探求せよ。それが魔術師に課せられた使命であるが故に。
■◇■
「痛ッ…本気で打ちやがって………俺じゃなきゃ木端微塵だぞ?」
「そっちこそ本気で殴って来ただろう。御相子だ」
「だからってよぉ……」
「引き分けになったんだ。二人共もう良いだろ」
怪我をしたフリッツに回復魔術をかけながら、ゼルマが仲裁する。
大技を真正面から受けた筈の二人だが、どちらも幸い軽傷に終わった。強いて言うならフリッツの方が怪我は酷かったのだが、元より頑強な肉体であるフリッツの怪我は既に治癒しつつある。
「………終わったぞ」
「おし!ありがとよゼルマ。うっと………よし!回復魔術って終わった後妙に疲れるんだよなぁ」
「俺の回復魔術は治癒力の強化だからな。信仰魔術のそれじゃない」
「ま、治るんならどっちでも良いけどな!あざっす!」
手を握ったり開いたりして動きを確認するフリッツ。どうやら後遺症も無いらしい。
「フリッツもエリンも、しょうもない理由で喧嘩するな。仲が良いのは知ってるが、それでも限度がある」
「「だってこいつが!」」
「治してるのは俺だ。後始末をしてるのもな」
「ぐっ………」
フリッツもエリンも回復魔術を使えない。正確にはエリンは使えはするのだが本人は苦手としているし、大抵試合の後は疲弊している事もあってゼルマが回復魔術を使用する。
ゼルマの使う回復魔術は治癒力を強化するものであり、大きな傷を回復させる事は出来ない。擦り傷や打撲といった傷なら可能だが、骨折や裂傷まで行くと厳しいだろう。
「回復出来る範囲にも限界がある。もっと平和的にやってくれ」
「気を付けます………」
「すまない………」
とは言っても暫くしたら同じように模擬戦という形で戦う事は分かり切っている。
仲が良いのか悪いのか、これだけ言い争っていても付き合いを続けているのだから根本的には仲が良いのだろう。つい口を滑らすフリッツと信念を曲げないエリンはどうやっても衝突する運命なのかもしれない。
因みに今回はフリッツの軽口が原因の一つだが、勿論逆の場合もあった。
以前はエリンがやたらとフリッツに説教を行って怒らせたのだ。この時はエリンの言い方にも問題があったし、その後の対応も悪かった。
つまり、この二人は結局そういう関係性なのだ。
そして訓練場を出た三人は最高学府の道を歩いていた。
不意に、フリッツが言う。
「そうだ、お前等この後暇?」
「何だ?何かあるのか」
「いや、特別な用事は無いんだけどよ。久しぶりに中央の方まで行かねぇ?買い物とかしたいし」
中央、というのは最高学府の中でも最も栄えた地区の事を指す言葉だ。
最高学府の中心には巨大な塔が建てられ、その周囲を円環に幾つもの建物が並んでいる。この塔は所謂講義などが行われる学舎では無く、学長を始めとした特別な魔術師のみが入る事を許された最高学府で最も重要な場所だ。
しかし円環に立ち並んだ建物も一般学徒立入禁止かと言われればそうでは無く、この建物の中には最高学府でも規模の大きい商店や施設が入っているのである。
「すまない。今日はパスさせてくれ。私はこの後予定があるんだ」
「まじかよ。…まっしゃあねえわな。ゼルマは?」
「そうだな………」
先にエリンが用事だからと断ると、フリッツが今度はゼルマに問う。
ゼルマは本日の予定を頭の中で思い浮かべる。
確かに大した用事も予定も存在しない。だが、
「俺も今回は遠慮しておく。次回三人が揃ったら行こう」
「ええー!?…ま、二人共予定があるならしょうがないか。じゃあ次は空けといてくれよ?」
「分かった」
「私も、出来るだけ空けておく」
態々予定が無い事は言わない。言うだけ不和の元となるだけだ。
だが、全てが嘘という訳でも無い。用事も予定も存在しないが、やりたい事は存在している。
それはある意味、ゼルマにとっては多くの物事よりも重要な事だから。
「じゃあまた今度な!」
「講義では顔を合わせるし話すだろ」
「予定の話だよ、予定の!」
そうして、彼等は別れた。既に日も傾いていた時間の事だった。
■◇■
寮の自室に戻ったゼルマは、着ていたローブを脱ぐやいなやソファに寝転がる。
