休日の汽車ⅲ
「あの」
入り口で僕がチケットを渡すと、受付の女性は、困惑の混じった笑顔でこちらを見た。
「ヒューマノイドは、所有者の方とご一緒であれば、所有者の方の料金で大丈夫ですよ」
その言葉を聞いて、というより所有者という言葉を聞いて少しむっとして言う。
「彼女、ヒューマノイドではないんです。脳波計測してみてください」
受付の女性はますます困った顔で、計測の機械を取り出す。
見た目はただのゴーグルのようだが、その実態は間接脳波計測装置だ。
一般的なヒューマノイドであれば、ヒューマノイドと四六時中いて、観察を続けている人間なら、一目でヒューマノイドと人間の区別は付く。
だがこの世には、いわゆる高級品に分類されるヒューマノイドがある。
特殊内部制御装置で、わざわざ、効率と精巧を求め続けるというヒューマノイドの強みを抑えて、いくら年数を重ねても動きが洗練されないように、真人間により近づけた嗜好品だ。ただし、その耐久性は依然変わりなく---そのせいで僕たちに重圧がかかるのだが---本当の意味で金持ちの道楽や嗜好品である。
先生の言っていたのも、このことだ。
そんな中賤しい考えを一生懸命巡らせる人間もいて、各地のアミューズメントパークや映画館、名勝地でヒューマノイドを騙って無料で入ろうとする事件が相次いだ。
熟練者でも人間との区別がつきにくい高級型ヒューマノイドの存在のせいで、そういった事件は絶えなかった。
そこで、人間とヒューマノイドの組の真偽を一瞬で識別出来るように、例の装置が自主的に実装されることになったというわけだ。
別段高価でもなく、不正を未然に防げる優れもの。客の手間を取らさず、客に疑いをかけずにすむ点も注目された。
事件自体はほとんど起きなくなったのだが、念のためということで、最低限のセキュリティとして普及はしている。
しかしその間接脳波計測装置は、あくまで『ヒューマノイドを騙る人間を暴くこと』を目的とする。
僕らのような場合は、一切と言っていいほど想定されていない。
「……識別証も確認出来ませんし…脳波も確認されました…大変申し訳ございません…大人二枚ですね。では、ごゆっくりどうぞ」
終始解せぬ様子で接客をする女性であったが、最後には目の前の現実をなんとか受け入れたようだった。
ゲートをくぐると、菜種色の海が一面に広がった。
菜の花の香りが頰を撫でる。
謐君と並んで、ゆっくりと眺めながら道を歩いていく。
「菜の花……花言葉は、快活、だったかな」
謐君が頷く。
海葛君にお似合いだと思ったが、すぐにそれは無いなと否定し直した。こんな可愛らしい光景に、無骨な彼は似合わない。
花の海岸に沿って、円形に回っていく。
菜の花は可愛らしい花だが、実はとても多才である。食用としてや菜種油として、このように春の風物詩の観賞用としても活躍する。また、アブラナ科には菜の花の他に、キャベツや白菜、ブロッコリー、カリフラワー、カブ、大根などの野菜も含まれ、食卓の構成員としても三面六臂する。
菜の花の他にも、石楠花やスイセンも見られた。
石楠花は、古くに夏の思い出として歌われたので、夏の花と思われがちかもしれないが、四月から五月にかけての花だ。有毒種ゆえに、危険などの花言葉を持ち、まさに綺麗な花には棘があるという体現と言えるだろう。
石楠花の近くの坂にハナモモが並んでいた。
菜の花やスイセンの黄色に塗られていた瞳を、石楠花色と躑躅色で塗り替えながら緩やかな坂を登った。
坂を上がった先には、多彩なチューリップが、並行に層を成して整列していた。
「謐君。チューリップには色毎に花言葉があるのは憶えているかい?」
謐君がまた頷く。
「そうかい。憶えていてくれたんだね。嬉しいなあ」
赤いチューリップの集まる層を眺めて、僕はそう言った。僕が教えたものや、謐君が書籍から学習したものの数は計り知れない。今や僕より多くのことを知っているかもしれない。
それは嬉しいこと以外の何物でもない。
まるで、教え子がめきめき成長していく教師の気持ちのようだ。
ここのチューリップ畑は、この公園内でも人気の場所で、そのため人も比較的多い。
ベンチや休憩所では、老人と介護ヒューマノイドが休んでいたり、人間の男女が肩を寄せ合っていたりしている。カメラを片手に花に顔を合わせる男性や、パンフレット片手に談笑している女性の一行もいる。
ふと、視界の端にとある一組の男女が写った。
人間の男女かと思ったが、すぐに男の方は人間ではないとわかった。
あれが高級品のヒューマノイドか。
そう思って、しばらくぼんやりと見つめていた。高級型ヒューマノイドなど、実際に見たことは滅多になかった。
人間と並んでも全く違和感がない。
確かに一般のFEDも、初めの一年や二年は件のヒューマノイドと同じく人間との差異は見受けられない。しかし、年数を重ねる毎に洗練されていってしまい、皮肉にも人間よりも、さらに無駄のなくなった人間へと昇華されてしまう。
本来、それ自体に何もデメリットはなく、むしろ最大の強みである。そもそも、ヒューマノイドを見たことがない人間から見れば、いくら洗練されてもヒューマノイドと人間の区別などつきはしない。
ただ、汎用式のヒューマノイドの人間味など、開発当時の物差しでしか測られていないし、もう一度測り直す必要もないだけだ。
