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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
77/87

石の中から玉を厳選せよ。

 

 ■◇■


「あああああ終わったぁぁぁ!!」

「お疲れ様です」

「お疲れ」


 雄叫びを上げるフリッツにそれぞれが労いの言葉をかける、そんなある日の午後。

 ゼルマ達は図書館の一角に集合していた。

 その目的は提出期限の差し迫ったフリッツの課題を消化する為である。


 第一学期の終了まであと残り僅か。驚くべき事に課題を放置していたフリッツを見かねてなんだかんだ面倒見の良いエリンを中心に彼の課題を手伝う時間を設けたのだ。

 勉学においては同年代でも最上位に位置するエリン、ゼルマ、クリスタルの三人だったが、それでもかなり時間を要する量の課題だった。外は既に夕暮れ時である。


「まぁじで助かった!!お前等の手が無けりゃあ絶対間に合って無かったぜ!!今度飯奢る!いや、奢らせてくれ!!」

「奢られてやっても良いが、味の濃いものは無しだ。気分じゃない」

「私は間に合っているので結構です」

「暇ならな」

「何だよ、つれねぇ奴等だなぁ」


 そう言いながらも、フリッツは机に広がった課題や本を片付けていく。

 一刻も早く勉強から解放されたかったのか、非常に素早い動きだ。

 そんな様子を「最初からそれくらい早く手を動かせ」とばかりにエリンが厳しい視線を送っているのだが、当の本人は課題を終えた高揚感からか気付いていない。


「だけどよ、マジに助かったぜ。ありがとな」

「お前は別に地頭は悪く無いんだから普段から勉強すればいいんだ。そうすれば期限間近でこんな風に困る事等無くなるというのに……」

「やれるのと好きなのは違うんだよ。な!」

「同意を求められても困る。俺は勉強が好きだからな」

「右に同じくですね」


 フリッツが同意を求めるが、軽く一蹴される。

 当然だ。この場に居るフリッツを除いた三人は勉強を苦に思わない人間である。 

 同意を得られる筈も無い。


「……課題系はこれで終わり。……後は実技と筆記か……」

「実技は大丈夫だぜ。試験もギリギリ大丈夫な計算だ」

「流石に不正を手伝う訳にもいかないからな。そこは乗り切ってくれ」

「任せとけ。究極の一夜漬けを見せてやるよ」

「はぁ……不安だな」


 課題は手伝う事が出来たとしても実技試験と筆記試験はそうもいかない。

 もし不正が露呈すればそれこそ一巻の終わりである。停学すら有りえる。

 更に言えば最高学府の教師は皆優秀で不正を行えば露呈は免れない。そういう意味でも最高学府の試験で不正を働く事は不可能なのだった。


 エリンの言う通り、フリッツの地頭は悪くない。

 寧ろ教わった事をすぐに吸収できるという点を見れば良い方だろう。

 実技にしても近距離格闘を中心としたフリッツの戦闘方法はかなりの仕上がりだ。血統魔術の効果も相まって、近距離で限定すれば最高学府でも上位に位置する実力の持ち主である。


