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イデアロイド  作者: 和毘助
8/9

休日の汽車ⅲ

 「あの」

 入り口で僕がチケットを渡すと、受付の女性は、困惑の混じった笑顔でこちらを見た。

 「ヒューマノイドは、所有者の方とご一緒であれば、所有者の方の料金で大丈夫ですよ」

 その言葉を聞いて、というより所有者という言葉を聞いて少しむっとして言う。

 「彼女、ヒューマノイドではないんです。脳波計測してみてください」

 受付の女性はますます困った顔で、計測の機械を取り出す。

 見た目はただのゴーグルのようだが、その実態は間接脳波計測装置だ。


 一般的なヒューマノイドであれば、ヒューマノイドと四六時中いて、観察を続けている人間なら、一目でヒューマノイドと人間の区別は付く。

 だがこの世には、いわゆる高級品に分類されるヒューマノイドがある。

 特殊内部制御装置で、わざわざ、効率と精巧を求め続けるというヒューマノイドの強みを抑えて、いくら年数を重ねても動きが洗練されないように、真人間により近づけた嗜好品だ。ただし、その耐久性は依然変わりなく---そのせいで僕たちに重圧がかかるのだが---本当の意味で金持ちの道楽や嗜好品である。

 先生の言っていたのも、このことだ。

 

 そんな中賤しい考えを一生懸命巡らせる人間もいて、各地のアミューズメントパークや映画館、名勝地でヒューマノイドを騙って無料で入ろうとする事件が相次いだ。

 熟練者でも人間との区別がつきにくい高級型ヒューマノイドの存在のせいで、そういった事件は絶えなかった。

 そこで、人間とヒューマノイドの組の真偽を一瞬で識別出来るように、例の装置が自主的に実装されることになったというわけだ。

 別段高価でもなく、不正を未然に防げる優れもの。客の手間を取らさず、客に疑いをかけずにすむ点も注目された。

 事件自体はほとんど起きなくなったのだが、念のためということで、最低限のセキュリティとして普及はしている。


 しかしその間接脳波計測装置は、あくまで『ヒューマノイドを騙る人間を暴くこと』を目的とする。

 僕らのような場合は、一切と言っていいほど想定されていない。

 「……識別証も確認出来ませんし…脳波も確認されました…大変申し訳ございません…大人二枚ですね。では、ごゆっくりどうぞ」

 終始解せぬ様子で接客をする女性であったが、最後には目の前の現実をなんとか受け入れたようだった。


 ゲートをくぐると、菜種色の海が一面に広がった。

 菜の花の香りが頰を撫でる。

 謐君と並んで、ゆっくりと眺めながら道を歩いていく。

 「菜の花……花言葉は、快活、だったかな」

 謐君が頷く。

 海葛君にお似合いだと思ったが、すぐにそれは無いなと否定し直した。こんな可愛らしい光景に、無骨な彼は似合わない。

 花の海岸に沿って、円形に回っていく。

 菜の花は可愛らしい花だが、実はとても多才である。食用としてや菜種油として、このように春の風物詩の観賞用としても活躍する。また、アブラナ科には菜の花の他に、キャベツや白菜、ブロッコリー、カリフラワー、カブ、大根などの野菜も含まれ、食卓の構成員としても三面六臂する。


 菜の花の他にも、石楠花やスイセンも見られた。

 石楠花は、古くに夏の思い出として歌われたので、夏の花と思われがちかもしれないが、四月から五月にかけての花だ。有毒種ゆえに、危険などの花言葉を持ち、まさに綺麗な花には棘があるという体現と言えるだろう。

 石楠花の近くの坂にハナモモが並んでいた。

 菜の花やスイセンの黄色に塗られていた瞳を、石楠花色と躑躅色で塗り替えながら緩やかな坂を登った。


 坂を上がった先には、多彩なチューリップが、並行に層を成して整列していた。

 「謐君。チューリップには色毎に花言葉があるのは憶えているかい?」

 謐君がまた頷く。

 「そうかい。憶えていてくれたんだね。嬉しいなあ」

 赤いチューリップの集まる層を眺めて、僕はそう言った。僕が教えたものや、謐君が書籍から学習したものの数は計り知れない。今や僕より多くのことを知っているかもしれない。

 それは嬉しいこと以外の何物でもない。

 まるで、教え子がめきめき成長していく教師の気持ちのようだ。

 ここのチューリップ畑は、この公園内でも人気の場所で、そのため人も比較的多い。

 ベンチや休憩所では、老人と介護ヒューマノイドが休んでいたり、人間の男女が肩を寄せ合っていたりしている。カメラを片手に花に顔を合わせる男性や、パンフレット片手に談笑している女性の一行もいる。


 ふと、視界の端にとある一組の男女が写った。

 人間の男女かと思ったが、すぐに男の方は人間ではないとわかった。

 あれが高級品のヒューマノイドか。

 そう思って、しばらくぼんやりと見つめていた。高級型ヒューマノイドなど、実際に見たことは滅多になかった。

 人間と並んでも全く違和感がない。

 確かに一般のFEDも、初めの一年や二年は件のヒューマノイドと同じく人間との差異は見受けられない。しかし、年数を重ねる毎に洗練されていってしまい、皮肉にも人間よりも、さらに無駄のなくなった人間へと昇華されてしまう。

 本来、それ自体に何もデメリットはなく、むしろ最大の強みである。そもそも、ヒューマノイドを見たことがない人間から見れば、いくら洗練されてもヒューマノイドと人間の区別などつきはしない。