だが、人間と全く同じ仕草や生活をしていても、ヒューマノイドがヒューマノイドとしての「生きがい」を見出そうとすれば、人間から乖離してしまうのは必然の摂理だ。それを無理矢理に捻じ曲げて、より人間の領域に密着させたのが、あの高級型ヒューマノイドというわけだ。
何も僕は、謐君をあの嗜好品のようにしたいとは思っていない。あれは、人間でいえばゾンビやグールも同然だというのが、僕の率直な感想だ。あれで謐君が幸せになれるはずがない。
謐君が不幸であってはならないのだ。
しばらくして、高級型ヒューマノイドがこちらに気づいたようで、こちらに向かって歩いてきた。
やってしまった、と思って見ていなかったふりをしていると、女性が「ごきげんよう」とゆっくりとした声を掛けてきた。
僕は仕方ないと腹を括って、慣れない笑顔を作って挨拶を返す。
「こんにちは」
「ここは綺麗でいいですわね」
「ええ。僕も気に入ってます」
「よく来られるんですね」
「ええ」
会話に空白が生まれてしまった。
こういう沈黙は苦手だ。圧迫感で息が苦しい。初対面の人間と話すと決まってこうなる。
「…つかぬ事をお聞きしますが、彼が人ではないと分かっていらして…?」
女性が連れているヒューマノイドに目を向けて言う。
近くで見ると、意外にも大きくがっしりして、頼もしい雰囲気のヒューマノイドだった。
「ええ…まあ。ヒューマノイドに関係した仕事をしているもので…」
「左様でございますか。それで、そちらのお方は、ヒューマノイドですの?」
「ヒューマノイドではないです」
「それは申し訳ございません…」
また空白が出来てしまったが、先ほどよりは気にならなくなった。
慣れてきたというより、会話に疲れてきた。もう既に物語の産物と化したと思っていた類の口調だから、特に。
僕とこれ以上関わることが無益と早々に悟って、足早に去って行ってくれた方が楽だとさえおもった。
しかし、女性は件のヒューマノイドと腕を組んだまま動かない。
「私……変、でございますか?」
女性がおずおずと訊いてきた。
「何がですか?」
「ヒューマノイドと、その……こういう…」
「どうでしょう。世間一般では、少数派でしょうね。ただ、僕もそういった種類の人間なので、そうは思いませんが」
「そう、でございますか…」
「では」
謐君も隣で待たせているし、これ以上は長引かせるわけにはいかないと、この場を去ろうとした。
しかし。
「すみません、ミスター」
声の主は、あの高級型ヒューマノイドだった。声帯まで完璧なのか、と一瞬感心した。汎用式FEDでは、人間とは異なる声帯が故の、FED独特の声が出るからだ。
踵を返し戻して、用件を問う。
「…何でしょう?」
「先ほど、ヒューマノイドではないとおっしゃっていましたが、しかし人間でもありませんよね?」
僕は目を細めて、高級型ヒューマノイドを見据えた。
精巧に出来た瞳に映る自分に言い聞かせるように応える。
「人間とヒューマノイドの境界は明確だが、どちらに属すかは非常に曖昧になってきいる---そこで両者を区別するのは、本人の自意識だけです。謐君はヒューマノイドではない。本人がそう思うだけで充分なのですよ」
「しかし、それは、ただの命令≪オーダー≫…」
「人間だってそうでしょうに。何かの命令ではないと、誰が言い切れますか?」
「ですが…!」
「もうお止めになって、一宗さん」
女性がヒューマノイドの腕を強く抱き寄せて制止した。一宗と呼ばれた男が、腑に落ちない表情で、しかしあっさりと引き下がった。
そうだ、彼はヒューマノイドだった。僕は、勝手に熱くなったのを恥じた。
「一宗がご無礼致しました…」
「いえ…こちらこそすみません」
「私、古井香と申します。私もよくここを訪れるので、またお会いしましょう」
「ええ、また…」
「では、ごめんあそばせ」
「さようなら」
古井香と名乗った女性は、一宗という名のヒューマノイドの腕を取って、この場を去って行った。
二人の背中を片目で追う。
あのヒューマノイドは、えらく具体的で複雑な物の考え方をしていた。頭脳も別物なのだろうか。特殊な学習でも受けているのだろうか。それとも----
僕はそこで思考を振り払った。
今日はなんだか変だ。余計なことまで考えてしまう。
「ごめんね、謐君。待たせちゃったね」
僕が隣を見ると、謐君は遠くを見ていた。
目線の先には、たくさんの黄色いチューリップが風に揺れている。
「謐君」
謐君がこちらに目線を移す。
その瞳は、僕の何かを探していた。
(私……変、でございますか?ヒューマノイドと、その……こういう…)
先の古井さんの言葉がフラッシュバックした。
気付いた時には僕は、腰と頭に手を回し、そっと謐君の躰を抱きしめていた。
力加減を間違えれば、さらさらと崩れてしまいそうな、砂の彫刻のように儚いその躰を。
「帰りに花を買って帰ろう。カルセオラリアなんかどうだい?ラナンキュラスでもいいね。オドントグロッサムでも、フリージアでも……紫のチューリップでも」
僕が耳元で囁くと、謐君は垂らしていた腕を僕の後ろに回した。
背中に当たる手は、ぎこちなく居場所を探していた。
「行こうか」
腕を緩めると、謐君は困ったような微笑で頷いた。
今日の僕は、本当に変だ。