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外道大魔導師ドラクロワ  作者: ゴリエ
第二章 大魔導師の弟子
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大魔導師の弟子①

 樹海を抜ければそこには岬がある。その岬の突端に建つ一軒の小屋。そこが大魔導師ドラクロワのすみかだった。人がめったに訪ねてくることはなく、あるのはさざなみの音と、微かな潮の香りを運んでくる風だけ。その静寂さがこの土地の一番の美点であるとドラクロワは考えていたが、最近それは失われつつあるようだ。そう思ったのは、小屋の戸が控えめに叩かれた折であった。

「どうぞ。入るがよろしい」

 ドラクロワは組んでいた足を戻し、手にしていた本を閉じた。もろい木戸の向こうの気配は、叩かれる前から察知していた。しかし、自らが管理する樹海にいつの間にか侵入されていたということには気付かなかった。それがどうにも不可解だった。

「失礼いたします」

 声のトーンは高く若かった。いや、想像以上に若い。入ってきたのはまだ年端もいかぬ少女だった。

「突然の訪問にも関わらず、面会をお許しくださり、ありがとうございます。初めまして。私はメアリー・エヴァンスといいます」

 少女は丁寧にお辞儀をする。肩下まで伸びた栗色の髪がそれに合わせて静かに垂れた。

「魔導師ドラクロワ様とお見受けいたします。あなたのような素晴らしい御方にお目にかかれて恐悦至極に……」

「前置きはいい。要件を話せ」

 無愛想な言葉に少女は口をつぐんだが、やがてゆっくりと話し始めた。

「わかりました。貴重なお時間をとらせないよう、手短にお話しいたします。どうか、私を弟子にしてはくださいませんか」

「弟子?」

「そう。弟子にございます」

 少女はドラクロワの言葉を反復してみせた。

「あいにく、弟子をとる方針は持ち合わせていない」

「それはつまり、考慮するにも値せぬと?」

 少女は長い睫毛を瞬かせた。

「ドラクロワ様。自ら言及するのもおこがましい限りですが、私は魔力に関しては自信があります。ぜひ一度、見ていただきたいのです。それから決断されても遅くは……」

「同じことを二度言わせるな。去れ」

 歯に衣着せることなく言い渡され、少女も黙りこむしかなかったが、それでも彼女もすぐには諦めなかった。

「そうですか……。では、言葉で説得するのはやめることにいたします」

 少女はそう言うと、おもむろにブラウスのボタンを二つ、三つと、はずしはじめた。

「ドラクロワ様、私は何も、弟子のみの範疇にとどまるつもりはありません。いえ、これこそが弟子の本分。師の身辺をお世話つかまつるのも、立派に弟子の役目なのだから。魔力を見ていただく前に、先にこちらの技量をはかられますか?」

 大胆な言動とは裏腹に、少女はたおやかに微笑んだ。まだ十三、四歳にしか満たないような幼い娘だったが、その妖艶な笑みは彼女を充分に「女」に見せていた。その手の趣向の持ち主であれば、きっとたまらないことこの上ないのかもしれない。

 しかし、ドラクロワはあくまで意向を変えることはなかった。

「あいにく、私にそのような性癖はない」

「今はまだ子供ですが、そのうちすぐに大人になりますわ」

「違う。私は男色の気はないと言ったのだ」

 少女の手がぴたりと止まる。

「……ご冗談を」

「それはこちらの台詞だ。気付いていないとでも思ったか」

 少女は一歩、二歩と後ずさる。少し唇をわななかかせたが、すぐに平静さを取り戻していた。そして、ふいに前髪をくしゃりとかき上げると、突然声を立てて笑い出した。今までの品のある仕草からは、随分とかけ離れた振る舞いだった。

「すげぇ。俺のこの術を見破ったのは、あんたが初めてだ」

 声はやや低めのトーンに変わる。少女はスカートの裾をつまみ、踊るようにくるりと一回転すると、その姿を瞬時に変化させた。小柄な体格はそのままだったが、浮き出た骨格や筋張った手の甲など、明らかに見て取れる変化はあった。以前の姿が風に揺れる儚い花のようであったと例えるなら、今はしなやかに伸びようとする成長途中の若木のようだ。「少女」は一瞬にして「少年」にその姿を変えていた。

