王女誘拐③
「お前、ずっとそこに……?」
「地の果てまで追いかけると言ったはずだ」
身体に付いた木の葉を払いのけながら、ばつが悪そうに出てきたのはジャスティンだった。
「よくこの場所がわかったな。……というか、よくこの森を抜けることができたな。出る分には問題ないが、侵入者には容赦ない罠を仕掛けたはずだが」
「ああ。たしかに森を抜けるのは大変だったよ。だが、それでも、見てのとおり私はこのように五体満足だ。もっと警備を固めたほうがよいのではないか?」
「……言われずとも、今度は蟻一匹入れないくらい頑丈に仕立て上げる。ところで……」
ドラクロワはジャスティンに目で合図をした。
「追わんのだな。あの二人を」
「そんなこと出来るわけないだろう」
ジャスティンはいくらかむっとしたようだった。
「悪いが、話は全て聞かせてもらった」
「何の話だ」
「とぼけるな。あらかた、お前は今まで王女殿下を水晶か何かで盗み見ていたのだろう。そしてあの御方の苦しみを知り、ゆえに王宮から連れ去った。あの少年のもとへ王女殿下を送り届けるために。そうだろう?」
「な、何故水晶のことまで知っている?」
慌てるドラクロワをよそに、ジャスティンはため息をこぼした。
「適当に言っただけだ。いや、そんなことはこの際どうでもよいのだ。やはり、私はお前を許せない。たとえ、レイナ様の幸福を思ってしてくれたことであっても。レイナ様の一番の理解者がお前だったなんて、私は認めない。私は、ずっとあの御方のおそばについてお守りしていたのに、悩んでいるようなご様子はちっともお見せにならなかった。最後の最後まで、ただの一度も私に頼ってくださることはなかった。そんなの、悔しいではないか。寂しいではないか……」
「私には関係のないことだな。力なき己を呪え。この世は力こそが全てだ」
「ああ、そうだな。お前を見ているとそれがよくわかるよ」
ジャスティンはドラクロワを一瞬睨んだが、それは自分自身への怒りからくるものだった。彼の言うとおり、やはり自分は無力で、王女を救ってやることも、また逃走した王女を王宮へ連れ戻すような、彼女の気持ちを無視した正義を貫く勇気もない。どっちつかずの中途半端な存在でしかない、とジャスティンは痛感していた。
「なあ、ペゾ」
目の前の黒ずくめの男の名を呼ぶも、あっけなく無視される。仕方がないので、もう一度言い直すことにした。
「大魔導師ドラクロワ殿」
「何だ」
「何故、そんな風になってしまった?」
彼女の長い金の髪を風が静かに揺らした。
「どういう意味だ」
「私は子供の頃のお前を覚えているよ。お前は大人しくて、素直で優しいやつだった。今回のような大それたことをしでかすなんて、昔のお前を知っている者からすれば、到底考えられないことだ。それに、私は今まで『大魔導師ドラクロワ』の正体がお前だということを知らなかったが、その大魔導師のお前なら、殿下を誰にも気づかれることなく連れ出すことくらい、造作もないことだったはずだ。何故、わざわざ周知の事件にするほど混乱を拡大させ、人々の不安をあおるような真似を……」
「―――それは、もちろん王女殿下が自分から王宮を飛び出したってことにしないためだろう」
ドラクロワがはっとして振り向いたそこには、身体を傷だらけにしたウィーズとカインが立っていた。今喋ったのは、先ほどドラクロワの衣服を焼いた魔導師のウィーズだ。
「悪党に誘拐されたって事実が残れば、王女殿下が二度と王宮に戻ってこなくても、殿下自身が非難されることはまずないからな。……そんなことより、てめえ、ベソ。この森にあんな卑劣な罠を仕掛けまくったのはお前か。矢は雨みたいに降ってくるし、落とし穴と地雷で足の踏み場はないし、人食い花がそこらへんに生えてるし、バーサーカーじみた猛獣が何頭も襲ってくるし、美女に化けた獣に寝首をかかれそうになるしで、こっちは寿命が何年か縮んだぞ」
「美女に騙されそうになったのはウィーズだけでしょ」
カインが横槍を入れる。二人とも、森を抜けてきたばかりで息も絶え絶えだったが、一目見た限りでは命に別状はなさそうだった。ドラクロワは舌打ちするしかなかった。
「どうやら、警備の強化は早急に行うべきだったようだ」
