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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
89/92

先達に尋ねよ、そして利用せよ。 弐


 ■◇■


 ヴィザ―と別れたゼルマは帰路を歩いていた。

 外はまだ明るかったが、特に何か予定がある訳でも無い。

 どの商店もこの時間は開店しているだろうし、何処か寄り道するのも良いだろう。これが彼の友人であるフリッツならすぐに提案をしてきた筈だ。

 だがそもそも、『時間があるから外で遊ぼう』という思考がゼルマには無かった。

 というより、そんな余裕が実の所今のゼルマには無かった。


(―――俺は)


 歩みを進めるゼルマの表所は、心此処に在らずといった様子である。

 前を向いているのか、俯いているのか判断のつかない中途半端な角度。

 立ち止まることこそないが、いつそうしてもおかしくない速度。

 一目見て不安定と理解出来る、そんな姿であった。


 ゼルマがそうなった原因は、ヴィザ―から話を聞いたことだけが理由ではなかった。

 勿論、彼女の話を聞いて心が動かされたというのは大いにある。だが、それだけが理由ではない。

 これまでに起こった様々な事象が遂に無視できない程の高さへと積み重なっただけ。それが今回の一件で、向き合わざるを得なくなっただけである。


【末裔】の大賢者としての使命。

 フェイムの先輩としての選択。

 そして自分自身としての意志。


 人間一人が抱えるには余りに多い事柄たち。まだ年若い青年が抱えるには余りにも重い事柄たち。

 だがゼルマは、それらを抱えると心に決めた。宣言をし、決定した。

 自分を尊敬する少女の願いに応える為に、魔術の道を進む一人の魔術師として生きる為に。ゼルマは抱えずとも良いものを、自らの選択と意志を以て抱えた。


 それ自体に後悔はない。手放す気も無い。

 そうすると決めたのだから、今更言い訳をするつもりもない。

 だがそれらを同時に成し遂げる事の困難性は依然として存在する。

 こればかりはゼルマの意思で変わるものではない。事象の性質として、客観的な事実として、ゼルマが抱えるものは余りにも()()

 気合や根性といった精神論で解決できる性質のものではないのだ。


 喫緊の問題は、クリスタル・シファーが近々最高学府を出てしまうということだろう。

 新星大会優勝の賞品として魔境の土地を手に入れた彼女は、自身の知的好奇心に従って最高学府を出て行ってしまう。そうなれば最高学府から出られないゼルマは【天賦】の大賢者を観察・保護するという【末裔】の大賢者としての使命を果たせなくなる。

 以前の会話に鑑みても、その時期は迫っていると考えられる。

 元々最高学府を出る予定ではあったようだが、その時期が早まった結果、ゼルマが取れる対策が減ってしまった。

 更に厄介なのは、これが彼女の自由意志による行動であるということだ。


【天賦】の大賢者の設計目的(テーマ)は『大賢者の才能だけを受け継いだ魔術師は、どのような魔術を生みだすか』。つまり彼女は自身が大賢者であるという事には気づいてはならないのだ。

 だからこそ【末裔】の大賢者が観察と保護のために生み出された。


 これがもし第三者による介入であればゼルマは彼女を引き留める事も出来た。

 だが彼女自身の意思による選択あれば、【末裔】の大賢者であるゼルマはそれを邪魔できない。


 加えて今のゼルマには最高学府を出られない理由がある。


(最高学府を出れば……フェイムの先輩としての役目も果たせず、魔儀大祭にも出場できない。そうなれば―――)


 ゼルマ一人が最高学府を出る事は結論から言えば不可能ではない。

 適当な外出許可を得た後に、そのまま逃げてしまえば良い。所謂脱走だ。

 だがこれはあくまでも最終手段。前例が少ないので不確定な部分は多いが、脱走者の末路は概ね決まっている。少なくとも二度と最高学府に戻って来る事は出来なくなるだろう。


 最高学府に一般的な教育施設の様な『卒業』という概念は無いに等しい。最高学府の魔術師は在籍中は常に学徒であり、一時的に外へ出たとしても、その身分が損なわれる事はない。

 だが『退学』は存在している。

 その様な者は滅多に居ないとしても、間違いなく『退学』は存在するのだ。


 ゼルマは思考を巡らせ、自分の手を眺める。

 手の中には何も無い。だが、今の彼の手は余りにも重い。

 目には見えないが、今確かに彼の手は何かを掴んでいる。

 魔術師ゼルマ・ノイルラーとして掴んだ初めてのものが、そこには確かに存在している。


(―――手放したくない)


