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生み出された殺人者  作者: やわか
3/4

望みより出でし者

 俺は、逃げていた。

 何からかはわからない。

 ただ、本能が訴えかけてくる。

 逃げなければいけない、と。

 もうどれだけの間、逃げ続けているのかわからない。

 どうして逃げているのかも。

 前後の記憶すら曖昧だ。

 胸の内から湧き上がる恐怖に急き立てられながらひたすら走る。

 息は切れるし、足は思うように動かない。体も重たい。

 それでも本能のは叫びをあげ続ける。


 『死に物狂いで、いや、死んでも逃げ切れ』と。


 追い付かれるわけにはいかない。

 捕まるわけにはいかない。

 それなのに、俺は足を止めてしまった。

 止めざるを得なかった。

 後ろから追いすがる恐怖。

 逃げる俺の前方には、絶望が立ちふさがっていた。


 「嘘、だろ……?」


 目の前には断崖絶壁。

 岩を砕かんばかりの波が、向かって来る者に牙を剥かんとしている。

 振り返ると、黒い影がすぐそこにまで迫っていた。


 「こっちに来るなよ……」


 影が一歩前へ踏み出す。


 「……やめろよ」


 後ろへ一足下がる。


 「近づくな……ッ」


 闇が迫る。


 「止ま、れよ……!」


 後ずさる。

 ぱらり、と岸壁から破片が零れ落ちる。

 右の踵が空中に浮いているのが分かる。

 迫り来る影が身を乗り出す。


 「や、止め――」


 仰け反った俺は崩れた崖と共に荒れる絶海に投げ出される。

 俺を掬いあげる物は何もない。

 俺を救ってくれる者は誰もいない。

 為す術もなく呑み込まれていく。



 「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」



  *


 次に目を開けた時には、俺は天井を見上げていた。

 見知った天井。

 住み始めて数か月にもなる自分の部屋だ。

 真っ暗な部屋には、カーテンの隙間からわずかに差し込む月明りだけがあった。


 「夢、か……?」


 ゆっくりと胸に手を当てる。

 体中が汗で湿っているのが分かる。

 さっきまで感じていた恐怖がまだ温度を残している。

 乱れる息を整えて、大きく息を吐く。


 眠ってしまえばまた『あれ』に襲われるかもしれないと思うと気は進まなかったが、近頃ストレスが多かったこともあるのだろう。

 知らないうちに疲れていたのかもしれない。

 いつの間にか、俺は再び睡眠の世界に落ちていた。


  *


 そして翌朝。

 昨晩のこともあってすっきりとした目覚めとはいかなかったが、あの夢をもう一度見ることは無かった。

 どんな夢を見たのか覚えていないから、きっとそうなんだと思う。

 重たい頭をもたげながら学校へと向かう準備を進める。


 毎日やっている通りに大学へ向かい、講義を終え、部活に行って、自宅への道筋を辿っていた。

 何か妙だと思っていたら、なんのことは無い、今日はあの恐怖を味わっていない。

 むしろこちらの方が正常なのだが、この一週間の間毎日欠かさず襲われていたためか、無いことが逆に不自然に感じてしまった。

 あれはいったい何だったんだろう、なんて考えていると、()()

 眼前には電信柱。

 なぜかそこに目を釘付けにされる。

 今日のは一味違う。圧し掛かるのは恐怖を通り越した、『死』。

 進もうにも進めない。

 でも、対処法は知ってる。

 もう抗おうなどとは思わない。大人しく180度方向転換し、別の道を模索する。

 これで良いはずだった。()()()()()()()

 何もないはずの道で再び体を縛りつけられる。

 冷や汗が顔を伝う。


 「何でだよ……?」


 反転して駆ける。

 しかし、それでもまだ。

 今度は前ではない。

 後ろから。

 ()()()()()()()

 得体のしれない恐怖が。

 追い付かれれば、捕まれば最期の『何か』が。


 「なんだよ!?何だよ、何なんだよ……ッ!?」


 走る。

 ひたすら足を動かす。

 誰もいない道を走り続ける。

 角を曲がる。塀を越える。踏切を横切る。十字路を直進する。路地裏へ入る。草叢くさむらを掻きわける。橋を渡る。右へ。左へ。走る。はしる。はしる。

 それでも振り切れない。

 どこまでも張り付いてくる。

 まるで誘導されているかのように人のいない方へ。


 ――走る。走る。走る走る走る走る走る走る走る――ッ


 もう駄目だ。

 脚が、体が動かない。

 肺が空気を吸い込めない。

 それでも駆け続ける。

 恐怖に。

 本能に突き動かされながら。

 逃げ続けた先で、トンネルに入った。

 そこで、背中に迫っていた重圧が消える。


 ……撒いたか?


