休日の汽車 ⅱ
空に雲が通りかかって、先生の笑みが薄暗く照らされる。
あまりに創作的な話が、妙な現実味を帯びて、耳の中で反響していた。
しかし、先の言葉を反芻するうちに、冷え上がっていた心臓が温もりを取り戻していくのを感じていた。
もしこれが真実だとすると、このどんずまりの現状を切って開けるかもしれない。そこに一縷でも可能性があるならば、それに手を伸ばさずに、僕の望みは語れない。
踏み込めば戻れない一方通行の通路に、僕は歩んでいくしかないと感じていた。
「…それで、その研究チームはどうなったんですか?」
「まあ多分、処分されたんだろうね。この世界にはあまりにも有害すぎる。知りすぎたってやつだ」
「そんな……」
「そう残念な顔をするな。人類にとって危険なんだ、あれは。だから、興味があるだろうが、間違っても手を出すなよ?」
「その、実験の結果の人間は…?」
僕は話を逸らした。
先生は、もうよせ、と言いながらも、渋々話を続けてくれた。
「それも処分されたんじゃないかな。第三の人類なんて、認められるはずがない。最近、ヒューマノイドの性能を抑えて、行動の洗練をさせないようにする高価なヒューマノイドも作られているらしいじゃないか。ああいうのは、元々の定義から外れた異端者だよ。第三の人類もヒューマノイドも人間も動植物も、本来の生き方に合わせてあげないと可哀相だ」
「肝に銘じておきます。でも最後に訊きたいことが…」
「終わりましたよ」
僕が更なる質問をしようとした時、障子が開いて、処置の終わった謐君が清香さんと一緒に入ってきた。
「じゃあ、優哉くん。お薬渡しておくから、お風呂上がりに塗っておいてね。あと、殺虫剤と防虫剤も無くなったらまた言って」
「あ…ありがとうございました」
僕は千領夫婦にお礼を言うと、診察料と薬代の入った封筒を渡して、立ち上がった。
縁側から見ると、太陽が真上に上がり、庭の影がなくなっていたため、あまり長居するのも迷惑だろうと考えていた。
「今日は、本当にありがとうございました」
玄関口で、謐君も合わせてお辞儀をした。
「またおいで。あ!それと、今日のことはくれぐれも他言無用だよ」
「はい、分かってます。でもまた今度、詳しいこと教えて下さい」
そうして僕たちは、千領家を後にした。
「謐君、お昼はどうしようか?」
広い通りに出てから、僕は尋ねた。
ヒューマノイドの摂食が嗜好的意味を持たないことは重々承知の上だが、それでも、僕は謐君と一人の独立した存在として接したい。
言ってしまえばただの自己満足にすぎないのだろうが、人間の愛なんて大半がそれで出来ているようなものだろう。
謐君は迷うことなく、一軒の個人経営の小さなレストランを凝視した。
この街にくると謐君は決まってあの店に行きたがる。無論、僕が強制したわけでもないから、謐君の一種の意志だと僕は信じている。
そのレストラン「アーモンド」のドアを開けると、木製のドアベルが優しく響いた。
すると、ウエイターのヒューマノイドが流れるようにこちらにやってきた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二人」
「こちらにどうぞ」
ウエイターの誘導を受けて、テーブルに腰かけた。
僕たちの他には客の姿は見当たらない。個人経営飲食店とはいえ、昼のピークにこの閑散とした感じは珍しい。ここは地元民には知られた穴場のはずなのだが。
気を取り直してメニューを開く。
大半の西欧料理から、和食まで見られる。人気があるのはやはり、イタリア料理だそうだ。
「僕は、今日はトマトリゾットにするよ。謐君は?」
謐君はペンネのグラタンを指差す。
「それでいい?」
謐君はこくりと頷いた。
すみません、とウエイターを呼ぶ。
ぬるりと現れたヒューマノイドのウエイターは、素早く注文を取っていく。書き留める必要はない。後天的な外部メモリの移植で、短期記憶の保有期間を伸ばすことも可能だからだ。
かしこまりました、とウエイターは厨房へと下がっていった。
窓から見える通行人に目を移した。人間もいれば、ヒューマノイドもいる。どちらも一見見分けがつかないが、よく見れば、人間よりも綺麗な動きをする方がヒューマノイドだと判る。僕のようにヒューマノイドの動きを、毎日事細かに見ている人間からすれば、感覚の領域で判る。
僕は、先ほど先生に聞きそびれた、近木行志のことを思い出していた。
