愛とは、最も断ち切り難い鎖である。
■◇■
「―――っ。もう始まったか」
周囲で避難活動が行われる中、一人群衆の流れとは逆方向へと動く者が居た。
彼の名はゼルマ・ノイルラー。
彼は騒動が始まると同時に隙を見て友人たちと別れ、南西を目指して駆けていた。
そうして人々の波を搔き分け、遂にゼルマは外壁の目前へと辿り着く。
だが、まだ障害は残っていた。
最高学府の内外を繋ぐ門は東西南北に四か所存在している。
故に最短距離である南西には門は存在しない。
それでも避難誘導が行われているのは、それだけの脅威が迫っているからだろう。
兎も角、ゼルマの目の前には外壁が高く聳え立っている。しかも都市型結界によって内外の出入りは完全に封鎖され、上空からも外へ出る事は叶わない状態だ。
西門からぐるりと回り込むのが正攻法だが、時間は相当に要してしまう。そして、どの道関係者ではないゼルマは通しては貰えないだろう。
方法が無い訳でもないが、一分一秒を争うこの状況では不用意な行動はとれない。
それが分かっていたからこそゼルマは南西へやって来たのだ。
「仕方ない………」
そこでゼルマは少しの間、瞼を閉じた。
壁に手を当て、強力に励起された結界に流れる魔力の脈動を感じながら、思念する。
時間にして数秒。そして、
「―――〈■■■■〉」
次の瞬間にはゼルマの姿は無かった。
■◇■
「もやす!!」
「来い、【焔の魔王】!!」
魔王の叫びに呼応し、魔王の両手から火球が生じる。
大きさこそ先程の火雨に及ばぬものの、必殺の威力を秘めた火球。
衝突すれば莫大な熱に肉体が焼かれることは間違いないだろう。
だが火球が放たれようとしてその瞬間―――
「〈槍〉」
「―――ッ!!??」
魔力の槍が火球を貫き、暴発する。
槍は爆発と同時に霧散するが、火球もまた跡形もなく消えている。
「もやすもやす!!」
そうして怒りを露わにした魔王がすぐさま新たな火球を生みだすが………
「〈槍〉」
「―――ッ!!」
生じた瞬間に槍で貫かれ爆発した。
そこに複雑な事は何も起こっていない。
魔王の生み出す火球の仕組みは非常に単純なもの。
触れれば爆発と共に燃え盛る、それだけだ。
だがそれだけで十分に強い。
魔王に詠唱は不要であり、無尽蔵の魔力を用いて莫大な熱を込められるからだ。
爆発の範囲も非常に広範囲となれば、狙いが曖昧でも強力な攻撃となる。
ならば、放たれる前に撃ち落とせば良い。
シジュウことカルラ・アズバードが行ったのはそれだけの単純な行為。
故に、驚くべきは方法ではない。
驚くべきは、その手段だ。
「〈水〉〈土〉!」
「やくもやすッ!!」
生み出される火球を、視認した瞬間に撃ち落とす。
もしこの場に他の魔術師が居れば驚愕しただろう。
カルラ・アズバードという魔術師の、余りにも常識から逸脱した魔術の在り方に。
「〈鎖〉〈剣〉〈槍〉!」
「すすむもやすやくすすむやく!!」
「〈壁〉!」
カルラの取った戦術は彼の恋人でもあるヴィザーが取ったものとは全く異なるもの。
ヴィザーが行わなかったそれが、カルラには出来る。
「―――〈火〉」
現代魔術は古代魔術の詠唱に代わり、魔術節を用いる。
例えば〈火槍〉は『火』と『槍』という二種の魔術節を組み合わせたものだ。
魔術節の開発によって、魔術の発動は各段に速くなった。
だがそれでも、無くす事はできない。
何故魔術陣が重宝され、重要視されるのか。それは現代魔術であっても、魔術名を唱えるという工程を省く事は出来ないからだ。
魔術節を唱え、魔術式を書き、魔術を発動する。この流れは現代魔術が現代魔術である限りは不変のものであるからだ。
そして故にこそ、アズバードは特別なのだ。
「〈水〉〈風〉〈土〉〈光〉〈闇〉」
次々と発動されていく魔術。
だがカルラが唱えるのはたった一つの魔術節のみ。
本来ならば魔術にすらならない筈の超短文詠唱。
それでも魔術は発動し、カルラの周囲に浮かび上がっていく。
これこそがアズバードの力、その顕現。
血統魔術の名を、〈雄弁なる霊鳥〉。
魔術の発動中に限り、アズバードは魔術節単体による超短文詠唱を可能にする魔術である。
そして当然カルラは既にこの魔術を発動している。
「―――〈混沌〉」