「何の話?」
何も知らないカインが額の汗をぬぐって笑顔を向けた。
「そんなことより。ようやく思い出したんだよ、君を。たしかに、君は学舎では少々影が薄かったかもしれないけれど、その黒髪は珍しかったからね。ちゃんと思い出せたよ。久しぶりだね、ペソ」
「違うって。ベソだよ。『泣き虫ベソ』」
「二人とも、馬鹿はよせ。ペゾだ。なあ、ペゾ……」
「お前らいい加減にしろ」
ドラクロワが低い声で三人を一喝した。
「だいたい、王女の護衛騎士の女はともかく、お前ら二人は何でわざわざこんなところまで来た」
「何でって。それは、俺たち二人がジャスティンの親衛隊だからに決まってんだろ」
「な、何言ってるの、ウィーズ。別に僕はそんなんじゃ……」
カインが顔を赤らめていることなど、ドラクロワにとってはもはやどうでもいいことだった。ただ、これ以上この者たちと関わるのは面倒だと思った。この者たちだけではない。本来の彼は、これほど長い時間人と接することも実は非常に稀で、そろそろ一人になりたいと思い始めたころだった。微妙に心臓がうずいたような気もする。思わず胸元を押さえた。急いだほうがよさそうだ。
「ドラクロワ」
カインとウィーズの二人を無視して、ジャスティンが彼に歩み寄った。
「まだ、お前の答えを聴いてない」
「何のことだ」
「何故、あんなことをしでかしたのか。先ほどの私の質問に答えていない」
ドラクロワはふっと笑った。
「そんなことをまだ気にしていたのか。言っておくが、王女のためなどではないぞ。さらに言えば、そこの低級魔導師が言うように、王女が王宮を出るのに都合の良い口実を作ってやった覚えもない。ただ単に、私は退屈だったのだよ」
「退、屈……?」
「ああ、そうだ。ここは、見晴らしもよく人もめったに来ない良いところだが、いかんせん、何もないところでな。あるのは永遠のごとく流れる時間だけ。だから、少しの間だけ、愚かな人間どもと鬼ごっこをすることを思いついた。王女をさらったのは、国をあげての盛大なイベントにするために、かっこうの餌だと思ったからだ。まあ、結果はゲームにすらならなくて、どちらにしろ私は退屈だったわけだが」
最後は自分自身に向けた嘲笑で話を終わらせた。だが、ジャスティンは彼の話を鵜呑みにはしなかった。
「嘘だ」
「は?」
「嘘だろう? お前、絶対何か隠してる。ちゃちな芝居は三流劇でするのだな」
「何だと」
「だって、お前辛そうじゃないか。あんな大それたことをしておいて、その理由が単なる退屈しのぎだと? しかも、そんな泣きそうな目をしてよく言う。お前の行動はどれもバラバラだ。全然繋がっていない。お前は本当は、一体何を望んでいるのだ」
彼女は一気にまくしたてると、もうそれ以上何も言わなかった。ただ、じっとドラクロワを見つめるだけ。そうしてしばらくの沈黙が流れる。
すると、突然、ドラクロワが胸を抑えてしゃがみこんだ。脈絡のない出来事に、ジャスティンたちは目を白黒させるしかなかった。はじめはドラクロワの演技かとも思ったが、彼の顔色が次第に悪くなっていくのを見て、これはただ事ではないとようやく気付いた。
ひどい激痛を加えた拍動がいよいよドラクロワを襲った。眩暈すら覚えるような感覚。痛み。心臓の痛み。それは心の痛みによく似ているような気がした。
「ペ……ドラクロワ、大丈夫……」
「来るな。もうこれ以上私に関わるな。今すぐ私の目の前から消え失せろ」
駆け寄ったジャスティンの指が彼に触れようとしたその時。闇が一気に三人を飲み込み、あとはジャスティンの呼ぶ声だけが余韻のようにドラクロワの耳に残る形となった。
ようやく一人になりえたドラクロワは、うずく胸を押さえこみ、自身の身体を引きずるようにして小屋に入り、そのまま床に倒れこんだ。手も額も身体もじっとりと汗ばんで不快だったが、今は痛みがやむのを待つほうが先だった。弾んだ息が整うまではもう少し時間がかかりそうだと、ぼんやりと考えた。
(私が本当に望むもの、だと? そんなもの―――)
ドラクロワは胸を押さえて自身の唇を噛んだ。
(私が教えてほしいくらいだ……)
仰いだ天井が、いつもより暗く見えたような気がした。