それぞれの道④
王宮内部、内廷の中庭で、ドラクロワは目を覚ました。
「気が付いた? 師匠」
芝生に横たわっていたドラクロワは、目の前のジュニアを見て、驚いて飛び起きた。
「お、王女は?」
「気を失って医務室に運ばれたよ。大事ないってさ。でも式は中止だ。まったく、見かけによらず、とんでもないことをする王女様だ」
そう言ってから、ジュニアは、今度はドラクロワを睨んだ。
「師匠、あなたもあなただ。あの王女と何ら変わらない。無茶苦茶すぎる。俺が間一髪で動けたから良かったものの、今頃大怪我か、下手すりゃ死んでたかもしれないんだぞ。あなたはもう『大魔導師ドラクロワ』じゃないんだから、あんな大口叩いて人の反感買ったら、すぐに殺されるに決まってる。わかるだろ? そんなことくらい」
ジュニアは大いにドラクロワを叱責した。傍から見れば、どちらが師なのかわかったものではなかった。説教はまだ続く。
「……っていうかさ、何であんな馬鹿な真似したの。表彰、受ける気になったんだろ? だから、わざわざ王宮まで出向いたんだよな。それなのに、どうして全部自分でぶち壊すの? 王女の温情だって、あれじゃもう完全に水の泡だ。あれだけの人の前であんな風に振る舞って、もうどうしたって、国民の中でのドラクロワは絶対なる悪だ。外道だ。人でなしだ。せっかく、何もかも丸くおさまるはずだったのに。これから良い方向に向かっていくはずだったのに、どうしてそんなにも愚かなんだよ、あなたは!」
ジュニアは、思わずドラクロワに食ってかかろうとして、すんでのところでそれを自制する。気持ちはやりきれなさでいっぱいだった。
ドラクロワは、そんなジュニアに静かに言った。
「僕はいいんです、愚かでも。でも、王女はそうであってはならない」
「え?」
ジュニアはきょとんとしてドラクロワを見た。ドラクロワは続けた。
「王女は、これから多くの人々の希望になるんです。成すべきことは山ほどある。そんな彼女が、こんなところで潰されてしまってはならない。僕一人をかばうために、これからの未来を台無しにしてはいけない。彼女は、これから多くの人々を幸せにしていくのだから」
そう言ったドラクロワに、ジュニアは驚いた表情を見せた。そして、途端にくしゃっと顔を歪ませて、彼は叫んだ。
「だったら……だったら、師匠の幸せは、あなたの幸せは、一体どこにあるんだよ!」
ジュニアはそう言って泣いた。
ドラクロワは驚いた。ジュニアが泣いた顔を、彼は初めて見ていた。
何故、ジュニアはこれくらいのことで泣いているのだろう。何も悲しいことなどない。ドラクロワが全て納得して、思うとおり、望むとおりにしただけだというのに。
ジュニアにとっては、何故か、それがよほど気に入らないことだったらしい。
「もう、いいよ」
低い声でジュニアは呟く。何が「もういい」のか全くわからなかった。
「もういい。全部、もういいよ」
「ジュニア?」
ふてくされたようなジュニアの言葉を疑問に思い、ドラクロワが彼の顔を覗き込んだ、その時。ドラクロワは、弟子からとんでもない不意打ちを食らった。
左右の頬を両手で包みこまれ、深く吸いつくように唇を重ねられた。何度も、何度も反芻された。何かを乞うように求めてくるその仕草は、ドラクロワの思考を完全に停止させた。
やがて、やっと解放される。呆然としているドラクロワに向かって、ジュニアは舌なめずりをして言った。
「師匠、気持ちよかった?」
「は……? 何、言って……」
「俺は気持ちよかったよ。魂を重ねられたような気がして」
謎めいた笑みで笑うジュニアの顔を見て、ドラクロワは驚いた。
ジュニアの顔が、姿が、見る見るうちにどんどん自分のものへと変化していったのだった。
ドラクロワのそんな表情を見て、ジュニアが一言呟く。
「師匠、それ、似合わないね」
