1-2 町に降りてみた
「明日、久し振りに町に降りようか」
狩った『魔猪』を簡単に調理し、二人で食卓を囲んでいると、フェンが突然そう切り出してきた。
「本当?!」
少し固めの『魔猪』──それでも、噛めば噛む程濃厚な味わいを感じられ美味しい──に苦戦していた僕は、パッと顔を上げた。
「ああ。先日、町に降りた時にも聞かれたからな。其方はどうしているのかと。あまり顔を見せないと、変な疑いをかけられても面倒だ」
「えへへー、そっか。あ、『警備隊長』さん元気かな?」
「うむ。あれが一番其方を気にしておる」
「そっかー·····もう二年も経つんだね?あの町に初めて降りてから」
「そうだな」
「何だか、変な話懐かしくなっちゃうよ」
僕は、初めて町に降りた時の事を思い出していた。
◆❖◇◇❖◆
それは僕が五歳の時の事。
「··········」
僕は、今自分が着ている、ダボダボで所々解れたボロい布切れを見下ろした。
これは、この小屋に元々置いてた物。それを拝借し、頭が出るように中心当たりを破り、頭からその布を被って、腰辺りを丈夫な蔓で巻いて長さを調整してるだけのもの。
何処の時代遅れの民族だと問いたい。
因みに、フェン達が元の姿から人間になったり、そこから更に元の姿に戻っても、不思議と服は着ていたりする。原理?知らん。魔界に居る時もそうだったし、そう言うものだと、今は諦めている。
兎に角羨ましいと思うだけだ。
俺がこの世界に落とされた(?)時は、一応布に包まれていたけど、それだけ。
着れる服など持ってる訳もなく·····。
フェンも、元々は『魔獣』だ。今では大分人の姿にも慣れてきたみたいだけど、それでもやはり、まだまだ人間の世事には疎い。
歯が生えてきた時に、いきなり肉を食べさせようとしてきたし·····。
そんな、ずっと森の中で生活している俺達には、はっきり言って、人間に尤も必要な『衣』と『常識』が欠落していた。
これは由々しき事態だと、僕はその時に決心した。
「·····町に行きたい?」
僕は勇気を振り絞って、フェンに進言してみた。
「うん。·····嫌?」
いくら決心したとは言え、フェンは元は『魔獣』なのだから、もしかしたら人間達に関わりたくないのかもしれない。言った後に、そう思い直した僕は、フェンが嫌がったなら、すっぱり諦めようと、そう思った。
「別に嫌ではないが·····何故行きいのだ?」
その瞳に、何故か不安そうな色が見えて、僕は慌てて考えていた事の説明をした。
「·····ふむ。確かに、アルルの言う事にも一理ある。私も、多少なりとも人間の起居について知ってはいるつもりだが、それでも所詮『魔獣』視点ではあるしな」
「うん。僕もこの世界の事は何にも知らないし。お金や物価の価値も·····。でもね、この世界の事は確かに気になるけど、それでも、フェンが嫌だって言うなら無理強いするつもりは無いんだ。僕にはフェンが居てくれるし、ちょっと困る事もあるけど、今の生活に不満があるわけじゃないんだよ?本当だよ?」
あの男の言う通りに、別にこの世界をどうこうしたいとも思ってないしね。そう心の中で付け足す。
僕は必死に言葉を紡ぐ。これは僕の本心だと伝わるように、その澄んだ青い瞳を見詰める。
暫しそうしていると、フェンの瞳がふっと和らいだ。
「·····分かった。で、あるならば、近い内に下山しよう。少し歩く事になるが、確か近くに町があった筈だ。下に降りるまでは、私の背中に乗っていればあっという間だろうしな」
「本当?!あ、でも·····無理してない?」
「しとらんよ。『お友達』になった時に『約束』したであろう?『嫌な事はお互いちゃんと嫌と言う』と」
「うん!わーい!ありがとう、フェン」
僕は嬉しくなって、フェンに抱き着いた。
「·····あ、それなら、設定考えなきゃ」
「·····設定?」
「うん。人間の世界って言うのはね?フェンが思ってる以上にしがらみ(?)とか、面倒な事が多いんだ。しかも、こんな格好の子供を連れて行けば、怪しさ満点。だから、その為の設定。面倒事をなるべく減らす為の、ね?」
「ふむ?確かに面倒そうであるが、それがアルルの望みならば叶えよう。私も努力するよう心掛けるとするよ」
「ありがとう、フェン」
そう言って僕は、もう一度フェンに抱き着いた。
それから数日経ってから、僕とフェンは町に向かった。
木の柵で覆われた、至ってシンプルな町だ。
正直、この世界の常識が分からないので、この町がどれだけの規模で、それが普通なのかどうかも分からない。
