貴族の縁談②
街中を歩いて、これほど注目されたことはない、とカインは思った。自分が注目されているわけではないと知りつつも、やはり隣に並んで歩く相手が人々の視線を集めていると、それだけでも落ち着かないものだ。カインは、当の本人の心境を多少心配しつつ、けれども、すぐにそれが取り越し苦労であることを思い知った。隣で颯爽と歩く人物を見上げて。そう、見上げて。
「なあ、カイン。私は、何故男に生まれなかったのだろう?」
「さ、さあ。何でだろうね……」
「景色が高い! 歩幅が広い! 力が溢れてくる! このまま、ずっとこの姿でもいいくらいだ!」
「いや、それは僕の立場がないから、勘弁……」
「何か言ったか?」
「いや、空耳だよ」
カインはジャスティンの姿を見つめて、彼女(彼?)には気づかれないように小さくため息を吐いた。
そう。ドラクロワの変性の術により、ジャスティンは目を見張るような美青年となっていた。流れるような金の髪はそのままに、意思の強そうな瞳はより凛々しく、女性だったときからすらりと伸びていた手足は、より均整のとれて引き締まった肢体に、より機能的に変化していた。まさに、女性が理想とする王子様像が世に浮き出てきたといわんばかりの風体だった。事実、街中の女性の視線は、一様にジャスティンに釘付けなのだ。そして、ジャスティンもどうやらそれを自覚したらしく、衆目を集めていることに、たいそう嬉々としていた。話しかけてくる女性を騎士然として(もともと騎士なのだから当然だが)、優しく丁寧に応対する姿は、騎士であり男である自分も見習わなければならない、とカインが思うくらいには隙がなかった。
(ジャスティン、すごく楽しそうだな。っていうか、はまりすぎだよ、その性転換。いや、変性の術だっけ? どっちでもいいか。……それにしても、なんだかこうして見ていると、ジャスティンが以前からずっと男だったんじゃないかって思えるくらい、似合いすぎてて逆に怖い。かくいう僕の心境は、かなり複雑ではあるのだけど……)
カインは上機嫌のジャスティンを横目に、心中穏やかではなかった。もちろん、当の本人はそんなこと知る由もない。
「この場にペゾがいないのが実に残念だな。あやつが指名手配犯でさえなければ、無理にでも引っ張ってきたというのに。私がこんなにも女性にもてまくりだと知れば、さぞや悔しがるだろう」
「いや、たぶんそんなに関心示さないでしょ、彼は」
「そんなことはない。あやつは人を遠ざけるような物言いをするが、実のところ、結構な寂しがり屋と見た。だって、もとはあのペゾなのだから。どんなに月日が流れようと、人はそんなに変わるものではないよ。だとしたら、何か理由があって、本心とは裏腹に、わざと人を遠ざけているのかもしれんしな」
「……前から思ってたんだけど、ジャスティンって、昔からペソにすごく構うよね」
「ん? そうだな。私はペゾが―――ドラクロワが好きだからな」
「……え?」
カインが一瞬固まる。ジャスティンはそれに構うことなくどんどん先へと進んでいった。アルジェント伯の待つ、縁談相手との引き合わせ場所の教会へ。
カインは慌ててジャスティンの後を追った。
「ジ、ジャスティン! それってもしかして、ペソを友達としてじゃなく、一人の男性として好……」
「すみません、騎士様」
そんな最中、道中の二人を呼びとめたのは、一人の老女だった。白髪で円背ぎみの、かなり高齢と思われる女性だ。
「どうしました?」
ジャスティンが尋ねた。老女はためらいがちに答える。
「あの、道に迷ってしまって。この近くに教会はありませんか?」
「ああ、それならば、我々も今向かっているところだ。よろしければ案内いたしましょう」
「ああ、ありがとうございます。親切な騎士様」
「いえいえ、何の」
ジャスティンは得意げにそう言うと、老女の手を取り、歩幅を少しばかり緩めてゆっくりと歩き始めた。
カインは肝心なことを聞きそびれてしまい、教会に行くまでの道のりを、ずっともやもやした気分のまま歩くことになった。
