表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外道大魔導師ドラクロワ  作者: ゴリエ
第一章 王女誘拐
1/51

王女誘拐①

 退屈だ。この退屈から抜け出したい。きっかけはそんな些細なことにすぎなかった。人の欲というものは際限を知らない。それはドラクロワにおいても例外ではなかったし、今に始まったことでもない。まず最初に、人里離れた場所で暮らしたいという、人間嫌いな彼らしい願望が生まれた。だから、うっそうと茂る巨大な森を通らなければたどり着けないような丘の突端に住居を移したし、住んでいるのも彼ひとりだけだ。

 この王国で、「大魔導師ドラクロワ」の名を知らぬ者はない。彼は、大抵の人々が望むものを難なく手にすることが出来るほどの強大な魔力の持ち主だった。

彼がこの世で唯一恐れるもの。それは己の「欲望」のみだった。



         *



 王女が誘拐されたという話が民衆に広まるのに、それほど時間はかからなかった。清楚で可憐な美少女と噂に名高いレイナ王女が、何者かにかどわかされたという事実はあまりに悲劇性が強く、人々の動揺ははかり知れなかった。しかも王女は十六歳の誕生日当日に婚儀を控えた身だ。婚姻前の乙女を穢すような愚行を働く者に、慈悲が与えられることはない。

 王国が発表した犯人の処罰は、当然のごとく極刑。犯人が捕まり次第、早急に執り行われるという。犯人には法外な額の懸賞金がかけられ、国民総出の大事件となった。

 ところが、王国側の懸念をよそに、犯人はあっさりと自ら名乗りを上げた。それも当然のこと、犯人は渦中の人物になりたいがために、この反抗に及んだのだ。

「犯人に告ぐ。お前は完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめておとなしく投降しなさい。今ならまだ間に合う」

 王国兵を多勢に率いてその先頭に立つ、将軍と思しき人物が大声を張り上げた。彼も他の兵たちも、みな一斉に空を見上げている。王女誘拐犯の男が、彼らの手の届かない上空にふわふわと浮かんでいるからだ。

「完全に包囲、だと? 私はこの上空に優雅にたたずみ、お前たち地を這う生き物がどうあがいても手の届かない場所にいる。おまけに私の真下は海だ。この状況で私を掌握したつもりでいるのなら、貴様はもう一度兵法を学びなおすべきだな」

「ぬかせ」

 初老の将軍は、顔を真っ赤にして怒鳴った。彼も決して無能なわけではなかったが、幾分相手が悪すぎたのだ。誘拐犯はのうのうと続けた。

「それに、『今ならまだ間に合う』とはどういう意味を込めての言葉だ? 私の刑罰はすでに極刑と定められている。命を取り上げられる者から、それ以上に一体何を取り上げるつもりなのだ、国王は」

「おのれ、陛下を愚弄するか!」

 兵の中の一人がいきり立った。それを期に、彼らの殺気が一気に海上の人物に集中する。兵たちが弓を構えはじめた。

「ま、待て。奴のそばには王女殿下がおわすことを忘れたのか」

 将軍の一声で兵たちははっとなり、つがえた矢を下ろす。将軍の言葉どおり、嘲笑する男の傍らには、同じく海上に浮遊するレイナ王女本人が不安そうに地上を見つめる姿があった。王女には生来から魔力は備わっておらず、彼女が身を宙に浮かせているのも、おそらくはこの誘拐犯の仕業だった。彼は、自分の隣に王女を居座らせておき、完璧に安全を確保した上で、地上から見守ることしかできない兵たちを嘲笑っているのだ。将軍が唇をかんだ。

「この、外道が!」

「外道……外道か。いいな。よし。今日から私は外道と名乗ることにしよう。外道大魔導師ドラクロワ。うむ。悪くない響きだ」

 宙に浮かぶ男―――ドラクロワは、満足げに微笑んだ。もっとも、彼は全身を包む真っ黒いローブに連なるフードを目深にかぶっており、その表情を見て取るのは困難なことではあったが。

「さて。私に相応しい通り名も得たところで、この名をより世間に広めるのに何かいいアイデアはないものだろうか」

 ドラクロワは誰に話しかけるわけでもなく問いかけた。

「まずは手始めに……そうだな。王女殿下にご協力願おうか」

 ふいにドラクロワの視線が自分に向けられ、王女は彼の隣で身を硬くした。

「たしか、殿下はご結婚前の身の上であらせられましたね。婚姻前の王族の女性は、男性に触れられてはならぬと、たしかそのような戒律があったはず」

 ドラクロワは口の端を吊り上げた。

「その清らかな身体にはまだ触れていなかったな。兵たちは軟弱すぎて話にならないし、この鬼ごっこもいまいち盛り上がりに欠ける。ここは王女殿下に遊んでいただくほうが面白そうだ」

