いつか、何かを願うことができるでしょうか?
白月です。
前回に続き、本編の投稿になります。
もしまだ第一話をご覧になっていない方は、先にそちらからお読みいただけるとより楽しめると思います。
今回は、目覚めた少女が“世界”と出会い、そして“名前”を得る物語です。
初めて触れる感情、初めて知る他者――。
彼女にとっての「心」の始まりを、少しでも感じ取っていただけたら嬉しいです。
少し長め(約七千字)となっていますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
それでは、本編をどうぞ。
偽熊さん達の司令塔が倒れ、指揮系統が崩壊したことにより、残っていた他の偽熊さん達は蜘蛛の子を散らすように去っていきました。
それと同時に施設も崩壊し、今ではただの瓦礫と化しています。
そして名も知らぬ青年に救われ、窮地を脱しひとときの平穏を手に入れた私は今――その青年に顔をペタペタと触られていました。
なぜ?
「うん、大丈夫そうだね」
「あの」
「どうかした?」
「何故私の顔を触っているのですか?」
「無事かどうか確かめてたんだ」
「私に聞けばよかったのでは?」
「…………確かに」
良かったです。これが初対面の人間との接し方の作法なのかと、認識を改めるところでした。
私は間違っていませんでした。要はこの青年がおかしいということでしょう。
まぁ、それはそれとして。
「あの、ありがとうございました」
そう言って私は、青年へと腰を四十五度に折り曲げて、感謝の念をおくります。
これも助けてくれた相手への人間の作法のはずです。
「どういたしまして。間に合って良かった」
そう言う青年の顔には、確かな安堵の色と嬉しさが滲むように浮かんでいました。
何故、青年は私を助けたのでしょうか?
それを私に理解することはできません。
ただ一つ確かなのは、私は青年の助けによって死を免れたということ。それだけです。
そう実感できたはずなのに、嬉しさも安堵もなくただの結果だと認識している私はやはりアンドロイドなのでしょう。
「君はあの施設にいたのかい?」
「はい」
とんできた質問に首肯して返す。
「他に人は?」
「いいえ、私が目覚めた時にはもう生存者はいませんでした。」
「そう、か……」
当たり前の疑問に対して、今度は首を横に振って返すと、青年は私に哀しげな視線を向けてきました。
「じゃあ君の家族は……もう……」
「家族?」
「だってそうだろう? 君みたいな幼い子がいるということは誰か家族がこの場所で働いてたんじゃないのか?」
なるほど。この青年は私のことを人間だと勘違いしているということですか。
確かに私は外見だけ見れば、サラサラの白髪と碧色の瞳を持った、ただの美少女ですから、勘違いしても仕方ありません。それならば、勝手に勘違いして気を落としている青年へと訂正しなければいけません。
「いいえ。私に家族はいませんし、そもそも私は人間ですらありません。」
「え? それは一体どういう……」
「こういうことです」
私は青年の手を掴み、自身の胸元へと押し当てます。
「ふぇっ!? えっなっちょっ……と、待とうか!」
すると、急に青年が慌てたように取り乱し始めました。
「どうかしましたか? あと、急に暴れないでください。危険です」
「あ、ごめん…………じゃなくてっ! 何してるのっ!?」
「見てわかる通りあなたの手を私の胸元に当てています」
「なぜっ!?」
「必要なことだからです」
「うん、よくわからないけど一旦手を離してもらってもいいかい?」
「拒否します」
「なぜっ!?」
「必要なことだからです」
「何に!?」
「私がアンドロイドだということをあなたに説明するのにです」
「へ?」
先程まで怒涛の勢いで会話していたというのに、急に呆けてしまいました。
しかし、会話というのは人間にとって体力を消耗させてまで行うものなのですね。
それを証明するように青年が呼吸を荒げています。その様子をじっと見ていると、やがてこちらに気付いたのか一度深呼吸を挟みこちらを見つめる青年。
「あの、アンドロイドって?」
「わかりやすく言えば人間を模して作られたロボットです。」
「ロボット!? 君が?」
「はい」