六つの属性魔術が一つに合わさり、莫大な魔力の塊となって撃ち出される。
混沌魔術とも呼ばれる、属性魔術を高練度に使いこなす魔術師のみが使用できる魔術体系だ。
その威力は言うまでもない。
複雑に折り重なった魔術は、単純な魔力の何十倍の威力を有している。
だが、魔王もまたそれに気が付いている。
「やくやくやくやくやく!!」
周囲に生ずる数十の火炎。明らかにこれまで以上の魔力が込められている。
だがそれも、打ち出されなければ無意味だ。
「〈剣〉〈槍〉〈矢〉」
「もやすもやすもやす!!!!」
即座に火球の半数以上が撃ち落とされ、暴発する。
魔王は残った半数をカルラの魔術へ向けて射出するが、複数の属性魔術の融合である〈混沌〉は単純な属性魔力に高い耐性を有している。
そうして魔術は速度を緩める事無く進み―――【焔の魔王】へと直撃した。
瞬間、訪れたのは何色とも呼べぬ魔力の光。
高密度な属性魔力の塊である〈混沌〉と、莫大な火炎………即ち火属性で肉体を構成された【焔の魔王】が衝突した事を示す魔力光であった。
「―――ッ!」
光が静まり、魔王の全身が再び露わになる。
そこにあったのは右腕にあたる火炎を失った【焔の魔王】の姿。
しかし、それも束の間の事。
「やく!!!!!」
瞬時に火炎は再生し、先程と変わらぬ右腕が戻った。
それだけではない。魔王の身体を形成する火炎は勢いを一層増していた。
まるで押さえつける程に強くなる反発力の如く、火勢は増している。
だが、それもカルラにとっては想定内。
「………やっぱり、純粋な魔力攻撃はまだマシみたいだね」
「もやすもやすすすむ!!」
「〈壁〉!〈槍〉!」
カルラの用いた〈混沌〉の最たる特徴は、複数の属性魔術の混合であるという点だ。
全く同じ出力で六つの属性魔術を合わせる事により、〈混沌〉は非常に複雑な構造を有していながら純粋な魔力の塊としての威力も併せ持つ。
故にこそ属性魔力に高い耐性を持つのだが………それこそが起点だ。
「どうやら私はまだ、お前と相性が良いみたいだね」
「もやすもやすもやす!」
ヴィザー・アージュバターナーの得意とする魔術は物質魔術。
土属性や水属性の中でも、物理的な実体を伴う魔術の種類である。
しかし、それは火属性魔力によって肉体を構成する【焔の魔王】とは相性が悪かった。
〈三態自在酒杯〉は非常に強力な血統魔術だが、あれはあくまで『物質の状態』に作用する魔術であって属性魔力を直接にぶつけるものではない。
多くの場合問題にならない性質。寧ろ強みとも言える性質だが、魔王は規模が違い過ぎた。
単純な物理攻撃は殆どが無効。槍で貫いても、剣で切り裂いても大した傷は与えられない。
魔力を帯びた物理攻撃なら多少は効果があるが、それもすぐ再生されてしまう。
故にヴィザーに比べてカルラはまだ【焔の魔王】に対して相性が良かったと言えた。
カルラ・アズバードに不得意は無い。
生得属性仮説に基づく全属性魔術師であるカルラは属性魔力を効果的に対象に叩きつけられる。
加えて血統魔術〈雄弁なる霊鳥〉の力によって、【焔の魔王】の攻撃も迎撃できている。
拮抗状態ではあるが、戦況は僅かに、だが確かにカルラに傾き始めていた。
(けど、それでも一歩届かせるには………まだ遠い)
カルラが【焔の魔王】を見据える。
依然として変わらぬ【焔の魔王】。
無尽蔵の魔力で失った肉体を再生させ、身体には一片の傷も無い。
物理的実体の無い、火の身体だからこそできる芸当である。
しかも火の肉体であるという事は、単純に火力が高いという事でもある。
常人では近づくだけで死に至るもの。それが原初の脅威、火というものだ。
「もやすもやすもやすもやす!」
「―――〈混沌〉!」
だが、それでもカルラの戦意に揺るぎは無い。
彼の勝利条件は明白であり、彼には方法も手段も存在するからだ。
故に、必要なのは実行のみ。
「久しぶりに呼ばせて貰うよ!」
迫る火を捌きながら、カルラは魔力を迸らせる。
濃密な魔力の表れ―――即ち、詠唱の言葉を紡ぐ。
「平定せよ。老練の手、鬼朱の剣を佩く者」
短い戦闘の中、カルラは相手の性質を幾つか把握した。
カルラだけの力ではない。ヴィザーが先に戦い、情報を得ていたからこその把握だ。
