」


 少し癖のある、優しい声が聞こえた。しかし、フェリルの視線は、声の主よりも店内の意匠に奪われていた。

 土間打ちの質素な造り。だが、周囲の壁には明らかに普通の獣とは違う、牙や角が飾られている。天井にぶら下がっている骨は、明らかに飛竜種のソレだ。信じられない太さをしている。

 育ちの良い娘が見たら、悲鳴を上げそうな頭蓋骨。しかし、フェリルという女性は、ちょっと変わっている。この武骨なインテリアが、由緒ある美術品よりも、()()()()きてしまっていた……。


「さあ、こちらの席へどうぞ。何もない所ですが、ゆっくりしていってください」


 フェリルは席に着く。そこで、ようやく声の主に視線を向けた。

 男――青年期は過ぎているように思える。

 必要以上に近付かない接客。その中に洗練された所作が見え隠れする。頬にある古傷を見て、なんとなく「元軍人さんかな?」と思った。


「ここはレストランよね?」


 シバが失礼きわまりない口調で、しかし、不思議と不快にさせない調子で聞く。


「そんな大層なもんじゃあないですが、料理を出させてもらってます」

「じゃあ、メニューをちょうだい」

「はい」


 テーブルに置かれたのは、木製の板にチョークで殴り書きされた簡素なもの。5品くらいしかない。


「メニューが少ないわね」

「こんな場所で店を出していると、仕入れられる材料が限られますから」

「しかも『煮込み』って、何が入ってるか、わからないじゃない」


 ぷりぷりとシバが不満を並べるのを、フェリルがいさめた。


「もういいでしょう、シバ。お腹も空いているし、温かいものが食べたいわ」

「では、ひとまず『煮込み』をお持ちしましょうか。すぐに出せますよ」

「じゃあ、それを3皿、お願い」

「あ、私は結構で――」


 少し離れた場所に座っていた御者が立ち上がって、それを辞退しようとする。しかし、それをフェリルが遮った。


「いいから食べて。責任を感じる必要もないわ。あの事故は私が急がせたから起きたんだもの。それに、私達だけが食べてたら、気が引けるでしょう?」


 御者は頭を下げて、腰をおろす。

 店主は何かを思うような顔つきをしたが、すぐにキッチンに戻った。

 キッチンはこじんまりしているが、小奇麗にしている。並べられた道具は、丁寧に手入が行き届き、効率的に配置されていた。なにか秘密基地のような雰囲気である。

 その一画から水蒸気が上がる。おそらくナベの蓋を開けたのだろう。不思議な香りが、店内に広がった。

 

「おまたせしました『煮込み』です。香りが苦手だと思った方は、こちらのハーブをお使いください」


 怪訝そうな顔をしているのはシバ。確かに、嗅いだことのない香りがする。


「これ、何の香り?」

「木の実のような……でも、もうちょっと生々しいというか……」

「オオグズリのスネ肉です。筋張っているんですが、じっくり煮込むことで、独特の食感が出るんですよ」

「げえ!獣じゃない!!」


 シバが大げさにのけ反ったので、店主が笑っている。

 一方で、フェリルは興味津々だ。ジビエ料理なんて都では食べられない。


「オオグズリって、あの大きな熊よね?」

「ええ。正確にいうと熊ではないんですが、生態系と見た目は熊です。この辺りでは比較的よく出没するんですよ」

「人も襲うって聞くけど?」

「野生動物ですから、人間に好意的とはいえませんね。ただ、魔獣と違って積極的に人を襲うなんて事はありません」

「でも、駆除したからこうして食べられるんでしょう?」

「駆除じゃあありませんよ。食べる為に、狩ったんです」


 食べるために狩る――。

 当たり前のはなしなのだが、フェリルは何故かストンと心に落ちた。目の前にある黄金色に光るスープは、生命から絞りだされたのだ。

 それは、シャンデリアに照らされた透明のスープより、魅力的に見えた。




「うう……」


 クセはあるものの、芳醇な香りがただようスープを前にして、空腹のシバが決心をつけかねている。

 そんな彼女を尻目に、店主が御者に話しかけた。


「すいませんちょっとお伺いしますが、怪我をした馬はどうしました?」

「へえ、道路の隅に寄せて、馬車といっしょに……」

「怪我の具合はどうです?」

「大した事はねえです。添え木があれば、歩く事はできるでしょう」

「そうですか……」


 ちょっと、店主は考えて、言った。


「すぐに添え木を持って、馬車のところに向かいましょう。それこそ、オオクズリにでも目を付けられたら大変だ」

「襲われちまいスかね」

「日が暮れれば可能性はあります。ああ、それでも『煮込み』を食べる時間くらいはあると思いますよ。その間に、ちょっと準備を整えてきますので、しばらく休んでいてください」


 御者は言われるがままに、『煮込み』にとりかかった。

 フェリルもそれにならって肉の塊をおそるおそる口にしてみたが、うん、彼女には耐性があったらしい。またたくまに、その芳醇な肉感に取り込まれてしまった。


 ジビエ、おそるべし。



 

 


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