 ただ彼の大きな欠点は、致命的に勉強に向かい合うまでの腰が重い事だった。


「あ、そういえばよ。お前等聞いたか?あの話」

「あの話?」

()()()だよ()()()。確か一週間後だろ?」

「あぁ……そういえばそうだったな」


 箒火星。不意にフリッツの口からそんな単語が出る。


 だが、それは意外な言葉だった。

 何が意外かといえば、その言葉がエリンでもクリスタルでもなく、フリッツの口から紡がれた事がだ。


 箒火星とは大陸で確認できる、とある現象を指す言葉である。

 空に浮かぶ、視認出来る程に大きな火の玉が大陸全体を飛び回る。その軌跡が箒に似ている事から名付けられた現象である。

 万人が知っている事は無いにしても、それなりに知識のある人間ならば一度は聞いた事がある程度の知名度だ。


 だが逆に言えば、それなりに知識が無ければ聞いた事のない言葉という事でもある。

 そんな言葉をフリッツが明確に認識していたのがぜルマにとっては意外だったのだ。

 勿論、可哀想なのでフリッツには言わないが。


「意外だな。まさかお前が講義を真面目に聞いているとは」

「馬鹿。普段から真面目に聞いてるわ」


 だが同じような事をエリンも思ったのだろう。

 ぜルマが飲み込んだその言葉を彼女は指摘した。


「オレ生で見るの始めてだからよ、楽しみだぜ」

「意外だな。そういうのには興味無いかと思っていたが」

「失礼だな。俺だって星を愛でる心くらい持ってるわ」

「正確には星じゃないですけどね」

「え、そうなのか?」


 クリスタルからの補足を受けて、疑問を投げかけるフリッツ。

 それに対しクリスタルはいつもの様に解説を続けた。


「はい。大陸を周遊する箒火星の正体は未だ不明です。濃密な魔力による特異的な自然現象とする見方が主流ですが、一説には酔狂な精霊の遊びだとも言われていますね。いずれにしても、星でない事は確かです」

「へー星じゃ無かったんだな」

「星は大陸を動き回りませんよ、フリッツさん」

「そうだぞ、フリッツ」

「また一つ勉強になったな」

「分かった分かった分かったって」


 全方位からツッコミを入れられるフリッツ。

 だが当の本人は特に気にする様子もなく、話を続けた。


「最高学府付近を通るのは数十年ぶりらしいぜ。ワクワクするだろ?な?」

「まぁ、そうだな。実は私もまだ実際の箒火星は見た事が無いんだ」

「え、六〇年も生きてるのにか?」

「黙れ。箒火星は大陸中を周遊しているんだぞ。場所によっては百年以上通らないなんて事もある」

「そっか言われて見れば確かにな。そう考えると六〇年も大した事ないか?」

「……それもそれで腹が立つな」


 エルフであるエリンはこの場にいる誰よりも長く生きている。

 見た目は同年代だが、その時間感覚は大きくかけ離れていると言って良いだろう。

 しかも、これでエリンは他の種族と関わっているだけマシな方なのだ。森に籠るエルフの時間感覚は更にズレているとはエリンの談である。

 兎も角、そんなエリンですら箒火星を直接に見る機会は貴重だというのだ。


「それで、だ。折角だから一緒に見ねぇ?無理にとは言わねえけどよ」

「そうだな……予定を後で確認しておく」

「私もだ。今の所は大丈夫だが」

「すみません。私は今回は遠慮させていただきます」


 フリッツからの誘いに他の者が好意的な返事をする中、一人クリスタルだけが即答で断りを入れる。


「了解!残念だけどしょうがねぇな。何か用事か?」

「はい。丁度一週間後に予定が入ってしまいまして」

「特待生関連か?」

「はい。概ねその認識で良いと思います」


 ゼルマからの問いに、クリスタルは微妙なニュアンスで答える。

 特待生にまつわる何かしらである事には間違いないようだが、具体に用事の内容を明かす事は出来ないのだろう。でなければこのような返答にはならない。


「ですが、もしかしたら予定が合うかもしれません。その時はよろしくお願いします。」

「……?どういう意味だ」

「すみません。今は言えません」


 追求を許さない微笑みを浮かべるクリスタル。

 彼女の事をよく知らない人間が見れば、ある種の拒絶にも取れるかもしれない。

 だが彼女は別に友人たちに圧をかけているつもりはない。これが素なのだ。

 単に話せない。彼女は端的に、余分な情報を話さないだけ。


 そして、無理に追及を試みるような人間もまた、この場にはいない。

 特にフリッツは良い意味でも悪い意味でもさっぱりとした気質の人間だ。無理矢理に相手の秘密を聞き出そうとはしない。


「ま、良いや!じゃあ予定が合ったら一緒に見ようぜ」

「はい。楽しみにしています」


 ■◇■


 友人たちと解散し、少し野暮用を済ませた後にゼルマは帰路を歩んでいた。

 野暮用というのは本当に野暮用で、図書館で新しい本を借りたり、書店に立ち寄ったりとしていただけだ。最近自分の時間を上手く取れていないゼルマにとってはある意味重要な時間ではあったが。


 近隣に書店から少し歩いてゼルマは自宅の前へと辿り着く。

 入学してから何度も見て来た自宅の玄関扉。何の変哲もない、他の扉と同じ形状の扉。


(…………)