最高学府が支給するローブは制服に近しい意味を持っている。着用しなくとも特に罰則がある訳では無いが、単純に性能が良い為に多くの学徒が着用していた。
魔術的な防御性能やある程度の汚れを弾く加工、見た目は重々しいが軽い素材で縫われており長時間着用していても疲れにくい。
このローブが支給されるのは入学時だが、愛用されるのも頷ける性能である。そこいらに売られている防具等よりも余程高性能だ。
「ふぅ………」
ゼルマの自室には所狭しと研究に用いる道具や資料が並んでいた。
ゼルマの部屋の広さはそれなりなものだが、それらが至る所に置かれているせいで狭く感じる。だが決して雑多に置かれているのではなく、見ればきちんと整頓されている事が分かるだろう。
ゼルマが態々この寮を選んだのもある程度の広さを確保する為だった。
「魔術式、連動術学、古代魔術、精霊術、ナーサリーの杖術、神学………」
今日の講義を振り返り、思い起こし、記憶に焼き付ける。
一人だけの部屋の中で、空に向かって言葉を紡ぐ。
家に帰れば必ず行うゼルマのルーティーンだった。
(今日のは良かった。教科書通りじゃなかったし、何より使える)
魔術師。それは魔術を使う人間を指す言葉だ。
だが最高学府においては単に魔術を扱う者だけを指す言葉ではない。
魔術師とは、魔術を追い求める者でなければならない。
(式ももっと省略できる。魔力消費を抑えて、連動させる。魔術式に連動要素を加えて………)
思考が加速し、彼は目を閉じる。
視覚を制限する事でより思考に集中する為だ。
(開始術式を回転、連動術式の理論を用いて連動させる。基礎的な魔術式を用いなければ、結局消費間魔力に釣り合わないし、一般化出来ない。なら、単純な式を重層構造にして―――)
と、そこまで考えた所で自室の扉が三度ノックされる。
思索の海に沈みかけていた彼の意識が、すっと現実に戻される。
立ち上がり、軽く頭髪を手櫛で整えた後入口の扉を開けるとそこには一人の女性が立っていた。
「………先輩」
「やあ!遊びに来てあげたよ、ノイルラー」
わはは!と笑いながら玄関前に立っていたのはノア・ウルフストン。
四日ぶりの邂逅である。
「何しに来たんですか、こんな時間に」
「うん?何って、遊びに来ただけだけど?」
「………」
「それに実家から良いモノが送られて来たからねぇ、君にお裾分けというやつさ」
そう言って彼女は手に持った袋をぶらぶらとゼルマの目の前に吊るす。
ゼルマの方が身長が高いのでノアが手を上にあげてゼルマの目の前に持ってきた形だ。
「一人ではどうせ食べきれないし、折角ならお世話になっているかねぇ君と食べようかと思って」
「それは、どうも………」
「………迷惑、だったかな?」
正直な所、迷惑だ。
ゼルマにもやりたい事はあるし、今日だってその用事の為にフリッツの誘いを断った。本来ならここでノアの誘いを受ければフリッツに嘘を吐いた事になってしまう。
だが彼女が持つ袋は結構な大きさだった。
何が入っているのかは分からないが、それなりの量がある事は間違いない。
小食気味かつ食事をすっぽかす事の多いノアが食べきれるのかというとかなり難しいだろう。
そして申し訳なさそうに、或いは多少の罪悪感か上目遣いでゼルマの様子を窺うノアの表情は彼が断わる事を非常に困難にする。
「………良いですよ、入って下さい。かなり散らかってますが」
「やったぁ!お邪魔させてもらうよ!」
◇
部屋の中に、二人の姿がある。
言わずもがなゼルマ・ノイルラーとノア・ウルフストンである。
「うむ、相変わらず綺麗な部屋じゃないか。私よりよっぽど綺麗にしているよ」
「先輩はもっと整頓してください」
「増える方が早くて追い付かないんだよ。君が片付けに来てくれたら良いんだけどなぁ」
「もうしません。自分でやってください」
「そんなぁ!?」
以前彼がノアの部屋を訪れた時、待ち受けていたのは塔の如く詰まれた資料と書籍だった。
最高学府内に一軒家と呼ばれる形態の家屋は殆ど存在しない。大抵がゼルマ達の住む寮の様な集合住宅か、複数人で居住する事を前提とした二から四階建ての広めの住宅だ。
「自分でやらないと場所が分からなくなりますよ」
「あれから資料も随分増えちゃってねぇ………正直どこに何があるのか………」
