例えば、もう一つの本物は偽物なのか。
■◇■
「〈結晶刃〉」
「―――ッ!」
空間に舞う、無数の水晶の刃。
それらは一斉に対面のゼルマ目掛け、飛来する。
瞬時に生じる土の壁が最低限の結晶刃を防ぎ、崩壊した。
だが、壁によって防げた結晶刃は全体の三割程度。空間に残留した結晶刃が群体を成してゼルマを追尾する。
迫り来る結晶刃。一本一本の殺傷力こそ低いものの、非常に鋭利なそれらは確かな裂傷を肉体に蓄積させる。加えて、群れを成す程の数である。威力を軽んじる事はできない。
疾走するゼルマ。
訓練室は十分な広さを有しているが、それでも闘技場に比べれば狭い空間だ。
直線的に距離を詰める行為は決して優位には働かない。
クリスタル・シファーという魔術師は近距離戦闘も不得手ではない。単純な魔力による身体強化では、ともすれば力負けすらありえてしまう。
故に、ゼルマは室内を最大限に活用する。
空間を駆けるゼルマの背後には追跡を止めぬ結晶刃の群れ。
一瞬でも足を止めれば追い付かれてしまう速度で飛翔するそれら。
故にゼルマは曲がる。
壁へ向けて走り、衝突の間際にて急カーブ。魔力によって強化された肉体だからこそ可能な芸当だ。
当然この程度で結晶刃が壁に衝突してくれるとはゼルマも考えていない。
だが、これまで群れを成していたそれらは必然、纏まりを持たざるを得なくなる。
それこそが狙い。一瞬の隙を見逃さず、ゼルマは瞬時に壁を展開し結晶刃を受け止めた。
「防ぎましたね」
「これくらいは―――なッ!」
「〈水晶華〉。ええ、当然ですよね」
魔力弾を乱打するゼルマ。
それに眉一つ動かさず、魔術で返すクリスタル・シファー。
水晶の花弁はいとも容易く魔力弾を受け止め、無為に帰す。
そうだ。〈結晶刃〉は単なる魔術に過ぎない。必殺の危険性を秘めていたとしても、これ自体は彼女が持つごくごく基本的な魔術の一つでしかない。手札の一つでしかない。
手動操作ではなく、自律制御で追尾していたことがその証拠だ。
彼女自身が操作していたならば、急カーブ時の挙動などどうにでもなった筈なのだから。
「〈火槍〉〈土槍〉!」
「もしかして時間稼ぎですか?〈結晶刃〉」
「ッ〈三重土壁〉」
彼女は決して手を抜かない。
故に、彼女がそうしなかったのは彼女が警戒しているからに他ならない。
クリスタル・シファーの魔力量は膨大だが、それでも有限である。同時に彼女の精神は強靭だが、それでも疲労を知らない人形ではないのだ。
無数の結晶刃を手動で操作するなどという複雑な行為は必然集中力を摩耗する。
彼女は今後に来るであろうゼルマの一手を完膚なきまでに封殺するため、集中力を温存したのである。
(……当然、警戒もされるか。こんな事をしたんだ。勝算があることはクリスも気付いている筈。だが、そっちなら有難い)
ゼルマはこの時点で幾つかの賭けに勝利している。
彼女が初手から大技で決着させようとしていれば、ゼルマにとっては最悪だった。
ブラン・ハールトやフェイムとの試合で、彼女が本気で戦いつつも出来るだけ試合を楽しもうとする傾向にあることは分かっていた。
彼女は好奇心の塊であり、生粋の魔術師。
優れた者との魔術の見せ合いは、彼女にとっての娯楽だ。
(まぁ……理解できるってのも、何とも言えない感情にはなるが……兎も角)
時間はゼルマにとって敵でもあり、味方でもある。
時間稼ぎは姑息な一手かもしれないが、彼にとっては非常に有効な行動であることには違いない。
「……まぁな。それくらいはさせて貰って良いだろ?」
