貴族の縁談①
不可侵の樹海と呼ばれる巨大な森を抜けると、そこには岬がある。およそ自殺志願者しか出向かないような辺ぴな場所に、好んで住まう変わり者。大魔導師ドラクロワとは、世間ではそういう認識をされている。そして、その認識は残念なことにそう外れているわけではなかった。ゆえに、この地に来客などそうそうありえないものだったのだが、先日、その大魔導師は偶然にも旧友(友と呼べるかどうかの裁定はさておき)との再会を果たした。それからというもの、その概念は少々崩れつつあった。人好きな弟子は訪問客に喜んでいたが、当の大魔導師本人は、不機嫌な顔立ちにより一層深みを増していった。
「こんにちは~」
聞き覚えのある声がノックとともに響き、古い木戸が開かれた。
「お邪魔します。やあ、ペソ、久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
「……今日はお前か」
ドラクロワにお前と呼ばれた人物―――カインは、うっとおしげにあしらわれてもなお、持ち前の無邪気な笑みを携えたままだった。相手の不機嫌さをものともしない、むしろそれに気づいていないことこそ、彼の強みと言えるのかもしれなかった。
「今日は……って、いつも他に誰か常連さんでもいるの?」
「ああ、お前の良く知る連中がな。最近は男のほうもしつこくてかなわん。いい加減、迷惑なのでお前からもひとこと言ってほしい」
「へぇ。ジャスティンは知ってたけど、ウィーズまでここに来てるなんて、ちょっと意外だな。あいつ、何しに来てるの?」
「知るか。こっちが聞きたい」
ドラクロワがふん、と鼻を鳴らすと、カインはその様子にクスクスと笑った。
「以前、君は住処を変えると言っていたのに、結局ここに留まっている。だから二人とも遊びに来るんだよ。引っ越ししないのは、実のところ、君も彼らに会いたいからなんでしょう?」
「だ、誰が。勘違いも甚だしい」
「師匠が住処を変えなかったのは、大師匠様の墓がこの地にあるからだよ」
そう答えたのは、窓拭きをしている最中のジュニアだった。彼は話を続けた。
「住む場所は、変えようと思えばいくらでも変えられるけどね。でも、大師匠様の魂をお慰め出来るのは、やっぱりこの地しかないって、師匠が言うから……」
「余計な口をきくな、ジュニア」
「はーい」
反省の色のない返事をしつつ、少年は再び窓拭きに戻った。それから、ドラクロワはカインに視線を移し、こう述べた。
「……で、お前は、何の用があってわざわざ樹海を抜けてここまで来た? お前はあいつらとは違うからな。冷やかしではなく、何か目的があるのだろう?」
「あはは。ジャスティンもウィーズも、冷やかしでわざわざここまで来てるわけじゃないだろうよ。ただ、君に会いたいからさ。もちろん僕も……とは、残念ながら、今日は言える立場ではないんだけどね。お察しのとおり」
そう言うと、カインは真剣な顔でドラクロワを見た。
「ペソ、君に頼みがある」
「頼み……?」
「うん。あのね、実は今日、さる貴族の縁談があるのだけど、それをどうにか、君の力で破談に出来ないだろうか、と思って」
カインの眼が、それがかなり切実な願いであることを物語っていた。
「縁談を……破談に?」
「うん。方法は、とにかくなんでもいいんだ。相手方に圧力をかけて諦めさせたり、裏から手をまわしたり。ただ、君が以前に起こした、王女誘拐事件のように、あまり派手なものにされすぎても困るのだけど」
「その貴族の縁談とは、ひょっとして……」
「失礼! 邪魔をするぞ!」
そう声がして、再び小屋の戸が勢いよく開け放たれた。訪ねてきた人物を見て、カインは目を丸くする。
「ジ、ジャスティン!」
「おお、カインも来ていたのか。ちょうどいい。ペゾ、いやドラクロワ。お前に、火急に頼みたいことがある!」
血相を変えて飛びこんできたかと思えば、ジャスティンは有無を言わさず一気にまくしたてた。
「私を男にしてくれないか?」
「……は?」
「な、何を言ってるんだい? ジャス……」
「頼む! このとおりだ!」
ぱんっ、とジャスティンはドラクロワに手を合わせて頭を下げた。
「私は、見ず知らずの男となんて、結婚したくはないのだ!」