「もう分からなくなってるじゃないですか」
「うう………気を付けたいとは思ってるんだよぅ」
ノアが借りている寮の部屋はゼルマが借りている部屋の二倍程の面積。二人部屋を一人で使っている。そんな部屋が天井に衝きそうな程の本で埋め尽くされていたのだから、ゼルマも驚愕するというものだ。
元々欲しい物はすぐに手に入れようとする性格の為、部屋に際限なく物が増えていく。
ゼルマが知り合った時には既に身動きが殆ど取れない程に部屋に書物が詰め込まれていた。
そうして遂に見かねたゼルマが、仕方なく、本当に仕方なく掃除と整頓を手伝ったのが既に数か月前の事である。
「………で、それは何なんですか?」
話の方向性を変えるべく、ノアが持ってきた手土産の話をふる。
「ああ、これはね………」
ごそごそとノアが袋の中を探ると、四角い包みを取り出した。
「じゃじゃーん!商国で人気らしいお菓子だよ。何でも向こうだと手に入れる為には三時間は並ばないといけないんだってさ。かなり美味らしいよぉ」
「お菓子ですか。珍しいですね。商国というと、結構遠いですが」
「父上も母上が旅行好きだからねぇ、旅先からたまにお土産を送ってくれるのさ」
ノアの両親、つまりウルフストン家の現当主とその妻。
ウルフストンは部門の名前にある通り魔術歴史を研究する家系だ。歴史というものは世界中様々な場所に存在している。その当主が旅好き、というのもなんら不思議な所は無いだろう。今回も西方の大国である商国まで遥々旅をしてきたという事らしい。
娘の場合は出不精で資料等は取り寄せる専門なのだが………。
「さっ食べようではないか、私もまだ中身を見ていないのだよ~」
「はいはい、今開けますよ………」
ゼルマが急かされるままに包みを丁寧に開いていく。
すると中から色とりどりの菓子が現れた。パイ生地の様なものでクリームをサンドしている小さめの菓子が包みの中に十二個。一つ一つは小さいのだが、二人で分けるとなると結構な量になりそうだ。
「うわぁ!美味しそうだねぇ。こういうのは流石に最高学府には無いからね」
「取り分ける必要は無いみたいですね。先輩、先にどうぞ」
「良いのかい?じゃあ遠慮なく頂くね。どれにしようかなぁ」
少し迷った後、ノアは桃色のクリームが挟まれたものを選んだ。その後ゼルマは黄色のクリームが挟まれたものを選んだ。
「頂きます。あむ…うむうむ…美味しいじゃないか!甘くてさっぱりしているね」
「そうですね。見た目よりあっさりしている感じです」
ゼルマが食べたものはクリームの甘味の中にさっぱりとした酸味があり、サクサクとした食感の生地と非常に合っていた。上品な味わいで、複数個食べてもくどくならない味だった。
「人気なだけある味だねぇ。今度、もう一回頼んでおこうかな」
「あんまり困らせたらだめですよ。でも、確かに美味しいですね」
「何個でも食べられそうだねぇ」
一つ目を二人共食べ終え他の色を食べてみると、どうやら全て味が異なっているようだった。
そのおかげもあってか十二個あったお菓子はみるみるうちに無くなっていく。結局ゼルマよりノアの方が多く食べ、二人はお菓子を食べ終えた。
「それで、本当は何の用事ですか」
ゴミの片づけをしつつ、背後で休むノアに対してゼルマは本題を切り出す。
「………なんのことかな?」
「恍けて無くても良いです。前回は一ヵ月半も会わなかったのに、そんな先輩が態々菓子折り持って単に遊びに来ただけなんて有り得ないです」
「ひぎあゃっ!?」
そして口には出さないが、ノアがこんな行動を取る時には何かした裏がある事をゼルマは知っていた。
「………はぁ、君には何でもお見通しだね…そうだよ、話したい事があって来たんだ。ま、まぁ単に会いたかったというのもあるんだけど………」
少しだけ顔を赤らめて呟くが、はっとした様子ですぐに顔をぶるぶると振る。
そしてソファに座りながら、ノアは真剣な表情で話し出した。
「………聞いたよ。この前は………ごめんね」
「………何がですか?」
「認定審査の事、軽々しく言ってしまった。無神経だった」
「気にしてないですよ」
認定審査。
この場合、この言葉の意味が表すのは魔導士の認定審査の事である。