「え…………いや、うん、色々と飲み込めないけどなんだ、君がアンドロイド?だったとして何故それを説明するのにあんな行動を?」
「私がそれを証明するのに一番手っ取り早い方法だったので。あなたが暴れるせいで無意味に終わりましたが」
本当に何故、この青年はあそこまで取り乱したのでしょうか? 意味が分かりません。
考えていると、青年が呆れた視線を向けて口を開きました。
「いや、あれはそうなるって……まぁいいや。それで? なんで僕の手を君のむ、胸に当てることが証明になるのさ?」
「私には心臓がありません。心音がないことが伝われば、少なくとも私が人間でないことは伝わります」
「うん、無茶苦茶だね。なくてはならない過程をすっ飛ばした上に、暴論を振りかざしてきたよこの子」
なぜか頭を抱えだす青年。
慌てたり、呆けたり、頭を抱えたりとこうも急激に変化するとはやはり、この青年は人間の中でも色々とずれているのでしょう。
なるほど。そのずれのせいで住んでいたところに居ずらくなって、彷徨った末にこんな山奥に来たのですね。
少し思考が逸れてしまいましたね。そろそろ青年も復活することでしょう。
そう思って青年に目を向けると、無駄にサラッとした黒髪を乱雑に掻いて、私よりも幾分か色素の濃い青の双眸をこちらに向けてきます。
「とりあえず、君がアンドロイドってやつだってことは理解した。いや、理解は正直できて無いけどそういうものだって受け入れた」
「良かったです」
「それで、だ。あの施設に家族はいなくても、知り合いくらいはいたんだろう?」
「いえ、いませんよ。なんせ私、生後約二十分くらいですし」
「は?……………………もしかしてさっき言ってた目覚めた時にはもう生存者はいなかったって、そういうこと?」
「そういうことです」
「つまりなんだ、君は生まれてすぐあの魔獣に襲われたってこと?」
「付け加えれば、目を開けて最初に認識したのは炎の赤色でした」
「マジですか」
「マジです」
「マジかぁ」
青年が目を覆うようにして上を向く。
やはりこの青年の行動は読めません。私の中でこの青年の評価を絶賛決めかねているところです。
最初に出会った人間がこれでは、今後もし他の人間に会った時にどう接すればいいのでしょうか?
私が今後の大事な指針について考えていると、それを無理やり打ち切るように青年が再び問いかけてきます。
「それじゃあこれからどうするのさ?」
「これからですか……」
これから、なんて考えてもいませんでしたね。
目覚めてすぐハードモードの状況で、自己の生存に必死でしたから、考える余裕もありませんでした。
この周辺の地理は頭にあるので、一番近い国までの順路は把握していますが、そこに行き着くまでに魔獣に出会さないとも限りません。
そうなると、とても拳銃1丁に銃弾三発では心許ないと言わざるを得ません。
そしてそれは、この山にこもっていても同じことです。
「考えていませんでした。ですが比較的近くに《ハント》という国があるはずなので、そこになんとかして向かおうと思います。魔獣に見つからないように気を張って、運が良ければ一週間程度で着くと思うので」
「…………ねえ、一つ提案なんだけど、一緒にその国まで行かないかい?」
「なぜですか?」
「いや、一週間ってかなり運良くたどり着いた場合でしょ? 魔獣なんてそこらじゅうにいるわけだし。だいたい食料とかはどうするのさ?」
「食料に関しては摂取してもしなくても活動に支障はありません。というか私からすれば、こちらからお願いしたいくらいの提案なのですが、あなたにメリットはほとんどないでしょう? それなのに何故そんな提案をするのかと疑問に思いまして」
「ああ、なるほど。そういう意図の質問だったのか。いや実はね、そのハントっていう国がどこにあるのか知らなくて」
「はい? あなたはハントに向かうためにここに通りがかったのではないのですか? そうでないのなら今や瓦礫と化したあの施設に用事が?」
「いや、ここにある施設とは無関係だ。そもそもこんな場所に建物があるだなんて思いもしなかったくらいだよ」
「では、何故こんなところに?」
施設に用があったり、通り道のショートカットとしてくらいでしか、こんな場所に訪れる理由なんてありません。