「え……?」
もはや、ジュニアは完全にドラクロワの姿になっていた。鏡ではなく、目の前で自分と同じ姿の人間が動く様を見るのは、非常に違和感を覚えるものだった。
ジュニアはドラクロワの顔で、目を細めて笑った。
「この姿はたった今、俺が盗んだよ。もう、二度と師匠には返さない」
「何……なんだって?」
「俺はこれからあなたとして生きていく。そう言ったんだよ。だから、師匠はドラクロワじゃなく、これからは、別人として生きて。そう約束して」
「な、何を言って……」
「約束して」
ジュニアはドラクロワの瞳を見つめた。まっすぐに射抜いてくるその瞳は、自分のものなのに、まるで自分のものではないようだった。
「そんな馬鹿なこと……」
「できないなんて言わせないよ。あなたは、これからジャスティンさんを守っていかなきゃならないんだ。守るべきものがある人は、簡単に怪我をしたり、間違っても死んでしまったりなんて、もうできないはずだよ。これは『お願い』なんかじゃない。わかるよね、師匠」
ジュニアの向ける黒い瞳に、ドラクロワは目が離せなかった。ジュニアは言った。
「あなたになら殺されてもいいと思った。俺は、あなたに殺してほしかった。だから、俺という存在は、今をもって、あなたに殺されたことにする。これからは、俺が大魔導師ドラクロワだ」
ジュニアの服装は、以前のドラクロワと同じ、全身黒づくめのものだった。
黒づくめの服は、もとはといえば、ドラクロワがカレンの命を奪ったその日から着始めたものだった。師匠の死を忘れないように、喪に服すための黒だった。しかし、それは同時に、死んでしまったもう一人の自分を悼む気持ちでもあった。ドラクロワとなる前の、何も知らなかった頃の自分への慰めとして。
そんな黒の服を、ジュニアはもう一度着て、そしてドラクロワに背を向けて言った。
「新生ドラクロワとしての初仕事だ。今からひと暴れしてくるよ。人々が憎むべきドラクロワは俺だってことを、皆に知らしめてくる」
ジュニアの声は、心なしか弾んでいるようにすら聞こえた。
彼は、何もかも本気で言っているのだろうか。本気でドラクロワになりかわるつもりなのか。そんな馬鹿げた話を聞き入れられるわけがない。
そう叫んで彼を止めようとしたが、身体がしびれて何故か力が入らなかった。もしかしたら、キスの際に一服盛られたのかもしれない。
声をあげることすらままならなくなったドラクロワは、もはや、気持ちだけでジュニアをこの場に繋ぎとめようとした。しかし、そんなことができるはずもなかった。
ジュニアに向けて必死になって手を伸ばす。そんなドラクロワに、ジュニアは振り返って、最後に一言こう言った。
「生きて、師匠。生きて、そして必ず幸せになって」
ジュニアはもう振り返らなかった。遠く彼方まで飛んでいく彼の背中を、ドラクロワは、ただ膝をついて見ていることしかできなかった。
「ペゾ!」
紙一重の差でジャスティンが駆けつけた。そして、彼女はドラクロワを見て驚愕の声をあげた。
「どうしたのだ、その髪!」
彼女に言われて初めて気が付いた。ドラクロワの髪は、今までとは間逆の、一点のくもりもない白髪へと変わっていた。瞳の色だけが黒いままだった。
しかし、そんなことに驚く暇も惜しむほど、ドラクロワは取り乱してジュニアを探してくれとジャスティンにすがった。普段は絶対にそんなことを言ったりしないのに、魔法を使って探してくれとまで頼みこんでいた。
ドラクロワの尋常でない様子に、ジャスティンはひとまず頷いて、ジュニアを追いかけるべく魔法を使おうとした。
しかし、どれだけ試みても、彼女は魔法を使うことができなかった。これには二人ともが驚いた。
その日以来、ジャスティンはどんな些細な魔法も、全く使うことができなくなっていた。




