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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
82/87

焔、それは雨。

 

 ■◇■


「それは流れ、吹かれ、固まる。何か?」

「―――全てだ」


 これはとある物語に登場する会話である。

 一人の青年が神からの問いに答える一場面。


 物語の名は『アージュバターナーの三臨』。


 この問答の褒美として人種の青年アージュバターナーは神から力を授かり、その力を以て試練を乗り越えたとされている。

 何故『されている』なのかと言えば、『アージュバターナーの三臨』の中で有名なのは問答の場面であり、後の試練は曖昧に伝わっているからだ。

 故に具体的にアージュバターナーがどのような試練を乗り越えたかは不明である。

 一説には強大な魔物だったとも、凶悪な精霊だったとも伝えられている。


 だが少なくともアージュバターナーという英雄が実在した事は確かだ。


 その証左こそ、アージュバターナーの名を受け継ぐ末裔。

 彼の英雄の御業をその血に宿す者の存在こそ、紛れもない証明。


 英雄の末裔、ヴィザー・アージュバターナー。


 ◇


〈三態自在酒杯〉(アージュバターナー)


 ヴィザーの血統魔術が起動する。

 迸る目に見える程に濃密な魔力。

 盃から零れる様に、ヴィザーの肉体から魔力が滲み出ていく。


「―――もやす(もやす)


 だがそんな事は関係ないとばかりに【焔の魔王】は火球を撃ちだした。

 その数は一つだが、これまでのどの火球よりも巨大。

 燃え盛る星の如き火球がヴィザーへと迫り来る。


 だがヴィザーは動じない。

 魔術節を口にする様子も無く、ただ火球を眺めている。


 この場に何も知らぬ魔術師が居たならば、彼女に向かって逃げろと叫んでいることだろう。

 火球の大きさから考えれば、どれだけの破壊を伴うか想像に難くない。

 燃えるだけで済めば重畳。そのまま痕跡も残さずに世界から消え失せるだろう。


 火球が迫る。

 ヴィザーが拳を握る。


 そして―――


「    」


 火球が、突如として出現した氷球に飲み込まれる。


「―――もやす(もやす)?」


 火球が氷球を溶かすが、溶かされる度に氷球は厚く凍っていく。

 さながら雪玉のように、火球を中心として氷球が覆い被さっていく。


 やがて火球は全ての熱量を奪われ、消失した。

 魔力の産物である火球が込められた魔力を熱に変換させきったのだ。

 どこにも衝突することなく取り込まれたために、副産物の火も存在し無い。


 火球が凍るという有りえざる現象が、目の前で起こった。


 ヴィザーが握り締めた拳を解く。

 同時に巨大な氷壁が一瞬にして消失する。


「―――ある(るあ)??」


 そして次の瞬間には莫大な量の水が檻の如く【焔の魔王】を取り囲んでいた。

 見れば、ヴィザーの指が【焔の魔王】へと向けられている。


みず(ずみ)―――」


 瞬間、水の檻が収縮し【焔の魔王】を圧し潰さんとばかりに閉じる。

【焔の魔王】の身体は実体無き火炎である。魔力によって燃ゆる、消えずの焔である。


 故に【焔の魔王】は水中でも燃え盛る。

 彼の魔王に接触した水はすぐに蒸発して消えてしまう。


 しかし、そうはならない。


 ヴィザーが指を上へと向けると【焔の魔王】を取り込んだ水の檻が上空へと浮かぶ。

 完全に閉じた水の檻の中、深紅の輝きが見えている。中の【焔の魔王】が激しく熱を放っている証左だ。

 しかし水の檻の体積に変化は無い。本来ならば【焔の魔王】に触れた時点で水は液体では居られない筈なのにである。寧ろより巨大になってすらいる。


「―――()―――()


 そうして、ヴィザーが拳を再び握る。

 同時に水は瞬時に凍り付き、水の檻は一瞬の内に氷城へと変化を遂げた。


 握り締めた拳から血が滴るのではないかと思ってしまう程、ヴィザーが拳を強く握りしめている。 

 実際、彼女が普段から着用している手袋が無ければ流血していたに違いない。


 拳に入れられる力に呼応するように、氷白はより堅牢に凍てつく。

 誰が見て分かる程に氷は固く、厚く、純粋に凍り付く。


 やがて中も見えなくなるほど大きくなった時、鈍い轟音と共にそれは生じた。


「――――――もやす(もやす)


