第Ⅴ話 謁見
光暦3650年7月19日
日没後
ルーディアス王国南西部・レノア地方
王都レードセリス・レードセリス城内
目を開いて最初に飛び込んできたのは豪奢な装飾があしらわれたシャンデリアと白い天幕だった。
「あ、目が覚められましたか?」
隣から声が掛けられ、俺は目を擦りながらその方向に顔を向ける。
「ここはレードセリスの王城です。賊に襲撃されるような拙い警備で申し訳ございませんでした。ですがもう安全です。この王城は最大級の警備態勢が整っておりますので」
話しかけてきたのはどうやら王城付の侍従のようで、いわゆるメイド服を着た20代半ばと思しき女性だった。
どうやらいつの間にか保護されて城まで送り届けられていたようだ。
「いえ、命に別状が無かっただけで満足です。……国王陛下との謁見に関してはどうなっているのでしょうか?」
「謁見については準備は出来ております。近衛様が目覚め次第謁見を行うと申しつけられているのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ。よろしくお願いします」
「了解致しました。少々室内でお待ち下さい。後で係の者が案内に参ります」
侍従は深々と一礼して部屋から出て行った。
……特に痛むところもないし、怪我の痕なども見当たらない。
襲撃を仕掛けてきたリアという少女は一体何をしたかったんだろう?
……、……何か、重大な事を忘れているような気がする。
意識が消える直前の会話が全く思い出せない。
彼女は確かに俺に何かをしたはずだ。
しかし、それが思い出せない。
……無理に思い出そうとすると頭の中がこんがらがって余計に思い出しにくくなる。
後でゆっくりと思い出すとしよう。
にしても、本当に豪華な部屋だ。
天蓋付のベッドなど見るとは思っていなかったし、調度品の数々もこの世界の文化を全く知らない俺でさえ高級品だと分かる。
英国王室や日本皇室の生活空間はこんな所なのだろうか?
シャンデリアは蝋燭や電気ではなく魔力によって光を灯しているようで、昨日ルキウスに見せて貰った魔力光に似た光を発している。
俺はベッドから立ち上がり、部屋の端にある小窓へと寄った。
部屋が明るいためかあまり遠くまでは窺えないが、どうやらこの城は湖の畔に建てられているようだ。
その湖には漁火がいくつも焚かれ、今も漁をしていることが分かった。
そうやって窓の外を眺めていると、ドアがノックされた。
「近衛様、謁見の準備が出来ましたのでお迎えに上がりました」
先程の侍従とは違う声だ。
「分かりました。……」
俺は一度自らの姿を見て、このままではまずいことに気がついた。
「……あの、着替えとかはありませんか? この服のまま謁見というのはすこし失礼に当たるような気がするのですが……」
「大丈夫ですよ。謁見の間の前に更衣室が備えられておりますので、そこで着替えて頂ければ」
「分かりました。今出ます」
俺は窓から離れ、部屋の外に出た。
廊下には赤色の絨毯が敷かれ、天井には部屋にあった物より二回りほど大きなシャンデリアが一定の間隔でつり下げられている。
「では、ご案内致します」
侍従は右の方向を手で指し示すと、俺の先を歩き始めた。
幾度か扉をくぐり、黒檀製と思しき大きな扉が鎮座する場所まで案内された。
「この先が謁見の間となっております。更衣室はこちらになります。着替えはバスケットに用意されているものをお使い下さい。簡略式の礼服ですので着られないということは無いと思いますが、もしも着用の方法が分からなければ洗面台の隣に据え付けられておりますボタンを押して下さい。着付けのサポートを行います」
侍従は黒檀扉の隣にある小さな白い扉を手で指した。
俺は頷き、白い扉の中に入った。
確かにかなり略式化された服のようで、高校の制服などとそれほど変わらない手順で着ることが出来た。
しかし、黒の燕尾服なんてファンタジックなこの世界に存在するとは思わなかった。
……略式の正装なんて元の世界では重大な失礼にあたる筈だが、この世界では少し事情が違うのだろか?