*
それからしばらく歩いて、一行はやっと教会に辿り着いていた。周囲に人気はなく、アルジェント伯と相手の男はまだ着いていない様子で、ジャスティンはいくらかほっとした。
そして、老女に向かって膝をつくと、丁寧に会釈した。
「着きましたよ。道中お疲れになりませんでしたか? 中でゆっくりされるといい」
「ええ、ありがとうございます。ご丁寧にどうも。ですが、騎士様。騎士様が心配なされるほど、私は疲れてなどいませんよ」
「そうですか?」
「ええ。だって……。俺はまだ、若いからな!」
老女はそう言うと、突然ジャスティンの眼前に手をかざし、何かの光を放った。その動きは素早く、今までおぼつかない足取りで歩いていたのが嘘のように、老女はいつの間にかジャスティンの背後に回っていた。ジャスティンは、放たれた光が目くらましとなってよろめき、さらに背後からもう一度老女が繰り出してきた不可思議な術の風圧に圧されて、あっけなく地面に倒れこんでいた。カインが慌ててジャスティンを抱き起こす。そこで彼は驚き、自身の目を疑った。ジャスティンが、元の女性の姿に戻ってしまっていたのだ。
「ジ、ジャスティン、大丈夫?」
「その変性の術、かけ方が甘かったからな。その術を使えない俺でも簡単に解けたぞ」
今までの様子とは一変して、老女はうすら笑いを浮かべて言った。
「お、おばあさん、あなたは一体……?」
「き、貴様、もしや、最初から私の素性を知っていて近づいてきたのか? おのれ、卑劣な。父の手先の魔導師か!」
「面白いくらいに気づかないんだな、二人とも。俺だよ」
しゃがれた声でそう言った老女の背がゆるゆると伸び、姿かたちが徐々に変化していく様を目の当たりにして、ジャスティンとカインは心底驚いた。老女の正体は、二人が実に良く知る人物だった。
「ウィーズ!」
「どうして君が……」
老女―――今は元の姿に戻ったウィーズが、少しためらいがちに口を開いた。
「えっと、最初に言っとくわ。騙して悪かった。……って、怒ってるよな?」
「……怒ってるなんてものではないぞ。ウィーズ、お前……」
今にも歯ぎしりが聞こえてきそうなほど怒気を含んだジャスティンの低い声に、さすがのウィーズも少々怯まざるを得なかった。
「だ、だから謝ってるだろ。ジャスティン、お前な、宮廷魔導師なめんなよ。俺だって辛い立場なんだよ。上官―――つまり、お前の親父さんにやれと言われりゃ、やらざるを得ないんだ」
「ほう。つまり、お前は友より上司をとる、と?」
「いや、そんなシビアな言い方しなくても! それに、これは実際、俺のもう一人の友のためでもあるんだ」
「それ、どういう意味?」
カインが首を傾げた。
「まあ、あとでわかるから。ほら、言ってる間に来なすったようだ」
そう言ってウィーズが指さした先には、満を持して、ようやく到着したアルジェント伯爵家の馬車が見えていた。
*
教会の中で、ジャスティンは、カインとウィーズがおののくくらいに機嫌が悪く、久しぶりに父親と対面してからも、始終むすっとしたままだった。先ほどまで男として楽しげに振舞っていたのが嘘のようだ、とカインは思ったが、逆に、彼女が機嫌悪く振舞っていた方が、縁談相手との折り合いも上手くいかないだろうから、自分にとっては都合がいいことかもしれない、と考え、しかし、そんな風に思う自分はなんて卑怯なのだろう、と自己嫌悪にも陥り、カインは人知れず苦悩していたのだった。
「ジャスティン、そんな顔をするでない。仮にも、お前の婿殿となる御方にお会いするのだぞ。失礼極まりない」
アルジェント伯がジャスティンをいさめるが、彼女が反省の色を見せることは少しもなかった。
「ふん。私が望んでいるわけではないというのに。そんなに結婚、結婚言うのなら、父上がそやつと結婚すればいい。そうしたら、私はそやつのことも『父上』と呼んでやってもいいぞ」
「馬鹿を申すな。だいたい、お前は私に決闘で負けた身だろうが。約束はきちんと果たすべきだ。それが騎士の筋というものだろう」