「さすが、世間を騒がす大魔導師様だ。やっぱり、俺の師匠はあんたしかいない」

 真の姿を見破られてなお落胆することはなく、むしろ歓喜の表情を浮かべるような少年だった。

「頼むよ。俺を弟子にしてよ」

「……魔力に自信がある、というのはあながち口先ばかりでもないようだな。『変性の術』が使える者はそう多くない。―――しかし、今後はその術は極力使わないほうがいい」

「何で?」

 少年はきょとんとした。

「未成熟な者がその術を使えば、魂に傷がつくおそれがある。それくらいリスクを伴う危険な術だ。だから、使える者も限られる」

「よくわからないけど……。つまり、あんた俺のこと心配してくれてるんだな?」

「馬鹿は好かない」

 ドラクロワの言葉は容赦なかったが、少年がそれを気にする様子はなかった。それ以上にドラクロワの話に興味を持ったようだ。

「魂が傷つくって、どういうこと?」

「簡単に言えば、肉体が傷つくよりもよほど性質が悪いことだ。肉体の傷は致命傷でなければ多くは可逆的なものだが、魂の傷となると、限りなく不可逆的なものに近い」

「……つまり?」

「つまり、魂は一度傷つくと半永久的に回復しないということだ」

「回復しないままだとどうなるの?」

「傷の程度にもよるが、場合によっては死にいたる」

 ドラクロワはさらに補足するように説明した。

「我々魔導師にとって、ありていに言えば、肉体とは代替可能なものだ。『変身の術』などの類が良い例だ。肉体を変化させるという部分においては『変性の術』と酷似している。しかし、『変身』と『変性』は、その根元の性質は全く別のところにある。性は、その人間が生まれたときから魂に深く刻み込まれているもの。その性を変えるということは、つまりは魂の性質そのものを書き換えるということだ。これが何を意味するか、わかるか?」

 少年はかぶりを振る。ドラクロワは少し息をついた。

「この世に同じ顔の人間が一人もいないように、魂もまた、同じ形のものは存在しない。そのように、ある一定の型を保つことで、魂はこの世で管理され続けている。その魂の性質を変えるということは、すなわち、この世の管理の規定外になるということ」

「……ってことは?」

「この世の者ではなくなるのだ」

 少年は、自分の想像の範疇を超えた話をするドラクロワに絶句した。

「じ、じゃあ、俺は女になっている間、この世の人間じゃなかったってこと? 幽霊か何か、みたいな?」

「簡潔に述べるなら、そうだ。魂がどの世にも管理されなくなるので、特異な存在となる。……なるほど。だから、お前が樹海に侵入しても、罠は作動せず、私は察知できなかったわけか」

 ドラクロワは納得していたが、少年は複雑そうな顔をした。

「そうか……。俺は知らない間に、洒落にならないことをしていたわけか。でも、参ったなぁ。この先あの術を使うのをやめたら、ちょっと困ったことになる」

「困ったこと?」

「うん。あれも、俺の貴重な商売道具の一つでさ。女になって、さらには誘惑の術を使った二重仕掛けなんて、それこそ貴族の良い趣味したおっさん方には大好評だったわけ」

「ま、待て。お前、そんなことをしていたのか」

「なんだよ。仕方ないじゃん。生きるために金が必要だった」

 咎められていると思ったのか、少年は口をとがらせた。

「違う。私が言いたいのはそういうことではない」

 ドラクロワの真意はあくまで別のところにあった。

「お前は、女の姿になりながら、同時に魔法を使うことが出来るというのか」

「え? 使えるよ。当然だろ?」

 何故そんな当たり前のことを聞くのか、という表情だった。

「それよりさ。この術を使うなっていうんなら、俺、冗談抜きで、この先の食いぶちがかなり危ぶまれるんだよね」

「……何?」

「だからさ。ここで見習い魔導師兼家事手伝いに従事させてよ」

 話は結局ループした。少年はいたってマイペースだった。ドラクロワの都合などおよそ考えていないのだろう。

「……たしかに、お前は類まれなる魔導の才を持っているようだ。それは私も認めよう」

「ほ、本当に? だったら……」

「だが、それとこれとは話が別だ」

 あくまで考えを変えないドラクロワに、少年はいよいよむくれはじめた。

「なんだよ。一人前の魔導師なら、次代を担う若手を育てる義務があるだろ。あんただって、自分の師匠に育てられたから、今の生活があるんじゃないのか。だったら、その恩返しは次の弟子を育てることだろ」

 少年は強気にも、ドラクロワに向かって持論をまくしたてた。

「俺が気に入らないから弟子にしないっていうのなら、まだわかるよ。でも、そうじゃないだろ。あんたの場合、どんな逸材がここに来ても、決まって変わらない台詞を言って、今まで追い返してきたんだ。違うか?」

「ほう。魔力も優れているなら、その洞察力も大したものだ。良い師に恵まれれば、将来もきっと有望だろう」

「馬鹿にすんなよ」

 少年は思わず叫んだ。それでも彼一人が熱くなるばかりで、目の前の黒衣の男の表情はますます冷めたものだった。

「お前がなんと言おうと答えは変わらない。このドラクロワの名は、私の代で絶やす」

「そうか。それを聞いて安心したよ」

 声がしたのと扉が開いたのはほぼ同時だった。ドラクロワと少年は、反射的に扉の方へ身体を向けた。小屋に入ってきたのは、一人の若い男だった。浅黄の裾の長いローブを身にまとった、聖職者の出で立ちをしている。

