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イデアロイド  作者: 和毘助
6/9

休日の汽車 ⅰ

奇愛もまた愛なのだ。

 僕たちは汽車に揺られて十数分、ここに到着した。

 有名な花園のある街で、車窓から見えていた庭園は、四季に合わせて表情を変えながらもいつでも麗しく、僕たちがよく訪れるスポットの一つとなっている。

 だが、今向かっているのはそこでない。

 

 僕たちは千領と書かれた表札の掲げられた門をくぐり、大きな庭を通った。和風の立派な庭だ。

 人口減少に伴い広めの土地が簡単に手に入るようになり、家屋諸々和風に仕立てる人も多いようだが、ここまで見事な庭はないとつくづく思う。長年に渡る海外での研究から帰ってきた先生の強い郷愁の現れだろうかと、勝手に推測してみたりした。


 玄関のインターホンを押すと、そこから女性の声が聞こえてきた。

 『はい』

 「こんにちは、木津です」

 『ちょっと待ってて』

 足音がして、玄関が開いた。

 顔を見せたのは、四十前半の女性だった。

 謐君より二十近く年上であるが、その容姿は十年若く見ても違和感がない。

 彼女は千領先生の妻、千領清香さんだ。物腰こそ柔らかいが、芯の強い女性である。

 千領夫妻には度々お世話になっており、数え切れない恩がある。

 「お久しぶりです」

 「久しぶりね。あら、ひーちゃんもいるの?どうぞ、入って頂戴」

 「失礼します」

 僕らは靴を揃えて、千領宅に上がった。


 客間へと案内された僕らは、正座して清香さんが先生を呼んでくるのを静かに待っていた。

 鶴と松の描かれた淡黄蘗の襖で仕切られた、八畳ほどの部屋の真ん中に、原木を使用した縦長の机がある。その淵に沿って僕と謐君は並んで座っている。

 謐君は何を見ていたのかは知らないが、僕は掛け軸を見つめていた。

 そこには、宥座之器と書かれてある。

 こういったことに疎い僕には、どこかの有名な器だろうか、などと安易な考えをしていた。

 

 しばらくすると、足音がして障子が開いた。

 「ごめんごめん、遅くなった」

 「いえ。こちらこそ、休日に申し訳ありません」

 羽織姿の先生が向かい側に座り、清香さんが僕たちの前にお茶を置いた。

 「それで今日はどうしたの?君の相棒、怪我でもしたの?包帯巻いてるけど」

 先生は、それ、と指差す。

 僕は症状を出来る限り細かく伝えた。謐君も随時筆談で応じた。

 千領先生は、相変わらず心配性だな、と笑って、僕に包帯を取るように命じた。

 僕は謐君の腕の包帯を取って、先生に見せた。包帯がとぐろを巻いて畳に落ち、腕の傷と赤い斑点が外気にさらされる。

 「あぁ、これは人工ダニだね。最近流行っているんだよね」

 見るなり先生は即答した。

 「人工ダニ?」

 「そう。どこの組織が作ったか知らないけど、ヒューマノイドの体液だけを吸いに来て、自傷を誘う人工のダニさ。まるでヒューマノイドの脆弱性を付け狙ったような悪質な生命体だね。どこの組織だか、俺は知らないけどねえ。まったく」

 僕は人間愛護会の名前が思い浮かんだが、口には出さないでおいた。それよりずっと大事なのは謐君だ。

 「対処法はありますか?」

 「ダニ自体の対処法はあるよ。ダニ駆除剤と軟膏は処方するから、ちゃんと使えば大丈夫だよ。ただ、引っ掻き傷は治りにくいから別の薬出しておく。元々ヒューマノイドは治りにくい上に、君の相棒は中々の古株だからね」

 「そうですか……取り敢えず全てお願いします。いくら高額になろうと構いませんから」

 「はは、そうか。じゃあ、安くしとくよ」

 先生は笑いながら、机に置いてあった紙に薬の名前らしきものを書いていく。

 「清香、隣の部屋で彼女にこの薬塗ってあげて」

 先生の近くに座っていた清香さんに紙を渡すと、彼女は謐君を呼んだ。

 「おいで、ひーちゃん」

 「謐君、行っておいで」

 僕が許可を出すと、謐君は頷いて清香さんに大人しく連れられて客間を出て行った。

 謐君を預けられるのは、千領夫婦だけだ。

 

