1-4 フェン視点
その日は、何故か朝からソワソワしていた。理由が分からぬ。ただ、変な違和感みたいなものが尾を引いた。
それに、珍しく少々イラついた。
朝からそんな感じではあったが、今日も普段通りに、適当に『魔獣』を狩って食事を摂る。
──と、唐突に、その違和感が突如弾ける感覚に襲われた。
誰かに呼ばれた気がした。
空を見上げる。しかしいつもと変わらぬ空。周囲に首を廻らす。しかしいつもと変わらぬ森。神経を研ぎ澄ます。
··········
あちらだ!
私は森を駆けた。
今までにないくらいの本気で、駆けた。
瞬く間に、目的の場所に到着する。
私は、心を落ち着かせるように、ゆっくりと叢を分けて前に進み出た。
果たしてそこに居たのは·····
小さな小さな、布に包まれた人間の赤子──。
その赤子は、私の姿を見ると、一瞬ビクッとしたが、すぐに平静を取り戻す。
普通の赤子なら、私の姿を目にした瞬間、恐れて泣き喚くだろうに、この赤子は、只々私をじっと見詰めていただけだった。
『魔力量』は、一般的な人間より少々高い程度か?
不思議な赤ん坊だった。その瞳は、金にも黒にも見える、不思議な色彩をしていた。目が離せなかった。朝のザワつきが嘘のように凪ぐ。
だが、私の中の本能が叫ぶ。
その子を守れ!と。
そこに不快な感覚はない。寧ろ、穏やかで暖かな、言いようもない何か安心感を感じる。
じっと私もその子を見詰めていると、突然私の中に何か“感情的なもの”が流れ込んで来た。
瞬時に覚る。
やはりこの子は『普通の人間の子』では無いと。
それが、私とその子──アルルとの出会いだった。
◆❖◇◇❖◆
それからは、目まぐるしい日々の始まり。
正直に言えば、子育てなどした事の無い私だ。
何となくどうすれば良いか知っているが、私は生物学的観点から見れば『雄』だ。乳が出る筈もなく。
しかしその都度、赤子が“何かを伝え”導いてくれる。
例えば乳。
赤子が求めたのは『樹液』。しかも、栄養価の高く、樹齢何百年から出る僅かなもの。
正直、これで本当に良いのかと不安にも思ったが、本人が良いと言うなら信じよう。
これは後から聞かされて知ったが、やはり『普通の子供』なら、そんな物を与えてはいけないらしい。
彼がそれを良しとしたのは、偏に、彼が『魔神の子』であるから。
『魔族』の中でも、人間に近い種族なんかだと、ちゃんと母乳を与えるらしい。母親の母乳が出なければ、近所の人から分けてもらうとか。
それ以外の大半の『魔族』は、“魔力を摂取”すると言う意味合いで、『魔力濃度』の高い物を口にするそうだ。
中には、強い『魔物』の“血”を啜る者も·····。
流石にそれは憚れるので──私もそんな赤子を見たくない──、『魔力濃度』が凝縮された古い樹木から出た僅かな『樹液』を欲したそうだ。
それにしても、私自信にこんな感情があったなど、知る由もなかった。
私はこの子を、心から愛おしく想っている。
それはもしかしたら、この子の言う“能力”が一番に関係してるのかもしれない。
けれども、それに忌避を感じない。寧ろ、心地好くすら感じている私が居た。
その後、彼が二歳くらいの歳になってから、全てを聞かされた。
その全容は俄に信じ難く、されど、アルルの瞳が真実だと雄弁に物語っていた。
その金にも黒にも変わる、不思議な色彩の瞳に揺らぎは無い。
恰もその瞳は、私に全ての決定権を委ねるているようで·····。
彼の言う【友達魔法】──私には【従魔法】に思えるが──には、幾つかの条件があるそうだ。
それは、相手の意志を尊重する事。相手が自分を信じてくれる事。心を開いてくれる事。
だが、そこには、相手側だけでは駄目だ。それは自身にも当て嵌る。
つまりは、そう言う事。
嗚呼。其方は気付いていないのだろう。今尚私の身を震わす、この歓喜を!
