第三章 闇に灯る炎 5
【研究所地下閉鎖区画】
あの娘が落ち着くまでにはそれほど時間がかからなかった。やるべきことができた、というところだろう。自分で誘導してしまったことは少しばかり反省しているが、そうしなければ一生彼女は真実に気づくこともなかった。間違いではないと信じている。
さて、俺がハシュトマと合流して地下に潜入する前の出来事だが、地下最奥からストラーの緊急通信が全館に響き渡った。なんでも地下に幽閉していたヒトトナルカがストラーを襲い逃走したのだという。古龍たちは北天側の地上に現れたヒトトナルカの討伐へ向かうように指示が出された。討伐、ということはストラーには必要がなくなったということだろうか?考える時間が惜しい。今は一刻も早く地下に潜り全てを聞かなければならない。
「私のことはハーシュでいいわ。呼びにくいでしょう?」
彼女は合流して早々にそう言うと、手際良く地下区画へのロックを解錠していく。ストラーにしか入れない場所だと聞いていたが、彼女自身が何度も入ったことがあるようなそんな感じがした。
最初は暗闇を進む。何の明かりもない真っ暗な階段を下りて行くのだが、途中で思い出したかのようにハーシュ手を上に軽くあげるとライトが点いて明るくなった。
「ごめんなさいね、少し忘れていることもあるみたい。」
彼女はここに来たことがあるのだろうか?それにしてはきょろきょろと周りを見ては何かを確認しているようにも見える。あれではまるで行き方は知っているが来た事はないと言っているようなものだ。いや、来た事がないんだろうな。
「ハーシュ、君は……」
「来た事はないわ。でも、私は知っているのよ。」
それからしばらく無言で進んだ。彼女は聞かれるであろうことの答えを予め用意しているようだ。用意しているということは、誰もが答えられる可能性のある答えだとストラーが昔言っていたな。それ故に無駄な質問は嫌いだとも。彼女もその気質を受け継いでいるのだろうか?そうだとしたら質問は控えたほうがいいだろう。機嫌を損ねて何も聞けなくなるのはごめんだ。
「この先に進めば、あなたはきっと嫌悪感を露わにするわ。それでも行くのかしら?」
いつの間にやら大きな扉の前に着いていた。もちろん行かなければならないだろう。だが、ここでふと思い出した。彼女は俺に地下の調査を依頼しに来たんじゃなかっただろうか?だが、それならばこの先に何があるかなんて知らないはずだ。
「やはり質問させてくれ。ハーシュ、君はここに来た事があるんじゃないのか?」
聞かずにはいられなかった。たとえ彼女の機嫌を損ねようとも、疑念を抱いたままで付いて行くことはできないからだ。それに、何よりもストラーの娘であることを忘れてはならない。もしかしたらここに誘い込むことがあいつの目的なのかもしれないのだ。そう思った時、彼女が悲しそうに笑った。
「いいわ、貴方が疑問を抱くのは当然だもの。答えてあげるわ、私の秘密……」
そのまま後ろを向くと、扉を開ける。その中に入りながら彼女の口から告げられた真実は、突飛ではあったが十分納得できるものかもしれなかった。少なくとも俺はそういうことかと、そう思った。
「私は、ストラー・ガンマルドのクローンなのよ……」
彼女に付いて扉をくぐる。そうか、だから彼女は知っていたのか。
彼女が自分のコピーを作ろうとしていたのは知っている。初めて会ったときに研究室をのぞかせてもらったからだ。脳の電気信号を把握して機械人形に写し込むそうだが……それ自体ストラーが先に完成させていたということなのだろう。それをクローンとはいえ生きた人間に施すことは普通考えないが、ストラーはそれをやったというわけだ。
「アレはコピーである私が反抗することが気に食わなかったみたいね。すぐに従順なミズナを作ったわ。用意周到なのよ、死ぬ前にすべての準備を整えてあった……」
やはりそういうことか。なければ作ればいいと、その通りにしてしまうから怖い。
「でも、貴方が知らないことが二つほどあるわ。それが、これよ……」
厳重にロックされた扉を瞬時に解錠して進む。その先の通路の両側には無数の鉄格子が並んでいる。
「何だ……これは……!?」
その中には竜のような角の生えた人間、狐のような尾の生えた人間、得体の知れない肉塊……
「龍の遺伝子、幻獣・妖孤の遺伝子、組み合わせの失敗作。ここにいる皆がその野心の犠牲者!」
「龍の遺伝子!?」
「陽の守の国で龍と取引したのよ。長くつまらない生を終わらせる方法を教えるかわりに遺伝子の情報を教えろ、とね。」
なんということだ。あいつはそれほどまでに常軌を逸していたのか……。
「じゃあ、ミズナが死んだのは、あいつ自身が仕組んだことだと……?」
恐ろしい。何よりもそう感じた。龍にとってはつまらない毎日を生き続けるよりも、ストラーの持ちかけた取引の方が魅力的だったのだ。ミズナを龍に殺させ自分は情報を手に入れる。そして、同盟を結びたい陽の守の国としてはその龍を生かしておくわけにはいかなくなる。
「全ての人間が龍の討伐に関心がいくでしょう?そこでアレは可能な限り様々なものの遺伝子情報を集めに走った。主に幻獣と呼ばれるものの遺伝子、簡単には集められなかったけれど一つだけ手に入れることができた遺伝子が幻獣・妖孤のもの。私にはそれが組み込まれているわ。」
そう言いながら彼女が後ろ髪を持ち上げる。最初彼女はとても長く薄い金色の髪をしているのだと思っていた。だが、襟元を隠していた髪がどかされると、その下に見えたのは白衣の下からとても長い九本の尾がはみ出している様子だった。驚く俺をよそに髪を下ろすと、今度は被っていた黒い帽子を取る。
「耳もあるのよ、正直邪魔なのよね。」
帽子をかぶり溜め息をつくハーシュ。聞きたいことは色々あったが、何故だか何も聞けなかった。彼女は小さな体にどれだけの思いを詰め込んでいるのだろうか?
