回り道が常に最善とは限らない。
■◇■
「……そこまで。大分良くなってきたな。上出来だ」
「ありがとうございます、師匠」
呼吸を整えながら、フェイムが言う。
ゼルマは現在、最早習慣となったフェイムとの修行中だ。
場所はいつも通り、フェイムが一か月三百万アルゼで借りている訓練場である。
あれ以来、どんな内容でも二人はこの訓練場を用いて修行を行う様にしていた。
利便性も当然として、単純に勿体ないからでもある。
「想像通り想定外の上達速度だな。この調子ならすぐに次の段階に入れるだろう」
「師匠の弟子ですから。それに、ちゃんと最近は普通の講義にも参加しておりますので」
ふふん、と少し自慢げフェイムに言う。
今回の内容は複数の属性魔術を操る練習だったのだが、ゼルマが想像していた時間の半分程でフェイムは合格段階にまで上達した。流石、天才である。
最近、フェイムの上達速度は更に上昇している。
今回ゼルマが課した内容は確かに基本的なものだったが、それでも簡単とは言えない。寧ろ基本的な事だからこそ、難しいといった類のものだった。
フェイムの才能が非常に高いと言ってしまえばそれまでだが、彼女の言う通り上達速度上昇の理由はもう一つある。
「師匠の言った通り、基礎的な講義だとしても決して侮れませんでした。流石最高学府です。教師の方々も熱意のある方々ばかりですし。独学だけでは得られないものを教わる事が出来ます」
「最高学府の教師は全員優秀だからな」
「はい。それに皆さん個性的で面白いですね」
「……それはそうだな」
ゼルマの脳内に浮かぶ幾人かの教師。
皆優秀で熱意のある魔術師にには違いないのだが、やはり一癖も二癖もある者ばかりだ。
数ある教師の中で序列学のペリエが人気高い理由も納得できる。
兎も角。
「基本的な属性魔術の扱いは順調……次は特性の異なる魔術の使い方だな」
「特性の異なる魔術というと現象魔術や物質魔術のような?」
「概ねその通りだ。と言っても、それも基本的な事から徐々に始めて行く事にはなるんだが……」
「……?どうかされましたか」
ゼルマが少し黙ると、フェイムが不思議そうに問う。
別に言って困る内容ではないと判断し、ゼルマは話し出した。
「いや、お前の成長が速いからな。どう予定を組もうかと考えているんだ。無駄な事はさせたく無いし、俺も無駄な時間は割けない」
「私は師匠が組んだ予定なら何だって構いませんが……そういう問題ではないのでしょうね」
「ああ、その通りだ」
ゼルマもフェイムも暇ではない。
ゼルマは二年目なので当然として、フェイムも最近はゼルマの指示で通常の一年目が必修となる講義を幾つか受講している。また、その他にもゼルマが選んだ有用な講義を受講している状態だ。
そうなると当然講義時間との兼ね合いが生まれる。
それ以外にもゼルマは自身の研究もあるし、フェイムもフェイムで公務のようなものがあるらしい。
なので、こうしてゼルマと対面で訓練できる時間というのは案外貴重なのである。
「無理に上達しようとするのはかえって非効率だからな」
「『回り道が常に最善とは限らない』ですね」
「……まぁそうだ。特にお前には……時間が無いんだろう?」
「…………はい」
正確な時期は分からないが、いずれ必ず来る未来。
フェイムが見た、『皇都が巨大な穴に沈む光景』。
そもそもフェイムが帝立全院への進学を断り、最高学府に来たのもその未来が理由だ。
フェイムはその未来を変える為に、今こうしてゼルマに師事している。
「俺は実際にお前が見たその光景を見た訳ではないからな。正直、どれだけ危険があるのか実感できてない。実際に見たなら……少しは原因が分析できるかもしれないんだがな」
「すみません……私の眼はあくまでも見る事が出来るだけですので」
「責めている訳じゃない。ただの事実だ」
ゼルマはフィエムから話を聞いただけで、その未来を見た訳ではない。
そもそもフェイムの〈予測の眼〉の実在はフェイムにしか分からない。ゼルマはあくまで状況証拠、ゼルマが大賢者だと判明した事を以てその実在を知っただけだ。
今では疑っていないが、他人からは分からない未来視。荒唐無稽とあしらわれても仕方がない面もある。
とは言っても、ゼルマが実際にその光景を見たとして何か出来るとは限らない。
大賢者ならば可能なのかもしれないが、ゼルマ自身はそのような魔術を修得していない。
「さて、少し休憩して続きをしよう。幸い順調に進んだお陰でまだ時間がある」
「一か月貸し切りなので時間は気にしなくても良いのではないですか?」
「言っただろう。無理をするのも非効率だ。体力を限界まで消耗するような練習も時には必要だろうが、今はまだその時じゃない。今必要なのは集中力だ」
魔術の出来は集中力に大きく影響を受ける。
魔術に限らない事かもしれないが、特に魔術はそうだ。