 ただ、汎用式のヒューマノイドの人間味など、開発当時の物差しでしか測られていないし、もう一度測り直す必要もないだけだ。

 だが、人間と全く同じ仕草や生活をしていても、ヒューマノイドがヒューマノイドとしての「生きがい」を見出そうとすれば、人間から乖離してしまうのは必然の摂理だ。それを無理矢理に捻じ曲げて、より人間の領域に密着させたのが、あの高級型ヒューマノイドというわけだ。

 何も僕は、謐君をあの嗜好品のようにしたいとは思っていない。あれは、人間でいえばゾンビやグールも同然だというのが、僕の率直な感想だ。あれで謐君が幸せになれるはずがない。

 謐君が不幸であってはならないのだ。


 しばらくして、高級型ヒューマノイドがこちらに気づいたようで、こちらに向かって歩いてきた。

 やってしまった、と思って見ていなかったふりをしていると、女性が「ごきげんよう」とゆっくりとした声を掛けてきた。

 僕は仕方ないと腹を括って、慣れない笑顔を作って挨拶を返す。

 「こんにちは」

 「ここは綺麗でいいですわね」

 「ええ。僕も気に入ってます」

 「よく来られるんですね」

 「ええ」

 会話に空白が生まれてしまった。

 こういう沈黙は苦手だ。圧迫感で息が苦しい。初対面の人間と話すと決まってこうなる。

 

 「…つかぬ事をお聞きしますが、彼が人ではないと分かっていらして…?」

 女性が連れているヒューマノイドに目を向けて言う。

 近くで見ると、意外にも大きくがっしりして、頼もしい雰囲気のヒューマノイドだった。

 「ええ…まあ。ヒューマノイドに関係した仕事をしているもので…」

 「左様でございますか。それで、そちらのお方は、ヒューマノイドですの?」

 「ヒューマノイドではないです」

 「それは申し訳ございません…」

 また空白が出来てしまったが、先ほどよりは気にならなくなった。

 慣れてきたというより、会話に疲れてきた。もう既に物語の産物と化したと思っていた類の口調だから、特に。

 僕とこれ以上関わることが無益と早々に悟って、足早に去って行ってくれた方が楽だとさえおもった。

 しかし、女性は件のヒューマノイドと腕を組んだまま動かない。


 「私……変、でございますか?」

 女性がおずおずと訊いてきた。

 「何がですか?」

 「ヒューマノイドと、その……こういう…」

 「どうでしょう。世間一般では、少数派でしょうね。ただ、僕もそういった種類の人間なので、そうは思いませんが」

 「そう、でございますか…」

 「では」

 謐君も隣で待たせているし、これ以上は長引かせるわけにはいかないと、この場を去ろうとした。

 しかし。


 「すみません、ミスター」

 声の主は、あの高級型ヒューマノイドだった。声帯まで完璧なのか、と一瞬感心した。汎用式FEDでは、人間とは異なる声帯が故の、FED独特の声が出るからだ。

 踵を返し戻して、用件を問う。

 「…何でしょう?」

 「先ほど、ヒューマノイドではないとおっしゃっていましたが、しかし人間でもありませんよね?」

 僕は目を細めて、高級型ヒューマノイドを見据えた。

 精巧に出来た瞳に映る自分に言い聞かせるように応える。

 「人間とヒューマノイドの境界は明確だが、どちらに属すかは非常に曖昧になってきいる---そこで両者を区別するのは、本人の自意識だけです。謐君はヒューマノイドではない。本人がそう思うだけで充分なのですよ」

 「しかし、それは、ただの命令≪オーダー≫…」

 「人間だってそうでしょうに。何かの命令ではないと、誰が言い切れますか?」

 「ですが…!」

 「もうお止めになって、一宗さん」

 女性がヒューマノイドの腕を強く抱き寄せて制止した。一宗と呼ばれた男が、腑に落ちない表情で、しかしあっさりと引き下がった。

 そうだ、彼はヒューマノイドだった。僕は、勝手に熱くなったのを恥じた。

 「一宗がご無礼致しました…」

 「いえ…こちらこそすみません」

 「私、古井香と申します。私もよくここを訪れるので、またお会いしましょう」

 「ええ、また…」

 「では、ごめんあそばせ」

 「さようなら」

 古井香と名乗った女性は、一宗という名のヒューマノイドの腕を取って、この場を去って行った。


 二人の背中を片目で追う。

 あのヒューマノイドは、えらく具体的で複雑な物の考え方をしていた。頭脳も別物なのだろうか。特殊な学習でも受けているのだろうか。それとも----

 僕はそこで思考を振り払った。

 今日はなんだか変だ。余計なことまで考えてしまう。

 

 「ごめんね、謐君。待たせちゃったね」

 僕が隣を見ると、謐君は遠くを見ていた。

 目線の先には、たくさんの黄色いチューリップが風に揺れている。

 「謐君」

 謐君がこちらに目線を移す。

 その瞳は、僕の何かを探していた。

  (私……変、でございますか?ヒューマノイドと、その……こういう…)

 先の古井さんの言葉がフラッシュバックした。


 気付いた時には僕は、腰と頭に手を回し、そっと謐君の躰を抱きしめていた。

 力加減を間違えれば、さらさらと崩れてしまいそうな、砂の彫刻のように儚いその躰を。

 「帰りに花を買って帰ろう。カルセオラリアなんかどうだい?ラナンキュラスでもいいね。オドントグロッサムでも、フリージアでも……紫のチューリップでも」

 僕が耳元で囁くと、謐君は垂らしていた腕を僕の後ろに回した。

 背中に当たる手は、ぎこちなく居場所を探していた。

 「行こうか」

 腕を緩めると、謐君は困ったような微笑で頷いた。


 今日の僕は、本当に変だ。

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