アルディノス
アルディノスーールクス王国の東側に位置し、山と海両方に面する街である。
その山から流れる美しく澄んだ水は山の麓での農業に存分に活かされ、広大で様々な種類の魚が取れる海は街の住人の胃袋を満たす重要な役割を担っている。
「へぇー、ここがアルディノスかぁ」
太陽が真上に輝き、雲一つない青空の下ーーー
そこには少年とメイド、女騎士と中年の男という一風変わった一団がいた。
街の入り口付近で小さな背負い袋を背中にかけ、キョロキョロと辺りを見回す様は、100人が見て99人が
「お上りさん」という印象を受けるだろう。
その瞳はキラキラと輝いており、知的好奇心に満ち満ちている。
「ご主人様。お荷物、重くはありませんか?言っていただければ、直ぐにでもお持ち致しますので」
「ううん、大丈夫!少しでもみんなの負担を減らしたいし、それに……」
ちら……。
「……?どうかなさいましたか?マスター」
三人の持つ荷物を対比として正しく表すなら、小、中、超特大といったところだろうか。……完全に人の持てる許容量を超えている気がしないでもないが、リオンは汗一つかかず、涼しい顔をしている。
ミストはティア、リオン、自分の順に背負っている荷物を見比べた。
「ううん…何でもないよ。ごめんね、非力で…僕、男の子なのに……」
ズゥウンと落ち込む擬音が聞こえて来そうなほどミストは肩を落とす。
ハッと我に返ったティアは、主人を気遣った筈の荷物に関する質問が自分の失言であったことを察する。主人に謝らせてしまうなど、自分は一体何をしているのかーーと、内心は先程の自分を殴りたい思いで一杯だった。
「そんな!ご主人様が謝られる事ではありません!
私もリオンも、御身の助けになる事こそが役目!……貴女も何か言いなさい!」
「…うん?なんか良く分からないが……」
そういうとリオンは凛々しい顔をさらに引き締め、自信満々にその豊かな胸を張り、ミストに告げた。
その動きに合わせ、ポニーテールもゆさゆさ揺れる。
「マスター!私はまだまだ運べます!どうぞ大船に乗ったつもりで、どーん!と頼って下さいませ!」
はーっはっはっはっはっ!
その言葉にミストは少しばかり目を見開いたが、直ぐにまたしょんぼりとしてしまった。
「あ……ありがとう。リオンはすごいなぁ、力持ちで…羨ましいよ…はぁ……」
「っ……この駄犬!!」
「きゃいんっ!?」
唐突に、ティアがリオンの尻を叩いた。
まるで、躾のなっていない馬に鞭打つように。
ティアとしては何か慰めの言葉を期待していたのに
更にミストの気持ちを凹ませてしまう結果となったので、怒りを抑えきれなかったといったところだろう。
「あ、あのー……そろそろ、街の中に入りませんか……?」
今まで発言もせず、存在感も薄かったーーーいや、
三人の会話に入れず気まずそうにしていた男が口を開いた。
「あ、そ、そうですねっ!じゃあ、行きましょうか」
男は変わった組み合わせの3人をちらと見やり、あの時彼らに会えたことの奇跡を静かに神に感謝した。
ーーーーーーーーーーーーー
「あ、あの……」
薄暗い森。静寂と霧が空間を支配する中、小さな家の中からじっと外の様子を伺っていた男が声を恐る恐る声を発する。
外では、野盗の一団が全員気絶して地に伏せており、
その横では少年が凛々しい女騎士の頭を撫でているという、よく分からない光景が目の前に広がっていた。
少年がこちらに気づいただろうか。わしゃわしゃするのをやめ、家の方へと戻ってくる。
「あ…おじさん!大丈夫でしたか?」
「あ、ああ…あなた達のお陰で助かりました…本当に…本当にありがとう…!」
「いえ…。それより、怪我の手当てをしないと!」
「ああ、すみません……」
そう言い家に入ろうとするミストの背から声が掛かった。
「マスター!彼らはどう致しましょうか?あと数時間もすれば目を覚ますでしょうが……」
盛大に跳ねた毛髪を携え、表情だけは凛々しい騎士が尋ねる。
「そうだね……一人ずつロープか何かで縛っておいてくれる?後で街の方に送り返すよ。そうすれば、
後は衛兵が取り締まってくれる筈だから」
「畏まりました」
恭しく礼を一つすると、リオンは早速作業に取り掛かかったーー。
「それで…何があったんですか?あんなに沢山の人達から追われているなんて……ただことじゃ無いですよね?」
椅子に腰掛け、ミストが包帯を彼の腕を中心にして怪我をしている部分に巻いていく最中、会った時からどうしても気になっていた質問をぶつけた。
「それが…あれは、一週間ほど前の事だったでしょうか……奴らがいきなり街に現れて…『これ』を…
奪って行ったんです…」
男がズボンのポケットから皮袋に入れられていた小さな黒い石ころのような物を取り出す。丸くて表面がスベスベしており、形が整っている以外は何の変哲も無いただの石に見えた。
「これは……すみません…何なのでしょうか?
