魔狼
「う わ あ あ あーーーーー!」
ユウは拾った幼女の失禁で濡れた服を洗って、どこに迎えば学園に戻れるか思案していたところを狼に狙われ、幼女を抱えて逃げていた。
「多い! 多いって!!」
狼といっても魔力を内蔵した火を吐く『魔狼』だ。
集団行動と連携が厄介な魔物である。魔物単体では弱い部類に入るが、規模によっては準魔王種相当の脅威となる。特に優れた嗅覚と聴覚が厄介で、捕捉されたが最後、狩られるまで追跡され続けるのだ。
「ウオオーーーン!」
しかも、群れをまとめるボスが存在する。蒼黒混じりの狼で視界に映るもの全てを見抜き、かつて聡明な頭脳を以てアースたちを苦しませた狼。
魔獣の上位種────『蒼魔狼』だ。
「ヴォルルルル!」
一匹の魔狼が並走してくる。もう一匹が片端を押さえ込もうと追い上げてきた。
このままでは捕まると判断したユウは、木陰を利用して狼たちの視界から外れて、草むらに突っ込んだ。
すると、妙に体が妙に軽くなった。
全身にふわふわとした感覚に包まれる。
「って、うわあぁあああ!!」
抜けた先は、崖だった。それもかなりの深さだ。
衝撃に耐えるために、ユウは咄嗟に幼女を庇い、木の枝をクッションに落下した。
どうにか落下死から免れることができ、崖上を見上げると、眼前の獲物を逃した憤りからか魔狼の吠え声が崖上から聞こえた。
「はぁ〜〜…… これでひとまずは大丈夫かなあ」
しばらくして退去していく魔狼の様子を見て、ユウは大きくため息を吐いた。
「大丈夫だった?」
「……ん」
おずおずと幼女は小さく頷く。
「そういえば聞きそびれたけど、君の名前は?」
「……あなと」
ユウはそれを聞いて、優しく微笑んだ。
「僕はユウ。よろしくね」
「……ゆー」
興味深げにまじまじと見られながらそう呼んだ。
「それじゃあ……どうやって降りようかな」
足にツルが絡まって、ぶら下がった状態だ。
アナトを降すにしても高さが足りず、どう降したものかと逆さまの世界を眺めながら思案していた。
「……ゆーにぃ、だいじょぶ?」
「大丈夫。君は僕が守るから」
「ん!」
信頼してくれているからか元気よく頷く。
「はぁ〜〜……」
しかし、どうしたものか、とユウは唸る。
学園からだいぶ離れたところまで来てしまっているのもあり、アナトをどう保護してあげればいいのか、と思慮していたのだ。
多数のアースを輩出している学園としては少しでも多くの人材を生み出したいと考えている以上、行方不明となった生徒を捨て置くなどしないはずだ。
待っていれば、そのうち捜索隊が派遣されて発見されるのも時間の問題だ。
「よし、このまま待つか」
「……何をしてるのよ。あと諦めるの早いわね」
ルナが呆れ気味に枝の上からユウを見下げていた。
「来てくれたんだ?」
「ちっ、違うわ。そう、これはたまたまよ」
何がだろうと頭を傾げる。
すると、あることに気づいた
「……スカートの中が見えてるよ」
「まじまじと見んな!」
「ぐぼらっ!?」
綺麗な飛び蹴りで吹き飛ばされた。スカートの中はスパッツなのだが、中が見えてるよと言われては羞恥心が湧き出てしまっても仕方ないことだろう。
ぶちぶちとツタがちぎれ、ユウは弾かれるように顔が吹き飛び、きりもみしながら地面を滑った。
「ぐふぅ……」
真っ逆さまになったユウは鼻血を垂らしながら力絶えた。そして、ツタが切れて落ちていくアナトをルナはキャッチしながら着地した。
「おっと……ごめんね、大丈夫だった?」
「ん!」
僕はスルーか、とユウは土を払いながら立ち上がる。その様子に僅かながらルナは眉間を寄せつつも謎の少女について聞くことにした。
「この子は?」
「アナトちゃん。迷子になってたみたいで拾った」
「拾った……」