 そう言って、ドラクロワの魔の手が王女に伸びかかったとき。

「やめろ!」

 大勢の兵の中を掻き分けて、一人先頭に進み出る者がいた。女性だった。銀の甲冑に身を包み、腰にはその華奢な身体に不釣合いな大剣を提げている。

「ジャスティン殿」

 将軍は彼女のことをそう呼んだ。

「ベリアス将軍、出しゃばって申し訳ない。だが、もうただ見ているだけなんて耐えられないのだ」

 彼女は悲痛にまくしたてる。

「あの御方をお守りできなかったのは私の過失だ。王女護衛騎士の責を私は果たさなければならない」

「しかし、ジャスティン殿。いくら貴公でも、あの魔導師に太刀打ちできるかどうか……」

「私はどうなってもいい」

 ジャスティンは宙に浮かぶ男に叫んだ。

「魔導師ドラクロワとやら。頼む、王女殿下をお返し願いたい。その御方はこの国に必要なんだ。大切な御方だ。お願いだ、返してほしい」

 ドラクロワは黙ってジャスティンを見下げた。今まで喧騒としていた場が、彼女のよく通る声以外はしんと静まりかえっていた。

「殿下を解放してくれるのなら何でもする。私の命と引き換えにでも構わない」

「ほう」

 ドラクロワはフードの奥の瞳を細める。

「これは勇ましい女騎士さまだ。いいだろう。その勇敢さに免じて、一つチャンスを与えてやってもいい」

「ほ、本当か」

「ああ。たしかジャスティンと言ったな。ここで今すぐに裸になれ」

 ドラクロワの言葉に辺りがざわついた。

「聴こえなかったのか? 着ているものを全て脱ぎ捨てろ。そして、地に額を擦り付け、もう一度私に乞い願え。王女を返してほしいと。私も人の子だ。情けの一つも持ち合わせがないことはない。言うとおりにすれば、貴様の望みも聞き入れてやろう」

「な、なんという下劣な!」

 将軍をはじめとする周囲の人間は、ドラクロワのあまりに人を侮辱した要求に腹を立てた。予想どおりの反応が返ってきたことにドラクロワはほくそ笑む。案の定、女騎士はその場で黙り込んでしまった。それも当然のこと、女性が簡単に即決できるような条件ではない。きっと彼女の頭の中では、今ごろ壮絶な葛藤が繰り広げられていることだろう。ドラクロワはそう信じていた。が、実際は少し異なっていた。

「そんなことでいいのか」

「何?」

「そんな簡単なことで王女殿下を返していただけるというのか。ありがたい。貴殿の申し入れ、たしかに承諾した。しばし待たれよ」

 言うが早いか、ジャスティンは器用に鎧の止め金具をはずしはじめた。ドラクロワのそばで王女が何か叫んでいたが、ドラクロワにはその声も遠く感じられた。この騒ぎの中で一番冷静だったのは、誰でもなくジャスティン自身だった。

「ジャスティン、やめろ。こんなこと正気じゃないよ」

 そう言ったのは、ジャスティンの傍らにいた一人の青年騎士だった。

「カイン。私は正気だ」

「とにかく、君が何と言おうとだめだよ。第一、本当に奴の言葉を信じられるのかい。要求を呑んだからって、殿下を解放してもらえるという確証はどこにもないんだ」

 いくらか幼さの残る頼りなげな風貌の騎士だったが、彼なりにジャスティンを心配しているようだった。

「確証なら、あるさ」

 彼女のくっきりとした大きな瞳の上の濃い眉が、やけに自身たっぷりにつり上がった。子供が冒険を目前にしてわくわくしているような、そんな表情だ。

「こんな大それたことをしでかす、しかもこの世に二人といない強大な魔力の持ち主である大魔導師殿が、嘘などつくはずがない。つく必要もない。嘘をついて生きるのは弱い人間だけだよ」

「また、そんな。勝手に自己流の理論を正当化して」

 青年騎士は呆れ果てていたが、ジャスティンの瞳に迷いはなく、宙に浮かぶ男をまっすぐに射抜いていた。

「そうだろう。ドラクロワとやら」

 今度はドラクロワが返答を渋る番だった。ジャスティンの行動、言動には一抹の迷いもにじみ出ていない。それがドラクロワにとっては妙に不可解だった。予想外の出来事に対応できぬ苛立ちが、ふいに彼に隙を作る。

 電磁波の粒子が集まって構成された光の矢のようなものが、見事にドラクロワの顔面に直撃した。他者からの攻撃がかわせないなど、ドラクロワにとってはあらぬ失態だった。それでも、肌に一切の傷を負わなかったのは、彼だからこそ出来た瞬時の反応のおかげだった。

「ウィーズ! なぜ彼を攻撃した!」

「そうだよ、王女殿下が人質に取られてるっていうのに」

 ジャスティンと青年騎士の両方が、傍らの魔導師に声を荒げた。

「いや、だって隙だらけだったからさ。思わず。それに、堂々と愉快犯やってるんだから、せめて顔くらい見せろよっていうのが国民の総意だと俺は思うね」

 まったく悪気のない淡々としたもの言いだった。そして、このウィーズと呼ばれた男の魔導師の思惑どおり、ドラクロワの素顔を覆い隠すものは何もなくなったのだ。目深にかぶっていた黒いフードは焼け焦げてちりぢりになり、その裂けた布の残骸は落ちて海の底に沈んでいった。

 ここで初めて、闇のような黒い髪と瞳が人々の目前に晒された。観衆は、彼が予想外にも非常に若い外見をしていたことにひたすら驚いた。通常の魔導師が長年修行を積んでもなお得られないような強大な魔力と豊富な知識を持っていながら、二十代前半ほどにしか満たない姿をした、自称外道大魔導師は、自らの素顔を不特定多数の好奇の目に晒されることをよしとしなかった。もちろん、表情はとびきり不機嫌だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