ただの石にしか…」
「そう思われるのも無理はありません……実はこれは
街の『水源』なのです…」
「水源…ですか…?」
「はい…正確には農作物を作るためのもので、山から流れ出る水を各個人の田や畑に分岐させて届けるという、重要な役割を持った魔法具【マジックアイテム】で…水を使う量がとても多いため代用が効かず、これが無くては最早我々は生きていけないのです…」
「なるほど……」
ミストは神妙な面持ちで思案した。
「…それで、彼らからこの石を取り戻すために…?」
「……はい…無茶なことだとは分かっていましたが、
街にとって今が大事な時期なのに、この石が無いなんて考えられませんでした…それで…気が付いたら一人で…運良く奴らの隙をついて石だけは取り戻せましたが……」
愚かな事だ、と後ろで静かに話を聞いていたティアは心中で侮蔑した。
見たところ彼は普通の人間だというのに、十数人を相手にするのにたった一人で向かったというのか。
ーーー危険すぎる。感情に任せて突っ走るのはどう考えても間違いでしかなく、今回は偶然上手くいったから良かったものの、その間抜けな行動に彼女は彼に対する評価をまた一段階下げた。
「それで……救っていただいたお礼がしたいのですが……ご覧の通り、私が差し上げられる物など何もありません…ですので、私の街へ来て頂けませんか?ささやかながら、そこでお礼をしたいのですが…」
「………」
そんな、お礼なんて構いませんよーーーと言いかけたミストは、男の真っ直ぐで、しかし強い意志のこもったな目線に気がつくと、喉まで出かかった言葉を呑み込み、覚悟を決めたように頷いた。
「…分かりました。ですがすぐという訳にはいきません。こちらも準備がありますので」
「も、もちろんです!ありがとうございます……!あ、遅くなりましたが…私はリロイと申します」
「ミストです。よろしく」
二人は立ち上がると、互いに握手を交わした。
いくらの時間が経っただろうか。
家の前には、それぞれ荷物を背負った面々が居た。
「ーーお待たせしました。それでは行きましょうか。
ここからの道順は、分かりますか?」
当然ミストは彼の住まう街が何処にあるのかなど知らないし、行き方だって分からない。
「ええ、それは大丈夫ですが……ここからは歩きで少し遠いので……その……」
リロイはちら、と横に立つ女の様子を伺った。
彼女は、持ち手の部分がよく壊れないなというほどの大きい背負い袋を双肩に預け、立っている。
その顔からは微塵も荷物を苦に感じている様子は伺えなかったが。
男の不安を感じ取ったミストはその不安を拭い去るためーー男を安心させるために笑顔で声をかける。
「それについては大丈夫です。
ーーーおもちゃ箱【トイ・ボックス】」
ミストが呟いた瞬間、地面に突然一メートル四方の箱が現れた。箱の側面には緑を基調にカラフルなデザインが施され、どこかの店の売り物だと言われても納得できるくらいであり、この薄暗い森にあっては非常にミスマッチだという感想が妥当である。
と、突然箱の上面が開き戸の要領でパカと開いた。
「えっと……確か……」
ごそごそ。ごそごそ。
ミストはその箱の中に右手を突っ込みながら覗き込み、何やらまさぐっているようだ。
奥の方まで手を突っ込んでいるから身長が足りていないのか、多少つま先立ちになりながら。
一体何をしているのかと好奇心からリロイは箱の中身を覗き込んだ。
ーー中にあったのはデフォルメされた可愛らしい虎のぬいぐるみ、赤、黄色などの三角や四角い形をしたブロック、鉄砲を肩にかけ勇ましく直立不動のポーズをとる兵隊の人形などだった。
それらが所狭しと何段にもなる板に綺麗に並べられ、整頓されている。
大抵の子供のおもちゃ箱といえば……ごちゃごちゃしていて、物が物の上に重なり合っているという状況をリロイは連想したが、この箱に関して言えば全くそんなことはなく、本当に物を大切にしているのだという事が痛いほど伝わって来た。
「あ、いたいた。さあ、出ておいで」
目当てのものが見つかったのか、ミストはニコニコ顔で中の物を取り出すと、丁寧に地面の上に置いた。
それはーー木製の荷馬車とそれを引っ張っているように見える馬、そしてその馬にのるつばの広い帽子をかぶり、へんてこな口髭を蓄えたーーーしかし紳士的なーーー御者だった。