火属性に偏重した力、浮遊現象、僅かな伝承。
何より、純粋な属性魔力によって形成される物理的実体の無い肉体。
此処から導き出される存在にカルラは心当たりがあった。
それは魔力の具現、世界の代弁者とも称される存在。
即ち―――【焔の魔王】の種族は精霊であると。
「残光、回帰、専一。分断を齎す冷徹の仙人。我が聲に応じ、示せ!」
ならば目には目を歯には歯を。
精霊には精霊を。
「〈鉄血伯は伏し、斬裂は出ずる〉!」
「――――――ッ!!!???」
一閃。不可視の斬撃が空間を奔る。
一瞬遅れ、【焔の魔王】の肉体に生じたのは斬裂。
魔王の肉体が燃え盛る焔が―――割れる。
魔王の半身が斜めに分断される。
「やくもやすもやす!!!!!!」
魔王の絶叫が響き渡り、断面から灼熱の火炎が噴き出す。
魔王の内部から漏れ出る火属性の魔力が、目に見える形となって溢れ出ているのだ。
莫大な魔力が断面から漏れ出ているのだ。
それは純粋魔力による不可視の斬撃。
研ぎ澄まされた斬撃が魔王の肉体を切り裂いたのである。
そして、それを成した存在こそ鎧武者の姿にて顕現した上位精霊、鉄血伯ティエシェン。
『カルラ。之は厄介』
「ありがとう。そうだね………でも一度で良いんだ。私を送り届けてくれる?」
『―――承知。斬』
鉄血伯ティエシェンが再び腰に佩いた大太刀を抜き放つ。
瞬間、二度目の斬撃が舞う。
純粋魔力によって形成された斬撃は防ごうとして防げるものではない。
障害となるものを切り裂きながら進み、目標を斬裂する。
しかも対象は同じく魔力の肉体を有する【焔の魔王】。
斬撃は揺るぎない性能を発揮できる。
「〈焔、それは壁〉」
故に、狂乱の魔王といえどもそれを行使せざるを得なかった。
二度目の御業。魔王としての本領を発揮する。
業火が噴き出し大壁を成す。無尽蔵の魔力を惜しむ事無く注ぎ込み、それは顕現する。
斬撃が業火の壁と衝突する。
流石の鉄血伯ティエシェンの斬撃でも距離が離れれば威力は低減される。
火炎の壁は切り裂けども、魔王には届かず。
壁に裂け目は生みだせども、魔王を斬るには至らず。
鉄血伯ティエシェンはその斬撃を以て魔力を消耗し、退去した。
だがそれで十分。鉄血伯は目的を達成している。
「―――悪いとは思わない。お前は強いからね」
「くる!!!!!!」
斬撃の消滅と共に現れたのは他ならないカルラ・アズバードの姿。
鉄血伯が切り裂き、作り出した斬撃の通り道を駆け抜けて来たのだ。
既に【焔の魔王】とは目と鼻の先。
近づく程に強くなる熱に肌を焼き焦がされながら、カルラは拳を強く握り締めた。
■◇■
「私はアズバードを去ります」
「………理由を聞こうカルラよ」
アズバードの門主、ガルミ・アズバードはカルラの言葉に理由を問うた。
当然だ。カルラ・アズバードは次期門主となるアズバードの後継者である。
現アズバードの門主であるガルミが訳も尋ねずに許可を出せる筈も無い。
「私はヴィザーを愛しています」
「………………」
「これで十分ですよね、お祖父様?」
だが、その通りだった。
ガルミ・アズバードはとうに気がついていた。
自身の孫がヴィザー・アージュバターナーを愛している事も。
そして、自身の孫が魔術師としてはあまりにも優し過ぎる人間だという事も。
「………『愛とは、最も断ち切り難い鎖である』か」
いつしかの言葉を思い出し、ガルミはカルラへと向き直った。
「………門主の役割は、血を次代へと繋ぐ事にある」
「はい」
「それが望めぬのなら………その様な者を次期門主にする事は出来ぬ」
「はい」
魔術師の家系の当主として最も重要な役割は、次代へと血統を繋ぐ事だ。
そうする事によって魔術師は家系となり、次代に希望と知恵と繋いで来た。
だがカルラ・アズバードはたった一人の人間を救う為に、全てを捨てようとしている。
アズバードとしての名声も、門主としての栄光も、最高学府における名誉も全て。
自身がアズバードの後継者である限り、ヴィザーがその事実に気を病む事を知っているから。
カルラはヴィザーを苦しませない為に、その選択をしたのだ。
「今この瞬間を以て、カルラ・アズバードより次期門主の座を剥奪する」
「………ありがとう、お祖父様」
ガルミは誰も悪くない事を知っている。
