夕風
畑仕事を終えて帰ってきたのだろう。
シャツとズボンを泥で汚したアルマンが、ほうれん草の入った籠をテーブルに置いて、頭を下げた。
「まさかあの基地司令がクオン・トキミヤを殺すなんて……前にも言ったけど、あれはあいつのスタンドプレイなんだ。俺達はそんな事望んでなかった。なのに……」
「俺達、なんて言わないで。自分をそっち側の人間みたいに言わないで」
涙をぬぐいながら、アルマンをにらみつける。
「あんたは私の弟なの。罪もない人達を惨殺している連中の一味だなんて、絶対に認めない」
「姉ちゃん……」
クオンさんが対天罰軍中央区中央本部に還って来て、私が出て行ったあの日――。
私はアルマンと再会した。
アルマンは神族の仲間からクオンさんの訃報を知り、私の事が心配になって、様子を伺おうとこっそり戻ってきたらしい。
「姉ちゃんは俺達の事を誤解している。頼むから話をきいてよ」
真っ直ぐに私の目を見て懇願するアルマン。
対する私は、わざとらしくそっぽを向いた。
「何度も言ってるけど、聞きたくないの。今はただ、家族だけで静かに過ごしていたい」
「全てを知って、受け入れないと前には進めない! 本当の平穏は訪れない! 俺はただ、姉ちゃんが心から安心して暮らせる世界を作るために……!」
「コマチちゃん待たせてるから、行くね」
アルマンの言葉を最後まで聞く事なく、私はドアの方へと歩き出した。
二ヶ月前の再会の時――。
私はアルマンを抱きしめた。そして思い切り引っ叩いた。
突然弟が居なくなって、しかも神族だったと聞かされて、どれ程心配したか。
具体的に何て言ったかは覚えてはいないけど。決して綺麗な言葉や文章では無く。
ただただ感情を爆発させてぶつけた。
途中からはクオンさんを失くした悲しみと怒りも相まって、泣きながら叫んでいた気がする。
そんな私にひたすら謝罪を繰り返すアルマンに連れられ、この小さな村にやってきたのだ。
アルマンによると、神族は世界各地に大小複数の隠れ家を所有していて。
私達はそのうちの一か所……四区の小さな田舎村で、当面の間暮らして行く事になった。
世界中の人々と、クオンさんの命を奪った神族の隠れ家に住むのはかなり抵抗があったけれど。
私にはお腹に宿っている小さな命を守っていかなければならないという使命があって。
それにしばらくは働く事も出来ないだろうから、宿に連泊して散財してしまうのも避けたかったし。
だから雨風をしのげて、安全に暮らせる場所ならば贅沢は言うまいと、苦渋の決断をしたのだ。
このサワディー村に移住したばかりの頃、アルマンはしきりに神族の事を私に聞かせようとしていた。
自分がいつどのようにして神族に加担したか。
神族の目的は何なのか。
神族にはどんな仲間達がいるのか。
でも私は耳を貸さなかった。
初めて仲間だと思えた軍の皆を苦しめ、弟をたぶらかし、大切な人の命さえも奪った。
そんな人達の話なんて、聞きたくもない。
何より、ここ数か月の間起きた事はあまりに多く、複雑で、重すぎて。
十年以上隠れるだけの日々を送っていた私は完全に消化不良を起こしていたから。
これ以上負の情報を詰め込んだら、心が壊れてしまう。
だから軍を出た。
皆に心配をかける事は申し訳なく思ったけれど。
『受け入れないと、前には進めない』
アルマンの言葉が、頭の中で響く。
もっともらしい言葉。
でも――前に進まなくてもいい時間だってあると、私は思う。
私にとってはこの三か月がそうだった。
立ち止まり、心の中を整理して、自分の気持ちと向き合う大切な時間。
それは確かな想い。
けれど私の中には、『本当にこのままでいいの?』と、問いかけてくる自分も常にいて。
その問いに返答をする事なく、いつもの通り深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
扉を開けると同時に、静かに吹き込んでくる風。
もう春の足音が聞こえてきているとはいえ、夕方の風は少し冷たかった。