「……」
ドラクロワは、しばらくの沈黙ののち、小さくため息を吐いて呟いた。
「どうやら、お前たち二人の頼み事とは、はからずも同じもののようだな……?」
*
ジャスティンとカイン、二人の話を要約すると、こうだった。ジャスティンは、王室騎士を過去に何名も排出してきたという、由緒正しいアルジェント伯爵家の一人娘であるらしい。以前から、次期伯爵となるべく、近いうちに身を固めよ、と彼女の父である現アルジェント伯に提言されていたのだが、王女護衛騎士の任務が忙しい、などと適当に言い逃れては、いつも縁談をことごとく断っていたという。しかし、先日護衛騎士の任を解かれ、田舎町の一警備兵に降格されてからというもの、伯爵の娘への圧力も次第に猛威を振るうようになり、けれどもそれに素直に従うジャスティンでもなく、結果、ついには親子で決闘騒動にまで発展した。そして、哀れジャスティンは父との決闘に惨敗したが、それでもなお結婚は断じて嫌だと言い張り、最後には思い余って伯爵邸から逃げてきたというのだった。
ドラクロワはこの話を聞き、心底迷惑そうな顔をした。
「……だから何だ」
「私の父は非道だとは思わんか? こんなに娘が嫌がっているというのに、力に物を言わせて言うことを聞かせようとしているのだ」
そこにカインが口をはさむ。
「まあ、伯爵の言い分もわからないでもないけど。でも、無理やり結婚させようとするのは、やっぱり良くないと思うよ。僕も、それには断固反対だ」
「そうだろう? ああ、やはりカインならそう言ってくれると思っていた」
ジャスティンに笑顔を向けられ、顔を真っ赤にするカイン。それを見て、ドラクロワはまたうんざりとした。
「……ならば、お前たちで勝手に、その分からず屋の伯爵をどうにかすればいいだけの話だろう。何故、無関係の私を巻き込む?」
「そんなの、お前が一番頼りになりそうだからに決まっているだろう」
ジャスティンのごく自然に出た言葉が、思いのほかドラクロワには不意打ちだったようで、彼はしばらくうつむいて何も言わなかった。ジュニアだけが、師のその様子を見て、一人にやにやとしていた。
「そ、そんな風におだてても、私は貴様らに手を貸す気はないぞ。だいたい、貴様らに手を貸したところで、いったい私に何のメリットがある? それに、どちらかといえば、私は伯爵のほうを支援してやりたいくらいだ。お前が結婚して伯爵邸に留まれば、この岬もいくらか静かになるというもの。やっかい払いが出来て、一石二鳥だ」
「冷たい奴だな、お前は。たしかに、お前に直接的な益は何もないかもしれんが……。わかった。では、こうしよう。私を男にしてくれたら、お前の望みをひとつ、何でも聞き入れてやる」
「何……?」
ドラクロワの表情が少しだけ変化したのを、ジャスティンは見逃さなかった。
「どうだ? 悪い話ではないだろう?」
「あ、はいはい。じゃあ、俺がその役割引き受けたい」
そう申し出たのはジュニアだった。
「師匠でなくても、俺も変性の術、使えるよ。ジャスティンさんのその頼み聞いたら、後で何でも言うこと聞いてくれるんだよね?」
「ああ、別にお前でもいいぞ、ジュニア」
「本当? じゃあ、何してもらおうかなぁ?」
ジュニアが何やら、子供らしからぬ含み笑いをして見せた。すると、それを制すように、ドラクロワが突然声をあげた。
「待て。……わかった。いいだろう、ジャスティン。貴様の望み、私が聞き入れてやる」
「ほ、本当か?」
「ああ」
「……ちぇー」
ジュニアは面白くなさそうに、後頭部で後ろ手を組み、壁にもたれかかった。ドラクロワはその抗議の声を無視し、改めてジャスティンの方を見た。
「不本意だが、今回はお前の悪あがきに付き合ってやる」
「ありがたい。恩にきるよ」
「ふん。嬉しがっていられるのも今のうちだ。代償は高いぞ」
「構わない」
ジャスティンは言って、満面の笑みを浮かべた。ドラクロワはわざと彼女を見ないように目線を反らし、それから疑問に思っていることをひとつ口にする。
「しかし、何故男になりたがる? 縁談を破談にするだけなら、他にいくらでも方法があるようなものだが」
