現在⑩ クロエ・ノームの回想
クロエは有言実行の人である。
つまり、彼女はノースオウル駅に降りたったのだ。
ここからネッコ村までは長い馬車での移動になる。クロエ・ノームは持って来た毛皮のマントにくるまると、身体を小さく丸めて縮こまった。持っていたブランデーボトルを少しだけ口に含み、右脇に愛刀を抱え込んだら準備完了。後は、イシュメールの待つネッコ村までは馬車が連れて行ってくれる。プライベート空間のない駅馬車とはいえ、山中を進むいつもの行軍に比べれば何と快適な旅程だろうか。
やがて定刻となり、馬車がごとりと動き出す。
窓ガラスにはガタガタと寒風が吹きつけるが、それは外界の話である。完全装備を施した手足は、ぼんやりとした温かさに覆われている。心地良い振動と、ブランデーの力も加わり、クロエはふわふわとした眠気に誘われ始めた。
ぼ~っとした頭に浮かんでくるのは、想い人が傍にいた頃の幸せな記憶である……。
…………
「――隊長、ちょっとまってください」
先を行くイシュメールをクロエが呼び止めた。
今日は二人きりで、自隊が使うこまごまとした消耗品を買いに来ている。本来であれば、イシュメール自らが買い出しに行くことなどあり得ないのだが、今日は仲間がクロエのために(無理矢理)状況を整えてくれた。
こんなチャンスはそうそうないので、もうちょっとのんびりと街を散策する雰囲気を出していきたいのだが、悲しいことにその想いは一方通行らしい。
「ん?なんだウンコか?」
あまりにもアレな返答に、クロエは一瞬だが意識が飛びかけた。
「――失礼、トイレか?」
「一緒です。っていうか違います」
返答するのも嫌だったが、ひとまず否定はしておく。じゃないと、傷口はどんどん大きくなるからだ。下手をすると「クロエが道端でウンコをした」などという根も葉もない噂が立ちかねない。
「え~っと、じゃあ……お腹減ったとか?」
甘い雰囲気を醸し出そうとしたとたん、何故かしょうもないクイズが始まってしまった。しかも、絶対に正解がでないヤツ。っていうか、言うに事欠いて「お腹減った」とかありえない。
普段の関係を考えればイシュメールの態度も分からなくはないのだが、恋する乙女としては納得いかないところがある。
クロエはひとまずイシュメールの腕をとった。言葉で雰囲気を作るのが無理なら、状況を作ればよい――と思ったのだが……。
「なんだよ、組投げか?やめろよ?こんな石畳の上でくらったら、さすがの俺も死んじゃうよ?俺の肉弾戦が最弱だっていうのはお前もしってるでしょう?」
しかし、相手は何かを盛大に勘違いしている。
イシュメールの顔は歪み、泣きそうなフリをしている。
「ムカつく……」
ついついこぼれる言葉。
でも、その怒りの矛先はイシュメールの鈍感さに対してではなく、意図的に外しているその態度にむかっている。
「いや、俺上司だからね。仕事中、上司にムカつくとか言って良いと思ってるのかな?」
「この件については良いと思っています。まあ、そっちがその気なら、こっちはあの気でいきますから。今日は、五体満足で帰れると思わないでくださいね」
「ちょっと待とうかクロエちゃん?今日は消耗品の買い出しだよね?ローゼス商会に行くだけでそんな危険なことってあるのかな?」
あくまで白を切るつもりらしい。
それならそれでかまわない。はなから、こっちはそのつもりである。
「いいから行きますよ。ほら、早くしないと予約していたレストランに入れなくなっちゃいますから」
「レストラン?いや、レストランの予約なんてしてないぞ。なんなら、ほら、この前みんなで行った、あそこの屋台で一杯ひっかけて帰ろうと思っていたくらいだし……」
クロエはニヤリと口角をゆがませた。
「予約してますよ」
「ええ!?」
「あの川沿いに新しくできた比較的カジュアルなお店です。よかったですね、仕事ができる部下をもって」
「いやいや、まてまてまて。それはイカンだろう」
「なんでですか?」
「なんでって、予約したレストランってあのチャラチャラした感じのヤツだろう?ああいうところってのは上司と部下が二人きりで行くにはちょっとアレじゃないか?」
「そうですね。じゃあ、行きましょうか」
「通じてねえな!?」
「だから行くんです」
「どういうこと!?」
「それ聞いちゃいます?」
ジロリとイシュメールを睨むクロエ。もともと強い眼元なので、こういう表情をするとなかなか迫力がある。
「………やっぱ聞かない」
何かを察したイシュメールが逃げの一手に出る。しかし、それを簡単に許すクロエではない。
「だって、隊長、ソレ、わざとやっているでしょう?」
「ぐっ!!……っていうか、言うのかよ……」
「言いますよ。だって理不尽じゃないですか。そもそもステージに乗せないって、なんの罰ゲームですか」
彼女は腕にぶら下がったまま、伸びあがる。鼻と鼻がくっつきそうで、こうなるともう抗議なのか誘惑なのか分からない。
たまらなくなったイシュメールは、思わず顔を背ける。
「あ~もう、いいから行くぞ。レストランは他の隊員と行け。お前が声を掛ければ、大抵の男は任務を放り出して付き合ってくれるぞ」
「いやですよ。あ、腕解いた!!ちょっと待ってください、そんな態度取るならここで『傷物にされた』って叫びますよ!!」
「自ら恥をかきたいなら、勝手にせい」
ギャンギャンと声を上げるクロエをそのままに、イシュメールは先を急いだ。
まだ、南東の国境付近にきな臭い影が忍び寄る前の話である。
…………………
ガタンという振動が響いた。
クロエが目を覚ますと、駅馬車は舗装された道から山道へと入るところだった。
大して時間は経っていない。ネッコ村まではまだまだ時間はかかるだろう。
クロエは、もう一度なつかしい時間に戻りたくなり、重くもない瞼を閉じた。




