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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
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水が悪ければ、芽は育たぬ。


 ■◇■


「俺から、魔術師(俺自身)への宿題です」


 ゼルマは真っすぐに、眼前に座す老人を見据える。

 その眼差しは、余りにも力を持っていた。

 老人とは思えない程の気迫に満ち溢れた視線。


 だが、ここで退く訳にもいかない。

 ゼルマは覚悟を以てこの部屋を訪れたのだ。

 最高学府の学園長であり、【教導】の大賢者でもあるキセノアルド・シラバス。

 彼から出された宿題を反故にするという蛮行。

 最高学府において絶対の存在である彼に逆らう行為。


 結果は同じかもしれない。だが、だからこそこの宣言には意味がある。


 そして、


「……良いだろう」


 永遠とも思える数秒の後に、キセノアルドは一言そう言った。


 余りにも端的な言葉に、宣言をしたゼルマ本人ですら驚く。


「許して下さるのですか?」

「許すも許さないも無い。君は私の指示ではなく、君自身の意思で動くと……そう私に宣言しに来たのだろう?そして、態々仁義を通す為に私の所まで訪れた。不必要だったにも関わらずだ」

「…………」


 キセノアルド・シラバスは確かに【教導】の大賢者だが、同時に彼の尊敬する魔術師でもある。

 数多くの空間魔術を生みだし、数々の偉業を成し遂げた世界最高の魔術師の一人。

 例えキセノアルドが自分自身であっても、それは不変の事実だ。

 だからこそ、ゼルマはこうしてキセノアルドの元へ訪れた。


「結果として、君は魔儀大祭への出場を決めた。私が望んでいた通りにな。であれば形式が違ったとしても、私から特段何かを責める意味は無い。寧ろ私は君がそうしたという事が、喜ばしい事だとすら考えている」

「喜ばしい事……ですか」

「そうだ」


 そうして、キセノアルドはコツコツと机を指で叩く。

 静寂が満ちる空間に、水滴が落ちるかの如くその音は響く。


「兎も角、だ。君の思いは受け取った。君は私の宿題が出されたが故ではなく、君自身の意思で魔儀大祭への出場を決めたのだとな。私はそう受け止めた。これで良いのだろう?」

「ありがとうございます」


 そうだ。

 これはゼルマにとって必要な儀式だった。

『宿題』だから出場したのでは駄目なのだ。ゼルマはゼルマの『意思』で出場するのだ。

 そうでなければ、ゼルマには責任が生じない。

 ゼルマの出場宣言。それは即ち、ゼルマの覚悟の宣言だ。


 出場するからには勝利する―――言外にゼルマはそう伝えたのである。


 敗北を他人の責任にしない為に、自分の敗北を自分自身で背負う為に。

 本来なら不必要な筈の宣言をしたのはそれが理由だった。


「それでは楽しみにしているとしよう。宿題という義務からではなく、魔術師としての権利を掲げて戦う事を決めた君の雄姿を直接この眼で見る日を。態々私に宣言までしに来たのだ……相応の結果を期待しているぞ、魔術師ゼルマ・ノイルラー」

「―――はい」


 ◇


「時にゼルマよ」

「……何でしょうか」


 キセノアルドへの宣言を終え、部屋から立ち去ろうとするゼルマの背中に声がかかる。

 声の主は当然、この部屋の主であるキセノアルドだ。


「そう緊張する必要は無い。これよりはあくまでも単なる好奇心、単なる雑談の類だ。大賢者として君に何か命じる役目から私は一歩引いておるし、今更君に学園長として命じる気も無い」

「俺に何か話せるような事が何かあるとは思えませんが」

「それを決めるのは君ではない。私だ。話というのは……君の弟子についてだ」

「―――フェイムは関係ありません」


 咄嗟に、ゼルマは否定の言葉を口にした。

 まだ何もキセノアルドからは言われていないにも関わらず、半ば反射的な言葉だった。


 ゼルマがフェイムを指導しているという事。別にゼルマはこれを隠している訳ではない

 というより、隠し通せるようなものでもない。

 ゼルマは他の大賢者と記憶情報の共有を行っていないが、それでもだ。


 そもそも最高学府に居る以上キセノアルドは把握しているし、【伝令】の大賢者であるラガンドアへの報告もいずれせねばならない。そうでなくとも相手は大賢者である。

 他ならない自分自身だからこそ、逃れられない事を知っている。


「アイツは俺の目的を知らない。俺が大賢者だと知っていても、大賢者がどういうものかまでは知らない。単にアイツはアイツ自身の目的で俺に接触し、俺に師事しているだけです。俺の方も、目的に支障が出ない範囲でしか関わっていません。そこに何か問題はありますか」


 故にゼルマが否定したのは、彼女の存在を間違えて認識される事だ。

 もし仮に、フェイムという存在がゼルマの目的の障害となると判断されれば、ゼルマは彼女との関わりを絶たざるをえない。

 ゼルマの目的……即ちクリスタル・シファー(【天賦】の大賢者)の監視と保護である。


 緊張感が奔る。そして、その緊張をうち破ったのはキセノアルドだった。


「ふむ……私はまだ何も言っていないのだがな。それ程君にとって彼女は、フェイム・アザシュ・ラ・グロリアは重要な存在なのかね?咄嗟に否定の言葉を紡がずにはいられない程に」

「彼女は……俺の後輩で、弟子です。それだけです」

「弟子、弟子、か。そうか。……いや、すまない。先程も言ったが、私は直接に君に何かを命じる役目を担っていない。君の私的な交友関係にまで、少なくとも私自身は制限をかけるつもりはない。言っただろう、これは単に『雑談』なのだ。そう肩肘を張る必要は無い」

