大魔導師の弟子②
「お前は一体何者だ」
ドラクロワは息を切らしながら少年に問いかけた。
ひとまず難を逃れた二人は、ローブの男が気絶している間に、出来るだけ早くこの岬から離れようと、こうして樹海の中を走り続けていた。少年が、何故術を使わずに自らの足で逃走する必要があるのかをドラクロワに尋ねると、男に居場所をかぎつけられないためだ、と返答された。どうやら、ドラクロワが術を使うと、ローブの男にはそれがわかるらしく、さらには、ドラクロワの現在置まで、ある程度把握されてしまうというのだ。だからこうして走るしかない、とドラクロワはうな垂れた。「あの人一体何者?」と少年が問うと、「それはこちらの台詞だ」と返され、現在にいたる。
「何故、あの方にお前の魔法が通用したのだ。こんなこと、天地がひっくり返ったってありえないことなんだぞ」
「そんなこと言われたって知らないよ。俺は何も特別なことはしてないし、ただ普通に魔法を使っただけ」
少年はいわれのない猜疑の目をドラクロワに向けられ、慌てて弁明する。自分のしたことの重大さがいまいちよくわからない。かといって、別段、その謎を解き明かそうという気もないのだが。
ドラクロワが再度少年に話を振る。今度は別の話題だった。
「何故、私の弟子に志願した?」
「おぉ。ついに面接してくれる気になった?」
「少し聞いただけだ。勘違いするな」
それを聞いて少年は笑った。少しでもドラクロワが自分に興味を持ったことが、素直に嬉しかったのだ。
「俺さ、強くなりたいんだよね」
走りながら、彼は背の高い木々に覆い隠された暗い空を見上げて言った。
「世の中って、善悪に限らず、やりたいことをするためには力が必要だろ? 自分の思うとおりに生きるためには、結局は強くなるしかない。だから、この国で一番強いって言われてるあんたの弟子になりたい」
ドラクロワは一瞬面食らったが、すぐに同意の念を表した。
「なるほど。たしかに世の中は全て力で動いている。実に単純でわかりやすい。そういう考え方は嫌いではない」
「うん。俺、単純なの好きだから」
少年は笑った。ドラクロワは、そんな少年を見て何かを思い出そうとし、ふいに唸る。
「……お前、名はなんといったか? 先ほど名乗っていたな」
「あれは女名だよ。偽名に決まってるじゃないか」
「そ、そうか。では、本当の名は?」
「無い」
今度はドラクロワが呆ける番だった。
「お前、ふざけているのか」
「だって、本当にねーもん。俺、戦災孤児だから」
「孤児……?」
ドラクロワの表情が一瞬険しくなったが、少年は構わず続けた。
「俺がいた孤児院は、お世辞にも環境が良いって言えるような場所じゃなかったから、結局名前ももらえなかった。呼ばれるのはいつも番号。それでよければ教えるけど」
ドラクロワは、それ以上この話を続ける気にはなれなかった。
「いい。つまらんことを聞いたな」
「いいよ。どうせ作り話だしね」
「そうか。それは良か……」
言いかけて、ドラクロワは絶句する。
「は……? 作り話、だと……?」
「あんた、俺が男だってことは見破ったのに、この手の話には騙されちゃう人なんだ」
少年は、よほどツボに入ったのか、腹を抱えて笑いだした。ドラクロワが密かに憤怒のオーラを発していても、さして気に留める様子もない。そこもまた、ある意味でつわものだった。
「……走りながら笑い転げるのはさぞ辛かろう。いっそ、走れなくしてやろうか」
「またまた、冗談。今、術は使えないんだろ」
「なりふり構わないほどに怒りが達すれば、そのときは盛大に使わせてもらうさ。……というか、別に術を使わずとも、お前のような小僧、この身体一つでどうにでもできる。大人をなめるなよ」
そう言うと、少年はまたけたけたと笑い始めた。
「それはどうかな」
「何?」
「だって、こうやって並んで走ってて、どちらが息を切らしているのかを見れば、考えなくてもわかる。あんたは腕力にものを言わせるタイプには到底見えないしね」
ドラクロワは不覚にも言葉を詰まらせる。そして、何かを諦めたようにふとため息を吐いた。
「……魔術を学ぶ前に、礼儀作法を学ぶ必要がありそうだな」
「そうかもね。それも、いずれあんたが教えてくれるんだろ?」
そう悪びれもせず話す少年に、ドラクロワは、「ひとつ忠告しておいてやる」と含みのある言い方をした。
「お前を弟子と認めるわけではないが、弟子は普通、師と仰ぐ者を『あんた』とは呼ばない」