更衣室から出ると侍従が黒檀の扉を指して言った。
「では、お入り下さい。近づけば自動で開門致します」
俺は侍従の言葉に従って黒檀の扉に向かって足を踏み出した。
殆ど音も立てずにその大扉は奥に向かって開いていき、部屋の中にある二つの玉座と整然と並ぶ十数人の騎士が目に入った。
俺は一度深呼吸し、謁見の間へと足を進める。
「君が近衛慎也君か?」
玉座まで10mというところでそこに座っていた壮年の男が口を開いた。
「はい」
「昼の件は本当に済まなかった。もう少し警備を厚くしていれば襲撃も受けなかったかも知れない。国王としてお詫びさせてもらう」
突然の謝罪に面食らいながら俺はこう返した。
「い、いえ、私の命に別状は無いのですからどうかお気になさらないで下さい」
「いや、我が国の兵士がしっかりとしていれば防げた事件であることに変わりはないのでな。……とりあえず本題に入らせて貰うが、君がこことは異なる世界から来た、というのは本当なのか?」
思ったよりも早く本題へと行き着いた。
俺は国王の質問に大きく頷く。
「はい。私が元いた世界はこの世界と違って魔法がありませんでしたし……少々嫌味になってしまうかもしれませんが、もっと科学が発達していました」
「君の持っていた望遠鏡や情報処理端末は確かに我々の技術で作ることは不可能だ。そういう点で君は明らかにこの世界の人間で無いということは分かる。それなら聞かないでいいと思われるかも知れないが、一応確認はしておくべきだと思った。……少し、君がいた世界の情報を教えては貰えないだろうか?」
「分かりました。質問には答えられる範囲でお答えします」
……、……、……。
一通りの話を終えると、国王は大きなため息を吐いた。
「……君の世界はそこまで進んでいるのか。教育制度や社会保障制度も充実しているようだし、うらやましいことこの上ない。我が国もそれなりに裕福だという自負はあるが、まだ飢えに苦しむ人々がいることは間違い無いからな……。ところで、君はこれからどうするつもりだね? 世界を回って帰還の方法を探る、というのならば路銀を預けることも出来るが……」
やっと俺が本当に話したかった所まで到達した。
そう、これからの生活をどうするかは真剣に考えなければならないのだ。
「そのことなのですが、この王都で職を探す、ということは出来ませんか? 正直な所、この世界を巡って帰還の方法を探すのはあまりにも非合理的で成功率が低いと思うんです。それよりももう一度『異界門』が使えるようになるまでこの国に滞在するべきかなと考えているのですが……」
「ふむ、ならば今ちょうど良い仕事を紹介することが出来る」
国王のあっさりとした答えに面食らいながらも俺は尋ねた。
「その仕事というのは何ですか?」
それは、俺の予測していた答えの遙か斜め上を行っていた。
「……私の娘の遊び相手になってはもらえないだろうか?」
「……はい?」
何故そのような仕事を俺に紹介するのだろう。
そういうものは基本的に執事とかの仕事では無いのか?
「いや、娘は来月で16の誕生日を迎えるのだが、これまで同年代の男性とまともに会話したことが無くてな。王室にここ40年男児が生まれていないという理由もあるのかもしれないが、少々男性について無知なのだ。君は元の世界で貴族階級にあったようだし、家柄的にも王室の仕事を任せるに足ると感じる。勿論無理強いはしないが、考えて貰えるとありがたい」
……そういう事情か。
この世界の王族も地球の王族と似たような問題に遭遇している訳だ。
しかし、俺は自分のことを貴族だとは言っていないぞ。
かつて貴族階級にあった者の末裔だと説明したのに、妙な勘違いをしているようだ。
それに、16歳の王女、ねえ。
俺の脳内には小説などで読んだ高圧的な『お姫さま』像が浮かび上がる。
……まあ、割の良い仕事だし受ける価値は十分にあるか。
どんな性格だろうと一緒に遊んでいるだけで生活が出来るというのは非常に楽な仕事だ。
「……その仕事、請けさせてもらえませんか?」
「おお、請けてくれるか。ではその方向で話を進めさせてもらっていいか?」
「はい」
「契約用の書類などは明日の昼までには完成すると思う。詳しい話はまた明日に話し合おう。君も少し食べ物が恋しくなってきているようだしな」
と、国王には易々と空腹を見抜かれてしまった。
「食事は一階の食堂に用意されている筈だ。侍従に案内して貰ってくれ。その後は風呂にでも入って、今日の所は早めに休むといいだろう」
「分かりました」
「では、私も自室に戻ることにするよ。良い夜を」
「国王陛下も、良い夜を」
俺はそう返答して謁見の間を出た。
当面の生活の当ては異様に簡単に手に入った。
あの少女だけが気がかりだが、まあ、なるようになるだろう。
そう思いながら俺は侍従に案内されて食堂へと赴くのだった。
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