 そう思って振り返る。見えるトンネルの入り口には何もない。何も感じない。

 ホッとして視線を前に戻すと、『それ』がいた。


 喉が乾上ひあがる。

 血の気が引く。

 その瞬間に、実感した。

 絶対的な、圧倒的なまでの『死』を。


 黒革のコート。フードを目深に被った人影が、ゆらりと動く。

 瞬きをする間もなく、俺の喉元には細身の剣が突き付けられていた。


 俺は、理解した。

 理由なんかはない。

 理屈なんかじゃない。

 ただ、()()()()

 ……そうか。こいつは俺を殺すのか。


 だが、影はそれ以上動かなかった。

 切っ先を喉に突き付けたまま。

 俺は、対面する相手に言葉を発する。


 「……俺を、殺すんじゃないのか?」


 『それ』は静かに首を横に振る。


 「貴方が望んでいるのは、そんな事じゃないでしょう?」


 凛とした声が答える。

 その声で気付いた。

 ……女の子?

 少女は続ける。


 「貴方は死にたがってなんかいない」


 「いいや。俺はずっと死にたかったんだ。誰かに殺してほしかったんだ」


 「違う」


 彼女は一言で俺の言葉を断ち切る。


 「お前が、俺の何を知ってるって言うんだよっ?」


 その声にも、迷いなく即答した。


 「知ってるわ」


 漆黒の影は告げる。


 「この一週間、私は貴方を殺そうとしてきた。それでも、出来なかった」


 「何を、言って……?」


 自分で口にして、思い当たることがあった。

 一週間ほど前から毎日感じていた恐怖。

 体が動かなくなるほどの圧倒的な『死』。


 「私は貴方の願いから生まれた。貴方は死にたいと願った。だから私は殺そうとした。誰にも気づかれず、痛みすら感じさせず、抗いようもなく。直接手を下そうとすれば、私を生んだ貴方には気付かれると思ったから、間接的に殺そうと思った。貴方が通るタイミングでトラックが猛スピードで突っ込むようにブレーキに細工をした。貴方が使うコップに毒を仕込んだ。行く先の橋が崩れるように切り込みを入れた。鉄骨が落下するようにクレーンの螺子ねじを抜いた」


 少女は自らのしてきたことをつらつらと告白していく。自らの失敗を連ねていく。


 「でも、全部駄目だった。どれだけ痕跡を残さないようにしても、貴方は残された私の気配を敏感に感じ取って、全てを回避した。最後の手と思って、貴方の部屋に忍び込んで寝ている所を直接殺そうとしたけどやっぱり出来なかった。電柱の影に隠れても気付かれた。私は、貴方が望んだとおりの最強最速の殺人者。それでも殺せなかった。貴方の望みから生まれた私でも。ううん、()()()()()()貴方だけは殺すことが出来ない。貴方が本心では生きたいと願っているから」


 「違う、俺は」


 やっとのことで発した俺の言葉を切り捨てる。


 「貴方はただ、逃げたかっただけ。現実から」


 「そんな、事……」


 声が震えている。

 俺、は……?


 「嘘。言ったでしょう?私は貴方の願いから生まれた。だからわかる。貴方は死にたくなんかない」


 冷たい瞳。刺すような視線が俺を真っ直ぐに見つめる。


 「俺を、殺してくれ……ッ」


 「強がらないで。死ぬのが怖いんでしょ?」


 「……」


 「だって貴方、泣いてる」


 「ッ……?」


 驚いて、自分の頬に手を当てる。指に液体が触れた。


 「逃げないで。軽々しく死にたいなんて思わないで」


 一撃必殺の殺人者の言葉が、胸に突き刺さる。

 自然と口から声が漏れていた。


 「死にたく、ない……」


 ポロポロと涙が零れる。


 「ちゃんと向き合って。自分と。現実と」


 彼女はおもむろに剣を下ろした。

 体から力が抜けて、俺は膝から崩れ落ちる。


 「俺……!おれ……っ!」


 「わかってる」


 泣き叫ぶ俺を、少女は優しく抱き留めた。

 子供をあやす親のように後頭部と背中をゆっくりと撫でる。

 さっきまでとは打って変わって柔らかい声色で語り掛ける。


 「貴方は誰よりも生きたがってる。誰よりも必死に足掻いてた。もがいて、苦しんで、疲れちゃったんだよね。何もかもが間違いに思えて、何が正解なのかわからなくなって。逃げ出したくなっちゃたんだよね」


 現実の世界は、小さな俺が生きるにはあまりに大きすぎた。

 油断すれば、簡単に呑み込まれてしまいそうなほどに。


 「でも、そんなに無理しなくても良いんだよ。用意された正解なんかない。貴方の進んだ道が、生きた証が、正解になるんだから」


 俺は、彼女の腕の中で泣いた。

 大声をあげて、子供のようにいつまでも泣きじゃくっていた。

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