02. 狐科獣人のジャイルズ
ロナナは良質な薬草を見分ける事が出来る。
……「見分ける」というのには語弊があるかもしれない。「嗅ぎ分ける」事が出来るのだ。
ロナナの父が長らく重い病気で伏せっていた事もあって、元々は父のために薬草を見つけていた。
父以外の家族がいなかった為、いくら父が元気だった時に蓄えたお金があるといっても、家は豊かとは言えなかった。効き目のある薬草を、自分で摘んで自分で薬を作るしか無かったのだ。
ロナナは薬を作る事も出来るが、薬の調合資格を持っているわけではないので、薬を作る事を仕事には出来ない。
良質な薬草を森で集めて、『薬草屋に卸す事』しか仕事としては成り立たないが、それでも『薬草を選別出来る能力』も貴重なものではあるので、どこへ行ってもロナナは生きていけると思っている。
『バオリーのいるこの街を出て、他の国に行こうかしら』
そんな事を考えながら、今朝早くに集めた薬草を馴染みの薬草屋に卸しに行った。
イング商店――ここはロナナ馴染みの薬草屋だ。
この店は、いつも一番高くロナナの薬草を買ってくれる。
そんな薬草屋の店主は、狐科のお喋りな獣人で、いつもどこか胡散臭い笑顔を見せながら、訪れる度に軽い言葉をかけてくる。
今日もロナナがイング商店の扉を開けると、店主のジャイルズが相変わらずの胡散臭い笑顔を見せた。
「ロナナさん、お待ちしていましたよ。今日もお会い出来て嬉しいです。この後お茶でも飲みに行きませんか?」
そんな軽い調子で、いつものように声をかけられたロナナは、いつもの言葉を返した。
「お付き合いしている彼がいるから、止めておきます」
――本当はもう別れた彼だけど。
心の中でそう言葉を付け足しながら、ジャイルズに鑑定してもらうための薬草を彼に差し出した。
鑑定結果を待ちながら、ロナナは先ほど別れたばかりのバオリーの事を考える。
「ごめん。明日からの花祭り、一緒に行けなくなったんだ」
……そんなひと言で花祭りの約束を断ろうとするなんて。
花祭りを一人で過ごす者はいない。
一年の行事の中で、大切な者と過ごす最大のイベントだからだ。
だけど最後の家族だった父までを失くしたロナナに、共に過ごす大切な人なんていない。
自分の境遇を知っているバオリーが、その存在になってくれると思ってたのに。
彼の交際の申し込みは、軽い気持ちで受けたものではない。
断る理由がないと思ったのは、優しくて誠実な彼ならばずっと一緒に幸せに暮らしていける予感がしたから、断る理由が無かったのだ。
結局はそんな予感は、ただの勘違いだった訳だが。
「今年の花祭りも一人だなんて……」
知らずロナナはポツリと呟く。
ロナナの呟きを聞いたジャイルズが、薬草の鑑定する手を止めて、ふむとロナナの様子を観察した。
どうやらロナナは今回も、あの犬科の恋人に約束をキャンセルさせられたらしい。
あの犬男のバオリーは、この街ではわりと有名だ。
平民ながらも貴族のような品のある顔立ちをしていて、この街一のコルネット商会のお嬢様の護衛として仕えている。
美しいお嬢様と、いつでも側に仕える美しい護衛。
それだけで街の噂話は面白おかしく語られるし、加えて街の人気者の薬草目利き獣人のロナナの恋人だ。
子犬のように可愛くて真面目なロナナを想う男達が、「ロナナが犬男に約束をキャンセルされて悲しげな顔をしている」という目撃情報がある度に、憤りながら街の中でバオリーを噂した。
ジャイルズはなるべく優しく見えるように意識しながら、笑顔を作ってロナナに声をかけた。
「ロナナさんも明日からの花祭りに一人なんですか?奇遇ですね、僕もそうなんです。花祭りは僕と一緒に過ごしませんか?」
ますます胡散臭い笑顔を見せながらの、ジャイルズの軽い誘い文句にロナナはため息をつく。
『結構です、私はひとりで過ごすから』
そうロナナが言おうとした時に――ジャイルズの店の扉が開いた。
扉から入ってきたのは、ジャイルズと同じ狐科の女の子だった。
少し吊り目の美人さんだ。
バウリーが仕えるお嬢様の、猫科のフローレンス様が可愛い系美人なら、この狐科の女の子は綺麗目系美人と言えるだろう。
ロナナは彼女の事を見知っていた。
よくこの店に入っていく姿を見かけたし、ジャイルズの恋人と噂されている子だった。
『彼女の制裁を受ければいいのよ』
そんな意地悪な気持ちになって、ロナナはジャイルズの誘いに応えた。
「花祭りに誘ってくれてありがとう。一人じゃ心細かったの。花祭りの一週間、一緒にお出かけしましょう?楽しみにしているわ」
わざと彼女の前でそう言葉を返したロナナは、自分でも性格が悪いなと思いながら、飛び切りの笑顔をジャイルズに向けた。
『さあ、彼女に思いっきり怒られなさい』
そんな思いでジャイルズを見つめたが、彼はロナナの予想と違う反応を見せた。
パッと顔を明るくして、嬉しそうに破顔したのだ。
まるで本当にロナナの言葉を喜ぶように、いつもの嘘くさい笑顔ではなかった。
――え?
