第Ⅱ章 王都騒乱 第Ⅰ話 『友達』
光暦3650年8月3日
朝
ルーディアス王国南西部・レノア地方
王都レードセリス・レードセリス城
第2中庭・鈴蘭の庭
side 近衛慎也
「私の勝ち、ですね」
セティアの宣言と共に、俺は木剣を宙に放り投げた。
「もう少し手加減して欲しかった。セティア、お前強すぎだから」
「手加減はこれで精一杯ですよ。これ以上手加減すれば訓練になりません」
それなりに長い打ち合いだったにも関わらずセティアは汗一つ浮かべていない。
セティアとの剣術訓練が始まって2週間が経とうとしていた。
俺が『世話係』の真の意味に気付いた翌日、国王に呼ばれ『世話係ならばもしもの時王女を守れなければならん』とか言われて王国軍の訓練場に連行されたのだ。
むさ苦しい兵士たちに木剣で殴りまくられ、痣だらけになった俺は3日と経たずにセティアに泣きつく羽目になった。
セティアさんはそれはもうとてもいい提案をしてくれました。
『それなら、朝は私と剣の稽古をしましょうか?』
無論、最初は大喜びしましたよ。
『どうせ、訓練にもならない易しい訓練だろう』なんて。
セティアの華奢な容姿から全てを判断したのが間違いでした。
確かに、痣は減りました。
その代わりに……
「やっぱり、毎日言っている通り慎也さんには体力が絶対的に足りていません……とりあえず庭を50周ほど走りましょうか。その後は素振りですね」
重篤な筋肉痛に悩まされることになったのです。
毎日2回行われる模擬戦に勝てばその日の訓練は終了、負ければ罰則と提案された。
で、やっぱり最初は『あんな線が細くてひ弱なセティアに勝てないわけがない』と侮ってそれを快諾したわけなのだが、今先程の通りセティアは滅法強かった。
正直、俺が剣術学んでなんか意味あるの? と疑うレベルだ。
地球でフェンシングとかやってたなら確実にオリンピックで金メダルを取るだろう。
あそこまで強ければ相当筋肉はついているはずなのだが、セティアにそのような気配は微塵も無い。
魔術的な強化でも行っているのだろうか。
だがそれなら俺にもその魔術を掛けてくれても良いはずだし……まさか、国王は俺が筋肉痛と青痣に苦しむのを見るのが楽しみで、わざと強化についての話をしていないのか?
「慎也さん?」
セティアに訝しげな視線を送られ、俺は慌てて頷き立ち上がった。
「分かってる」
ただ、セティアの凄いところは、勝者である自分も俺と一緒に走ることだ。
もしかすると、セティアにとってはいつものトレーニングと一緒で、勝敗なんて関係無いのかもしれないが……相当の努力をしてきている事は明白だった。
俺は木剣をテーブルに立てかけ、手招きするセティアの後を追った。
中庭50周というのはメートル法に換算すればだいたい20キロメートルほどになるだろう。
20キロというと車を使うような距離で、ハーフマラソンの距離に近い。
それを毎日走っているのだから、俺の体力も大分と高くなってきているのではないかと思うのだが、セティアにとっては不足らしい。
「今日は、素振りが、終わったら、少し外に、出ましょう、か」
並走するセティアが途切れ途切れの声で告げる。
セティアの言う外、とは建物の外ではなく城の外、ということだ。
さらわれでもしたら大変だということで外出の際には必ず親衛隊が付き添うのだが、唯一それが必要ない『外』が存在する。
この城はレノア湖に浮かぶ島に建造されていて、城の裏手には少しだけ外側に城壁がなく、湖に面した部分がある。
そこは親衛隊の詰所のすぐ近くで、かつ見通しが良いため唯一親衛隊を伴わずに出歩ける場所なのだ。
彼女はそこに行こうと言っているのだろう。
「分かっ……た」
……俺は少しだけ、走るペースを速めた。
250回の素振りを終え、俺とセティアは一度城内に戻り、汗まみれになった服を着替えた。
日本と気候は少し違うといえ、今は夏。
昼に近づくにつれ気温はぐんぐんと上がっていく。
蝉の鳴き声がないためか若干暑苦しさは軽減されるが、同時に一抹の寂しさも覚えてしまう。
本当に、異世界にいるんだと。
王女と他愛もない話をしながら廊下を歩く俺を城の人はどう見ているのだろう。
身元も分からない怪しい異界人と見られているのだろうか。
個人的には、そう思われても仕方ないと思う。
というよりこれまでの過程が異常なのだ。