「そうだな。そうなのだが……。実は、私の婿養子候補にあげられている者たちが、一人の例外もなく貴族連中ばかりでな。下手に恨みを買うと、後々厄介なのだ。だから、出来れば向こうのほうから断ってもらうのが一番いい。そこで私が男になるのだ。そうすることで、私がそのような偏った趣向の持ち主だと思われれば、何もせずとも向こうから退いてくれるだろう。噂が噂を呼んで、しばらくは誰も寄ってこなくなるだろうし、これで万事解決というわけだ」
「……同時に、お前とお前の家の評判も下がるだろうがな」
「私のことなら問題ない。それに、アルジェント家の心配をしてくれているのなら、それこそ無用というもの。アルジェントが積み上げてきた歴史は、私が生きてきたよりもずっと長いのだ。私ひとりが少しばかり曰くつきであったとしても、その程度で揺らぐ威信ではないよ」
ジャスティンはそう言って、妙に自信たっぷりに胸を張った。
「とにかく、婿養子候補どもから、私と結婚するという気持ちを削げればいいのだ。何、どうせ私ではなく、アルジェントの家名が欲しいだけの連中ばかり。私に偏屈な性癖があると知れば、すぐにでも尻尾をまいて逃げ帰るだろうさ。簡単なことだ」
「なるほど、わかった。……では、さっそく始めるが、良いか?」
「ああ。頼む」
ジャスティンは真っ直ぐにドラクロワを見た。そんな彼女の肩に、ドラクロワは両手を添える。二人は互いに向き合う格好となった。
「あの、始めるって、何を?」
状況の飲み込めないカインが、間の抜けた声で尋ねた。
「あれ? なんだ、知らない? お兄さんだって、この前見たでしょ? 変性の術のかけ方」
ジュニアがからかうように言った。
「もう一度説明しようか? 性別は、魂と強く結び付いているものであり、それに干渉するには、魂の性質を変える必要がある。魂の出入り口は口であり、よって、魔力を送り込むのはマウストゥーマウスが一番効率的であるとされてい……」
「ああああっ!」
カインはジュニアの言葉でようやくこの場の状況を理解し、途端に慌てふためいた。
「だ、ダメ! それダメ! 断じてダメっ!」
「何故?」
ジャスティンが首を傾げる。
「何故って、ジャスティン! そんなの僕の口から言えっていうの? ダメだよ、言えない。でも言わなきゃ君は納得しないんだろうね。でも、言わないから!」
「意味がわからん」
「わからなくてもいいよ。でも、とにかくやめるんだ。ほら、ペソもジャスティンから離れて。……まったく、君たち魔導師の見解は、時折本当に理解に苦しむ。世間での非常識が、君たちの間では常識として普通にまかり通ってるんだから。まだこんな小さな子もいるのに、教育上良くないことだらけじゃないか」
「俺のこと言ってるんなら、それこそ心配無用だよ。こう見えても、実は三百年は生きてるから」
ジュニアがけろっとそう言った。
「え、えぇっ、本当に?」
「嘘に決まってるじゃん」
少年がキヒヒ、と笑う。もしもウィーズなら、この場で確実に怒り狂うだろうが、そうはならないのが、カインとウィーズ、二人の大きな違いだった。
「な、なんだ……。驚かさないでくれよ。とにかくその方法はダメ。他にやり方、ないの?」
「ある」
実にあっさりとドラクロワが答えた。
「じゃあ、始めからそうしてよ! 心配して損したじゃないか」
「口からの魔力の受け渡しが一番効率がいいのは確かだ。……が、単に効率がいいというだけの話で、無論他にも方法はある。術者が被術者に手をかざすだけでも、魔力を与えることは可能だ。ただしその場合、与えられる効能は半減―――いや、それ以下になるかもしれんぞ」
「まあ、この場合やむを得ないよ」
「私は、別に口からでも構わんのだが……」
「ジャスティンは黙ってて」
普段は穏やかなカインだが、このときばかりはそういうわけにもいかないようだった。カインの珍しい憤りぶりに少々驚きつつも、ジャスティンはドラクロワのほうを見て、何故か意地悪げに笑っていた。
「……だ、そうだ。良かったな、大魔導師殿。これで、また前みたいに、嘔吐せずに済むじゃないか」
「ああ、そういえばそうだな。実は、内心ものすごく不安だったのだ」
「……口の減らないやつめ」
そこでジャスティンが機嫌を損ねたのは、言うまでもないことだった。