いえ……まさか、本当に周囲とのズレに悩んだ末に、元いた場所を飛び出し、人のいないであろうこの場所へとたどり着いた、ということでしょうか? この青年の情緒不安定さを見るに、現状ではその説が有力ですね。
心なしか、青年は私の質問に何やら答えずらそうな表情をしています。
もしその通りならば、無理に言わせる必要もないでしょう。
「言いたくないのなら答えなくても構いませんよ」
「いや、そういうわけじゃないんだ。僕はこの世界を旅して巡っているんだけど、この山の周辺って何もない荒野が広がってるんだ。そんなところにポツンと山があったから、気にならないわけがないと言いますか……」
「つまりなんですか、あなたは目的もなく旅をしていたところに、気になる山があったから、興味本位で登ってみたら私が魔獣に襲われていたと、そういうことですか」
「はい、その通りです」
「…………あなた、バカですか?」
「流石に言い過ぎじゃ……」
「ありません。魔獣が蔓延る世界で一人で旅をしているだけでも常人の思考とは思えません。それに加えて、怪しい山に剣一本で登るだなんてバカ以外のなんと言えばいいんですか」
「うぐっ……」
まさかそんな理由とは。これなら変に気遣う必要もありませんでしたね。
「まあいいです。それで助けてもらったのは確かなので。つまり私に道案内を任せる代わりに、道中の安全を保障してくれるという認識でいいのでしょうか?」
「うん、その認識で問題ないよ。そうだ、まだお互いの名前も知らなかったね。改めまして、僕の名前はフール。さっきも言った通り旅人をしている。これから道中、どうぞよろしく。君の名前は?」
「よろしくお願いします、フール。私はただの美少女型高性能アンドロイドです。生まれたばかりゆえに名前はありません。」
「うん、色々とツッコミどころのある自己紹介だね。ただ、名前がないのは少し困るな」
「それなら、あなたがつけてくれませんか?」
「え、僕が?」
「はい。あなたが」
「そういう大事なものは、出会ったばかりの他人に任せないほうがいいと思うんだけど」
「人間の名前は親に決めてもらうものだと認識しています。私には親というものはいません。なのであなたに。特にこだわりもありませんし」
「ええ……まあ、考えるだけ考えてみるよ」
「早速出発しますか?」
「あ、いやちょっと待って。出発の前にこれだけはやっておきたいんだ」
そう言って瓦礫と化した施設の前に向かったフールは、目を瞑り両手を組み合わせました。
死者を悼んでいるのでしょうか? 施設に知り合いはいないはずでしたが、どういうことでしょう?
少し経ってこちらに振り向いたフールに、私は思わず聞いてしまいました。
「なぜ、そんなことをしているのですか? 知り合いがいるわけでもないんですよね?」
「そうだね。別に知り合いがいるわけでもないし、ここで亡くなってしまった人たちのことを詳しく知っているわけでもない」
「だったら、なぜ死を悼むような真似を?」
「僕は別に死を悼んでいるわけではないんだ。よく知りもしない僕なんかが悼めるとも思っていない。強いていうなら、これは願いだよ。とても身勝手な願い。ここで死んだ人たちが、今までの生に少しでも満足できるように。当人にとっては余計なことだろうけど、それでもどうかそうあってほしい。言ってしまえば僕の自己満足さ」
フールの言葉の意味を捉えるべく、私の思考は少し深いところまで沈み込んでいく。
自己満足……そうだとしても、私からすれば無意味としか思えないその行動に、フールは確かな価値を感じている。
私にはフールの言葉の何もかもを理解できていない。どれだけ思考を巡らせても、私はその答えに辿り着くことはない。
そして何より、私はその答えに価値を感じていない。
しかし、不思議だ。私がアンドロイドだということは分かっている。人間を模して創られた存在だったとしても、決して人間になれるわけではないということを理解している。そもそも、なりたいという願望すらも私の中には存在しない。
それでも、目の前のフールという一人の人間を見て、私とここまで大きな違いがあるということを不思議に感じている。
その事実が、何よりも不思議だ。
だから、でしょうか?
