01. 犬科獣人のバオリーとロナナ
「ごめん。明日の花祭り、一緒に行けなくなったんだ」
そう言って申し訳なさそうに謝るバオリーの顔を、ロナナは冷めた目で見つめた。
『やっぱりね。そう言うと思ったわ』
ロナナはそう心の中で呟いて、そっと小さなため息をつく。
バオリーはいつだってそうだ。
いつもイベントには誘うけれど、直前になって断ってくる。
今回の断りは、前日なだけまだマシかもしれない。
去年の花祭りに約束していた日なんて、家で一日待ちぼうけを喰らわされた後、翌日になってやっと約束を守れなかった事を謝ってきたのだ。
しかも謝った後に、「もう戻らなくては」と彼は忙しそうに帰っていった。
花祭りの期間は一週間もある。
その中の、一日のうちのひと時だって時間が作れなかったというのか。
――もう一年も前の話なのに、いまだ忘れられない出来事だ。
バオリーだって花祭りがどれだけ大事な期間なのか、知らないはずは無いのに。
この国の人にとって――いや、世界中の人にとって花祭りは大事な節目となる期間だ。
その期間だけはどれだけ忙しくても、たった一日でも休暇を取って大切な人と過ごす時間を作り、その年一年の幸せを共に願う時なのだ。
いくら仕事とはいえ、付き合いたての恋人を放って置いていい時ではない。
バオリーが約束を断る時の言葉は、いつも同じだ。
「ごめん。急な仕事が入ったんだ」
同じ言葉を放ち、今と同じように申し訳無さそうな顔をする。
そんなバオリーの顔を見て、
「仕事だからしょうがないよね、お仕事大変だけど頑張ってね」
そう私も同じ言葉を返してきたけど、本当はいつも納得なんて出来ていなかった。
バオリーの言う「仕事」とは、護衛の仕事だ。
私もそうだが、バオリーは犬科の獣人だ。
犬科の獣人は忠誠心が強い。『この人だ』と決めた人には、どこまでも尽くして相手を裏切る事はない。
だから犬科の獣人は護衛として人気が高く、バオリーもそれに違わず、この街で一番大きなコルネット商会のお嬢様の護衛を仕事にしている。
大きな商会の一人娘の護衛――その立場は、「護衛」という仕事を選ぶ者にとっては、成功者と言える立場にあるだろう。
お嬢様に寄り添って歩くバオリーの姿は、まるでお姫様を守る騎士のようだ。
私という恋人がいても、バオリーを羨望の目で見つめる女性は多い。
この街の生まれではないロナナとバオリーは、同じ街を同郷に持っていて、昔からバオリーはとても人気の高い男だった。
バオリーは私と同じく平民ではあるものの、まるで血統書付きの貴族のような高貴な顔立ちをしている。
そんな容姿を持っているだけでも騒がれるのに、更に剣の腕が立って誰にでも優しく穏やかな性格を持つので、彼に憧れない女子はいなかった。
私ももちろん彼のことは格好がいいとは思っていた。
だけど唯一の家族である父の病気が重かった事もあって、誰かを好きになる気持ちの余裕がなかったから、彼の事はただ『街で人気のある男子』、ただそれだけの存在として見ていた。
その後父が亡くなった時、一人っ子だったロナナは一人になった。
ロナナは幸いにも薬草を選別する能力があるので、薬草が採れる場所ならどこででもお金を稼ぐ事が出来る。
『どこか大きな街に出て仕事を見つけようか』
ロナナが漠然と将来を考え始めた頃、たまたま話す機会を持ったバオリーに誘われた。
「大きな街での仕事が決まったんだ。よかったら一緒に行かないか?」
その時はただの同級生だったバオリーが、そう言ってくれたのだ。
向かう場所を決めていなかったので、何となくその話に乗って、ロナナはこの街にバオリーと共に来た。
それが三年前の出来事だ。
ただ一緒にこの街に来ただけで、私達は特別な関係ではなかった。
私は私の住む場所と仕事を見つけて生活を立てたし、バオリーとはごくたまに会う程度の仲が続いていた。
関係が変わったのは、一年ほど前に彼に交際を申し込まれたからだ。
同じ郷土出身で、優しいバオリーには好感を持っていたし、断る理由もなくその時からお付き合いが始まった。
だけど恋人同士になったものの、一年という時間の中でも以前と距離が近づく事は無かった。
忙しい彼はほとんど自分の時間を持てなかったし、たまの休みも急な呼び出しで、私との時間も作れる事はほぼ無かった。
一年の中で何度か束の間の時間、街のカフェで一緒にお茶を飲んだくらいだ。
――とても恋人なんて語れる関係ではない。
私は彼と同じ犬科でも、見るからにタイプが違う。
彼が血統書つきの顔立ちと言うならならば……私は捨てられた子犬のような顔立ちだ。
雨の日のダンボールの中に一人放置されているような。