あの中に、幻の近木はいるのだろうか。それに、元人間かつ元ヒューマノイドだった第三の人類なるものも。
「お待たせ致しました」
その声で我に帰る。
先ほどのヒューマノイドのウエイターが料理を運んで来た。
サラダを始め、ガーリックの香ばしいフランスパンや、ミネストローネなどもセットで付いている。
「後ほど、デザートもお持ち致します。ごゆっくりどうぞ」
ウエイターが頭を下げて、奥へ姿を消した。
僕たち以外誰も居ないこの空間では、ボサノヴァと食器の重なる音が充満している。
ここの店は自家農園を所有していて、料理に使う野菜は全て、こだわりの自家栽培野菜を使っているらしい。
それに、値段と洒落た見た目の割に、量も申し分ない。いつもであれば、客が絶えないのだが。
僕たちが全ての料理を堪能し終えたタイミングで、ウエイターのヒューマノイドと、なぜか店のオーナーも姿を現した。
ウエイターが皿を下げると一緒に、オーナーがデザートを僕たちの前に置いて言った。
「今日のデザートは、ティラミスです」
「ありがとう。相変わらず素晴らしい出来だね、板里君」
「どうも。ま、ごゆっくりどうぞ」
彼は帽子を取って、近くに座った。
実のところ、ここの店のオーナーである板里綾人君は、プライベートな付き合いはないが、店によく行くうちに仲良くなった人だ。
彼も僕と似た考えをしている。
つまりは、ヒューマノイドの浪費を好ましく思わない少数派の人間だ。
僕はコーヒーを片手に、気になっていたことを訊いた。
「今日は静かだね」
「いつもは、もっとお客さんがいるんだけど、たまにはこういう閑散とした日もあってもいいんじゃないかな」
「そうだね」
僕はコーヒーカップを置いた。謐君は、初めてのティラミスに御満悦のようだ。
「そういえば」
僕はあの話を切り出す。
「近木行志という人物を知っているかい?」
「いや、聞いたことないけど、その人がどうかしたのか?」
板里君は首を振ったが、興味があるようだった。
僕は、僕の持つ近木の情報を彼に提示したが、あくまでその人物に関する情報だけで、千領先生から聞いた話は伝えなかった。
僕が話し終えると彼は、まるで都市伝説だね、と笑った。
「でも、どうしてヒューマノイドをヒト化する必要があるんだ?」
「それは…」
そこで、僕は言葉を迷った。
僕は、ヒューマノイドをより真人間に近づけることが出来れば、ヒューマノイドの課題をクリアする手がかりを掴めるのではないかとばかり考えていた。
しかし実際、ヒューマノイドが真人間に近づけば近づくほど、霧久君や先生の言うように、その存在意義は薄れていく。真人間は既に存在しているからだ。もう既に市場に出回っている商品を、さも自分の発明のように、後発的に売り出すような傲慢さをも含む。
今、僕がとっさに思い浮かぶ合理的な答えとしては、科学者の好奇心以外にない。
「何か意図があるにしても、ボクにとっては、どうも理解出来ないね。それがヒューマノイドを長く使ってくれることに繋がるならまだしも、聞く限り、もはやヒューマノイドじゃなくなってる訳だし」
「ヒューマノイドじゃない、か…」
僕はカップを空にして、謐君を見つめた。謐君は、テーブルに飾ってある花を見ていた。
謐君は、ヒューマノイドではない。これは、半ば言い聞かせであり、しかし半ば真実である。そして、いつかは僕のいない世界で、謐君が自らの意思を持って自由に生きることが出来れば、僕の人生は成功したと言えるだろう。
伝票を持って立ち上がった。
「謐君、行こうか。板里君、お会計いいかな」
「どうぞ」
カードを通して会計を済ますと、板里君は四つ折りにした紙を差し出した。
「この間うちに来た千領って人が、キミに渡すように言ったんだ」
「先生が…?」
僕は受け取って開いてみると、八桁の番号が、千領先生の筆跡で書かれてあった。
「それに、最近はヒューマノイドを狙った事件が頻発しているから、帰りは気をつけなよ」
「ありがとう。今日はご馳走様。また来るよ」
そう言って、僕は手を軽く上げた。
「こちらこそ、ありがとう」
「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」
板里君に続いて、いつの間にか出て来ていたウエイターも、そう言った。
謐君もお辞儀をして僕の後をついてきた。
小さくなるドアベルを背に、僕は腕時計を見る。
もうすぐ八つ時だ。
ここに来る時よりも低くなった太陽を浴びながら、謐君といつもの場所へと向かった。