ーーーなんとも可愛らしい。
リロイが、ミストが取り出した物達を見て最初に出てきた感想がこれだった。
それもそのはず、馬も御者も目や口が点や線で描かれるなど、ぬいぐるみの要領でデフォルメされていたしーー何より全てが掌に乗るサイズというのが、彼に愛らしさを抱かせる一番のポイントだった。
「さ、みんな…『起きて』」
次の瞬間、リロイは驚愕に目を見開くことになる。
ミストがパン、と一拍手を打つと今まで地面の上に置かれていた物たちがぐらぐらと激しく揺れだしたからだ。
(なんだこれは……まるでそれぞれの物が意思を持っているみたいに動いているぞ……生きているかのようだ…)
やがてそれらはぐんぐんと体積を増してゆき、十秒後には完全に本物の馬と荷馬車、そして御者になってしまった。馬車は何人も乗れそうな革張りのとても立派なものだし、馬は茶色い毛並みに黒くて艶やかなたてがみを生やし、ぶるる、とリアルな息遣いが聞こえて来るほどだ。
そしてーーー
「これはミスト様!!お久しぶりでございます。またお会いする事が出来て嬉しゅうございます!」
なんとも芝居掛かった大げさな動作で、恭しく帽子を取って一礼をする紳士的なーーしかしへんてこな口髭を生やしたーー御者の姿がそこにはあった。
「久し振りだね、シュー。元気だった?喧嘩して家を出て行った奥さんとは仲直りしたの?」
「いえ、誠に女心というものは振られた賽の目よりも
分かりかねます故、未だに話すらしておりません。
ーーおや、こちらの方は……?」
御者が彼の姿を認識したのか、リロイの方を向きミストに質問を送る。
「ああ、これからシューに連れて行ってもらう街の人でね。悪い人たちに追われているところで、僕達と出会ったんだ」
決して「僕が助けたんだ」とか「救ったんだ」と言わないところが、恩着せがましくない彼の純真な性格を表していると御者は考え、彼に仕えることが出来る喜びを改めて噛み締め、柔和な笑みを浮かべて髭をしごく。
(悪漢に追われていたのならば、ミスト様に助けて頂いたのは火を見るよりも明らか……何とも幸運な御仁でしたな……)
シューと呼ばれた御者はフォッフォッ、そうでしたか、と頭に浮かんだ考えは伝えずに微笑んでみせ、
今度は自分の番ですな、と帽子を取ったまま自己紹介を始めた。
「私はシューツァル・アルフレッド・ヴァルヴァイスと申します。長いのでシューで結構ですぞ。どうぞ、以後お見知り置きを…」
「…どうもご丁寧に…私はリロイと申します」
リロイは反射的に挨拶を返せたが、元々が小さな人形である事を知っているがために、どう反応してよいか少しばかり考えを巡らせてしまう。
「おお!ティア様とリオン様もいらっしゃったのですね!お二方とも、相変わらずお美しゅうございますなぁ」
「久しいな、シューツァル。その軽口、全く変わっておらんようだな。……それと、我が姿はマスターより直々に賜ったものだぞ?…それが美しいのは当然ではないか」
それもそうですな、と強い自惚れとも取れる彼女の言葉を何一つ気にする事なく彼が呑み込んだことに対して、もはやリロイが疑問を抱くことは無かった。
これまでの会話で彼らがこの少年に強い敬意ーーいや
忠誠と呼べるものを誓っているのは明らかだったからだ。
「あ、そうだ…リオン、彼らはどうしたの?」
ふと思い出しかのようにミストが隣にいた彼女に尋ねた。彼らとは当然、野盗の集団を指しているのだろう。
「は!直ぐに我々がのる馬車とは別の馬車に縛って放り込んでおきます」
「そっか。なら……ティア」
「はい」
「馬車の内側を包むように不可侵の掟【セイクリッド・ロウ】を。彼らに暴れられでもして、馬車が揺れると危険だからね」
「畏まりました」
ミストはテキパキと指示をすると、シューツァルに向かって言った。
「それじゃ、準備ができ次第出発しようか」
ーーーガタン、という一際大きな揺れと音で男達は目を覚ました。
「ここは……?」
「俺たちは確か…くっ……」
ズキズキと鈍い痛みを頭や腹に感じながら男達は懸命に状況を把握しようと努める。
そこは、薄明るいテントのような所で、男が十数人程入れるくらいには広い場所だった。