「……それでは、何を」


 大賢者とはそれぞれが個にして群なるもの。

 大賢者のそれぞれは自由に振る舞う事が可能だが、幾つかの取り決めもある。

 その内の一つが『他の大賢者の行う研究をみだりに邪魔しない事』だ。


 多数存在している大賢者。

 その多くは記憶情報の共有を行っているとはいえ、全てではない。

 ゼルマやクリスタルのように記憶情報の共有を行っていない者も居れば、キセノアルドのように記憶情報の共有自体は行っているものの自己を残している者も居る。


 そうした時に起こる事象が、研究同士の衝突(ブッキング)だ。

 同時進行で多数の研究を行い、大陸中に存在する大賢者達の研究は時に衝突する事もある。片方を中断するだけで済めば良いが、共倒れになれば最悪だ。

 故に、それを防ぐ為の取り決めこそが前述のものである。

 仮に衝突が避けられないとなれば、大賢者同士で研究の優先度調整を行わなければならない。


 ではゼルマやクリスタルの研究はどうなのかと言えば、彼等は現在大賢者全体による研究という立ち位置にある。個人ではなく、複数人による共同研究のようなものだ。

 特に大賢者の関与を最小限に抑える必要のあるクリスタルの方は、調整役としてゼルマを配置する程の徹底ぶりである。

 そしてゼルマも副産物的とは研究の一つ。彼への指針は基本的に複数の大賢者による意思でしか出せないものとなっている。キセノアルドが言ったのはこういう事だ。


 だが、ならば何をキセノアルドは問うというのか。

 ゼルマ自身へでなければ、一体何を。


「君から見て、彼女はどうかね。教えがいがある弟子か?」


 あっさりと投げかけられたのは、拍子抜けする程に普通の質問。

 耳を疑う程に、なんて事のない言葉だった。


 ゼルマはその言葉の真意を探りつつ、言葉を紡ぐ。


「……彼女は天才ですよ。俺が教えた事を次々に吸収して、自分の力にしていく。しかも教わるだけじゃなく、自分自身で学ぼうとする意欲がある。俺は弟子をとった事がありませんが……彼女は弟子として、非常に優れた特性だと思います」

「そうか。では、あの訓練室を借りたのも彼女の意向か?」

「はい。正直、時々俺の想像の範囲外の事をされます」


 あの訓練室の件はゼルマも驚かされた。

 最近は魔導士になった事で一定の収入が生まれたとはいえ、ゼルマはそこまで裕福でもない。そもそも六門主や力のある魔術師の家系出身の魔術師以外は年中資金繰りに悩むのが常である。

 魔導士になるまでが非常に遠いのも、そこまでの環境の厳しさが一因だとゼルマは考えている。


「あの訓練室は元々教室のような魔術師の集まりで借りる事を想定したものだ。まさか、たったの二人で使う為だけに一か月も借りる者が居るとは……事務室の者も思わなかったのだろうな」

「まさか職員の間で噂になっているんですか」

「さぁな。私も全ての職員の会話までを聞ける訳ではない。だが、私に上がってきた報告の中に記載はあった。当然、借りた者の名前と一緒にだ。そこから先は分かるだろう」

「…………すみませんでした」


 一か月で三百万アルゼもする訓練室である。

 それを一か月単位で借りるというのは起きえない事では無いのだろうが、それでも変と言えば変だ。

 報告を上げた職員も念の為という意味合いが強かったのだろうが、驚いた筈である。

 三百万アルゼは大金なのだから。


「私に謝る必要は全く無い。持つものは使うべきだ。それが自分の成長に繋がるのであれば積極的にな。そういう意味も、彼女は非常に優秀だ。そして寧ろ君は感謝すべきだ。君との時間にそれだけの価値を見出している彼女に」

「……はい。その通りです」


 フェイムが幾ら皇族で富豪だとしても、他者の為に大金を費やす事は中々出来ない事だ。

 フェイムはそれだけゼルマとの時間に価値を感じ、その環境をなるべく良くする為に訓練室を借り受けた。そして、今彼女はゼルマに師事する事によって急速に成長している。

 言うなれば投資だ。


「流石、栄光帝(アレ)の娘か。親譲りの先見の明だ。彼女もまた弟子として、申し分のない器だろう。ゼルマ、扱い方を誤るなよ。弟子が優秀であったとしても、教導する者が無能では意味もない。それどころか、その才を腐らせる事にもなる。水が悪ければ、芽は育たぬ、という奴だ」

「……肝に銘じておきます」


 今のフェイムはまだまだ成長期である。

 教え方一つで、彼女の未来は大きく変わってしまう。

 キセノアルドの言葉は、ゼルマ自身も常々意識している事。

 故にこそ、ゼルマは彼女に対して真摯に向き合っているとも言えるのだが。


「ああ。では次の話題だ」

「まだあるのですか……?」

「色々とな。ラガンドアから君の人間関係について少しは聞いているが、如何せんラガンドアの報告は事務的に過ぎる。詳細を聞く為には、こうして対面でなければならない」

「それは…………」


 そもそも【伝令】の大賢者の役割が経験を単なる知識へと変換する事なのだが、ゼルマはそれをキセノアルドに指摘できる立場でもない。

 同じ大賢者だが、立場としては圧倒的にキセノアルドの方が上だ。

【教導】の大賢者としても最高学府の魔術師としても。


 言いたい事は多くあったが、ゼルマには彼の宿題を反故にした負い目もある。


「…………では、どうぞ」


 なのでゼルマはその全てを飲み込み、再び覚悟を決めた。


「うむ。次は君の先輩、ノア・ウルフストンについてだが彼女とは上手く行っているのかね」

「先輩……彼女とは―――」


 そうして、小一時間程ゼルマとキセノアルドの他愛のない会話は続いた。


 ■◇■


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