この辺には人が住んでいるような場所はない。森に集落や村など無いことは学園でも把握しているのだ。
どこから入り込んだか、はまたは……
「あなた、どこから来たの?」
「うー?」
こてんと頭を傾げるアナト。
(もしかしてとは思ったけど……ありえないよね)
アースとは違う妙な気配も相まって、ある可能性が思い浮かんだが、曖昧な理由で荒唐無稽にも程があるため、ルナはその考えを切り捨てた。
「無事も確認できたし、このまま戻るわよ。仕方ないから私が連れ帰ってあげるわよ」
「ごめん、ありがとう」
「あぃがとー?」
ここはまだ森のど真ん中。いつ魔物に襲われてもおかしくないのだ。アースが魔物と戦うには許可が必要で、勝手に戦うと処罰が下る。
「さっさと戻るわよ」
ルナは刀を抜刀して警戒しながら先へ進んでいく。
学園の近辺とはいえ魔物が出現する。低位レベルだろうが、脅威であることには変わらないのだ。
「ガルル……」
「と、言ったそばから!」
魔狼は鼻が非常に良く、目があった途端、戦闘になってしまう。ルナは咄嗟に腕に巻いているブレスレットに向かって解放宣言をした。
「夜神ルナ、緊急解放を要請する」
───オーダーを承認する。
機械音が聞こえた次の瞬間、膨れ上がる魔力にユウは大きく目を見開いた。そして、腰の刀に手を触れて低く構えた。
「狗天流・一ノ型」
魔力を刀の切っ先へと行き渡らせ、抜刀の構えから研ぎ澄まされた鋭利な斬撃が放たれる。
「『風月』」
まだ嗅覚に頼って敵の位置を探っていた魔狼の意表を突き、一撃で首を切り落とした。その現場を見せないようにアナトの目を塞ぐも、驚愕を隠せないユウだった。
「よし、行くわよ。さっさとついてきなさい」
「わ、分かった」
◇◆
ユウを発見した、と通信が届いた数分後。アレンは銃を構えて襲いくる魔狼撃ち落としていった。
「ふぅ、こんなもんか」
魔物と戦う際には、剣や拳など近接戦はあまり優遇されない。実際、日本討滅魔導軍の中でも、剣や拳を主流とするアースは二割にも満たない。
確かにアースは皆、近接された時のための対除に訓練は受けてはいるが真っ当な戦闘術と比べると拙い。
では、魔物の戦いで最も使われている武器は何か。
それは『銃』である。
《異界》に侵食される前より高い殺傷能力を誇り、近代戦争で最も多くの命を奪った武器のひとつだ。
アレンの持つ銃は魔力で弾丸を射出する魔法と近代技術が融合した《魔銃》だ。鉄の弾丸を通さぬ強固な体表を貫くために作られたもので、対魔物で最もよく使われる武器なのだ。
「俺的には銃なんて苦手なんだが……まぁ余計な魔力の使用を避けるには最適か」
込める魔力を効率化した上で、より殺傷に長けた武器はこれ以外にないのは認める。しかし、だからと言って対人技術を疎かにしてもいいのだろうか、というのが正直なところの考えだ。
だからといって銃も疎かするわけにもいかないしな、とアレンは指を引っ掛けて弄びながら腰へと納めて大きく溜息をついた。
「はぁ、それにしても……妙に『勘』が騒いだから来てみたが、何だこりゃ」
辺り一面を敷き詰められた───魔狼の死骸。
同士討でもなく、争いがあった様子もない。現場の異常さが際立ち、その異臭に顔を歪めた。
「ひどい臭いだ。この辺にドラゴンなんていた話は聞かなかったはずだよな」
その死体は全て焼死体だ。炎に耐性のある魔狼が焼かれて溶けた異臭が充満しているのだ。火炎放射器どころではない。まるで超小型の『核』が落とされたかのような光景だった。
「放射反応も高い。アースには様々な耐性があるということだが……あまり長居はしない方がいいな」
現場は学園から離れてはいるものの遠くはない。学園に被害が及ばないとは限らない、とアレンは早急に学園へ報告するべく、その場を離れた。