 偽らざる彼の本音。

 彼は自らの手を強く、しかし優しく握りしめる。まるでそこに大切な何かが、決して落としたくない何かがあるかのように。


 大賢者の末裔として生きてきた彼の、人生における選択の結果。

 最高学府で彼が得た、彼が得ようとする何か。

 形は朧気で、彼自身にもそれがどうなるのか判然としない。

 だが確かに、彼はその芽を感じている。


(結論、クリスタルの外出が根本だ。それさえ取り止め……ないし延期させる事ができれば良い。そうすれば俺にも打つ手がある。盤上に行ける)


 しかし言うは易く行うは難し。

 そんな事はゼルマ自身、とっくの昔に理解している。

 そもそも、フェイムの指南を引き受けた切っ掛けこそ彼女を優勝させ、フェイムが魔境の土地を手に入れる事は阻むことであった。まさか、あの時点ではフェイムがゼルマの理由の一つになるとは予想もしていなかったが。


 兎も角、それこそが最も難しい。

 クリスタル・シファーは言うまでもなく特待生であり、三年目までの取得単位の制限はない。

 既に最高学府にも外出の許可は得られており、後は彼女自身の準備の問題だけ。

 そして多くの人間が知る通り、彼女は余りにも魔術師だ。


 自らの知的好奇心のままに、自らの才能が指し示す方向へと突き進む。

 彼女は自分が間違っていると感じれば、謝罪し、修正し、改善する。

 逆に言えば、彼女は自分が正しいと信じるものを放棄することはない。


『クリスタル・シファー自身に、外出を取りやめさせる。』

 一言で言えばそれだけなのだが、不可能に近い問題だ。


(……物や金、名誉なんかもアイツ相手には意味が無い。どんな方法(アプローチ)もクリスタルにとっては決定を覆す程の理由にはならない。……出来るとすれば)


 ゼルマが考えた一つの方法。

 確かにそれは理由にはなりえる。だが肝心の手段が存在し無い。

 正確には、選んでいない手段が一つ。


(だが、それは―――)


 ゼルマは不意に立ち止まる。

 これまで一度も立ち止まらずに帰路を進んでいたゼルマだったが、そこは唯一ゼルマの意識に介入して来た場所だった。

 そこはゼルマが普段良く書籍を購入している書店の前だった

 この書店まで辿り着いたという事は、そろそろゼルマの自宅も近い。

 後少し歩けば自宅に到着する。

 自宅に辿り着けば、より深い思考を巡らせられるのは火を見るよりも明らか。


 だが、


(まだ……時間もあるか。少しだけ立ち寄って行こう)


 ゼルマの足は店内へと向かった。


 ◇


「いらっしゃい……ああ、ゼルマ君」

「お久しぶりです店長」

「確かにしばらくぶりだね。最近は忙しかったのかい?」

「ええ、最近は少し……色々とありまして」

「そっかそっか。まぁ魔術師だもんね、色々とあるよね」


 店内はいつも通り静かだった。

 普段は数人の客が居る店内は、今日に限ってゼルマだけ。

 空間に漂う紙とインクの匂いが、普段よりも鮮明に感じられる。


「新刊入ってるよゼルマ君好みの奴」

「ありがとうございます。……見せて貰っても?」

「勿論。というより、いつもの棚に入れてるから自由に見て行ってよ」


 いつもの棚というのはマイナー寄りの魔導書が並べられているカウンター前の本棚の事だ。

 こうした売れ行きの良くない本は普通店の奥に並べられることが多いのだろうが、この店は例外である。顔馴染みの店長がゼルマの為に用意した、殆どゼルマ専用の本棚であった。


 店長との会話を終えて、すぐ近くの本棚へと向かう。

 辿り着いた本棚には店長の言う通り新刊が並べられていた。

 その内の一冊を手に取り、ゼルマはペラペラと頁を捲り始める。


 数分。時計の針の音だけが聞こえる、静寂な時間。

 カウンターの奥に飾られた振り子時計の音が妙に心地よく、ゼルマはこの時間が好きだった。


 立ち読みが許されていない書店も多いが、魔導書を多く取り扱う書店ではある程度の立ち読みが暗黙の了解となっている。魔導書を一読しただけで頭に入れられる者は少なく、中身を一読しなければ自身が必要としている内容かどうかも判断できないからである。

 そういう意味では最終的にどうせ購入するゼルマは少数派かもしれない。


「…………」

「…………」


 店長もいつの間にかカウンターへと戻り、読書をしている。

 店内に二人、静かに活字を取り込む時間。緩やかな、忘却の時間。


「ふぅ……これ、買っていきます。それと……これと、これも」

「毎度。ああ、やっぱりそれにしたんだね。そうだと思ったよ」

「俺の目に付く様に平積みされていましたからね。正直、この本を買うのは俺くらいでは?」


 ゼルマが抜き出した三冊の本はどれも目立つように平積みされていたものだ。

 背表紙だけが見える様に並べられる棚差しと異なり、表紙が目立つ平積みはそれだけ客の目に付く機会も多くなる。だが、その分棚差しの何倍もスペースを取ってしまうので、人気のある商品を平積みにするのが普通だ。