其方は、本当に真実しか口にしていない。
もしかしたら、まだ何か隠してる事があるかもしれない。しかし、そんなものは瑣末な事だ。
其方は、私に全てを話、その判断を私に委ねる。それだけ私に重きを置いてくれているのだな。
それだけ私を信頼してくれているのだな。
ならば、私の答えは決まっている。
私の想いは、其方と出会ったあの日から何ら変わりようもない。
故に、私もまた、其方に全てを委ねよう。
こうして、私とアルルは、更に強い絆で結ばれるのだった。
◆❖◇◇❖◆
その異変を感じたのは、真夜中を過ぎた頃だった。
アルルも、何やら胸騒ぎがしたのか、すぐに飛び起き外に出る。
私も後に続いた。
ここは、それ程高くない山ではあるが、小屋は頂上付近に建てられ、周囲には木も生い茂っておらず開けた場所だ。
その為、案外麓も良く見える。
アルルが見ていた先には、真っ赤な“朝焼け”。否。あれは·····
それに気付くや否や、アルルが走り出す。
私は思わず舌打ちをし、本来の姿に戻ると、アルルを追い掛けた。
すぐに追い付き、アルルを背に、その場所へと向かう。
着いた場所は、私達が懇意にしていた町だった。
その町が炎に包まれていた。
中では、怒号や悲鳴が飛び交っている。
盗賊かと瞬時に理解した私は、それでも冷静だった。
当然だ。私の本質は、所詮は『魔物』。どれだけ人の姿を取り、どれだけ人らしいフリをしていようと、そこだけは何も変わらない。
世の中は弱肉強食なのだ。弱ければ強い者に搾取されるだけ。
ただ、それだけである。
しかし、アルルは違った。
「··········めて」
アルルが何かを呟く。
アルルの顔を覗けば、そこに常にあった笑顔は無く、感情は抜け落ち、不思議な色彩をした美しい瞳は陰り、赤く明滅していた。
それは、普段のアルルとはかけ離れ過ぎており、私は強い不安にかられた。
「·····アルル?」
私は声を掛ける。
しかし、私の声は彼に届かなかった。
そして·····それは起こった。
「·····めて·····めて·····やめて·····やめてやめてやめてやめてやめてやめて·····っやめろーーーーーーー!!」
瞬間、アルルから今までに無い程の、莫大な『魔力』の放流が吹き出した。
“魔神の十三番目の末の子”──。
こんな時だと言うのに、そんな言葉が今更ながらに理解した。
この『魔力量』は、本来人間が出せるものでは無い。
寧ろ、我々に近く·····否。我々より遥かな高みの上位者の力。
そして気付く。
私に流れ込んでくる“負の感情”を──。
これは間違いなく、アルルの感情。
その時になって、漸く悟ってしまった。分かってしまった。理解してしまった。
この子は、赤子の頃から我儘も無く、泣く事もなく、ただいつも笑っていた。それは、てっきり彼が『転生者』であり、本来の見た目に反して年齢を重ねているからだと思っていた。
だが違った。
彼から流れてくる感情は、常に暖かく優しく我々を包んでくれる。
それはとても穏やかで、『魔族』のイメージに削ぐわないアルル。
だが違った。
何もかも違うでは無いか!
私は、自分自身に憤る。
アルルの事を知ったきでおり、何も知らぬくせに、知ろうとしなかった自分自身に。
アルルもまた、紛れもなく『魔族』の──『魔神の子供』なのだと言う事を·····。
ただ、アルル自信が“意識的”にそうあろうとしていたに過ぎないのだ。
『魔族』としては、アルルは心根が優し過ぎたのだろう。
けれど、アルルの中には、確実に『魔神』の血が流れている。もしかしたら、そこに嫌悪すら抱いていたのかもしれない。
今思い返してみても、アルルは父である『魔神』を、一度たりとも『父』とは呼ばず『あの男』と呼んでいたのだから。
そこまで考えが及ぶと、私は奥歯を噛み締めた。自らの不甲斐なさに。
気付けば、すぐ傍にヨルが立っていた。
ヨルもまた、私と同様に、アルルと“繋がって”いるのだ。この状況に気付かぬ筈もない。
そして、先程から我々の胸の内を駆け巡る衝動にも──。
「·····分かっているな?」
私は、低く唸るように、その一言だけを告げる。
「·····当然でしょ?」
ヨルもそれだけで理解した。
アルルの愁いを晴らす為────奴らを根絶やしにしろ!
私とヨルは、躊躇いなく炎の渦中へと飛び込んだのだった。