「ええ。ですが……逃げてばかりでは私には勝てませんよ」
―――だが同時に、彼女がそれを見過ごす道理も無い。
「『魔力構造凝縮』」
「―――ッ」
魔力が迸り、魔術式が具現化する。
それこそは彼女が得意とする魔術式の編み方である。
様子見を終えたのか、或いは期待しているからこそなのか。
後者ならば光栄なのかもしれないが、依然として時間が足りていない。
時計が回りきっていない。
そうして、凡百の魔術師ならば鬼札である筈の魔術が組み上がっていく。大賢者の再来と称される彼女の天才性を証明するかのように、魔力が溢れ出していく。
彼女は今、段階を数段飛ばし……魔術を発動させんとしている。
「『支配領域拡大』『結晶体創造』」
空間内に伸ばされる、彼女の見えざる手。
魔力が物質となり、結晶体を成す。
察知したゼルマもまた魔力を滾らせるが、先手を取ったのは当然彼女。
「〈千年結晶刃〉」
浮かぶ数多、無数の刃。透き通る静謐なる結晶。
一目見て理解出来る攻撃能力の高さ。
先程の〈結晶刃〉と質は同等であったとしても、作り出された個の大きさも、個の数も文字通り桁が違う。もしこれが室内でなければ、どうなっていたことか。
彼女が腕を振り下ろす。
静物の軍勢の切先が―――一斉に放たれる。
(ッ―――時間が)
ゼルマの魔術の出力では押し返す事は不可能。
ならば、選択肢は二つ。回避か、負傷を承知の防御か。
これすらも二者択一の様に見えて実質、一つのみの選択肢だ。
彼女の魔術は必殺の威力を有している。
だが回避するには距離が近すぎる。
故に、ゼルマの選ぶ行動は―――。
「〈土壁〉〈身体強化〉―――ッッ!!!!」
魔術式を最速で組み上げ、魔術を唱えた次の瞬間。
土壁に突き刺さる幾本もの刃。瞬時に土壁には結晶刃が積み重なり、そして即席の土壁は数十本を同時に受け止めた所で崩壊する。
貫通した幾本もの結晶刃がゼルマの肉体に突き刺さる。
土壁が耐久できた時間は僅か数秒。身体強化で強化された肉体に、結晶の刃は深く突き刺さっていく。
腕に、脚に、腹に、胴に、背に、肉体に……鋭き結晶の刃が容赦なく踏み入っていく。
裂傷と共に発せられる呻きですらも、結晶が砕ける音に掻き消されてしまう。
そして数十秒の射出が終わった後、
「――――――」
そこに残っていたのは全身を真紅で覆ったゼルマの姿。
誰がどう見ても瀕死のゼルマ・ノイルラーの姿であった。
◇
《―――承認》
◇
「……驚きました」
「……へぇ…………そりゃ、嬉しいな」
肉体に魔力を回し、ゼルマは呼吸を整える。
失血で手放しそうになる意識を、意思の力で繋ぎとめる。
幾ら魔術で強化された肉体といえど、限度がある。
込められた魔力量にもよるが、数十発、数百発の攻撃を生身で受けるなど自殺行為に他ならない。
内心でヴィザ―に謝りつつ、ゼルマは目前の少女を見据えた。
「防げると思っていました。まさか……受け止めることを選択するとは」
「過大、評価だな……俺の魔術回路はそこまで上等じゃない……間に合う訳……ないだろ」
「……そうですね。ですが、出来るかもしれないと。私は思いました」
「…………」
クリスタル・シファーの瞳に浮かぶ感情。それは、期待を裏切られた失望感だった。
それは透き通った彼女の瞳に一点の翳りを落とす程に、強く浮かんでいる。
「『経年算定』……『物質保存』……『極小掌握』……」
彼女が言葉を紡ぐ。魔術式を編んで行く。
依然として眼差しに浮かぶ失望の感情。
それでも淡々と、彼女は変わらずに工程を踏む。
「最後まで信じさせてください」