細かく体を伝う振動から察するに、何か動くものの上に乗っているらしく、手足が動かないことを考えると、何か紐状の物できつく縛られていることが分かる。
ーー記憶を辿らせると、あの薄暗い森で化け物の様な女の昏い笑みがジワジワと蘇ってきて、心の底から身震いしそうになる。
ーーーが、しかし同時に、自分達をこんな目に合わせた女と、何よりあの化け物と自分たちを引き合わせた元凶である男に沸々と強い憤りが湧き上がって来た。
「ちくしょう!出しやがれ!」
「ここから出せ!くそったれ!」
男達の中でも特に血気盛んな数名が立ち上がった。
手と足を縛られているにも関わらずーーだ。
そのまま芋虫のような状態で助走を取ると、壁に向かって体当たりを行う。
しかし、予想されていた反動による衝撃が彼に走ることは無かった。ーーまるで見えない何かがそこにあるかのように。
「まさか……あのメイド……くそっ!!もう一度だ!」
「ーーーやめろ!!」
突如、室内に鋭い声が響き渡る。
有無を言わさぬ強い声色は、男達に暴れる一切の意欲を喪失させた。
「しかしお頭!このままでは、俺たちは確実に捕まっちまいます!早いとこ逃げ出さねえと…!」
「捕まってしまう…か…捕まるだけならまだマシだろ。おい、あそこの森から一番近い街は何処だ?
俺たちを衛兵に突き出すつもりなら、そこに向かうはずだ…お荷物は、早く置いて行きたいだろうからな」
「た、確か…ビルソンだったかと……」
「ビルソンか…あそこは衛兵の意識も低く、取り締まりも甘い……賄賂も通じるはずだ。
つまり、大人しくお縄になった方が後々得なんだよ。
だが……もし暴れでもして奴等の機嫌が変わったら
どうする?あのガキ……見た感じは大人しそうな感じだったが…「やっぱり邪魔だから殺そう」ってな事にならねぇとも限らねぇ……」
「ーーーチャンスを待つんだ……息を潜め……闇の中でな……」
ーーーーーーーーー
「おっと!そこで止まってくれ!」
街に入ろうとした一行に呼び止めるような声が掛かった。
見ると、警備用の鎧を身に付け、槍を携えた背の高い若い男が門の入り口を塞ぐように立っていた。一見爽やかそうではあるが、どこか野性味溢れる顔立ちをしている。
「あんたら、見ない顔だが…アルディノスは初めてか
?だとしたら、身分を証明するものとして滞在証が必要になるぜ。一人銀貨一枚でーーー」
「マルス!マルスじゃないか!」
突然、リロイが喜色の声をあげた。
マルスと呼ばれた衛兵は自分の名前を呼ぶ声の主を怪訝そうに見やったが、直ぐにその人物に気づいたようで、驚いたように叫んだ。
「あんた…リロイのおっちゃんか!?…どこに行ってたんだよ!!この三日、おっちゃんが行方不明なったって、奥さんも娘さんも凄く心配してたんだぞ!」
「ああ、すまない……奪われた例のものを取り戻しに行っていてね……」
マルスはその言葉を聞くと、リロイの身を案じていた心配そうな表情を一変させ、プルプルと肩を震わせ、抑えきれない怒りを爆発させた。
「ばっかやろう!!一人で黙って行ったっていうのか!?何て危険な事を…!もしあんたが死んだら、
奥さんと娘さんがどれだけ悲しむか分かってるのか!!!?」
「すまない……すまない……」
もはやリロイには平謝りする他に選択肢は無かった。
しかしそれも当然。野蛮な悪党達を相手に、誰にも内緒で街を出たのだ。どれだけ責められようとーーー
文句を言える立場ではない。
「でも……良かった。おっちゃんが無事で本当に良かった……」
抑えきれないほどの怒りに包まれていた青年だったが、リロイが無事だったという事に対して改めて安堵したのか、目の端に光るものを浮かべる。
(なるほど…この男のために本気で怒り、本音で泣くーーか……)
最初に受けた、ただ軽薄そうだという彼に対するイメージを、彼等を傍観していたリオンは改めた。考えてみれば、怒ったのも涙を浮かべたのもリロイの為を想ってのこと。
赤の他人にここまで感情を剥き出しにするのは、この青年が余程人のいい者なのかーーーもしくはリロイの人徳なのだろうと推察する。
「…けど、あれだけの人数を相手によく無事だったな。ホント、奇跡としか思えねぇよ…」
「あ、そ、それは…!この方達に助けて頂いたんだ!