 あれだけの冷気に侵されながらも、熱を奪い取る水檻と氷城に居ても尚、【焔の魔王】の火勢に衰えは見られない。寧ろ今まで以上に熱は狂気を帯びて燃え盛っている。


もやす(もやす)やく(やく)すすむ(むすす)もやす(もやす)もやす(もやす)やく(やく)もやす(もやす)もやす(もやす)もやす(もやす)やく(やく)やく(やく)やく(やく)やく(やく)もやす(もやす)!!!!」


 激しく燃え上がる火炎。

 全てを灼き尽くさんとする憤怒。

 言葉は無くとも、言語が無くとも、火勢は留まる所を知らず燃ゆる。


「融解……凝固」


 だが英雄の末裔は至極冷徹に事を進める。

 それこそが彼女―――ヴィザー・アージュバターナー。


 魔王を包む水球が再び凍る。


「!!!!!!!!!」


 音の無い絶叫。

 轟々と響く現象の音。

 阻むは堅牢なる氷の牢獄。


「…………ふッ」


 魔術師にとっての真価とは何か。

 ある者は比類なき知性と言うだろう。

 ある者は果敢な好奇心と言うだろう。

 ある者は無謀なる挑戦と言うだろう。


 そしてある者は受け継がれし血統と言うだろう。


 アージュバターナーの真価。

 それこそが血統魔術、〈三態自在酒盃〉(アージュバターナー)