魔導士の学位を認定する方法は二種類しか存在しない。実績か、理論かだ。
実績とはその名の通り魔術師として積んだ実績の事を指す。ある種名誉によって与えられるものであり、凶悪な魔物の討伐や、戦闘技術による実力の証明などがそうだ。
しかし実績によって魔導士の学位が与えられる事は非常に稀である。それに値する実績を作る位ならば、後者の方が余程取得しやすいからだ。
その多くの魔術師が学位を取得する方法が理論である。
魔術の理論を論文にして纏め、最高学府に提出する。内容は何であっても構わない。その内容が魔導士の条件である『魔術を導く士』に足るものであると認められるのであれば。
審査会によって研究内容・論文は審査され、そうしてその分野において魔術師は魔導士の学位を得るといった流れである。
実績という不確実なものを求めるよりも確実な方法。勿論殆どの場合、一回の提出で学位が認められる事は無い。最高学府の審査は厳しく、余程の内容でなければ一回目で通る事は稀だ。
故に学徒達は長ければ数年に一度のペースでしか認定審査を受けない。そもそも受ける事が出来ない。時間をかけ、より確実な内容とする為に。
そうして最高学府は魔導士の質を保っているのである。
だが―――。
「一ヵ月半の間に、二回。…二回も、落ちていたなんて」
単純に計算して、約二週間に一度。そして今ゼルマが執筆しているものもふくめれば、二か月に満たない期間の間に三回もの認定審査を受けようとしている。
これは異常なペースだった。
「誰から聞いた…いえ、野暮ですね。そうです、二回………入学時から含めるともう四回目ですね。………次のも含めたら五回かな」
誰から、そんなのは問題じゃない。
ゼルマは自分で自分の行いを責める様に言う。それが無駄な行いであると理解しているのだろう、にも関わらずゼルマは既に次の話をしていた。
「大丈夫、なのかい?」
「大丈夫です。それに、先輩も知っているでしょう。だからこそ………だからこそ俺はやらなくちゃいけないんだ」
「………」
ノアは優秀だ。彼女の認定審査は全て一回目で通っている。彼の様に苦労して執筆したものでは無い、彼女が単に研究の成果を纏めて審査会に提出したものだ。
『神代における物語の創作と実情』、『古代における英雄の価値について』、『英雄が用いた魔術の再現:紅き瞳のベアトリーチェ』。これ等三つの分野はいずれも彼女の評価に大きく関わっている。
ノア・ウルフストンはウルフストンの名に相応しい魔術師であると。
彼女が問題児ながらに周囲から認められているのは、それだけ彼女が優秀だからだ。
でも理解出来る。彼の気持ちを、彼の言う言葉を、ノアが分からないという事は無い。
それは相手がゼルマだからなのかもしれないが、それは彼女もまた魔術師だからだ。
魔術師を始めるとは、そういう事なのだ。
だが、だからこそ。彼女は知っている。
ゼルマの行いが、決して身を結ぶ事が無い事を。
ゼルマの行いが、決して認められる事は無い事を。
いや、ゼルマでなくとも―――。
「………………そっか。そうだな、君はそういう奴だ」
ノアはいつもの様に笑った。笑顔を普段通りに出来ていたか、それを彼女が知る事は出来ない。
ただ少しでも、少しでもと感じただけだ。
「この前にも言いましたが、俺は大丈夫です。先輩は先輩のやるべき事をやって下さい」
ゼルマは微笑む。その表情が、ノアには何とも寂しげに見えて仕方がない。
でもそれを指摘されるのを、彼は嫌がるだろう。
「もっと、私の事を頼っても良いのだからね。なんたって私は先輩なのだから」
「………ありがとうございます、ノア先輩」
「ふふん。頑張り給えよ!」
その後、なんて事は無い世間話等をして解散する運びとなった。
ゼルマがノアを自室まで送ると申し出たのだが、ノアはそれを「どうせすぐさ」と断った。
ノアが去った静かな部屋でゼルマは机に並べられた資料を見ながら、ぼそりと、誰も居ない部屋で誰にも聞こえない様に呟いた。
「………俺は、俺だ」
■◇■
〇商国
大陸南西に位置する大国。その名の通り、東西南北の交易の中心地。
大陸中から様々な品が集められ、取引される。
その性質上大規模な骨董市も開かれており、魔術師達も多数訪れる。