表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

青空先生

作者: 守山みかん

私は、高校時代の恩師である、青空先生の家を訪れた。

先生に就職先を斡旋していただき、めでたく採用されたので、そのお礼に伺ったのだ。

先生は、「むっしっし」という快活な笑いで、私を迎えてくれた。

私は会釈をした後、靴を脱ぎ、柔らかそうな玄関マットの上に足を乗せる。

その途端、冷ややかな感触が足の裏全体に広がっていくのを感じる。

見ると、靴下がビッショリと濡れている。


「どうしたのかね」

と、先生が訊ねる。


「靴下が濡れてしまいました。玄関マットが湿っていたようで」

と、私が答えると、先生は天を仰ぐ。


「昨夜は土砂降りだったからなぁ。台風も近付いとるとかいっておるし。むっしっし」

先生にならって、私も空を仰ぐ。

起伏のある白い雲が一杯に広がっている。


「この家から仰ぐ空は、いつ見ても壮観ですね」

と、私が誉めると、先生は豪快に笑い飛ばす。


「昔、テレビのCMであったな。大物を育てるには天井を高くしろとな。その点、わしの家は優れモノじゃな。むっしっし。ささ、キミ、あがりたまえ。ささやかじゃがな、キミの就職祝いをしてあげようとな、家内が腕を振るっておるのじゃよ。むっしっし」


先生は、客間に案内してくれた。

既に、お膳が並べられていて、彩り豊かな料理が盛り付けされている。

私は、先生に勧められるままに、上座に腰を落ち着ける。

先生の奥さんがエプロン姿で現れ、会釈をする。

私も頭を下げる。


「お世話になります」

「ごゆっくり、どうぞ」

奥さんは優美な笑顔を残し、音もなく台所へ消えていく。


「ささ、一杯どうかね。むっしっし」

「ありがとうございます」


先生のお酌を受け、一気に飲み干す。

熱気が喉の奥から鼻の孔へ抜けようとする中、鼻の頭にチョンと冷たいものを感じる。


「雨かな?」

私は、雨粒を受け止めるように、手のひらを広げる。

空は、いつのまにか濃い灰色の雲で覆われている。

先生が手酌で酒を注ごうとしていたので、私は徳利を持ち、お酌をしてあげる。


「ありがと。ありがと。むっしっし」

先生は、嬉しそうに赤ら顔を綻ばせる。

既に、手酌で何杯か吸収したというような赤色だった。


「なぁ、キミ、私の家も最近はめっきり来客が減ってな」

と、先生が愚痴り始める。


「私の家はな、どうも落ち着かんというのじゃ。もしやキミもそう思っとるのではないのかね?」


「滅相もない」

と、私は首を横に振る。

「ここは何といっても空気がうまいですよ」


私が深呼吸をしてみせると、たちまち先生の機嫌が良くなっていく。


「空気の入れ換えがうまくいっておるからな。むっしっし。空調設備には、そんじゃそこらの屋根を取り付けるよりも、金がかかっておるぞ。むっしっし」


次第に雨粒が大きくなり、お膳の食器がリズミカルな音を立て始める。


「降りが激しくなってきおったな。でも、ご飯を食うのに心配はいらんぞ」


「どうしてですか?」

と、私は訊ねる。


「硬めに炊いておいたんじゃ。お茶漬けの素をかければ、ほれ、お茶漬けのできあがりじゃ。ちと、冷たいがね。むっしっし」


見る見るうちに、ご飯茶碗の中に水が溜まっていく。


雨足は、さらに激しくなり、辺りは轟音に包まれ、先生の声が聞き取れなくなってしまった。

先生は、押入の中から拡声器を二つ出し、一つを私に手渡してくれた。


「うむ、まだこれぐらいなら大丈夫じゃ。むっしっし」

先生の声が、拡声器を通して聞こえる。

先生の髪は、額の辺りでグチャグチャになって、雨の力で抜けてしまいそうな感じだ。

畳の表面が雨水で覆われて見えなくなってきた。


「部屋の排水は大丈夫なんですか?」

私は、拡声器を使っての会話に戸惑いつつ、先生に訊ねる。


「むっしっし。いざという時のためにな、救命具を用意してあるのじゃ」

先生は、ライフジャケットと、スキューバダイビングに使う酸素ボンベを、得意げに押入から出して見せる。


「これを使ったことって、今までにあったんですか?」

「二回ほどあったよ。室戸台風の時は、さすがに死ぬかと思ったぞ。むっしっし」

「あなた、料理ができましたよ」


台所から、ずぶ濡れになった奥さんが、お鍋を持って現れる。


「ささ、家内自慢の料理ができたところで、もう一度飲み直そうじゃないか。ささ、くつろぎたまえ。むっしっし」


(了)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