支え(マリア)
「大丈夫ですね。お腹の赤ちゃんには、特段変化はないようです」
町の入口に止めてあった馬車の中で。
真剣な顔で私の腹部に手をあてていたロザリーさんが、ニコっと微笑んでくれた。
思わず、ホッと一息ついてしまう。
「よかった……ありがとうございました」
「いえ。それより、赤ちゃんは無事でもマリアさんはまだ顔色が優れませんし……もう少し休んでから出発しましょうね。小隊長方は、まだ町の警察の方とお話しされているみたいですし」
「……すいません……」
情けない。
クオンさんが止めるのも聞かず、ダイヤ・シティまでついてきて。
ショッキングな現場に立ち会う覚悟は出来ていた筈なのに。
結局、泣くわ喚くわ……。
いくらクオンさんと離れたくなかったからといって、人に迷惑を掛けていいわけじゃ無いのに。
「謝らないでください。幼い子供が殺められる様を見て心が乱れるのも、残された時間が限られているかもしれない婚約者の傍にいたいと願う気持ちも、当たり前のものだと思います」
ロザリーさんはそう言って、俯く私の手をそっと握ってくれた。
「ロザリーさんは……クオンさんの病気の事……?」
クオンさんは、知っているのはキサラギさんと、もう一人だけだと話していたけれど。
その『もう一人』が、ロザリーさんという事だろうか。
「ええ。ウイリアム隊長とクオン隊長が師弟の関係にあったというのはご存知ですか?」
「はい。クオンさんから聞きました」
「クオン隊長は本当にウイリアム隊長を慕っていましたから……病気の事も話していたんです。それで私は、ウイリアム隊長から聞かされました」
「え……」
二つの事に、驚いてしまった。
一つは、クオンさんがそんな大切な話を他人にしていた事。本当にウイリアムさんを信頼していたんだな。
そんな人が神族だったなんて……クオンさんの気持ちを想うと、一層胸が痛んだ。
もう一つは……ウイリアムさんが、弟子の命に関わる重要な秘密を、あっさりとロザリーさんに話していた事。
ああでも……二人は元夫婦だとクオンさんは言っていたし。軽はずみに情報を流した、という訳ではないのだろうか。
「あ……ウイリアム隊長が私に話したのは、クオン隊長を軽んじてという事では無いんです。クオン隊長が倒れた時に、私がショックを受けないように……だと思います」
もやのかかった私の表情から、心情を読み取ってくれたのか、ロザリーさんが少し慌てた様子で注釈を加えてくれた。
「ショック……?」
「……クオン隊長は、私達皆の……弟のような、子供のようなものですから。息子を亡くした事のある私を、ウイリアム隊長なりに気遣ってくれたのでしょう」
思わぬ告白に、目を瞬かせてしまう。
「そ……う、だったんですか。すいません、私……」
「マリアさんが謝る事ではありませんよ」
相変わらず優しく穏やかに応じてくれる、ロザリーさん。
「あの……ロザリーさんは大切な人を失って……どうして立ち直る事が出来たんですか?」
「え?」
「あ……っ、すいません、不躾な質問を……っ」
過去の悲しみを感じさせない笑顔をみていたら……つい尋ねてみたくなってしまって。
「いえそんな……私の話がマリアさんのお役に立てるなら、なんでもお聞きになって下さい」
「ロザリーさん……」
よく知りもしない間柄の人間に、デリケートな部分を触れられて。にも関わらず寛容な心で受け入れてくれる彼女に、純粋に感動してしまう。
クオンさんは、彼女をウイリアムさんと並ぶ超要注意人物だと言っていたけれど……そんな事は無いんじゃなかろうか。
「私も、息子を亡くした時はそれはもう荒れました。記憶が曖昧になる程、泣いて喚いて……毎日死にたいと思っていた。この傷は生涯、癒える事はないと思うんです。でも……時間と、愛する人の存在が、次第に痛みを和らげてくれる。マリアさんも、クオン隊長を失くした時……お腹の赤ちゃんに救われたんじゃありませんか?」
「……はい」
ここ数か月の事を思い返して、お腹にそっと手を当てる。
「ロザリーさんを支えてくれたのは、ウイリアムさんだったんですね」
だから、夫婦関係を解消した後も、こうして献身的に尽くしているんだろうな。
こんなに優しい人が、神族という虐殺者にまで身を落として……。
なんて思いながらそう言ってみたのだけれど。
ロザリーさんはクスクスと笑いながら、手の平を左右に振った。
「隊長自身、ものすごく落ち込んでいたので、私を支えるどころじゃなかったと思いますよ。私を支えてくれたのは他の……マリアさんもよく知っている人です」
「へ? 私が知ってる……人……」
って誰だろう?
対天罰部隊の誰か? でも、終日以外の人達は、チラホラとしか知らないし。
「マリア、具合はどうだ」
ロザリーさんを支えた人物の正体が明らかになる前に……私達の会話は終わってしまった。
地元警察組織の人達との話を終えたクオンさんが、突然馬車の扉を開けたから。
「お疲れ様です、クオン隊長。赤ちゃんには異常が無いようですので、ご安心下さいね」
「世話になった、ロザリー」
馬車の中に乗り込んで来たクオンさんは、私の隣にそっと座った。
広いとは言えない車内。正面に座るロザリーさんと、膝と膝がぶつかりそうになっている。
「クオンさん……すいません、結局私……」
謝る私に、クオンさんは首を左右に振った。
「俺の判断が間違ってた。やっぱり、お前を連れて来るべきじゃなかったんだ」
「……迷惑を掛けたのは申し訳ないと思っているんですが……こんな想いをクオンさんだけにさせずに済んだのは……良かったのかもしれません」
そう。それが不幸中の幸い……と言ったら不謹慎かもしれないけれど。
本心からそう思った。
クオンさん。
いつも通りの無表情だけれど……子供好きで、優しい人だから、あの公開処刑は相当こたえたに違いない。
この苦しみをクオンさん一人に抱えさせるなんて嫌だ。
喜びだけじゃなく、痛みさえ分け合って、一緒に生きていきたいから。
「マリア……」
クオンさんは私を抱き寄せた。
と、同時に、私は向かいに座るロザリーさんと目が合って。
「あ、あの」
少し慌てて、クオンさんの胸を押す。
いくら私達の関係が周知のものとはいえ。人様の前でこういうのは、少し、恥ずかしい。
「お気になさらず、お邪魔虫は退散させて頂きますね。クオン隊長、マリアさんの顔色が戻ってから出発してさしあげて下さい」
静かで、品のある立ち振る舞いで、馬車の外へ出るロザリーさん。
「あっ、ありがとうございましたロザリーさんっ」
「悪かったな、ロザリー」
彼女は私達の声に首だけで振り返り、会釈を返してくれた。
相変わらず優しそうな、やわらかな笑顔。
でも……なぜかその瞳は、悲しそうに揺れているように感じて――。
『私を支えてくれたのは他の……マリアさんもよく知っている人です』
もしかしたら、私は彼女の心の支えを奪ってしまったのだろうか。
そんな不安が、胸の内で広がっていくのだった。