クリスタル・シファーは間違いなく天賦の才を持つ魔術師である。
だが、それ故に彼女は相手に恵まれない。
新星大会でもそうであったように、彼女と拮抗する魔術師は少ない。
勿論、彼女と同格か格上の魔術師は最高学府には多く居る。
だが同年代として彼女と研鑽しあえる魔術師はその中に存在しない。
そして、優れた魔術師程自らの実力を秘匿するようになる。六門主の多くがその血統魔術を公に用いない様に、秘奥とは秘されているからこそ秘奥なのだ。
だからこそ、彼女は期待していた。
期待するようになった。
新星大会の出場は彼女にとって予期せぬものではあったが、あの大会を通して魔術を披露しあうという行為に彼女は意味を見出していた。
元より高い好奇心故に他者の魔術を観察することを好んでいたクリスタルに、『自らもその輪に入る』という選択肢が明確に入り込んだ瞬間であった。
そうして、彼女は初めて挑戦を受けた。
期待するなという方が無理がある。
相手が例え、ゼルマ・ノイルラーであったとしても。
良き友人である彼と、魔術をぶつけ合うという機会が訪れた。
彼女は自分が認知するよりも大きな期待を抱いていたのだ。
だからこそ、自らが気が付かぬ程に大きな失望を感じたのだ。
「―――悪いな」
ゼルマの口から漏れ出た謝罪の言葉。
彼女の魔力は既に杖の先端に集中し、放たれる寸前である。
彼の顔には苦痛を伴った微笑みが浮かんでいる。
余りにも穏やかな微笑みである。
新星大会の規則では、戦闘の続行不可と判断されるか降参を宣言しない限り試合は終わらない。
その規則に照らせば、ゼルマはまだ立っており、降参も宣言していない。
ならばクリスタルも魔術を放たない理由は無い。
「〈千年水晶柱〉」
そうして―――魔術は恙なく放たれる。
巨大な水晶柱が創造され、破城槌の如くゼルマに迫る。
肉体に縛られた存在にとって、質量攻撃は決して無視できないもの。
単純な魔力では打ち払えず、物理で応戦するにしても相手を上回る質量を用意しなければならない。
物質魔術が戦闘の分野において多用されるのも、それが一因だ。
加えて、クリスタルの放った〈千年水晶柱〉は極限まで強度を高めた攻撃である。
先程の〈千年結晶刃〉とは異なり、速度も鋭利さも無いが衝突の衝撃はそれ以上。
満身創痍のゼルマでは回避できないと判断した、威力重視の攻撃。
彼女の判断は決して間違っていない。
この状況で〈千年水晶柱〉を選択した彼女の判断は正しい。
だが、それは数秒前までならば、だ。
「ここからは、俺の時間だ」
「―――!」
力なく、ゼルマが右手を上げる。
魔力がゼルマの指先に集中していく。
迫り来る水晶柱に向けて、焦点を合わせる。
魔力が赤く輝く。
既に時計は回った。
「〈僭称〉―――」
それこそは、嘗て存在した伝説の王の御業。
隻腕にして最強の手を有した王の、その再現。
例え届かずとも、その一端を手繰る。
名を―――
「―――〈万世穿つは王が五指〉!!」
指先から放たれた炎は剣となり……水晶柱を真正面から激突する。
空間を支配していた静謐を燃やし尽くす様に、それは進む。
一瞬の均衡。だが、炎剣は水晶を貫通してみせる。
まるで障害など無いように、炎剣は真っすぐに前へ。
「―――ッ」
即ち、クリスタル・シファーの元へ。
彼女の表情に初めて見えた感情。
水晶の如く不変であった彼女に表出した、不可思議なもの。
だが、その真偽を彼女が悟るよりも早く……王の指は辿り着く。
そうして、結晶の砕ける轟音が訓練室内に響き渡った。
■◇■




