#010 異世界の旅の始まり
「たまたまというか、だいぶ前にパートナーがある事情で離脱してしまってな、それ以来、一緒に仕事させたヤツに悉く片桐くんがダメ出ししてしまってね。今では一緒にしてくれる者もほとんどいないんだ。彼は優秀な捜索官なので、一人で何とかしてしまうのも問題なんだがな……。」
『基本的に』ツーマンセルであることの理由が分かった。この人は確かに癖があるよね……と納得する美里。横では悠希が憮然とした表情でそっぽを向いている。
「もう一つ質問いいですか?」
ついでなので、沙織が話していたことも確認しておく。
「片桐先輩からは、『印』の消去方法がないと伺いました。ただ、友人の意見ではありますが、異世界・別世界があるのであれば、そういうことができる技術や技能があるのではないか、というのが、推論できるではないかというです。この辺りはいかがでしょうか。現段階でこちらの仕事をすることは仕方がないのかもしれませんけれど、できればいずれは外れたいと思うのです。」
「今のところは私も聞いたことはない。一度捜索官になったら、資格を失う、つまり、『印』を喪失するか、不慮の事故での高度障害・死亡等による任務遂行不可能状態以外の退職が今のところない。もちろん我々もすべての世界のすべての技術を把握しているわけではない。荒唐無稽な話をすると、魂だけを別の肉体に宿せれば、それは『印』がない身体になるわけだから、捜索官の資格を失うことになるが。それが可能だったとしてやってみたいかい?」
どの話も物騒すぎてやりたくはないし、なりたくもない……。
今のところ唯々諾々とするしかないのか……。やらざるを得ないのであれば、ちゃんとやらないとこっちの命にも関わるよね……と美里は思いを巡らす。
それにしても、高度障害・死亡等による任務遂行不可能状態以外の退職がないというのは、裏を返せば、よほどの優良職場で一度体験したらやめられないか、そんなことを思う間もなく任務遂行不可能状態になってしまうかのいずれかであると推測されるに、美里の不安は増える。
でも結局はやってみないとわからない。元々大きな悩みを抱えず生きてきた美里は、不安を拭い去る努力をすることにした。
「あと、うちの職場は、非公開組織だから、報酬は出すが給料はないよ。保険関係も付けられないので、大学を卒業するときはちゃんと就職しておいた方がよいと忠告しておく。ちなみに、産休と育児休暇は認めているので、生涯勤務できる環境でもあるのが自慢だ。片桐くんとの子どもができても安心だよ。」
いきなりの爆弾発言でびっくりする美里。
何だか沙織菌がどこかで蔓延しているんじゃないのか?
「いえ、それだけはないですから!勘弁してください、藤堂さん。そういえば、年を取って動けなくなったら働けなくないですか?」
「確かにそれは可能性としてあるね。こちらがそう判断した場合は、引退してもらうことになっている。もちろん、事務職員として残ることはできるけれどね。私がその例だ。」
自らの他に、組織からの引退勧告はあり、代替わりなどもそれで行われるようだ。それでも『印』のことは残っているけれど……。
そもそも該当者を見つけることは、協会の謎センサーによりわかるのだろうけれど、それでもスカウトには謎が多そうだ。そこまで聞いても今、自分の役には立たなさそうなので、またの機会に譲ることにした美里は、質問を切上げることにした。
「これ以上、質問がなく、先ほどの同意内容に問題がなければ、北條くんはこの時点をもって、特別次元捜索官となる。今後私の指示にしたがって、片桐くんと仕事に励んでほしい。私からは以上だが、後日、担当事務局員より、研修の案内がされる。研修も任務の一環なので、必ず参加してほしい。」
「け、研修ですか。」
「既に感じている通り、この仕事には多少の危険が付きまとう。今回は片桐くんにおんぶにだっこで構わないが、やはり身を守る、任務を遂行するための能力・技能は必要だろう。それを養ってもらうための研修だ。」
「大学とアルバイトもあるので、時間を取るのが難しそうなのですが……。」
「その辺は大丈夫だ。また詳しくはその時に説明するがね。今回は成り行き任務ではあるが、よろしくお願いする。報酬の件は戻ってから話をさせてもらう。」
藤堂は含みを持たせて、その話題を打ち切った。最後に任務の成功を祈るといい、通信は終了した。
「さて、これで晴れて美里は私のパートナーになってしまった訳だが。」
「言い方が、全然晴れてないです。」
「研修前の使えないパートナーは、私としても色々と不安がある。昨晩選んだ武器を一通り試してみよう。言うまでもないが、ここは日本ではない。ちゃんと武器が使えないと、命に関わる。」
「その前に、私の抗議をちゃんと受けてください。」
「話としては聞いた。以上だ。とりあえず弓と短剣を選んでいたな。まず弓から試してくれ。」
「……。」
無駄だとは思っても抗議したくなる悠希の態度に、声を荒げても効果はまったくない。溜息を吐きながら、昨日手に取った弓と矢筒を持ってくる。矢は消耗品だ。無くなったら補充しなければ、弓自体は役に立たない。本来、無駄矢は使えないが、補給物資の中には十分な矢の量があった。どれだけの目に遭うかはわからないが、とりあえずしばらくは大丈夫そうだ。
「まずは向こうの木を狙って射ってみろ。」
悠希は30mほど離れた場所の木を指差し、美里に指示する。
足を肩幅位に開き、左手で弓を構える。この弓は重さは大したことがない、と言うより軽い。そもそも洋弓は和弓に比べて重さが軽く、小さい。和弓に慣れた美里には軽く感じても仕方がないのだ。