フェンの話では、これよりも十倍も大きい、大きな壁に囲われた『街』もあるらしく、人の出入りも激しい所もあるそうだ。
勿論、フェンは元が『魔獣』なので、中の様子まで知る由もない。遠くから見た事がある程度。
それに、フェンは人間よりも遥かに長い時を過ごしてきてるので、気付いたら、そこにあった街が無くなっていた、なんてのもざらにあるらしく·····。
なので、フェンの情報はあまり宛にしてはいけない。
僕が(人の姿の)フェンに抱かれながら、入口に向かって歩いていれば、その脇に立っていた門番らしき二人が、驚いたように僕達二人を凝視していた。
更に近付けば、驚いてはいるが、その目の奥に警戒心がしっかりある事に僕は気付いた。
声が届く範囲まで僕達が近付くと、徐にフェンが口を開いた。
「突然で済まぬ。ちと、相談があるのだが、良いか?」
「あ、ああ·····何だ?」
門番の戸惑いも分かる。
フェンは、何処と無く浮世離れした容姿に、世間慣れしていない雰囲気も出していた。
だから僕は、設定には念には念を入れて、自分ではかなり凝った設定を作ったと自負している。
「ここでは何だ。出来れば、腰を落ち着かせて話がしたいのだが?」
「··········分かった。だが、念の為数人を同席させて良いか?」
門番がそう言うのも織り込み済み。寧ろ、そう言ってこない町なんて、逆に心配になって安心も出来ないよ。
「無論だ」
だから、フェンも落ち着いてそう切り返した。
門番が、もう一人の少し若い門番に目配せすると、心得たとばかりに、その門番が町中に走っていった。
「取り敢えずは、そこの屯所·····と言っても、ここでは休憩所みたいなもんだが、そこまで着いてきてくれるか?」
フェンは頷き、門番の男の人の後に大人しく着いていく。
「取り敢えず、座っていてくれ。あまりもてなせねぇが、茶ぐらいは出せる」
「構わぬ」
屯所に着くと、僕とフェンは中央に置いてある席に座る。僕はフェンの膝の上。
入って来た時とは別の扉に門番が消え、すぐに戻って来る。
「·····こっちは坊主のだ。兄ちゃんのは、ちょいと渋めの茶だからな」
出されたのは、恐らくミルク。
僕はコクりと頷いてから、それを受け取った。
少々·····いや、かなり礼儀がなってないし、感じ悪く思われるかもしれないが、今回の僕は『大人しい可哀想な子供』の設定だ。
簡単に、初対面の人に懐くような子供であっては行けない。
門番の人は、特に僕の態度に気を悪くした風もなく、向かい側の席に腰を下ろしてお茶を啜っていた。
お互い話す事もなく、無言で時間だけが過ぎていく。
門番が時折こちらを見ては観察してるっぽいけど、僕達は気にしない。
フェンが時々僕の頭を撫でてくるけど、僕は気にしない。
それから程なくして、外が少し騒がしくなり、数人の男性が中に入って来た。
それ程大きくない建物だ。それだけで、かなりの圧迫感を感じる。
入って来た男性達は、各々壁にもたれたりして、座る気はなさそう。皆が僕達に視線を固定する。
「·····待たせて済まなかったな」
それを確認した門番が、漸く口を開いた。
「いや、此方こそ時間を取らせた」
「じゃ、最初に言ってた『相談』とやらを聞かせてもらおうか?」
「うむ。実はな、私はこの先にある森で暮らしていたのだが·····」
「いやいやいや!ちょっと待て!」
フェンが話し出して速攻、何故か初っ端から待ったが掛かった。
周囲の大人達も驚いたように、目を見開いていた。
「この先の森って言ったら、【畏怖の森】って呼ばれてるとこだろ?!そこには、【大地の王】と呼ばれる“最強種”の一体が住んでいて、しかも、そこに生息する『魔物』共は、そんじょそこらの『ハンター』じゃ歯が立たない程、滅法強いっつー·····」
「·····そうなのか?」
フェンが首を傾げる。僕も首を傾げる。
どうやらあの森は、少なくともこの地元では、かなりの危険な場所みたいだった。
でも、【大地の王】ってもしかして·····。
僕はそう考え込むと、フェンは別段気にした風もなく続けた。
「で?話を戻して良いか?」
「··········ああ、頼む」
門番さんが、僕には少し疲れてるように見えた。
「うむ。その森──其方らの言う【畏怖の森】?だったか?そこに私は物心着いた時から、祖父と二人で暮らしておった。
ああ、何故?と聞いてくれるなよ?私もその理由を知らん。祖父が言うには、俗世に疲れた、と。だから詳しくは聞いておらん。
