最上川の流れ
秋の文芸展2026「旅」参加作品。
勝手に「秋の歴史」縛り。
藤堂高通は、近習が持参した書面を読むと、眉間の皺が深くなった。
「いかがいたしましょう?」
近習が問う。
「うむ」
高通は腕を組み、目を閉じて考える。
「まったく、余計なことをしおって。人の気も知らず」
と高通。
「ごもっともです。ただ、その忖度せぬ質が故に芭蕉を選んだのでは」
「分かっておる!」
高通は恨めしそうに言い、再び書面に目を落とした。
そして口に出して書面の最後に記された句を詠む。
「五月雨を あつめて早し 最上川……」
その書面の内容は紀行文であった。
芭蕉の記した紀行文を、従者の河合曾良を通じて近習に届けられたものだった。
そして、それが最終的に芭蕉の旅のスポンサーである、藤堂高通に渡った次第だ。
「これは普通に考えて良い句か?良くなっているのか?」
高通は近習に問う。彼は歌を嗜んでおり、その歌人としての評価を問うているのだ。
「紀行文の後ならば成立するかと。ただ、単体の句としては前の方が万人に分かりやすいですね」
近習は簡潔に答える。
この句は当初は違う形だった。
五月雨を あつめて涼し 最上川
雨粒が集まり、雄大な最上川になる。その対比の面白さと、暑くなり始めた初夏の日に、川から吹く涼やかな風が頬を撫でるような情緒が伝わる句だ。
芭蕉はその「涼し」を「早し」に変えている。
「早し」とは何か?
それは句の前の紀行文に書いてある。
芭蕉は最上川を船で下る為に大石田という所で天気が良くなるのを待った。
「待った」というぐらいだから、天気はしばらく悪かったのだろう。
天気が回復してからも、その続いた雨で増水した川の流れは、舟が覆りそうなほどだったという。それが「早し」だ。
「早し」は現実。「涼し」は情緒。
「俳人が情緒を捨てて現実を描写するのはいかがなものだろう?」
高通は再び問うた。
しかし、これは歌の是非を問うているのではない。その意を理解している近習の答えはやはり端的だった。
「私見では正直、違和感はありますがね。ただ芭蕉はもう『先生』です。これもまた面白味と受け取られるのではないでしょうか」
「不穏な意味を感じ取る者はおらぬだろうと?」
「おそらくは」
「ふむ……」
高通は腹を括った。
「では、これはこのままでよかろう。『先生』の作品を待っている者達に届けてやれ。『先生』が有名で、様々な場所に招かれた方が我々にも利があるからな」
「かしこまりました」
近習は平伏して部屋を辞した。
一人になった部屋で藤堂高通は呟いた。
「だからとて、どうすればいいのだ」と。
藤堂藩の領地は、忍びの里として今も有名な伊賀。
幕府の諜報機関と言う役割を持ち、芭蕉のような者のスポンサーとなっているのも、その一環だ。
時は5代将軍綱吉の治世。
戦乱は遠い過去になりつつある一方で、一度江戸を離れると違った景色が見えてくる。
最上川流域は、山形藩・新庄藩・庄内藩・米沢藩などの領地が関係し、更には藩の統治とは別に、商人や船主が地域経済を動かしていた。まさに五月雨を集めたように動いている。
「幕府から見えている世界と、現実の世の中はそれほど違いがあります。ゆめゆめ油断めさるな」
この二つの句は、そういう芭蕉からのメッセージに受け取れる。
そして、きっとこれは最上川流域に限った話ではない。
どうすればいいか?先ほど自問したばかりだが、どうすることも出来ないのかもしれない。
人の世の変化は、それこそ川の流れがごとくだ。
「わしも句でも詠んでみるか」
どうしょうもない思いをただ句にぶつけるのも悪くない。
高通は、俳句を好む者の気持ちが少し分かった気がしたのだった。
−了−
実際の句と、関わった可能性のある人物を登場させておりますが、内容は筆者の妄想であり、フィクションです。
件の句、個人的には「涼し」の方が句単独で情景が浮かんで好きなんです。「早し」は自分の教養では紀行文を読まないと情景が浮かばない(-_-;)
だから、変えなくて良かったのに……という感想から広げた感じです。
ということで、思いっきり個人の感想からの作品です(^_^;)