「慎也さん? 今日の慎也さん、なんかずっとぼーっとしてますよ」
セティアの呼びかけでやっと俺は歩みを止めていたことに気付き、もう一度足を踏み出した。
確かに、今日の俺は注意力散漫だ。
最近は考え込むことも少なくなってきたと思っていたのだが、どうやらまたぶり返してしまったらしい。
城の地下道を通って俺たちは外に出た。
眩しい陽光に照らされ、思わず目を細めてしまう。
「今日は一段と日射しが強いですね……」
セティアは地下道から外へ駆け出し、水辺の芝生に腰を下ろした。
「慎也さんも、こっちですよー」
セティアの呼びかけに手で応じ、俺も水辺にある芝生に座り込む。
「空、今日は雲一つありませんね。そういえば、知ってました?」
「何?」
「今日の夕方、空中大陸レアンノがここの上空を通過するんです。最近はずっと北を回っていたので、南に来るのは半年ぶりなんですよ」
空中大陸レアンノ……それは、古マルノリア文明、新マルノリア文明の遺跡で唯一の『生きた』遺産だ。
今も大陸を空に保つ装置が作動し続け、5000メートル近い高空を飛んでいるという。
また、ラスキル聖教誕生の地とも言われ、その宗教的格式は現在のラスキル聖教総本山レスティア法国に存在する聖地セレスティアよりも高い。
俺が知る空中大陸レアンノについての知識は全てルキウスに教えて貰ったものだ。
そういえば、ルキウスは今どうしているだろうか。
もしルキウスに会わなかったならば今の俺の生活は無かっただろうから、それは感謝しなければいけないな。
聖堂騎士団の古代遺物なんとか部長だったから普通に暮らしている限りでは会う機会は無いだろうが、会えたらもう一度礼をしたかった。
……と、また思考の渦に飲み込まれるところだった。
「そうなのか……下から見る空中大陸、ってどんな感じなんだ?」
俺の質問にセティアは苦笑いしながら返答した。
「まあ、土の塊……にしか見えませんね。角度が良ければレアンノの山々を見られると聞いたことがありますが、私は見たことがありません」
「確か、レアンノに足を踏み入れた人間はいないんだっけ?」
「正確には光暦に入ってから、ですね。それ以前はレアンノに住んでいた方々もおられましたし。……3000年以上誰も行っていないのは確かですけど」
そう、レアンノは聖地として崇められているにも関わらず『行く事が不可能』なのだ。
現在の飛空挺技術では高度約2500メートルに上がるのが限界で、ブースターを取り付けた軍用飛空挺でも約3000メートル以上には到達できない。
高度約5000メートルに存在するレアンノには誰も行けないのだ。
だから、レアンノにある都市なども全て聖書に記されたことしか分からない。
「まあ、一度は見てみたいもんだな。今日の夕方までに訓練が終わればいいけど……」
「……私が兵士さんたちに掛け合ってみましょうか? レアンノが見たいという理由なら訓練を早めに切り上げるには十分な材料ですし」
「いや、いいよ。早く強くなって、お前を負かしてやりたいからな」
この頃、セティアとも打ち解けてきて普通の友達のように振る舞えるようになった。
お前、なんて王女に対する言葉としては不適極まりないが、友達として扱って欲しいというセティアの意向もあったし、公式の場ではしっかりと敬語を使っているため特に問題が生じたことはない。
「早く、私より強くなって下さいね」
「はは、そりゃ無理だ」
これまで寂しさを感じずに済んでいたのもセティアの存在が大きかった。
もし孤独な旅をする羽目になっていれば、きっと毎日のように故郷を思って泣いていただろうが、セティアという友人を得たことで寂しさを最低限に抑えることが出来ていたのだ。
そう、俺とセティアは、既に『友達』だった。
この2週間で、俺は男女間の友情が成立すると知った。
どちらも今のところ恋愛感情は抱いていない。
世話係という名の婚約候補者の肩書きはあるが、今はただの友達だ。
いつかこれが恋愛に発展することがあるかもしれないが、それはきっと遙か未来のことだろう。
何故かというと、今はそんなことを考えている場合ではないからだ。
次期国王が候補者に発表される日まで、まもなく1週間を切ろうとしていた。
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