 かつて英雄アージュバターナーが手にした力。

 伝説に語られる、知性の証明。神より授かったとされる奇蹟。

 その効果は『物質の状態操作』。


 万物を流し、吹かせ、固める力である。


「そうだ。そこを動くなよ」


 だが『ヴィザー』の真価は血統魔術だけではない。

 血統魔術は魔術師の才を測る指標として最たるものかもしれないが、それだけであればヴィザーはここまで評価されなかっただろう。

 現代魔術部門の科長に就任する事も無かっただろう。

 彼女はアージュバターナーの一族。だがそれだけではない。

 彼女は『ヴィザー』という名の一人の天才なのだ。


 氷に閉じ込められる【焔の魔王】に向けて、ヴィザーは狙いを定める。

 指先に込められる魔力。美しく書かれていく魔術式。

 一点の無駄も存在しない、整然とした魔術が顕現する。


 ヴィザー自身の才能とは、即ちそこにこそ存在している。


「―――〈鉄棘の大槍〉イロンベラ・アーク・ラノス


 その大槍は無数の棘を有していた。

 一度刺されば、無数の刺傷を生みだす形状。

 命を刺し穿つ為の形状をしていた。


 氷の城へ向けて、槍が投擲される。


やく(やく)やく(やく)やく(やく)やく(やく)やく(やく)やく(やく)やく(やく)!!」


 投擲と同時に氷の城から逃れる【焔の魔王】。

 同時に、空間へ莫大な熱量が撒き散らされる。

 これまで氷獄で押さえつけられていた熱が解放されたのだ。


【焔の魔王】に明確な眼球は無い。

 だが人間の頭部に相当するであろう部位に浮かぶ黒炎がギョロリと動く。

 まるで魔王の憤怒を示すかの如く、全身の火炎が燃え上がる。


もやす(もやす)!!!!!!!!!!!!」


 生成される巨大な火炎。

 それは先程の様な球形ではなく、細長い槍の如き形状をしていた。


 投擲された〈鉄棘の大槍〉と火炎の長槍が衝突する。

 同時に轟音が響き渡り、眩い光が当たりに満ちる。

 それは魔力光。濃密な魔力を持つもの同士が衝突し、一瞬の輝きとなって放たれたのだ。


もやす(もやす)もやす(もやす)!!もやす(もやす)もやす(もやす)もやす(もやす)!!!!」


 当然、それで終わる筈も無い。

 無限の魔力を有する魔王がたった一本の槍で終わる訳が無い。


 絶叫と共に空間に出現する火炎の槍。その総数は一目では到底数えきれない。

 ゼルマがレックスとの決闘で展開した〈火槍〉(フォア・ラノス)は百二十四本だった。一日の入念な遅延魔術によって用意した数だ。

 それよりも遥かに多く、遥かに火力が上の炎槍がヴィザーへと向けて飛翔する。


「―――凝縮」


 だがヴィザー・アージュバターナーは動じない。

 静かに手を握り締め、魔術を行使する。


 空間に出現する無数の水球。その数は放たれた炎槍と同数だ。

 空気中の水分を操り、巨大な水球として出現させたのである。


 水球が炎槍を受け止める。水が蒸発する音が一斉に空間を叩く。

 魔力による身体強化が無ければ、吹き飛ばされそうな程の音だ。

 だが訪れたのは音だけ。衝撃波は無かった。


 見れば、水球は未だにそこに浮かんでいる。

 そして―――


「凝固」


 一転して生ずる氷の槍。その数は数秒前生み出した水球を上回る。


やく(やく)!!!!!!!!!!」

「―――穿て」


 無数の氷槍が【焔の魔王】目掛けて放たれる。

 迎え撃つは新に出現した無数の火球。

 氷の槍が地上から放たれ、火球が雨の如く降り注ぐ。


 その光景はあたかも先程の反転のようだ。

 火炎の槍は氷の槍へ。水球は火球へと移行した。


 勿論意図しての行いではない。

 ヴィザーはその時点で自身にとっての最適解を選択しているだけに過ぎない。

 そして、そもそも狂乱に陥る【焔の魔王】にそんな思考は存在していない。


 だが、逆転した攻守はヴィザーの実力の証明である。

 弱者は一方的に嬲られるのみ。【焔の魔王】とは、魔王とはそのような存在なのだ。


〈岩石強化〉(ガイアス・マキシア)―――〈五重岩剣〉クイン・ガイアス・シャーフラ

「――――――もやす(もやす)もやす(もやす)もやす(もやす)!!!!!!」


 氷と鉄と岩。物質科の魔術師であるヴィザーが得意とする魔術たち。

 物質科の科長の名に違わぬ魔術の連鎖。

 火炎を相殺し、受け止め、貫きながら魔術は突き進む。

 同時に膨大な数の魔術式を処理しながら、ヴィザーは攻め手を緩めない。


 だが、それでも。


「――――――化け物め」


 火は生きている。


もやす(もやす)すすむ(むすす)やく(やく)すすむ(むすす)やく(やく)やく(やく)