 鍵を取り出し、回す。そしてガチャリと小気味の良い音が静かに鳴る。

 扉を引くと、いとも容易く扉は開いた。


 ゼルマの私室。完全なプライベートの空間。


「やあ」

「―――来てたんですか」

「そりゃあ来るさ」


 だが、そこには居る筈の無い先客が居た。

 我が物顔でゼルマの椅子に腰かけ、玄関の方を向いていた。

 そしてその顔にゼルマは……見覚えがあった。


「どこから入って来たんですか。鍵は掛けていた筈ですが」

「何処からでも。私に鍵は関係無いからね。僅かな隙間さえ有れば、幾ら堅牢な檻であろうと私には単なる扉でしか無く。隙間が無くとも開錠は造作も無い事だ」


 落ち着いた声色。侵入者でありながら、それが当然であるかのような態度。

 何の特徴も無い衣服を身に纏い、印象に残らない様な顔立ちの男。

 だが男に説得されれば、黒も白になりかねない。そんな雰囲気を纏っている。


「久し振りだね、ゼルマ。暫しの平穏は謳歌出来たかな」

「……ラガンドア、不穏な物言いは止してください」

「済まないね。君を前にするとつい揶揄ってしまうんだ。他ならぬ自分自身だ、大目に見てくれよ」


 そう。今ゼルマの目の前に居る男こそ、ゼルマがつい最近まで唯一面識のあった大賢者。

 名を【伝令】の大賢者、ラガンドア。


 ゼルマの言葉が面白かったのか、ラガンドアは微笑を浮かべている。

 この男はいつもこうだった。

 ゼルマがキセノアルドに他の大賢者について問いかけた理由でもある。


 ゼルマにとって自分とクリスタルを除いた大賢者はこのラガンドアしかいなかった。つまり、ゼルマにとっての大賢者の性格とは彼だったのだ。

 なのでゼルマは大賢者とはそういう性格なのだと考えていた。大賢者が記憶情報の共有を行っているという事に鑑みれば、そう考えるのは自然である。


 だが三人目の大賢者……【教導】の大賢者であるキセノアルドはラガンドアとは全く違う存在であった。似通っている部分は感じられたが、それでも違っていた。

 故にこそゼルマはキセノアルドへあの質問をしたのである。


「……今日は何の用ですか。定期報告はまだ先の筈ですが」

「ああ、そうだねゼルマ。【伝令】の大賢者として、私は何時も君から話を聞いている。でも忘れた訳じゃ無いだろう。私は伝える事も役目の内なのだよ」

「無駄な介入は控えるのでは?」


 そもそも無駄な介入を控える為にこそ【末裔】の大賢者であるゼルマが生み出されたの筈だ。

 にも関わらずキセノアルドも含めて、ここ最近は大賢者に関連した事象が多い。一年目は殆ど接触が無かっただけに、ゼルマが疑問を抱くのも当然だ。


「勿論そのつもりだ。然し、無駄と決まった訳ではない。今日は伝達であり、同時に提案に来たのだよ」

「提案……?」

「そうだともゼルマ」


 ラガンドアが立ち上がり、ゼルマの前へと至る。

 背丈はゼルマと同程度。だが長衣(ローブ)を纏っていないだけ、客観的に見ればラガンドアの方が心許ない格好に見える。


 そして、ラガンドアは微笑を崩す事無くその言葉を紡いだ。


「結論から言おう。君に掛けられた錠を一つ解こうかという提案だ」

「―――第一制限を、解除するという事ですか」

「その通りだ。君に掛けられた一つ目の制限、即ち【人造魔術回路】の才能制限だね」


 その提案は、一言で片づけるには余りにも大きすぎるものだった。


 第一制限。ゼルマがゼルマであるにあたって施された、三つの制限の内の一つ。

 大賢者と同一の魔術回路を保有するゼルマが人並みにしか魔術を使えない理由。

 その制限を解除しようというのである。


「……どうしてですか」

「如何して、か。君の現状については把握している所だ。【天賦】の観察及び保護に加え、栄光帝の娘の指導、更には魔儀大祭への出場を選んだらしいね。素晴らしい意欲だ。素直に称賛に値するものだろう。だが、君の才では些か心許ないのも確かだろう。だからだよ」