 残された僕に、湯のみを置いて先生は話を切り出した。

 「研究の方は、この頃上手く行っているのかい?」

 「いえ…まるで進歩がありません」

 「そりゃあそうだろうね。現在のヒューマノイドには、矛盾と規定が多すぎる。その中で実用まで漕ぎ着けただけでも奇跡に近い」

 「先生、その…」

 僕は、手許の湯呑に両手を添えた。

 僕が口にしようとしたのは、ヒト化や近木にまつわる話のことだった。

 ああ見えて、ヒューマノイドに関しては厳格で実直な千領先生だ。ヒューマノイドを粗雑に扱っていた人間を、今まで見たことのないような形相で叱責していたのを目撃したことがある。

 僕があの話をすれば、すぐに追い出されて、出入禁止にされてしまっても不思議ではない。


 俯いていると、先生が口を開いた。

 「……第二の人類に、我々の意志を」

 見つめていた茶が揺れる。

 「ヒューマノイドのヒト化を行った研究機関のモットーだよ」

 先生は静かに言った。

 「ヒト化…?」

 「そうさ。もっともその頃は、実現不可能と言われていたから、禁止事項でも何でもなかったけどね」

 僕は豆鉄砲を食らった鳩のように固まっているだけだったが、僕の思考が解凍されるにつれて疑問も浮かんできた。

 「でも、ヒューマノイドは…ヒトの細胞とは適合しないはず…」

 「そうだね。まずそもそも、ヒューマノイドの細胞はそれ自身で生命維持が出来るからね。人間の細胞を組み込んだところで、ヒューマノイドにとっては木偶も当然なのさ。だから言ってみれば、ヒューマノイドは多細胞と単細胞群体の中間に位置する感じかな」

 「はい、存じています」

 「だけど、よく考えてみなよ。ヒューマノイドの元になる人工卵---EUAIDは、人間の卵を模倣して作られた、いわば人間の模造品だ。失敗作から生まれた偶然と幸運の産物とはいえ、人間と適合しても一見おかしくないように見えるだろう」

 「…?」

 僕は、先生が真に何を言わんとしているか、まだ把握できずにいた。

 いくらヒューマノイドが人間に尤も近いとはいえ、それを人間に変えることは、チンパンジー、いや鼠を人間に変えること以上に不可能だ。科学の場で魔法でも使うというのだろうか。


 「話を変えよう。君は、ヒューマノイドは生きていると思うかな?」

 「生きているように、僕たちは錯覚していると思います」

 「そうだ。ヒューマノイドは、生きていない。だが、ヒューマノイドの細胞は確実に生きている。鰯の群れ自体は生きていないが、鰯は生きている。そんな感じだ。ヒューマノイドが生きていないと定義するのは、何かと都合がいいからそうしている。ついでにヒューマノイドを構成するものも生きていないとしている人は多い」

 「それが、ヒト化とどう関係があるのですか?」

 僕の尻が足から浮き、躰が机に寄る。

 先生は、羽織の袖に手を入れながら話を進めた。

 「そう急くなよ。こういうのは順序が大切なんだ。次に、どうして、人間とヒューマノイドの組織が適合しないと思う?」

 「それは、接合すると人間側の細胞が死ぬから、ですよね」

 「ははははははは!!!」

 突然、先生が大口を開けて笑い出した。

 腹を抱え、涙をためて笑うものだから、僕は何かおかしなことを言ってしまったかと動揺するしかなかった。


 先生はひとしきり笑った後、目尻を親指で拭い、そのまま机に手を組んだ。

 「ごめんごめん、その教育、まだ続いているんだなあと思って。えっと、第二人類学だっけ?あの学問分野では根強いだろうとは思っていたけど、まさかここまでとはね」

 「間違っているんですか…?」

 「いや、言葉の表面は間違っていないよ。だって確かに、人間の細胞は死ぬからね。でも、それの意味する死ぬ、は細胞が永久に活動を停止するってことだろう?だけど、厳密にはそうじゃない」