「ここにくるのは何年ぶりだろうか。相変わらず、この家は狭くて汚いな」

「あ、兄、上……?」

 ドラクロワは搾り出すような声で目の前の人物をそう呼んだ。

「はは、やめてくれよ。私のことは、昔のように『兄様』と、そう呼んでおくれ、クロ」

 ドラクロワを「クロ」と呼ぶその男は柔和な笑みを浮かべた。

「それにしても、懸命な判断だ、クロ。お前は弟子などとる必要はない。いや、とってはいけないよ。あの忌まわしい所業を、これ以上繰り返してはならない」

 声や表情はあくまで穏やかであるのに、ローブの男はドラクロワに対してどこか威圧的だった。それは、ドラクロワの萎縮した態度がそう思わせるのか、それとも男の本質がもともとそうなのかは判別しかねたが、それとは別に、少年には不可解に感じられる点があった。

(見たところ、ほとんど魔力を感じない。きっと、この人は魔導師ですらない)

 すると、少年の心の声を読み取るように、ローブの男は少年に視線を合わせた。

「察しが良い子だ。君の考えているとおり、私に魔力は一切ない」

 ローブの男は驚くほどあけすけに答えた。そして、笑みの下に潜めた微かな猟奇さをほのめかす。

「だが、魔力を捨てたかわりに、私にはどんな魔術も通用しない。そういう身体になったのだ」

 顔は笑っていたが、声は笑っていなかった。少年は、ローブの男が何故か自分に敵意を抱いているということを、遅まきながらに理解した。

「兄上、おやめください。その少年は無関係です」

「でも、お前に近づいた者だろう?」

 もはや、ローブの男から温和さは失われつつあった。少年に言わせれば、これは全くもっていわれのない敵意であったが、その実情はなんとなく把握した。ようするに、男は少年に嫉妬しているのだ。

 ドラクロワは慌てて言った。

「そんな幼子を、まさか本気で打ちのめすおつもりではないでしょう?」

「さあね、わからない。久しぶりにお前に会えて、ただでさえ気分は高揚しているのだ。そんなときに、お前と密会する見知らぬ者の存在などを目の当たりにすれば、もはやそいつはひねりつぶしても心痛まぬ虫けら同然に思えたとしても、極々自然なことかもしれないな」

「言っていることが理解できない」

 ドラクロワはローブの男の言葉を一蹴した。そのやりとりを黙って見ていた少年が、ふいに口を挟む。

「あのう。一つ、いいですか?」

「何かね」

 ローブの男がそれに応じる。少年は、あくまで真面目に問いかけた。

「あんたら、男同士でできてんの?」

「なっ……」

 ドラクロワは異を唱えようとするが、すぐにローブの男に阻止された。

「少年。君はどこまでも察しが良い。実にそのとおりだよ。私はこのクロの生涯のパートナーだ。無論、性的な意味で」

「違う。何もかも嘘だ。真に受けるなよ、小僧」

 ドラクロワの言い分を聞き流しながら、男は補足した。

「一つだけ君の勘違いを指摘すると、その『男同士』という部分。これは訂正願いたい。大事なことだ」

 ローブの男は流すような目でそう言った。もちろん、その妖しげな視線はすぐにドラクロワに向けられる。

「男同士で思い出した。危うく大事な役目を忘れるところだったよ、クロ」

 男はドラクロワににじり寄った。

「その偽りの姿から、お前を解放してあげよう」

「元より、これが私の真の姿です」

 ドラクロワはよろめきながら後ずさった。

「あなたが政府の命でここに来たのはわかっています。私を捕らえるなら、たとえ聖なる御下にその身を置いていようとも、あなたを除いて他にはいないというわけですね。なるほど、あちらも考えてきたものだ」

「……私は別に、政府にお前を突き出すつもりなどないよ」

「え?」

 ドラクロワは数回瞬いた。

「たしかに、私は政府の命でここに参じた。しかし、私自身の目的はそんなつまらないところにありはしない。私はただ、お前を解放してやりたいだけなのだよ。その理不尽な呪縛からね」

 ローブの男が一歩、二歩と距離をつめる。ドラクロワは、その見開いた黒い瞳を不安定に揺らすことしかできなかった。

(何やってんだよ、大魔導師様)

 少年は、抗おうとしないドラクロワが歯がゆくて仕方なかった。男がどのような人物で、二人に何があったのかなどは、想像の世界でしか知りえない。しかし、ただ一つ初対面の自分にもわかることといえば、このローブの男が、自分の師になるかもしれない人物の驚異だということだ。

 男は、自分に魔法は一切通用しないということを語っていた。だからこそドラクロワは、あえて魔法を使って抵抗しようとはしていないのかもしれない。しかし、それは試してみないとわからないことだった。

 少年が行動に移ったのは早かった。普段の何倍も大きな火の玉をわずかの時間にこしらえ、それをローブの男の背後から投げつける準備をした。

 このあと、敵意をむき出しにしたローブの男が襲い掛かってくるだろう。その隙に、ドラクロワは逃げることができる。しかし、それから自分は果たして無事でいられるだろうか。火の玉が指先から離れるまでのその一瞬で、そんな考えが脳裏をよぎった。

 しかし、幸か不幸か、その心配は数秒後には無意味なものに終わった。火の玉は見事に男に直撃し、聞くに堪えない彼の悲鳴が、静かな岬に響き渡っていた。

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