彼がよく女の子に声をかけられるように、私もよく人に声をかけられる。それは彼のような「モテ」での声かけではなく、「可哀想な子」への声かけだ。
ただ普通に店先に置いてある看板メニューを見てるだけでも、
「どうしたの?お腹が空いているの?ご馳走してあげようか?」
そんな風によく声をかけられてしまう。
私の容姿は、彼がいつも一緒にいる『お嬢様』とは違う。
彼が護衛についている、コルネット商会のフローレンスお嬢様は、艶やかで柔らかそうな髪と、少し吊り目の大きな瞳が印象的なとても美しい女性だ。
フローレンス様は猫科の獣人らしい、我儘で気まぐれな所があるので、いつでもバオリーは彼女から目を離すことが出来ずに寄り添っている。
そんなバオリーを信頼してか、お嬢様はいつだって気軽にバオリーを呼び出すのだ。――たとえ彼の休みの日だろうと、……明日のような花祭りの日であろうと。
バオリーはフローレンス様の言葉に背く事はない。
花祭りのような大切な日くらいは、「お昼に恋人と約束がある」とひと言くらい言えるはずなのに。
世界中の人が大切な人と過ごすような日に、バオリーが彼女を優先するという事は―――邪推はするべきではないが、そういう事なんだろう。
『もうこうやって断られる度にモヤモヤする事にも疲れたな』
最近はそんな風に思うようになってきた。
だから自分自身に賭けをしていたのだ。
『もし。今年の花祭りの約束を、フローレンス様を理由に断られたら、もう彼を待つのを止めて別れよう』
バオリーから花祭りの誘いを受けた時から、そう決意していた。
「もしかしてお仕事が入ったの?」
この言葉は、バオリーがロナナとの約束を断わった時に、ロナナがいつも最初に彼に返す言葉だ。
そして「仕事だからしょうがないよね、お仕事大変だけど頑張ってね」――いつも私はそう言葉を続ける。
『いつもは』だが。
バオリーは私の言葉にホッと安心した顔になった。
「そうなんだ。お嬢様が花祭りの様子をホテルから見たいと仰ってね。そこに付き添う事になったんだ。
……ごめん、ロナナ。今年の花祭りは、妹のアリサと過ごしてくれないか?アリサもロナナの事が好きだから、ロナナに誘われたらアリサも喜ぶだろう。……僕は残念だけどね」
そう言って笑うバオリーを、ロナナは信じられない思いで見つめた。
――アリサが私を好き?
この男は何を言っているのだろう。アリサほど私を嫌っている女子はいないというのに。
アリサはバオリーの妹で、重度のブラコンだ。
私がバオリーと恋人になった時から――いやきっと、私がバオリーと故郷を出た時から、アリサは私を憎んでいる。
アリサも今年に入ってから、この街に兄のバオリーを頼ってやって来たが、私への態度はいつも酷いものだった。
「ロナナさんって本当に貧相な顔をしてるわよね。バオリー兄様もロナナさんの可哀想な顔に同情しているのかしら?」
「バオリー兄様が可哀想。あの美しいフローレンス様をお慕いしているのに。早く兄様を解放してあげて」
アリサはそんな風に綺麗な顔を歪ませて、私に言葉を投げつけてくる。
『自慢のバオリー兄様』が、私みたいな平凡な者と恋人同士だなんて事実が許せないのだろう。
できればコルネット商会のお嬢様と結ばれて、自分もその財力にあやかりたいのかもしれない。
そこまで考えて、ロナナは小さく首を振った。
『駄目だ。意地悪な考えになっている』
そして自分を落ち着かせるように静かに深呼吸すると、ロナナは口を開いた。
「アリサさんは誘わないわ。……知ってた?彼女は私の事が嫌いなのよ」
ロナナがそう言って皮肉げに笑うと、バオリーは少し気分を害したように眉根を寄せた。
「いくら僕が花祭りを断ったからといって、アリサをそんな風に言わなくてもいいだろう?アリサは―」
「もういいわ。信じないと思ってた。……だから今まで言わなかっただけ。
ねえ、私達もう駄目だと思わない?付き合って一年も経つけど、『お嬢様最優先』のあなたの事、私はいまだによく分からないの。
……お別れしましょう。今年の花祭りも断られたら、お別れする事を決めてたの。さようなら、バオリー」
バオリーがアリサを庇おうとする言葉を遮って、ロナナは言いたい事を告げるだけ告げて席を立った。
酷い最後になったが、もうどうでもよかった。
ここは街で人気のあるカフェだ。それなりにお値段も張る。
『こんな終わりになったお詫びに、最後のお茶代くらいは払うわね』
そう思ってそっと伝票を掴み、素早く支払いを終えて店を出た。
『私とのお茶を終えたら、また仕事に戻ると話していたし、早く話を終える事が出来て彼も助かったかも』
最後に見た、バオリーの呆然とした顔を思い出しながら、ロナナは急ぎ足で歩く。
自分も仕事途中でバオリーに呼び止められてのお茶の時間だったのだ。