舞踏会の長い夜②
ジャスティンが屋敷に帰ると、彼女の父・アルジェント伯が仁王立ちで待ち構えていた。
「いつもいつも、ふらふらとどこをほっつき歩いているのだ。この不良娘が」
「仕事はきちんとしていますよ。今日は非番です」
ジャスティンは、腰に提げた剣を従者に下げさせながら、横目で父親とのやりとりを交わした。
「その非番の日に、わざわざそのように武装して、いったい何をしてきたというのか。今日だけではない。ここ最近はずっとそうだ。よもや、何か危険なことに首を突っ込んでいるわけではないな?」
「ええ、断じて。今日は、少し規模の小さい同窓会のようなものに行ってきただけですよ。……多少遠方ではありますが」
「ふん、どうだか。信用できたものではないわ」
伯爵はそう吐き捨てると、「お前の浮ついた根性を叩きなおす」と言って、彼女の前で息を巻いた。
「明日の夜、この屋敷にて舞踏会を催す。ただの舞踏会ではないぞ。お前の婚約者候補たちを集めた、今までないほどに盛大な夜会だ。そこで、お前の結婚相手を正式に決めることにした」
彼はそこまでまくしたてた。
よく見れば、伯爵は、自分の屋敷内だというのに、腰に愛用の剣を提げており、今すぐにでも戦えそうな装いをしていた。おそらくは、今の話を聞いたジャスティンが反抗してくると見込んで、また、以前のように決闘で事を運ぼうと考えているのだろう。その魂胆が実に見え見えだった。しかし、その意図に気づいたジャスティンには、彼のその万全の準備も、ただ苦笑されるだけに終わったのだった。
「わかりました。明日ですね」
「そうだ、明日だ。……って、何?」
思いっきり肩すかしをくらったような顔で、伯爵は自分の娘を凝視した。
「お前、熱でもあるのか……?」
「何を馬鹿な。父上、言いだしたのはあなたではありませんか」
「いや、たしかにそうなのだが……。まさか、こんなにもあっさり、お前が承諾するとは思っていなかったから……」
そこでジャスティンは笑った。
「そうですね。でも、何分、父上ももうお歳ですし」
「何?」
「いえ。そろそろ、私も自分の立場というものを自覚しなければいけないな、と思いまして」
まるで独り言のように、ジャスティンは呟いていた。
*
そして、翌日の夜には、伯爵の言葉のとおりに、アルジェント家の屋敷にて、盛大な舞踏会が催されることとなった。広大なホールには、招待客である多くの紳士・淑女の面々が連なった。その中でも、若い男性客の一部は、伯爵が選考した、例の婚約者候補たちである。彼らはもちろんのこと、他の参加者たちでさえ、今宵の会が何のために、誰のために開かれたものなのかを、暗に理解していた。そのため、ホール内はどこか落ち着かない空気が漂っていた。……というのも、主役の登場がまだなのである。今宵のパーティーには、ジャスティンの友人として、カインとウィーズも参加していたが、二人もまた、なかなか出番を渋っている本日の花形をそわそわと待ち続けていた。
「遅いな、ジャスティン。本当に、今日出てくるのかな」
「さあ。しかし、ここですっぽかしてくれたほうが、俺としては実に面白い展開になるんだけど」
「……面白い、だけで済む話じゃないだろう、それは」
複雑な面持ちのまま、カインは祈るような気持ちでジャスティンを待った。そして、そんなカインの心境を察するウィーズもまた、ジャスティンとカインという友人二人の行く末を気にかけていた。
それからしばらくして。今まで、静かで緩やかな楽曲を奏でていた桟敷席の楽団が、ひとたび華やかな交響曲に切り替えてきた。……かと思えば、ついに満を持して、今宵の主役が登場したのである。
ホールの最奥、真っ赤な絨毯が敷かれた回廊を、アルジェント伯に導かれて、ゆっくりと降りてくる令嬢。それこそが、まさにジャスティンだった。いつもの無骨な軍服に身を包んできりりとしている様が嘘のように、ほっそりとした肩を惜しげもなくさらし、きらびやかな薄い桃色のガウンを完璧に着こなしていた。金の髪が片方のみ高く結われ、あとの流された分はゆるやかな巻き毛として、彼女の肩や背にふんわりと揺れていた。白い肌が、シャンデリアから発する光と相まってとてもまぶしい。誰がどう見ても、この場でジャスティンは申し分なく美しい、伯爵令嬢そのものだった。
カインとウィーズは、思わず言葉を忘れて視線を奪われてしまっていた。彼ら二人だけでなく、それは会場内にいる人々の大多数にも言えることだった。
ジャスティンは、普段から女性らしさを前面に出すような服装は、あまり好まない。彼女は夜会もそれほど多く出席しているわけではないので、本当に、このような姿が見られるのは、非常に貴重なのだ。
