万象は移り変わる。
2025/11/23:少し修正しました。
■◇■
「此方魔王科!!観測結果出ました!前回の魔力証文と合致確認!間違いありません!炎十種極純粋型魔力反応……!奴です!!個体識別名【焔】……【焔の魔王】です!!」
「結界維持機構最大出力。現在時刻より最低一時間は内外の出入りを完全に閉鎖。防性結界、多重展開……南西十番に照準維持。防衛魔術師の増員も完了しております!!」
「記録用魔道具起動完了。魔力保管機も並列展開……収集率、誤差率共に理論値……で安定。遠隔視認魔道具投影!!映像出ます!!」
「各地に配置された魔術師へ伝達完了!目的地まで最短六〇〇秒後に到着見込み。周辺区域の避難は順次進めております!」
「魔道錬金部門より遠隔操作用魔像の投入を開始……外壁に配置中!支援体制完成度八割!」
最高学府のとある場所。そこには多くの魔術師が集っていた。
慌ただしく動く魔術師達が、各々の責務を全うしている。
広い空間に幾つもの魔道具が並べられ、幾人もの報告が行き交う。
誰も油断していない。誰もが緊迫感を抱き、全力で最善の選ばんと藻掻いている。
当然だ。そうしなければ死ぬと理解している。
皆属する部門も学科もばらばら。だが目的は共通している。
彼等は最高学府の壁、最高学府の守り。
人類の叡智の結晶、智の大図書館を護る責務を与えられた者達なのだ。
魔術師達の中心にて一人の老人は、学園長キセノアルド・シラバスは呟いた。
「―――来たか。文明の破壊者よ」
◇
魔王。
それは単なる御伽噺の存在等ではない。
伝説上の存在でも、空想上の存在でもない。
昔話でも、噂でもない。
世界に実在する脅威。凡百の魔物とは一線を画す、強者。
一度彼等が息を吹きかければ、矮小なる人間の命等容易く掻き消えてしまう。
それこそが魔王。
例え序列に並ばずとも、彼等は強者である。
「いるみるすすむすすむすすむ」
生ける火炎が、【焔の魔王】が緩やかに歩を進める。
火は人間を象っているものの、決してそれは人間種族ではない。
本来顔があるべき場所には業火が燃え盛り、黒点が表情の様に見えるだけ。
そもそも燃え盛る炎に物理的な実体があるかも定かではない。
それは本質的に火なのだ。
生物が根源的に抱く恐怖―――火。
触れれば燃えて死ぬ。そんな単純な事実が生命を伴って襲来する。
それだけの事。だがそれだけ故に、恐ろしい。
だが―――
「行け」
魔術師が指を指し向けた瞬間、巨大な岩の槍が【焔の魔王】を貫く。
更に攻撃はそこで止まず、続いて魔術師が手を握り締めると同時に【焔の魔王】の全身が岩石によって覆われる。一瞬の後に巨大な岩が火炎ごと魔王の全身を呑み込んだ。
魔術師の名はヴィザー・アージュバターナー。
最高学府現代魔術部門物質科の科長であり、アージュバターナーの名を継ぐ者。
彼女は圧倒的な脅威を目の前にしても、臆す事無く魔術を放っていた。
「アージュバターナー先生!」
「君は逃げろッ!奴の狙いは恐らく私だ!!早く中へ入れ!」
「それはどういう―――っ!」
「…………やはり、この程度では足止めにもならないか」
爆発音と共に訪れる暴力的な熱風が周囲を焦がす。
ヴィザーもクリスタルも魔力防御を纏っているために『熱い』程度で済んでいるが、そうでなければ火傷は免れない程の気温上昇である。
目撃したのはヴィザーが放った魔術、〈岩窟の檻〉が融解していく様。【焔の魔王】が有する膨大な熱がヴィザーの魔術を融かしてしまったのである。
「すすむすすむすすむすすむすすむ」
その肉体に先程〈岩槍〉によって空いた筈の穴は既に存在していない。
あれ程に巨大な槍を投擲されても尚、魔王の肉体は依然として無傷であった。
そして―――
「いるみる やく」
「―――ッ!」
言葉らしきものと共に、出現する巨大な火球。
一目見ただけで理解出来る程の莫大な魔力量。
衝突すれば間違いなくひとたまりも無いだろう。
そんな火球が、
「もやす」
【焔の魔王】が腕を振ると同時に、ヴィザーへと向かって放たれる。
「―――ッ〈鉄壁なる要塞〉」