そんな祖父も、五年前に他界し、今は私も一人となったのだが·····その年に、何の因果か、この童が森に捨てられているのを見つけてな。其方らもご覧の通り、私は物心着いた時から森で暮らし、街に降りた事がない。故に、世情には疎い。ずっと自給自足の生活をしてきたからな。特にそれに困った事はない·····が、この子は違う。
見ても分かると思うが、この子には着る物もろくにない。ああ、因みに言っておくが、私と祖父は、どうも発育が良かったみたいで、どれもこの子に合わないみたいなんだ。そこで、せめて服だけはどうにか、とも思うが、金?とやらを使った事も無ければ見た事もない。
しかも、確か町に入る為には『身分証』なるものが必要だとか。当然、そんな物は持ち合わせておらんし、私は兎も角、この子だけはせめて町に入れて貰えないかと相談に伺った迄だ。
金なら、其方らの言う【畏怖の森】で狩った『魔物』を換金して貰うと言うのはどうだ?」
フェンが、淡々つらつらと、予定通りに話を進めて行く。
【畏怖の森】で狩った『魔物』と聞いて、一瞬俄に騒がしくなったが、それまで黙って聞いていた門番が口を開いた。
「·····その祖父とやらは、犯罪者か何かか?」
その質問も予想通りだよ。
「それは·····正直分からんとしか言えん。先も言ったが、私は物心着いた頃から、祖父とあの森で暮らしていたからな。祖父の言葉が全てであった。故に、犯罪者か否かと問われれば違うとしか言えぬが、それを証明する事は、私には出来ぬ」
「·····確かに」
門番は腕を組んで、難しい顔をしてまた考え出す。
辻褄は合ってる·····筈。色々考えた末、この設定を思いついたんだ。それでも、不安がない訳じゃない。気付かない所に穴があるかもしれない。
門番さんをじっと見ていると、彼がチラリと僕を見た。
「·····もう一つ質問なんだが、その子供はどうすんだ?なんなら、子供の居ない夫婦に引き取ってもらう事もで·····」
そこまで聞いた僕は、すぐに後ろを振り返り、フェンに抱き着いた。嫌々と首を振る。
頭に何か暖かいものが触れた。
そろりと顔を上げると、フェンが目を細め、いつもの僕の大好きな澄んだ青い瞳で見詰めてきてくれた。
僕はこの時ばかりは、演技とか何もかも忘れて、へにゃりと笑ってしまった。
「·····こりゃ、相当懐かれてんな」
背後で、苦笑混じりの門番さんの声を聞き、僕が振り返ると、門番さんは顎に手を添えて、またもや暫し考えるポーズをしていたが、今度はすぐにそれが解かれた。
「よしっ!分かった!俺から町長に話を通してみよう!約束は出来ないが、なぁに、悪いようにはせんさ。
皆もそれで良いか!」
周囲の人達にも一応の確認を取ると、皆も手を挙げたりして了承してくれた。
「恩に着る」
「あ、ありがとう·····」
フェンが(気持ち)軽く頭を下げたので、僕も慌てて頭を下げる。ここに来て、初めて声を発した。
門番さんは、「おうっ!」と言って、人好きしそうな笑みで返してくれた。
それから、あれやこれやと言う間に、僕達は町の人達に、少しずつ受け入れられるようになったのだった。
◆❖◇◇❖◆
僕は昔──と言っても、ほんの二年前だけど──の事を考えながら、食器を片付ける。
フェンは最近では、町の奥様方から料理を習っているそうだ。
子供に肉ばかり食べさせるなんて!と怒られたのがきっかけらしい。栄養バランスを考えろ、だそうだ。
それでも、フェンが元々狼だからか、フェンは一番肉が好きだ。だから、食卓には肉中心が多い。
これは、奥様方には秘密。
それでも、人の体を手にして、知らない事を知るのが楽しいのか、フェンは案外奥様方に気に入られながらも、真面目に料理の勉強をしていたりする。
それ以外でも、目下勉強中である。同じく僕も。
片付けも終わり、濡らした布で軽く体を拭いてから、さて寝るか、と言うそんな夜も遅い時間に、突然扉が開いて非常識な訪問者が訪れたのだった。
【補足】
この世界では、大まかに分けると、【魔獣】(獣系)【魔虫】(昆虫系)【魔植物】(植物系)などがあり、それら全体を含めて【魔物】と呼んでいます。
(ぶっちゃけ、『爬虫類』って何処に入るんだろうと思わなくもない作者ですがw獣系で良いのか?w)
そして【魔猪】もまた似たようなもので、一応個別に種族名はありますが、『猪系』の魔物なので【魔猪】。此方も分類的(?)に見れば、【魔獣】に区分されますね。
ややこしいですか?ややこしかったら教えて下さい。もしかしたら変えます( ̄▽ ̄;)