場内の視線が一様に娘に釘づけになっていることに、伯爵は満足げに笑んだ。彼が、娘の紹介も兼ねた礼辞をこの場で述べようとした、そのときだった。
ホール全体の証明が、一瞬にして落とされた。あれだけ光り輝いていた無数のシャンデリアの光が一気に失われ、場内は、それこそ一寸先までも見失うほどの暗転に包まれた。
その場にいた人々は、もちろんひどく動揺した。が、場内の壁際側面―――それこそ天井付近にまで届くくらいの高度に設置された、手すり付きの露台の上にスポットが当てられ、そこに人影が現れたのを見つけると、すぐに拍手が沸き起こった。これらの演出も、今宵のイベントの一部だと思ってのことだろう。
しかし、実際には、そのような余興はアルジェント側では何も予定されてはいなかった。伯爵とジャスティンのみが、事態の異様さに気づいていたが、場内の人々は、突如現れた露台の上の人物が、今から何を披露するのか、そのことに目を奪われるばかりだった。
その人物は仮面を付けており、全身を真っ黒いローブとマントに包んでいる。その人物が人々に向かって深く礼をし、その正面に向きなおった。
「紳士、淑女の皆様。今宵は、アルジェント家主催の宴にお集まりいただき、まことにありがとうございます。わたくし、魔導師ドラクロワよりも、心からの御礼を申し上げます」
その言葉に、場内は途端にざわめき始めた。
「ド、ドラクロワだって?」「本当に?」「本物なのか」「まさか」「それに扮した余興だろ」「しかし、そんな不謹慎な余興などするだろうか」「本物のわけがない」……など、様々な憶測が飛び交った。しかし、誰ひとりとしてこの場から逃げたりしないのを見ると、やはり、「まさか本物のわけがない」と、心のどこかで高をくくっているということだった。
そんな中で、注目の的になっている露台の上の人物、自称ドラクロワは、さらに辞の続きを述べた。
「皆様は、今宵の宴を存分にお楽しみいただけているでしょうか? この場にいらしてくださった方々全員が、今宵のひと時に酔いしれていただけますよう、わたくしからひとつ、出し物をご用意させていただきました。ささやかではありますが、一時の夢をお楽しみいただければ、幸いにございます。それでは、イッツ・ショータイム」
黒づくめの男がそう言って指を鳴らすと、場内の証明が一瞬にして元に戻り、人々は明るさに目を慣らすのに必死だった。
そして、それからしばらくして、突如どこからともなく悲鳴があがった。参加者の男性の一人が、突然宙に浮かびあがっていた。彼は、足をばたつかせてもがいていたが、地上に降りることはかなわず、そのまま投げ出されるような形で壁に激突し、床に倒れこんで気絶した。
人々の悲鳴は一様に甲高いものとなった。驚く間もないままに、次々に同じ目に合わされる人間が増えていった。場内は完全にパニックに陥り、混乱を極めた。会場から逃げ出す人々が後を絶たない。
そんな中、この自称ドラクロワの行いに、反抗しようとする者たちも現れた。カイン、ウィーズをはじめ、それからジャスティンの婚約者候補の何人かが、この黒づくめの男に挑むような目線を向けていたのだ。
その様子に、男は腕組みをして満足げに言った。
「ほう。お前たちは逃げないのか。なかなか肝の据わったやつらだな」
「何を偉そうに。偽物の分際で」
そう言ったのはウィーズだった。
「偽物?」
「そうだ。お前は偽物だ。ドラクロワなんかじゃない」
「ほう。そう思う根拠は?」
「根拠なんてない。ただ、お前は偽物だ。偽物でなくちゃならない。ドラクロワの名を騙っただけの、単なる賊だ」
ウィーズは、それから魔法の構えをとる。
「今から俺がそれを証明する。いいか。避けるなよ。お前が本物だって言うならなおのこと、避けるな」
そう言って、ウィーズは魔法で光の矢のような攻撃を繰り出していた。ウィーズの要求どおり、黒づくめの男はその攻撃を一切避けようとはしなかった。光の矢は、男の仮面に見事直撃し、仮面を真っ二つに割っていた。破損した仮面は、磨き上げられた大理石の上に、盛大な音を立てて叩きつけられる。
その場に居合わせた面々は息をのんだ。黒い髪に黒い瞳。町のいたるところに出回っている、賞金首の貼り紙と同じ容貌の男。いまだ記憶に新しい、王女誘拐犯の当人である人物が、そこに立っていた。
「何で……」
ウィーズが絞り出すような声で言った。
「何でお前は本物なんだよ! 何で、本物のお前がこんなことしやがる! ベソ、てめえ、全部忘れたんじゃなかったのか! それとも、やっぱりあれはただの演技だったのか!」
ウィーズの必死の問いかけにも、ドラクロワは彼に冷めた視線しかよこさなかった。