奴等に追われていた時、たまたま出会ってね……
彼らから守ってくれた、命の恩人なんだよ…!」
「………」
ーーー衛兵であり、剣術、槍術の鍛錬を欠かさないマルスには俄かには信じられなかった。
奴等の中に魔法が使えそうなものや、魔法具を持っていそうな者はいなかったとはいえ、あれだけの人数相手に目の前の人間だけで立ち向かったというのか。
メイドに女騎士、そしてなんの変哲も無いただの少年、この中で唯一戦闘能力がありそうなのは
女騎士くらいなものだが、それでもやはり道理が通らない。
ただ一つ可能性があるとすれば、街を襲った時よりも人数が大幅に少なかったーーーそう、3、4人くらいとかーーーそれならば不意を突いて有利を取れる可能性は否定できないからだ。
ジロジロと観察するように見てくるマルスを不快に思ったのか、リオンがやや喧嘩腰な口調でマルスに話し掛けた。
「…疑っているのなら私の実力を確かめてみるか?
まあ…貴様程度に私の相手が務まるとは思えんがな……」
「なんだと!?」
「わあぁぁ、すみません!すみません!」
まさに一触即発という二人の間にミストが入り込み、ペコペコと頭を下げる。
「と、とにかく、この方達の滞在証の発行を頼むよ。
金なら私が払うから」
これ以上ここにいては喧嘩になってしまう、と考えたリロイは懐の布袋から銀貨三枚を取り出すとマルスに手渡した。
「……分かった。少し待っていてくれ」
マルスは銀貨を受け取ると、街の入り口の門の横にある小さな建物ーーー恐らく衛兵の詰所だと思われるーーーに入っていった。
「ーーすみません。お金出してもらっちゃって……
僕たち、お金は一切持っていないもので……」
「とんでもない!この位、何でもありませんよ!」
あはは…と気まずそうに頬をかくミストであったが、
リロイからすると彼らは命の恩人。彼らがいなければ
今の自分は恐らく無く、本当であれば踏ん反り返っていてもおかしくは無いのに、この少年は何と謙虚なのかと、リロイは心の底から感心した。
ーーーしばらくすると、詰所からマルスが出てきた。
手には、金属製のプレートが人数分握られている。
「さあ、これを持っていてくれ。宿に泊まる時や、
物を買う時にも必要になる事があるからな。無くすと再発行にまた銀貨一枚掛かってしまうから気を付けろよ」
「ありがとうございます」
許可証を受け取った一行は、街へと入っていくのだった。
街の中は、石畳が敷かれており、大きな通りが真っ直ぐ先まで伸びている。遠くには大きな噴水が見え、
近くで飛び跳ねるように遊んでいる子供達が微笑ましい。特に変わった所のない、普通の街である。
ーーーただ一つを除いて。
通りの端に位置するのは食品や嗜好品などを売っている屋台やら露天なのだが、その後ろーーー
大通りを挟むようにしてそれはあった。
壁である。石造りの立派なもので、高さにして3mはあるだろうか。まるで出入りを拒むようにして設置してある。
それも、先が見えない程ずっと続いているように見える。
「あの、リロイさん。この壁は一体…?」
壁の存在を疑問に思ったミストが壁をじっと見つめながらリロイに問いかける。
「ああ…これは、5年前の戦争の後に出来たものなんです」
「5年前の……ですか……」
「……?」
ミストの沈んだ顔を見てリロイは不思議そうな顔を浮かべ、どうかしたのか、と問いかけようとしたが、直ぐに開きかけた口をつぐんだ。
ーーー戦争での思い出など、決して良いものであるはずがない。
国益だけを優先した人間として愚かなーーー全く恥じなければならない行為である。
奪い、奪われ、そして後に残ったのは無惨に積み上がった死体と、亡くなった人を悼む家族の心の傷跡だけなのだから。