 「厳密には…?」


 「まずは喰われちまうのさ。人間の細胞が」

 先生は左肘を付いて、顎を左手に乗せると、にんまりと口角を上げて、歯を見せた。

 僕の肩に変な力が入っていくのがわかった。

 先生は右手をぱくぱくとさせて言う。

 「そこからはあっという間だ。一日も放っておけば全てを喰らい尽くし、ヒューマノイドの細胞は何事もなかったかのように、活動を再開する」

 僕は、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。握りしめた手は、細かく震えている。

 喰われる、という本能に刻まれた恐怖が、こちらを覗く。

 僕は、硬直した躰をぎりぎりと折りたたんだ脚に落とすと、冷めきった茶を流し込んで乱れ始めた鼓動を抑えようとした。

 いわゆる、怖いもの見たさ、というやつだろう。


 「もし…それが、本当だとしたら、ますますヒト化は不可能では…?」

 「この異例の実験には続きがあってな」

 先生は怪談話よろしく続ける。

 「その研究チームは、とうとう倫理への挑戦を始めた。生身の人間の脳にヒューマノイドの細胞を移植することにしたんだ。一時はヒューマノイドの細胞に脳が喰らい尽くされたかと思った。しかし、そのまま培養を続けてみると、古いヒューマノイドの細胞の層が次々と剥がれていき、最終的には脳が活動を再開した。つまりは、ある一定量の人間の細胞を取り込めば、ヒューマノイドの細胞が人間の細胞に生まれ変わるんだ」

 んん、生まれ変わるは語弊があるな、と先生は顎をさすっていたが、僕にはそんな些細なことを気にしている余裕はなかった。

 何しろ、専門でありながら全く初耳の物語で、そしてその内容がひどく恐ろしいものだったからだ。

 今まで、禁忌事項だからと言って無条件に信じ、避けてきた事柄が、こうもあっさりと、しかも先生の口から告げられるとは思ってもみなかった。それも、僕の想像の範疇を超えたものを。

 先生の言っていることが戯言だと信じたかったが、僕の耳は必死で音をかき集め、脳は喜んで情報を記憶・処理しようと回転数を上げていった。

 「それでも飽き足らず、そのチームは更に、禁断の果実を手に取ることになる」

 先生は高揚を隠した様子で、目を閉じたまま話出す。

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。

 嘘か真かは後回しで、僕はただ絵本を読んでもらう子供のように、好奇心に支配されて、先生の言葉を待っていた。


 「そもそも、人間の細胞が喰われることくらいどの研究組織でも実験、立証されていたらしい。言及の仕方は違えど、同じようなことが教育に組み込まれてるんだから。だが、そのチームが首を突っ込んだのは、ほとんど全ての研究組織が、細胞単位で実験をした段階で危険度を悟り、それ以上は踏み込まなかった禁断の領域」

 「……というのは」

 「生きた人間の各所に、そこで働いていたヒューマノイドの細胞を組み込んでしまったのさ。その概要はこうだ---実験台になった人間は、己の末端から感覚が消えていくことに酷く狼狽し恐怖し狂乱し、そして遂に、生き絶えてしまった。その屍を処理すべく何処かへ運ぼうとした研究員達は、屍の皮膚がひび割れてぱらぱらと剥がれ落ちていっていることに気づいた。その下からは、真新しい綺麗な皮膚が覗いていた。まさかと思った研究員達は再び屍を横たえると、彼らは無心で乾いた皮膚を剥がしていった。そうして、全て取り除いた後に残っていたものを見て、その場にいた者たちは戦慄に包まれたんだ。なぜなら…」

 先生はそこで一呼吸をし、僕の方をすっと見据えて言った。


 「そこに横たわっていたのは、ヒューマノイドの容姿と記憶を持った、《生きた人間》だったからさ」

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