 今回ゼルマが選んだ『魔術の数式化。配分の方法提案』、『精霊種の言語解析』、『魔物の繁殖と生殖論』はどれもどちらかというとやはりマイナー寄りのもので、平積みに適しているとは言えない。


「大丈夫。ウチも売れるって確信があるから平積みにしているんだよ。それに、この規模の店舗だから仕入れも一種類につき一、二冊だしね。ゼルマ君が買ってくれるなら問題ないよ」

「そうですか……しかし、いつもよく俺の好みが分かりますよね」

「まあね。一年以上、君が買う本を見て来たからね。正直、僕はそんなに魔術の事は詳しくないんだけど、そこはほら、本屋の店長としての腕の見せ所だからね」


 壮年の店長が腕をぽんぽんと叩く。

 こんな人間性の店長だからこそ、ゼルマも常連になったのだ。


「そうですか……じゃあ追加でこれも買います」

「ありがとう。これはまだまだ僕も勉強しなくちゃだね。それでお会計だけど……端数は、まぁいいや。合計で三一〇〇〇学貨(アルゼ)ね」

「いつもありがとうございます」

「いいのいいの。誰にでもやってる訳じゃないからね」


 そうしていつも通りゼルマは手にした書籍をカウンターへと持って行く。

 流れるような会計。一冊毎の値段を足し合わせ、学貨を支払う。


 購入した書籍を袋詰めする少しの待機時間、ゼルマはふと店長の背後にある振り子時計が目に付いた。

 普段から目にしている筈だが、久しぶりの来店だったからか、今日は不思議とその時計が目に留まる。


「あの時計ですけど、いつから此処に?結構古そうですが……もしかして貴重なものだったりするんですか?」


 それは何気ない会話、単なる世間話。特に意味があった訳でも無い。


「ん、ああこれね。実はそんなに古いものでもないんだよね」

「そうなんですか?それにしては見た目が……」

「まあ、使い始めてからという意味では十年位経ってるけどね。これ自体はずっと昔、何十年も前に発売された(モデル)再販(リバイバル)だよ」


 店長が振り子時計の側面を撫でる。

 木目が美しい、立派な時計であると改めて分かる。


「成程……とてもそうは見えませんでした」

「見た目は一緒だからね。でも中身は全然違う。当時の構造は再現してないし同じパーツも無かった。内部構造は十年前に最新とされていたものだ。時計っていう機能は同じだけど、やっぱり違う」

「それは……」


 外見は同じでも中身が異なる。

 時計の役割からすれば、全く問題は無いのだろう。

 だが今目の前にある時計は、その最初に販売されたものの模倣品。

 最初から真似をして生み出された、そういうものだ。


「でもね。私はこの時計は凄く気に入っているんだ」

「凄く美しい見た目ですよね」

「勿論それもあるけどね」


 そうして、どこか懐かしい表情を浮かべたまま店長は言う。


「実はね。最初に販売されたものは欠陥があったんだ。内部構造はやけに複雑で、そりゃあ見ていて楽しいものではあったけど、数年で部品に限界が来て製造された全てが壊れてしまったんだよ」

「製造された……全てが?」

「うん。だから最初の時計はもう現存していない。でも、やっぱり見た目が好きだって人が多くて、中身を変えてこの時計が作られたんだよ」


 時計としての機能は果たせる。

 だが、複雑な内部構造と耐久性の低い部品によって長く人々に愛される事はできなかったのだと。


「だから僕はこの子を気に入ってるんだ。この子は最初に販売されたそれではないけれど、中身を変えて、実用性を備えて、今再び人に愛されている。それに魔術師の間では当たり前だろう?」

「当たり前?」

「そうとも。知識を受け継いで、それを他の知識に利用して、より良いものにしていく……『先達に尋ねよ、そして利用せよ』。それが魔術師だろう?」


 それは確かに当たり前の言葉だった。

 魔術師に限らず、人間とはそういうものであると理解していた筈だった。

 だが、当たり前だったからこそ失念していたものだった。


「ははっ……確かに、当たり前の事でした」

「うん、当たり前だよ」

「俺も……この時計が好きになりました」

「それは嬉しいな。でも、流石にこれ以上はまけられないよ?」


 にやりと笑う店主に、ゼルマもまた微笑かえす。


「大丈夫です。十分、貰いましたから」


 ■◇■

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