 既に幾つもの槍が魔王の身体には届いている。

 腕に、胴に、脚に、頭に突き刺さっている。

 だが魔王は五体満足のまま燃えている。何事も無かったかのように、そこに顕現している。


「…………相も変わらず狂ったまま……お前は燃えるのか」


 ヴィザーの声に【焔の魔王】が答える事は無い。

 ただ火炎の音だけが発されている。

 脈絡の無い単語の羅列だけが発されている。


 それはヴィザーが()()()()()姿そのままだ。

 真っすぐに【焔の魔王】を見据える。顔面の無い頭部を真っすぐに捉える。

 顔が無くとも、忘れた事の無い顔を見つめる。


「あの日から………何も変わらず………お前は…………」


 そこで何かを言いかけて、すぐにヴィザーは口を閉ざした。

 そして深呼吸をする。魔力の廻りを感じて、力を込め直す。

 ヴィザーは常に冷静だ。彼女の力は冷静であるが故に、万全に発揮される。


 そして次なる攻撃に対処しようとしたその時、水の槍が火球を撃った。


「アージュバターナーさん!お待たせいたしました!」

「―――貴方達は」


 戦場に新たに魔術師が現れる。その数は五人。ヴィザーが配置された場所に近い場所へ配属された魔術師たちが、連絡を受けて応援にやって来たのだ。


「付近の人々は特待生含めて避難完了しています!」


 集った魔術師は余計な言葉を発さず、到着と同時に魔術を唱えていた。

【焔の魔王】の攻撃を迎撃しつつ、幾つもの支援魔術をヴィザーへと付与していく。

 ヴィザーの魔力量は多い。とはいえ、無尽蔵ではない。数分の戦闘でも全力で魔術を行使し続ければ底を衝き、疲労も蓄積してしまう。


「………援護をお願いします」

「了解しました!」


 数とは力だ。

 ヴィザー・アージュバターナーは間違いなく傑物の一人だが、それでも限界はある。

 一人よりも六人の方が圧倒的に手数も増える。


〈五重水槍〉クイン・クァズ・ラノス!」

〈土鹿の角槍〉(ザンビルエ・ラノス)!」

〈風霊籠〉(シルフィ・アミア)!」


 新たにやって来た五人の魔術師が魔術を唱えていく。

 それぞれ異なる部門の魔術師が、異なる系統の魔術を唱えていく。

 現代魔術、古代魔術、精霊魔術が入り乱れ、魔王へと放たれていく。


もやす(もやす)!!」


 水の槍が生み出される火球を迎撃し撃ち落とす。

 沃土と大角の神ザンビルエの角が【焔の魔王】の身体を穿つ。

 撒き散らされる被害を抑える風の籠によって、被害を抑えている。


 彼等は決して凡百の魔術師ではない。寧ろ才能ある魔術師達だ。

 この作戦に投入されている事自体がその証左だ。

 魔術式の精度も十分に高い。ヴィザー程ではないとはいえ、実力も申し分ない。


 一人には一人の戦い方があるが、多人数には多人数の戦い方がある。

 冒険者たちが仲間を組んで強大な魔物を打ち倒すように、魔術師達は力を合わせて強大なる敵を打倒さんと戦っている。

 それは間違いなく、ヴィザーだけの時にはできなかった事だ。


 だが―――だからこそ、なのだろう。


いる(るい)―――」


 誰もが空を見上げた。

 見上げさせられたのだ。


「なっ―――」


 此処に来て、漸く彼等も理解した。

【焔の魔王】に関する情報はあまりにも少ない。遥かな過去にすら、真面な記録は無い。

 だが僅かな生き残りが、彼の魔王の脅威を伝えたが故に記録として残っている。箒火星についての記録もまたその類だ。


 曰く―――文明の破壊者と。


 では何故、【焔の魔王】がそう呼ばれたのか。

 顕現から数分。彼等はあまりにも遅れて知った。


「ふざけろ……」


 青天を埋め尽くす真紅。

 満天の星の如く、燦然と輝ける火炎。

 箒火星など生温い。絶望という名の熱。


 嗚呼、これこそが文明の破壊者たる所以。


 万象万物を焼き尽くす、灼熱の王。

 魔術を超えた魔法の力。


 容易に想像できるだろう。

 ヴィザー達の後方に存在するのは最高学府だ。

 あの火が降り注げば、どれだけの時間都市の結界は保つだろうか。

 一度ならば良いだろう。

 二度、三度と繰り返されればどうなるだろう。


 狂った魔王は諦める事を知らない。

 目の前の敵を焼き消すまで止まらない。


 一人の人間が出来る事は限られている。

 魔術師は、人間は決して全能では無いのだから。


 無尽の魔力を以て、あらゆる『文明』を破壊するまで止まらない。

 かつて栄華誇りし都市に三日三晩降り注いだ破壊の雨、滅びの歌。

 それに勝るとも劣らない悲劇を齎すだろう。


 魔王が用いる力は魔術ではない。世界より魔力を簒奪する権能である。

 故に本来彼等には、『詠唱』という行為は不要なのだ。

 息をするのと同じように、彼等は権能を行使する。


 ならばもし、魔王が()()を行ったのなら。

 言葉に魔力を乗せて、単なる『力』ではなく、『技』として行使するのなら。


「ッ―――!」


 それはどれだけの力を有しているのだろうか。






〈焔、それは雨〉フォアベルラ・ソドムス



 今、業火の雨が降り注ぐ。


 ■◇■


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