幸せ(マリア)
「もうじき、本部に着きますね」
「ああ。帰還したらシャワー浴びて、早めに寝た方がいい。疲れただろう、今日は色々」
肩にもたれかかる私の頭を、優しく撫でてくれるクオンさん。
「それはクオンさんもですよ。還ってもまだ、お仕事あるんですか?」
「ウイリアム……神族側との話し合いが途中だったからな」
「……ウイリアムさんが要注意人物だって話、分かった気がします」
思い出したくもないけれど、脳裏に浮かぶ公開処刑の光景。
どういう神経なら、あんな場面でも通常営業の笑顔を浮かべていられるのだろう。
「……やめよう。今はもう、その話は」
少し掠れた声でそう言うと、クオンさんも私の方へ体重を預けてきて。
「そうですね……せっかく二人きりの時間だから……もっと、楽しい話しましょう」
「そうだな……」
膝におかれたクオンさんの手に、自分の手を重ねる。
大きな手。温かい手。
「性別は、わかってるのか?」
「赤ちゃんですか? いえ、グレ……村にいた頃の主治医の先生は、何も言ってませんでした。というか……生まれる前にわかる事なんてあるんですか? あ、男の子だとつわりが軽いとか、そういう俗説? 的な話ですか?」
「いや……血統種の中にはわかる奴がいるらしい。ボードは胎盤が完成したあたりでわかると言ってた」
「えぇっ、さすがクレア先生ですね。ちなみに……クオンさんは男の子と女の子、どっちがいいですか?」
「……ものすごい月並みな事を言ってもいいか」
「ふふ。多分私も同じ事考えてます。元気であればどちらでも……ですよね」
クオンさんと重なりあった手を、お腹の上にのせる。
「親になると、本当にそう思うものだな」
「本当ですね」
わずかな膨らみを、そうっと撫でるクオンさん。
その手つきは慎重で、どこかぎこちない。
「あ……でも……アルマンは男の子の方が喜ぶかも」
「アルマンが?」
「昔ね、言ってたんです。自分に弟がいたら、男二人で姉ちゃんを守ってやれるのにって」
「お前の息子をお前の親衛隊にするって、どうなんだ。まぁ……アルマンならやりかねない……か?」
「でしょう? 本当にあの子、困っちゃう位のシスコンなので」
「お前だって人の事言えないだろ。今まで何度俺があいつに敗北したか」
「敗北って……。そりゃあ優先順位の首位近辺には常にいますよ。たった二人きりの家族ですから」
「……二人きりじゃないだろう。もう」
「……そうでしたね……」
「アルマンは俺にとっても弟だ。これからは一緒に考えよう。家族皆が……一緒に、幸せに生きていける道を」
「ありがとう……ございます…………あ、これ……」
その時、ハッとした。
この会話。このやりとり、覚えがある。
「この会話、夢で視たかもしれません」
「予知夢って事か? いつ?」
「サワディー村にいた頃……まだクオンさんが生き返ってるって知らない時です。だから……ただの夢だな、って。幸せな会話すぎて……逆にすごく悲しくなってました」
正直にそう言うと、クオンさんは視線を床に落とし、沈黙して。
「……そういう思いをまたさせちゃうだろうから、申し訳ないな。って思ってます?」
「……悪い」
視線をそらしたまま、低い声で言うクオンさん。
無表情だけれど、あからさまにしょんぼりしているその様子に……なんだか笑ってしまう。
「ふふ……罪悪感、しっかり感じて下さいね。天国に行った後も、責任もって私の事見守っていて貰わないと困るので」
いたずらっぽくそう言うと、クオンさんは私を抱き寄せた。
「どこにいても……ずっとずっと、お前を想ってる」
「……不思議ですね。クオンさんがいなくなって、死ぬ程辛くて。またそんな想いをするのに……出会わなければよかったとは、思わないんです。ありがとうって思うんです。愛する事を教えてくれてありがとうって、幸せな時間をありがとうって。これからもずっとずっと、そう想っていくんです」
「俺もだ……俺もだ、マリア」
私を抱くクオンさんの腕に、力がこめられる。
それに応じるように、私も広い背に手を回して、力いっぱい抱きしめた。
自然と溢れて来る、涙。
今この瞬間の幸せをかみしめているのか。
それが、いずれ失われる事を嘆いているのか。
わからない。きっとその両方なのだろう。
目の前にクオンさんがいる現実を、とことん愛おしんでおきたいのに。
近い将来訪れる別れの瞬間が、どうしても頭にちらついて。今という時間だけに集中できない。
それは、仕方の無い事なのだと思う。
でも……私はこれから先、この気持ちのまま……常に泣き出したい想いを抱えながら、クオンさんの隣にいるんだ。
そう思うと……つらい。
だけど、だからこそ……
「大事にしますから。私、クオンさんとの時間。クオンさんがいなくなっても、想い出を支えに生きていけるように……」
少し体を離して、クオンさんを見つめる。
するとクオンさんはいつになく真剣な顔で、私を見つめ返してきて。
「俺も、お前との時間を大切にしたい」
「はい」
「他の何よりも最優先にして」
「はい」
「だから、俺は軍を辞める」
「はい…………………………はい?」
至近距離から拝む黒曜石のように綺麗な瞳は、嘘や冗談を言っている人のものには見えなかったけれど。
それでも私は『何言ってるんですか』と『嘘ですよね』と繰り返し尋ねてしまった。
だってとてもじゃないけれど信じられなくて。
対天罰軍最強と誉れ高い人類の希望が、軍を去るだなんて。