魔術陣に待機させた魔術では防ぎきれないと判断したヴィザーは瞬時に魔術を唱える。
現れたるは鋼鉄の大壁。堅牢なる要塞の如き鉄壁。
魔術が火球を受け止め、それと同時に火炎が爆ぜる。
再度来訪する熱風。見れば鉄壁の火球と衝突した部分が抉られる様に溶解していた。
間一髪の防御。間違いなく衝突すれば骨も残らぬ業火。
かつて新星大会でヴィオレ・ハールトが見せた〈熔かす者が為の剣〉にも匹敵する一撃。
あの火球は一人の魔術師が切札として秘すべき程のものであった。
のに、
「もやすもやすもやすもやすもやすもやす」
既に【焔の魔王】の周囲には先程よりも大きな火球が五つ浮かんでいた。
「…………これが、魔王」
それは誰が呟いたのか。
現場に居たヴィザーか、クリスタルか。
それとも最高学府にて遠視を行っていた魔術師か。
或いは、世界の何処かに居る誰かか。
だが、そうだ。
これこそが魔王。
普通の魔術師が一度撃つだけで魔力が尽きる魔術でも、魔王には関係ない。
【焔の魔王】に疲労は確認できず、全身の火炎は高らかに燃え盛っている。
当然だ。そもそもこれは、魔術ですらない。
魔物が使う『魔術』は厳密には『魔術』ではない。
魔物の使う『魔術』には魔術式が無く、魔術式とは人間の発明だからだ。
そして魔物は詠唱もしない。魔物は人間が用いる『言葉』を使えないからだ。喋る魔物が居ても、それは人間の真似をしているだけであり、彼等は本質的に『言葉』を持たないからだ。
魔物は魔術式も使わず、詠唱もしない。彼等の扱う『魔術』とはあくまでも彼等が生まれながらにして有する『能力』や『特性』なのである。
では【焔の魔王】の火炎もまたそういった類のものなのか。
目の前に浮かぶ業火は【焔の魔王】の『能力』という事なのだろうか。
それも違う。
魔物が使う『能力』でも魔力は消耗する。
魔力とは万物に宿り、万物へと変わる可能性を有するもの。
生命を動かし、物体を保護し、時に奇跡すら起こして見せる。
人間が『魔術』を唱える時の様に、魔物もまた『能力』を使う時、魔力は必ず消耗する。
それがこの世の法則。
あらゆる生命に適用される掟。
―――故に、魔王とはあってはならない存在なのだ。
魔王が使う『魔術』に魔力の消費は無い。
理論上、彼等の『魔術』に限度はあっても限界は無い。
事実として、彼等は無限に『魔術』を使う事ができる。
ならば彼等が使う力は、『魔術』ではない。
そう呼ぶにはあまりにも逸脱している。
その正体は権能とも呼ばれる力。
この世にあって、掟に縛られぬ力。
故に魔王とは、魔術の王。
魔力を統べる法を敷く者。
唯一の魔法へと到達せし異常存在。
「もやす」
「〈五重岩剣〉」
五つの巨大な火球が撃ちだされ、それらをヴィザーもまた五振の大剣で迎撃する。
五重に重ねられた五振の岩石の大剣。ヴィザーによって組み上げられたそれは、単純な鉄剣を凌駕する硬度と切れ味を誇っている。
何より、構成する速度が速い。
現代魔術部門物質科の魔術師であるヴィザーが得意とするのは土属性の魔術。土属性の基本的な魔術であればヴィザーは殆ど意識をせずとも唱える事ができる程だ。
実際、ゼルマとの試合でも主に使ったのは土属性の魔術であった。
詠唱を要しない相手との戦闘において、速度は普段のそれよりも遥かに重要度を増す。
巨大な剣が火球へと突き刺さり、爆発する。巨大な火球はそれだけ不安定な状態なのか、ある程度の大きさの物質に衝突すれば纏まりが解けて爆発する。
計五度の爆発と熱風。先程よりも莫大な熱が放たれ、それらが魔力防御を貫通して皮膚へと到達し熱を齎す。まるで火炎の水浴びのようだ。
本来攻撃ですらないものでも、【焔の魔王】の高熱を以てすれば攻撃となる。それも暴雨の如く降り注ぐ凶悪な攻撃に姿を変えてしまう。
撒き散らされる火と風は魔力防御に回す魔力すら惜しい程の苛烈な攻撃。だが魔力防御を軽んじれば、全身が焼けてしまう。そうなれば更に状況は悪化の一途を辿る事になるだろう。
魔力防御の無い魔術師は所詮、一般人と変わらない。
「〈排熱強化〉〈火炎耐性〉〈岩石強化〉〈結晶鏡〉」
「―――!クリスタル……」