通路の先は見えないほど遠く、その両側に続く檻の数も同様に数え切れない。その中にいる人々も様々
な反応を見せる。怯える者、空を見つめる者、格子に掴まり叫ぶ者……。皆、生きているんだ。そのことが心を締め付けた。だが、どうすることもできない。彼女は外に出す術を知らないと言った。だから、黙って奥に進むしかなかった。
潰されるような重圧を感じながら、もうすぐ奥の扉に届く、そう思った時にふと横の檻に目がとまった。そこには龍の角が生えた二人の少女がいた。一人の髪は白く、もう一人は黒い髪だった。姉妹だろうか?とても顔立ちが似ている。
「……君たち、名前は?」
何故だろうか、不意に聞いてみたくなった。
「……ルーデロッテ……」
白い髪の少女はそう答えると、黒い髪の少女を抱きしめながら不安そうな顔でこちらを見つめてきた。ルーデロッテと名乗った少女はこの子を守っているのだろうか?
「レイ、どうかしたかしら?」
突然歩くのを止めた俺に訝しげな表情をぶつけながらハーシュが戻ってくる。が、そんなことはどうでもよかった。部屋の奥にある写真立てに飾ってある写真、そこに映っていた二人の黒い髪の少女達……
「あの写真は……ストラーが置いてもいいと言ったのか?」
ストラーという名前が出た瞬間彼女たちの体が委縮する。余程の恐怖を植え付けられたのだろう。それでも、震えながらルーデロッテは話してくれた。
「あの人が、鏡を持ってくるの……私とこの子を映して写真を指さして……」
「もういい。すまなかった。」
もう元には戻れないと言う、それだけなのだ。それだけのために写真を置いたのだ。自分に逆らえないようにするためだけに!
「お前はその子を守っているんだな……」
「……大事な妹だから……」
彼女はどれほどの苦痛を受けてきたのだろうか?黒い髪が白くなってもなお妹を守り続けることがどれほど辛いことかは俺には分からない。悔しいがな……
「行きましょう、レイ。私たちがここにいても何もできないわ。」
「ああ……」
そう、何もできないのだ。何かするためには、ストラーに会わなければなるまい。
少女達にまた来ると告げて扉の奥に進んだ。そこはとても広い空間で、中心部にはこの国の防衛システムの中枢が見える。その傍らにストラーが倒れていた。
「ストラー!」
俺の声に気付いたのか、ゆっくりと体を起こす。
「レイ!?ハーシュ、お前が連れてきたのか?」
ハーシュは答えない。
「ああ、緊急だったからな。さっさと外に出るぞ。聞きたいこともあるしな。」
そう言いながらあいつに近付いて、肩を貸そうと触れた時だった。
「ぐっ!?」
ハーシュは答えなかった。それは、答えられなかったということだった。
「ミズ……ナ……!!」
激痛を感じ、後ろを振り返った俺の目には、光のない瞳でこちらを見つめるミズナが映った。右腕には胸を貫かれ動かなくなったハーシュをぶら下げたまま、左腕は俺の胸を貫いて……
「ククク、どうだ?痛いか?」
ストラーの声が部屋中に響く。それと同時に倒れていたストラーの姿がまるで陽炎のように消えていく。
「そこに俺がいると思ったか?冗談じゃない。お前たちが来ることは予想していたからな。」
「くそっ……どこに……」
部屋中を見回してあいつの姿を探す。少し上の方にある制御室だろうか?そのガラスの向こう側に満足そうに笑いを浮かべるあいつがいた。
「さあ、時は来た!俺の長年の夢をかなえに行こうじゃないか!!」
その声にミズナは頷くと、俺たちを投げ捨て部屋の外へと歩き出した。
もう、あいつを止めることはできないのか……?