「そうやって、騎士という言葉で私を縛りつけて楽しいのか。だいたい、そやつと結婚して、それで私が不幸になったらどうしてくれる? 責任はとってくれるんだろうな。でなければ、一生父上を呪ってやる。本気だぞ。私にはものすごく強い大魔導師の知り合いがいるのだからな。あやつに言いつけてやる。ハリセンボン飲ましてやる!」
「子供か、お前は……」
ウィーズが半ば呆れた様子でジャスティンに言った。
「黙れ、裏切り者。ウィーズは人事だからそんな風に言ってられるんだ。お前だって、そのうち親の決めた娘と結婚させられそうになったらわかるぞ。私のこの苦悩が。絶望が。だいたい、今日来る男だって、きっとろくでもない輩に決まっている。約束の時刻はもうとっくに過ぎているというのに、時間も守れないようなダメ男だ。なんとだらしない」
「ほう。だらしがない男は嫌いか」
アルジェント伯が、何か含みのある問いをジャスティンに投げかけた。
「? 当たり前だろう。好きだという方が、どうかしていると思うが」
「そうか。では、真面目な男がいいか?」
「それはまあ、そうだ」
「優しくて誠実なのはどうだ?」
「……別に、悪くない」
「では、お前を心の底から慈しみ、大切にしてくれるのなら?」
「まあ、理想だな」
「よろしい」
何が? とは、結局この場では誰も聞くことはなかった。伯爵は、どこか満足したように笑み、それからこう言い放った。
「では、そのような男を、すぐにこの場に用意するとしよう」
「え……?」
ジャスティンは父の言った言葉をもう一度聞き返した。当の伯爵本人は、底知れぬ笑みを携えるのみで、ジャスティンの疑問に答える様子は少しもなかった。
「な、何を言っているのだ? 父上。意味がわからない。ここに今向かっている男が、私の縁談相手なのだろう? すでにもう、決められているのだろう?」
「ああ、そうだな。すでに決まった。今、私が決めた。お前の言葉を聞き、お前の気持ちを再確認したからな」
「わ、私の気持ち……?」
ジャスティンが首をかしげた。
「前振り、長。ようやくかよ」
ウィーズが呆れたように、事の始終を見ての感想を告げる。少なくとも、彼は伯爵の何らかの意図を知っているようで、取り乱す様子は微塵もなかった。ジャスティンとカインの二人が、状況を理解できず、目を白黒させるしかなかった。
「な、何? いったいどういう……」
「では、改めて紹介しよう、ジャスティン。お前の婚約者―――カイン・ミッシェル・ド・ファブリス君だ」
「へ……?」
アルジェント伯から突然肩を叩かれ、夢から覚めたようにカインが目を瞬かせた。
「え、えぇ……?」
「はっはっは。驚いたかね、カイン君。いや、普通に話すだけでは面白くないと思ってね。ウィーズ君にも協力してもらって、一芝居うつことにしたのだよ。実は、君のお父上であるファブリス侯爵とも、以前から話はついていたのだが、何分、ジャスティンが結婚は嫌だ嫌だと散々駄々をこねるもので、なかなか君にも話す機会がなくてね」
「まったく、ファブリス侯もアルジェント伯も人が悪いよな。二人して、俺たちが奔走してるのを見て笑ってたんだぜ」
ウィーズが腕組をして、伯爵をじとりと見やる。
「まあ、そう言うな、ウィーズ君。こちらとしても、どうやってこのめでたい話を二人に伝えようかと、散々迷っていたのだ。それに、親ばかりが盛り上がって、肝心の当人たちの意見はまるで確認していなかったから、正直不安ではあったのだが。しかし、今日、今この場にて、私は確信を得たぞ。男の姿をとってまで、見知らぬ男との結婚を拒むジャスティンと、その逃亡劇に健気に協力し、力を尽くすカイン君。かけ落ち同然のこの二人の行いを、愛としなければなんとする。いや、私は嬉しい。実に嬉しいぞ。お前たち二人の仲むつまじさは、両家に新たなる繁栄をもたらすことになろう」
「……だ、そうだ。良かったな、カイン?」