攻撃の最中、複数の強化魔術がヴィザーへと降り注ぐ。誰がそんなことをしたのか。答えは明白だ。
未だ戦場から去らぬ魔術師、クリスタル・シファー。
彼女が強化魔術をヴィザーへと施したのである。
「すみません先生。私は此処を離れます。……残念ながら私では力不足なようです」
「謝る必要は無い。支援に感謝する。さぁ、行きなさい」
「ご武運を」
目の前に脅威が存在する今、長く会話する猶予は残されていない。
熱風が治まり、【焔の魔王】はヴィザー達の元へ既に歩みを進めている。
近付く程にはっきりと感じられる熱量。純粋なる脅威。
クリスタルの強化魔術で先程よりも格段にマシになっているとはいえ、直接受けられるものではない。触れればそのまま焼死は免れない。
「さがるさがるさがるあがるすすむいく?」
「―――まさか私がこの役目を担う事になるとはな。……つくづく運命とは奇妙なものだ」
ヴィザーが手袋を嵌め直す。
既に手に装着されているそれを態々整える動作は、それがヴィザーにとっての戦闘における習慣だからだ。
初めて彼女が戦う為の魔術を学び始めてから、変わらない彼女の習慣だったからだ。
「さがるさがる―――」
「おい。お前の相手はこの私だろう、〈五重岩槍〉」
「いる?さがるいる?いる?」
クリスタルに釣られて動き出そうとする【焔の魔王】を魔術で牽制しつつ、ヴィザーは思考する。
クリスタルは最高学府へと駆けて行った。身体強化の魔術を用いれば長い時間はかからないだろう。予測された脅威故に外壁からある程度距離を取る必要があったが、何日も要する程の遠方ではないのだ。
ヴィザーは振り返らない。ただ背後で気配を感じて、彼女は【焔の魔王】を真っすぐに見据える。
鋭い視線が、刺し貫く様に【焔の魔王】へと向けられている。
「あれから二十年か……長いようで、短くもあったな」
「まえすすむいるさがる こわす?こわす?」
「あの時から何もかもが変わった。つまり人生とはそういうものらしい。アージュバターナーの私が言うのは、ともすれば必然だったのかもしれないな」
魔王は魔術師の上位互換。
無限の魔力を持つ存在に、有限の魔力しか持たない魔術師は圧倒的に不利だ。
魔術師にとって魔力は生命線。尽きれば死が待ち受けている。
にもかかわらず、ヴィザーの目線が逸らされる事は無い。
彼女の決意を証明するかのように、彼女はそこに立っている。
「解放」
彼女の言葉と共に出現する無数の鉄槍が四方八方から【焔の魔王】の肉体を貫く。
どれもが強力な一撃。名だたる名槍に勝るとも劣らない〈鉄槍〉を惜しみなく投入し、結果あたかも罪人を捕らえるかのように【焔の魔王】はそこに留められる。
「すすむすすむすすむもやす」
だがそれも数秒の事。
すぐに【焔の魔王】から湧き上がる火炎によって焼失する。
「魔術陣、全開放。〈岩窟の檻〉〈三重鉄槍〉〈三重氷槍〉」
しかしヴィザーは攻める手を緩めない。
魔術陣に残された魔術を全て解き放ち、その上で各種魔術を撃ち続ける。
新たに生み出された火球も都度撃ち落とし、手数を以てその場に留め続ける。
「ふぅ……そろそろ逃げた頃合いか」
「さがるさがるさがるもやすもえるつきる?」
「様子見か……いや、理解していないだけなのか……どちらでもいい」
魔術陣も底を衝き、放った魔術の全てが破壊された。
時間にしてほんの数分の出来事。だがそれが重要だった。
「勝てるとは思わないが……精々足掻かせて貰うぞ、魔術の王よ」
貴重な魔力回復薬を噛み砕き、飲み干し、ヴィザーの魔力が滾る。
これが回復の最後の機会。故にヴィザーの好機は今。
「不変の理、真実の言の葉、万象の形」
ヴィザー・アージュバターナー。
今でこそ最高学府最年少の科長として名を知られる彼女だが、そうなる以前も彼女の名は知られていた。
類稀なる天才として。アズバードの門主に認められた者として。
そして―――英雄アージュバターナーの末裔として。
「顕現せよ」
「〈三態自在酒杯〉」
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