 それは自分の事は全て把握しているというラガンドアからの宣告であった。

 態々隠している訳では無いにしても、隠し事等無意味だという通達。

 そして、その内容もまた反論の余地すら残さない真実。


「少なくとも大賢者はそう考えた」


 結局の所ゼルマには……才能が足りないという、冷徹で残酷な事実の通知だった。


「勿論、君が望むのであればだよ。私も余計な介入は避けたい所だからね。君が全てを上手く処理出来ると言うのなら、錠を態々外す必要は無い。だが、何事も中途半端は良く無いからね。理解しているだろうが、特に一つ目は決して疎かにしてはなら無い。石の中から玉を厳選しないとね」

「…………」


 一つ目、即ちゼルマに与えられた使命である【天賦】の大賢者の観察・保護。

 ゼルマが生きる意味、ゼルマが生まれた意味そのもの。

 究極、ゼルマに絶対が課されたのはそれだけだ。

 それ以外は全て、ゼルマが選択した余分なのだ。


「以上が大賢者の意思だ。【伝令】の大賢者として、今此処で【末裔】の大賢者である君の意思を尋ねよう。君はどの様に望む?才を解放するか、それとも―――」

「それ以上は大丈夫です。俺は、第一制限の解除を求めません」


 回答は至極端的だった。

 それ以上、どうとも読み取りようのない、単純な言葉だった。


「俺は俺の力で何とかします。解除は不要です」

「そうか。それなら良い。君がそう決めたのであれば、その様にすると良い。私達は何も無理強いをしたい訳では無いからね。勿論、君が望むのであればその時は何時でも望めば良い」


 そして、ゼルマの言葉を受けたラガンドアの態度もまた、非常にあっさりとしたものだった。

 彼……否、彼等にとって、この提案には提案以上の意味は無いのだろう。も本気でゼルマの第一制限を解除しようというのなら、彼等はゼルマの承諾すら得る必要が無いのだから。

 ゼルマが解除すると答えるのであれば解除する。そうでなければ、それはそれで問題無いという事なのだ。ゼルマの人生を大きく変える提案ですら、大賢者にとっては『研究の難易度を調整する』程度の意味合いでしかない。


「ああ、それと安心してくれ。これからも有事の際には【司書】へ申請を行って貰って構わない。これは第一制限とはまた異なるからね。君が死に、研究が中断される方が余程非効率的だ」

「……ありがとうございます」


 言い辛い部分に対し、ラガンドアは予め言及する。

 第一制限の永続的な解除は断ったが、今後もゼルマには対応すべき事案が訪れる事は想像に難くない。寧ろ、クリスタルの成長に合わせて頻度は高くなると見るべきである。

 その際に、例えばレックスによる強襲の様に、ゼルマ単独の力では解決できない事案は生じるだろう。ゼルマとて積極的に大賢者の力に頼るつもりは無いが、命に危機が訪れれば頼らざるをえない。


 制限の解除を断った手前、ゼルマからは言及しがたい部分だったがけに、ラガンドアの方から言及してくれたのは有難い部分だった。


「さて、此処からは余談だ」

「まだ何かあるんですか」

「余談だけれどね」


 余談。キセノアルドもそうだったが、大賢者は本題では無い会話が好きなのかもしれない。

 クリスタルもなんだかんだ丁寧に知識の説明をしてくれる所を見ると、大賢者に共通した性質なのだろうかとゼルマは思った。


「もう少しで君の仕事は忙しくなる。けれど、君の光明はそこにこそ有る。よく覚えておく事だ」

「……それは予言ですか」

「そうとも言うね」


 ラガンドアは微笑んだままに、肯定する。

 何の変哲も無い筈の彼が、ゼルマにはとても異常にすら見えてしまう。

 ラガンドアは微笑を崩さない。ラガンドアの表情に笑顔以外が存在し無いのだ。


 だからこそ、この言葉も何処までが真実で、意味があるのか図り難かった。


「呉々も忘れる事の無い様に。ゼルマ」


 ■◇■


〇精霊

『意思持つ魔力』『自然の表象』『最も純粋なるもの』等の呼び名を持つ存在。

 古今東西様々な物語で言及される存在であり、単純な生物とは一線を画す存在。

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