「そ…それで、山の麓に住む住人と海の近くに住む住人が戦争の際の様々なイザコザから、非常に仲が悪くなってしまいまして……今では山側の住人、海側の住人と住む場所が分かれてしまっている有様なのです」
「そ…そうなんですか…」
「ーーーそんな事より、早くその石を持って行ってやらねば無かったのではないか?」
昔の暗い話が出て来た事で落ち込んでしまった場の空気をリオンが違う話題で切り替えた。
こう見えても空気は読める方なんだぞ!とは、彼女の談である。
「あ、そ、そうでした!……すみませんが、皆さんも
一緒に来てもらえませんか?組合長に紹介したいので…」
「ええ、構いませんよ」
先程の陰鬱な気持ちを吹き飛ばすようなにこやかな顔を浮かべてミストは応えた。
アルディノス農業・酪農共同組合【アルディノス・アース・ユニオン】
リロイが所属する酪農、農業を管轄する組合である。
と言ってもその役割は様々で、酪農・農業製品の直売、委託販売や、農業製品の生産量にばらつきが出ないようにする為の農業の正しいやり方ーーー作業要領書の作成、改訂を行なったり、やり方を統一するため道具の貸し出しなども担当している。
まさに、困ったことがあれば何でも相談できる、山側の人間の頼れる窓口なのだ。
大通りの中心部、丁度噴水のある場所の山側の方に大きな門があり、その門をくぐるとすぐの場所に建っている大きな建物がそれである。
「リロイ!何処へ行っていたんだ!心配したんだぞ!」
組合の建物に入るやいなや、駆け寄って来た人物がいた。
ベイン・ラスタルト。
組合の長で、管理、運営に携わっている一人である。
元々は農夫の一人だったが、農業の才能は群を抜いて高く、道具の開発や製造、水路の正しい運用方法など
彼が成し遂げた功績は大きく、その全てを誰もが認めるところである。
大柄な体と日に焼けた浅黒い肌、ゴツゴツした手は今現在も農業に深く携わっていることを証明している。
「組合長!すみませんでした……実は、奪われた例の物を取り戻しに……」
ばつが悪そうにリロイが懐から例の石を取り出した。
「な!!そ、それは……!
まさか…奴らのところに行ったのか!!?」
「………」
「なんて事を……!!」
無言で俯くリロイを見て全てを悟ったのか、ぷるぷると震えだすベイン。しかし先程のマルスの様に激昂しなかったのは、同じ組合の仲間として、その衝動は全く理解できないものでは無かったからだ。
「そ、それで、そちらの方達は…?」
「は、はい。野盗に襲われていた私を救ってくださった方たちです。偶然迷い込んだ森で出会いました」
「おお、そうでしたか!!リロイを助けて頂き、どうもありがとうございます!」
深々と頭を垂れるベイン。その折り曲げた体の方向はどう見てもリオンの方を向いていた。
「ーーいや、私では無くーー」
「ーーあのっ!それで、その石が戻ったということは、これで元通りに農業が出来るというわけですよね!!」
「…………」
ミストの取り繕ったような質問に帰ってくる答えは無かった。
リロイもベインも俯いて何か複雑な表情をしており、その心中は決して石が戻ってきた事への喜びだけでは無いように思えた。
しかしその理由はすぐに組合長であるベインの口から語られる事になる。
「それが……実はこれ、今は見た目普通の石なのだが…元々は美しい蒼い光を煌々と宿している物なんだ……実際に使用する際は森の魔力を自動で供給するため、麓の湖の中にある石で作った台座に嵌め込んでおかなければならないんだ。
なのでその特殊な魔力を長時間受けずにいるとーー」
「ーーー魔力の枯渇が起こる、ですね?」