「ベソ? 誰だそれは」
彼は冷やかに笑った。
「私はドラクロワだ。前から何度も言っているだろう。これだから愚鈍な低級魔導師は」
そう言って、ドラクロワはウィーズも宙に浮かせると、彼をも壁に叩きつけ、思い切り痛めつけていた。
ウィーズが低くうめき声をあげたが、なんとか気はしっかり保っている様子だった。
「ウィーズ!」
カインが慌てて駆け寄る。ウィーズは左肩を押さえながら、心底悔しそうに吐き捨てた。
「ちくしょう。思い出したのかよ。俺のことも。なのに、何でこんなことしてるんだよ、お前は!」
その質問にドラクロワが答えることはなかった。ただ冷酷な瞳で、下にいる者たちを見下ろすだけ。
ドラクロワにとっては、目に映るすべての者が、彼よりも弱い存在だった。自分より強い者などいはしない。そう思うと、この世の中が無性につまらなく、そして悲しいものに見えてくるのだ。
ドラクロワは、そんな彼にとっての「弱い者」たちに、ある提案を投げかけた。
「今からゲームをしようじゃないか。退屈な私のために、今度はお前たちが私に余興を披露する番だ」
唐突に話し始めるドラクロワに、一同は戸惑いの色を見せた。それに構わずに、ドラクロワは続けた。
「今宵の宴は、そこにいるアルジェント伯爵令嬢の婚約者を決めるために開かれたものなのだろう? ならば、私もその選定に、微力ながらに協力してやろう。お前たち、今からその伯爵の娘と順番に、決闘ゲームをしろ。勝った者が娘と結婚する。どうだ、なかなかに良い腕試しだろう?」
ドラクロワの言葉に、その場にいた者たち全員が耳を疑った。
「決闘、ゲーム、だと?」
「ふざけるな」
「そんなこと、できるわけがないだろう」
「こんなやつの言うこと、放っておけばいい」
「それより、早く王宮へ連絡を。極悪誘拐犯が現れたと」
ここにいる一同が、この提案をすんなり受け入れるわけがないことは明白だった。だからこそ、ドラクロワは、ここにいる者たちをすぐに黙らせることが出来る方法をとった。
「おやおや、いいのか? そんな反抗的な態度をとって。伯爵の命がどうなっても知らんぞ」
「何?」
「父上!」
ジャスティンが叫んだ。
誰も何も、まったく気づかぬうちに、ドラクロワの横には、いつの間にか気を失ったアルジェント伯の姿があった。ぐったりと壁を背にもたれかかっている伯爵の首元に、ドラクロワが、テーブルに備え付けられていた果物ナイフをすっと突き付けた。
「やめろ!」
ジャスティンが叫んだ。
その様子を見て、ドラクロワは冷笑を浮かべる。その表情は、まさしく「外道」そのものだった。
「くっ……」
ジャスティンが唇をかみしめた。そして、彼女は何かをふっきるように、きっと顔を上げた。
「……わかった。皆、すまないが、彼の言うとおりにしてくれ」
「しかし、ジャスティン殿!」
「すまない。だが、それが一番最良の選択だ」
そう言うと、意を決したようにジャスティンが手すりを伝って回廊を降りはじめた。その様子を、ドラクロワは満足げに見つめる。そうして、ジャスティンが男たちと同じ位置にまで回廊を降りてきたことを見届けると、ドラクロワは彼女に魔法をかけた。
ジャスティンは、そこで一瞬にして、いつもの軍服と銀の甲冑を身にまとった姿に変化していた。そして、それと同時に、男たちにもそれぞれの剣が与えられることとなった。
ドラクロワが揚々と告げた。
「ルールは簡単だ。伯爵の娘との一対一の真剣勝負。挑戦は一人一回のみ。勝者が出た時点でゲームは終了。つまりは早い者勝ちというわけだ」
それから、ドラクロワはさらに補足するように付け加えた。
「言っておくが、令嬢を気遣って、わざと手加減をするということは認めんぞ。私にはそのくらいすぐにわかるのだ。手を抜いていると感じた時点で、即伯爵を殺す。心してかかれ」
そう言われ、男たちの間に緊張が走った。これで、後にも先にも、もう一切彼らに引き際はなくなった。
「準備はよいか? それでは始めるとしよう。まず、最初の挑戦者は誰だ?」
ドラクロワの問いに、場は途端に静まり返った。すると、これにも、ドラクロワの容赦のない言葉が降り注ぐ。
「おいおい。余興なのだから、テンポよく進めていかなければ興ざめするだろうが。そんなに伯爵を亡きものにされたいのか」
「わ、私がいこう!」
名乗りをあげたのは、実直を絵にかいたような、ジャスティンよりも少しばかり年長でありそうな青年だった。挑戦者が出たことを見て、ドラクロワは機嫌よく笑んだ。
「そうだ。そうやって、絶え間なく戦い続けろ。私に余計な手をわずらわせるな。では、始めっ!」
ドラクロワの合図とともに、この決闘ゲームはスタートした。