ウィーズはそう言うと、放心状態のカインの肩をぽんと叩いた。
当のカインは、口を開けたまま、いまだ焦点の定まらない眼で明後日の方向を見つめていた。
「あ……は……え……?」
「しっかりしろよ、ファブリスの次男坊。お前がジャスティンと結婚するんだよ。お前らは、これから夫婦になるんだぞ」
ウィーズにそう言われ、カインの目に少しずつ光が宿っていった。伯爵にされた話は、何一つ現実感が湧かなかったが、友人から言われたことで、初めてカインは自分が置かれた状況を把握したのだ。すると、途端に涙がこみ上げてきて、自分でも驚いた。抑えるのに必死で、ジャスティンの顔すらまともに見ることが出来なかった。
「あ、え、僕……僕が……? 本当に……?」
「そうだよ、お前だよ。まったく、何にも知らないでジャスティンと逃げ回りやがって。こっちは探すのにえらい苦労したんだぞ」
そう言うウィーズではあったが、彼も内心では友人二人のこの話に素直に喜んでいる様子だった。そして、伯爵もまた、カインのこの反応に、満足げに笑っていた。
「まあ、つまりはそういうことだ。……そんなわけで、これからうちに帰って祝賀会をやるぞ。言っておくが、まだまだお前たちを二人っきりにさせてやるつもりはないからな。ウィーズ君も、仕事があがり次第、今日はうちに来るといい。派手に祝おうではないか。また後日、婚約発表のパーティーも盛大に開催する予定だから、楽しみにしておけよ、お前たち」
ずいぶんと伯爵は張り切っている様子だった。そんな中で、一人、その状況に異を唱える人物がいた。
「お待ちください」
すっかり祝いのムードに包まれていた礼拝堂の中で、突然、ジャスティンが声をあげたのだ。
「どうした、ジャスティン」
「父上。今の話、申し訳ないが、なかったことにしていただきたい」
伯爵の顔色がさっと変わった。加えて、ウィーズとカインも一瞬にして黙りこみ、ジャスティンを見た。周囲の空気が一変した中、ジャスティンだけが変わらずに、真っ直ぐな瞳をしたままだった。
「どういうことだ、ジャスティン」
アルジェント伯は鋭い眼光を娘に向けた。
「言葉のままの意味です。私は、カインとは結婚できない」
「!」
その言葉に、カインは目を見開いた。ウィーズがジャスティンに何か言おうとして、しかし、伯爵がそれを制した。
「ジャスティン。お前……カイン君が好きだから、だから、わざわざ男になってまで、彼と一緒に逃げたのではなかったのか?」
「カインのことは、もちろん好きです」
ジャスティンは真剣な瞳でそう言った。
「カインのことは、昔からずっと大切に想ってきた。そして、これからもずっと変わらない。いつまでも大切な存在だ。大切な友だ。だから、カインに非はない、何一つ。これは、私ひとりのただの我がままなのです。どうか、許していただきたい」
「それで済むと思うのか」
アルジェント伯が怒りの声をあげる。
「ジャスティン、お前、わかっているのか? この縁談は、両家にとっても、無論お前たちにとっても、これ以上ないくらいに良い話なのだぞ。それに……これは、両家の関係を抜きにした、お前の父親としての私個人の見解だ。カイン君以上に、お前を大切にしてくれそうな男など、私は知らん。想像もつかぬし、それが実際この世におるとも思えん。これほどに良いめぐり会いを、お前は無かったことにするというのか。なんなのだ、お前は。いったい何を考えて……。お前は、お前はどこか、よその世界の男とでも結婚するつもりなのか。それとも、一生結婚しないのか。どうなのだ、ジャスティン!」
「それは……。そうは言っていません」
「では、なにゆえに!」
憤慨するアルジェント伯とは裏腹に、ジャスティンは、普段の彼女からは想像もつかないくらいに、申し訳なさそうにうつむいていた。ただ、彼女の瞳は、何故だかひどく弱々しげに揺れているようにカインには見えた。
「カイン、つまらぬことにつき合わせて悪かったな。本当に、申し訳なかった……」
消え入りそうな声だった。