弦に矢を番え、少しずつ引き絞る。目線を揃えて狙いを定める。初めての弓なので、どんな軌跡を描くのかはわからないが、過去の経験に従って狙いをつけ、右手を離す。
果たして矢は見事指定の木の幹に突き刺さった。
「ほう、とりあえず当てるのはできるか。」
初めて悠希が褒め言葉らしきものを吐いた、と少し嬉しくなる美里。
「しかし、時間がかかりすぎるな。それではいざというときに厳しいな。」
もちろん、注文もついた。
競技としての弓道を嗜んできた美里は、精神を集中し、周囲の環境(空気の重さ、弦の感触、風向きと強さなど)を経験則から調整パラメータとして脳内処理し、矢を放つ習慣ができている。
「しょうがないじゃないですか。今までこうしてきたんですから。」
「スポーツならそれでも良いがな。もう少し打って、速さ重視のスタイルを覚えることだ。」
次は短剣だ。護身用として女性が持つアイテムとしては、ポピュラーな選択だとは思うが、美里は、刃物は包丁とカッター位しか使ったことがない。それも無理からぬことではあるのだが。
悠希に言われるがまま、素振りっぽいことをするが、全くサマにはなっていない。
「それなら、投げた方がマシだな。」
クナイでもあるまいし、投げる訳にもいかないだろう。戦闘用としてはほぼ使い物にならないことだけはわかったが、ある意味当然の結果だ。とりあえず、狩りでも手伝わせて慣れさせるしかないか、と、悠希は独り言ちながら、確認作業を終えた。
「さて、ロイル少年も待っているし、そろそろ出発するとしよう。」
馬車で待っていたロイルに、時間がかかったことを詫びて、いよいよ出発する。
「詰まらないことを聞くが、御者の経験はないよな。」
「当たり前です。馬車自体初めて見ましたからね。馬は乗れますが。」
「ほう?馬は乗れるのか。それは期待しよう。」
「乗るだけですよ!流鏑馬とか無理ですから。」
「わかってる。二人だけの移動のときはその方が楽だろうからな。」
御者席にはもちろん悠希が座る。他に選択肢はない訳で、仕方がない。美里はこの旅では完全にお荷物である。仕方がないので、弓を素早く打てるように練習をする。
狭い馬車で揺れるから、なかなか上手くはいかない。しかし、せめて何かしていないと、落ち着かない。しばらく練習をしていたが、だいぶ疲れてきたので、休憩をとることにした。
「ミサトさんは、狩人かなんかなんですか?」
ロイルが美里の練習を見て、声をかけてくる。
「ううん、違うよ。どこにでもいる普通の女の子だよ。」
「そうなんですか。その割には弓の扱いに慣れているような気がしますけれど……。」
「あー、とね、一応学校でやってたから……。」
「学校ですか?もしかしてミサトさんって貴族か王族かの関係者の方ですか?」
「え?き、貴族とか王族とかいるの?」
「もちろんですよ。この国は王国ですし、王都には王族や貴族が数多くいるはずです。僕たちの家族は王都からはかなり離れた場所の小さい村に住んでいますから、王族はいませんが、それでも領主として、貴族が統治しています。」
「はぁ、ますますもって異世界だ……。」
とロイルの話を聞いて、美里は独り言つ。
「私はどちらでもないよ。私も貴族とか王族とか会ったこともないし。」
「そうなんですか……。貴族や王族でないと学校には行けないと聞いていますので、てっきりそうなんだと思いました。」
「私の国は王国じゃないから、……なのかな。」
「そうなんですか。ではとても遠いところから来られたんですね、お二人とも。着ている服なんかもあまり見たことがないものですし。」
そうか、美里たちの世界の縫製技術は、この世界からすると格段に進んでいるものだろうし、生地なんかも高級そうに見えてもおかしくはない。このままの格好だとまずいのかもしれない、と少し心配する。今のところは馬車に乗っているだけなので問題ではないけれど、この先問題が出るかもしれない。
その後も美里はロイルと、馬車に揺られながら話をつづけた。
しばらくの間、馬車は特に障害にも遭遇せず、道を進む。時折、悠希が道を確かめながら進んでいる。
ひとしきりロイルと話をした美里は、会話をやめ、再び弓の練習に戻った。練習をしながら、パートナーである悠希のことを考える。
悠希はいつからこの仕事をしているのだろうか。何だか色々と慣れてるし、大学に入ってからずっとやっているのだろうか。出会ったあの時から、落ち着く暇もなく、こんなところで一緒に旅をすることになるなんて、思いもよらなかった事態である。昨晩感じた不安はもちろんあるが、藤堂と話をしたことで、多少落ち着いた。
もちろん仕事の意味も、意義もまだわかったとは言い難いが、片桐悠希という単独の無神経な存在だけではなく、旅をサポートしてくれる存在があるのがわかったことが大きいのだろうか。その存在すら、本来は実体を感じられないはずだが、藤堂の存在感がそれを上回り、安心感をもたらしていると言える。
さらに暫く馬車の荷台で揺れながら過ごしていた美里とロイルに、悠希が声をかける。
「そろそろ休憩にしよう。」
程なく馬車を停めて、悠希が御者台から降りるのを見て、美里はロイルと一緒に降りたのだった。
10回まで来ました。まだまだ先は長いのですけれどね……
次回は8/23投稿予定です。
ご感想お待ちしております。
拙作『FANTASY OF OWN LIFE』もよろしくお願いいたします。
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