戸惑うロナナに、狐の少女がジャイルズに声をかけた。
「わあ!お兄ちゃん、やっとロナナさんを誘えたの?もうずっとロナナさんの事好きだったもんね、良かったね!」
その言葉にジャイルズの顔が真っ赤に染まる。
――ええ?
驚いてマジマジとジャイルズを見つめていると、少女はロナナにも声をかけた。
「私はジャイルズお兄ちゃんの妹の、レティって言います。ロナナさんの事はいつもお兄ちゃんから聞いてますよ。いつもとても良質な薬草を届けてくれて、いつでも一生懸命な素敵な人だって。お兄ちゃんをよろしくお願いしますね」
――えええ?
ロナナはレティの言葉に驚いて、彼女を見つめる。
ロナナを見てニコニコと邪気なく笑う彼女に、嘘をついている様子はない。
ロナナがそっとジャイルズの方に視線を戻すと、真っ赤な顔のままのジャイルズがいた。
「レティ、ここに遊びに来るなと言っているでしょう?早く帰りなさい」
ジャイルズの言葉にレティはエヘヘと笑って、
「頑張ってね、お兄ちゃん」
そう声をかけて店から出て行った。
レティが出て行った店の中に、沈黙が広がる。
その静かさに耐えられず、ロナナはジャイルズに声をかけた。
「あの、ジャイルズさん。レティさんの話って本当なの……?」
ロナナの言葉に、ジャイルズはうっと言葉を詰まらせる様子を見せたが、覚悟を決めたように真面目な顔をしてジャイルズはロナナに想いを打ち明けた。
「僕はずっとロナナさんの事が好きだったんです。だけどロナナさんには犬科の恋人がいるでしょう?……いつも約束を破ると有名な。
彼には彼の事情はあると思うけど、そんな男がロナナさんの恋人だなんて思ったら諦め切れないんです。
……花祭り、もし彼と過ごさないなら、本当に僕と一緒に出かけませんか?友達としてでもいいので」
ロナナはジャイルズの顔をじっと見つめる。
口の上手い狐科の彼のことだ。
もしかしたらその言葉は嘘かもしれないし、私をからかっているだけかもしれない。
だけど突っぱねる事はできなかった。
約束を断られる悲しみを、ロナナは知っていたからだ。
期待させてからの断りは、深い悲しみに突き落とす。
『私はジャイルズさんに、「花祭りの一週間、一緒にお出かけしよう」と誘った。その言葉は取り消したくない』
本当は恋人のバオリーと今日別れてしまったんだけど、そこまで話す必要はないだろう。
ロナナはジャイルズと花祭りを過ごす事を決めた。
「友達として、で良かったら」
「勿論です!明日からの花祭りがとても楽しみです」
そう言ってあまりに嬉しそうにジャイルズが笑うから、ロナナの心も軽くなって彼に笑顔を返した。
「私も楽しみだわ。本当は花祭りに行きたかったの。去年も行けなかったしね」
そう、去年の花祭りは一人だったけど、今年は友達と過ごす事が出来そうだ。
ロナナも明日からの花祭りを楽しみにする事が出来た。