ヴィザーの性質がそうである事も、カルラがその選択をした事も。
だが魔術師とはそういうものだ。
「私はアズバードを離れる。長男は………最初からナルミだった事にして。大丈夫、あいつならしっかり門主の役目を果たしてくれるよ。人間としては未熟だけど、才能は十分あるから」
「………お前はこれからどうするつもりだ」
「この名前だと最高学府では目立ち過ぎるから、名前は変えるつもりでいる。学園長からも外に出る事は禁じられたし、そこまですると余計に辛い思いをさせるだろうし」
そこで一瞬カルラは考えた後、何かを見つけ、そして視線を自らの祖父へと戻して言った。
「これからはシジュウと名乗るよ」
◇
「そういう訳で、これからよろしくお願いします」
「ああカルラ………いや、今はシジュウか」
「まだ慣れませんか?」
「少しな。だが、じきに慣れるだろう」
カルラは最高学府に残った。
今のカルラの仕事は、学園長キセノアルド・シラバスの助手。
これがカルラがキセノアルドから与えられた、アズバードを捨てる事の条件だったからだ。
「………良いんですか、私を残しても」
「構わない。名を失ったとしても、優れた才能迄が枯れた訳ではないのだからな」
「ありがとうございます」
ともすれば多くの人間が憧れる学園長の助手という役職。
公的に認められたものではないので公表できるものではないが、十分な給料も貰えるし、何よりヴィザーと離れずにすむという点でカルラには最高の条件だった。
勿論それが、自身の才能を手放すには惜しいという理由であったとしても。
「シジュウよ」
「何でしょうか」
最初に任せられた資料の整理の最中、不意にカルラはキセノアルドに呼びかけられる。
同じ部屋に居るので何もおかしくは無いのだが、警戒もする。
「これをお前に渡しておこう。肌身離さず身に着けておけ」
「これは………術符?」
それは術符、或いは護符と呼称される魔道具の一種の様に見えた。
一度限りの使い捨てではあるが、魔力を通す事で起動し込められた魔術を発動できる代物である。
製造難易度の高さ等から、強力な魔術が込められた術符の価値は天井知らずに高い。
特に古代の術符は現代では失伝したものも込められている場合があるので、尚更である。
そして、学園長が手渡した術符も相当な年期のものだった。
「私は、最高学府の学園長として、此処に集うあらゆる魔術師を教え導く義務がある」
そして、続けて言った。
「いずれ必要になる時が来るだろう。その時に使いなさい」
「ですが、私は………!」
貰う資格等無いと、カルラがそう言おうとするがキセノアルドの眼光によって言葉を呑み込まされる。
それ以上は許さないと、視線が語っていた。
「良いか、これに込められたものはとある魔術だ。名を―――」
■◇■
走馬灯の如く、記憶が駆け抜ける。
火炎の熱に意識が現実へと戻り、莫大な魔力に晒されて内部が損傷する。
それでもカルラ・アズバードは止まらない。
手に持った御守を、術符を握り締めて魔力を込める。
そうだ。これはカルラが自身へと課した試練。
守り抜くと誓った、あの日、あの時、全てを賭して。
魔力防御を貫通して火炎がカルラを焼く。
気を手放しそうになる痛みが全身を巡るが、それでもカルラは飛ぶ。
全身を焔に包まれ、まるで日輪の如く飛翔する。
たった一度で良い。カルラは【焔の魔王】に近づかなければならない。
術符は遠距離から発動出来ないという弱点がある。
発動する際には使用者が直に術符に魔力を流し込まなければならない。
故に、カルラはたった一度【焔の魔王】に肉薄する必要があった。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!」
「やくやくやくやくやくやく!!!!」
熱された空気が肺を焼く。臓腑が焦げる嫌な臭い。
魔力防御は最早紙屑同然だ。だがそれでも、止まらない。
彼の心が、燃ゆる肉体と同じか、それ以上に燃えているのだ。
一直線に、最短距離で、そして―――魔術は発動する。
「じゃあな」
伝説の御業、空間魔術系至上魔術。
その魔術こそ―――
「――――――〈彼方送り〉ッ!」
瞬間、【焔の魔王】の半身が消失した。
■◇■