私の意識が浮上していく感覚と共に、私の意図していない言葉が口をついて出たのは。
「…………私には、心というものがわかりません。心自体は、私の中にインプットされているはずなのに。私は思考することができます。私は作りものとはいえ、自由に動かすことができるような体を持っています。それでもそれらを行使した結果を、私は感情として受け取ることができません。だから、その行動の意味を、理解することさえできません」
「うん、それで?」
唐突に語り出した私に対して、嫌な顔ひとつせずに優しげに続きを促してくれています。
これはきっと、フールの中にある優しさというものなのでしょう。
その優しさに従うように、私は続きを語っていきます。
「それでも、そんな私でもいつか、何かを願うことができるでしょうか?」
私の言葉に一瞬だけ驚いたような顔をして、優しげに、嬉しそうに微笑むフール。
「大丈夫。君にならいつか、誰かを想って願うことが必ずできる。この僕が保証しよう」
確信を持ったようなその瞳の輝きに思わず、目を惹きつけられてしまう。
「…………あなたの保証では、いまいち安心できませんね」
「なんで!? 今わりといいこと言ったと思うんだけど。普通なら感動的場面だよ!?」
「私はいわゆる普通の人間ではありませんので。あと、先ほど言った通り、私は感動するための心を持ち合わせていませんので」
私がそう言えば、フールは少しの間を置き、ため息をこぼします。それから、再び笑みを浮かべました。
「まあ、いいか。今はそれで」
「今は?……まあいいです。早くあなたが倒した偽熊さんを解体して出発しましょう。どうせ食料もろくに残っていないのでしょう?」
「なぜ分かった!? あと……偽熊さんって何?」
「あの魔獣の呼称です。でもあの個体だけ体格から何から違っていたので、ボス熊さんとでも呼ぼうかと悩んだのですが、それだとただの熊さんのボスに出会った時に困ってしまうのでやめておきました。名前をつけるのってなかなか難しいですね」
「………………そうだね」
何か色々と飲み込んだような表情をしていたような気がしますが、おそらく気のせいでしょう。
数分後には、無事に偽熊さんの解体を終えることができました。
まあ、ほとんどフールがやってくれたのですが。
「もうここでやるべきことは終えた訳ですし、早くハントに向かいましょう。」
「そうだね。あまり同じ場所に留まっているのも良くないし」
「ええ、そうと決まれば早く行きましょう」
「あ、そうだ。一つだけ」
「なんでしょう?」
ここから早々に立ち去ろうと一歩踏み出す直前で呼び止められるも、私は寛大なので気にせず続きを促します。
「決めたよ」
ただ一言そう言い放つ目の前の青年。
「何をでしょうか?」
唐突に放たれた一言に私は当然の疑問で返します。
「君の名前」
「驚きました。こんなに早く決まるとは。それに、ちゃんと考えてくれていたんですね」
「名前が無いと不便だしね。それにさっきの話を聞いて思いついたんだ」
「偽熊さんの話ですか?」
「そうじゃなくて。君には心がないって話だよ」
「ああ、そっちでしたか。それで、私の名前はなんでしょうか?」
一瞬訪れた静寂の中、青年が一度目を瞑り――そして開きました。
「――アイ。これが君の名前だ」
静寂の中に浸透していくようにして、そんな言葉がこの私へと届きます。
「アイ? それが私の名前ですか」
「うん。どうかな?」
「なんというか……私から最も遠い言葉だな、と思いまして」
アイ。愛。哀。どちらの意味にしても感情を、心を持たない私には、理解できないものに変わりありません。
皮肉なのかとも思いましたが、そんな様子でもなさそうです。
困惑する私の様子を察したのか、少し微笑んだ様子で青年は言葉を紡ぎ始めました。
「この言葉自体に意味は無いよ。少なくとも、今はまだ。ただ、少しだけ勝手ながらその名前に願いを込めた。死者たちに向けるものとは違う、これからを生きる君への、僕からの願いだ」
「それは、どんな願いでしょうか?」
「秘密」
「なぜですか? 内容を知らなければ叶えることも出来ません」
「言っただろう、これは願いだ。僕の身勝手な願望で、君がこれから歩むであろう道を、縛るようなことにはなってほしく無いんだ。君は君の望むままに生きてほしい」
「分かりました。そういう事なら、もうこの話は終わりにします」
「うん、ありがとう」
「こちらこそ、私に名前を下さり、ありがとうございました」
「どういたしまして」
私のお礼の言葉に返ってきたのは、少し弾んだありきたりな返答と、私に向かって差し出された右手でした。
「さあ、出発しようか。アイ」
「はい、行きましょう」
吹き抜ける風に、木々が優しく揺れています。
こうして、フールと私の短い旅が始まりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この章で、アンドロイドの少女は“アイ”という名を得ました。
次回は、その出会いをフール視点でお届けします。
物語として大きく動く章ではありませんが、彼の想いに少しでも触れていただけたら嬉しいです。
投稿は引き続き、毎晩22時頃を予定しています。
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それでは、また次の物語でお会いしましょう。