集中力が乱れた時にも平常時と同じ力を発揮できるのが望ましいにしても、普通はそうはいかない。どれだけ優れた魔術師であったとしても、大なり小なり影響を受ける。
受けないとしたら、精神が介在しないような者だけだろう。
「因みに聞いておきたいのですが、もしその時が来たらどうなるのでしょうか?」
「一日中魔術をひたすら発動させ続けるような練習が考えられるな」
言うは易く行うは難し。
一日中魔術を行使し続ければ精神と魔力の消耗で多大な負荷がかかる。やり方を間違えれば後遺症が出る可能性すらある厳しい修行法だ。当然、そうはならないようにゼルマも教えるが。
「……その時、師匠は見ていてくれるのですよね……?」
「見なければ良し悪しが判断出来ないだろう」
「なら何も問題ありませんね。安心しました」
「…………はぁ」
無闇矢鱈、とまではいかないにしてもフェイムはこうしてゼルマに信頼を寄せ過ぎるきらいがあった。
ゼルマもそれ自体を問題にしている訳では無いが、やはり心配にはなる部分はある。
「分かってるのか?」
「大丈夫です、理解しています」
「なら良いんだが」
◇
「…………」
そうして休憩中。
少し離れた場所で読書をしていたフェイムが本をぱたりと閉じて、静かにゼルマの方へと近づく。
そうして、おずおずと声をかけた。
「どうかされましたか、師匠?」
「別にどうもしていない。あいつ等といい、そんなに俺が思い悩んでいるように見えるのか?」
昨日にもエリンとフリッツに心配されたばかりである。
そうなると流石に自分が他人にどう見えているのか、気になるというものだ。
「思い悩んでいる……かどうかは分かりませんが、少し物思いに耽っているように見えました」
「十分思い悩んでいるように見えているという事だな。練習に支障が出ていたなら謝る」
「そんな事はありません。練習中はいつも通りだったと思います。ただ……」
そしてフェイムは数秒間黙ると、不意に口を開いた。
「あの」
「どうしたんだ?」
「いえ、余計なお世話だとは分かっているのですが……良ければ話して頂けませんか?もしかしたらお役に立てるかもしれませんし」
「それは……いや、そうだな。それも良いかもしれない」
「えっ?相談して頂けるのですか?」
「お前にも言われるという事は、実際そうなんだろう。かく言う俺も……少し自覚してきた所だ」
フェイムの態度は、今まで見たどのフェイムとも違っていた。
話しながらも、どこか迷いを見せているかのような態度。気遣いと心配が透けて見えるかのような態度。今彼女は本気でゼルマの心配をしてくれているという事なのだろう。
そして、それだけ心配する程、今のゼルマの様子は変わっているという事なのだろう。
「えっと、では話してください」
「そう変にならないでくれないか。大した事じゃない。というか何でお前が緊張しているんだ」
「すみません」
少し話し難い空気になるが、話すと決めた以上仕方がない。
ゼルマは一瞬だけ逡巡するが、すぐに話し始めた。
「フェイム……お前は負けたら悔しいか?」
「はい。悔しいです」
即答だった。迷う素振りすら見せず、フェイムは真っすぐにその質問に答えてくれる。
「クリスタルに負けた時、お前は悔しいと言っていた。その気持ちは今でも変わっていないか?」
「変わっていません。あの時の事を……私は生涯忘れる事は無いと思います」
「……そうだな。すまなかった」
「いえ、謝っていただくような事ではありませんから」
誰にでも掘り返されたくない過去はある。敗北の記憶はその代表例だ。
特にフェイムは、あの試合で完膚なきまでにクリスタル・シファーに敗北を喫した。
その記憶を呼び起こす疑問。ゼルマが問いかける事を一瞬躊躇ったのも、これが理由だった。
だが、ここで止める事は出来ない。
「では聞かせてくれ。お前は……俺との模擬戦であっても負けたら悔しいか?」
「それは……」
「勝てないと思っていて、それでも戦って、そして負けて……それでも悔しいか?」
真っすぐに、ゼルマはフェイムの美しい瞳を見る。
だが流石のフェイムも即答は出来ないようで、視線を下げてしまう。
それを見て、ゼルマもまた彼女から視線を下げた。
「すまん……変な質問だった。嫌なら答えなくても……」
「悔しいです」
それは間違いなく、フェイムの言葉だ。
その声を聞いて、ゼルマは視線を上げる。
そこには先程とは逆に、ゼルマを真っすぐに見詰めるフェイムの瞳があった。
「師匠との模擬戦で、私はまだ一度も勝てた事はありません。ハンデを貰っているのにです。勿論、師匠に追い付けるとは思っていません。ですが、それでも……」
微笑を浮かべて、フェイムはやはり真っすぐに言い放った。
「全力で臨んで負けた時のあの思いは、やっぱり『悔しさ』なのだと思います」
「―――そうか」
その言葉で十分だった。
十分に、ゼルマは理解し、自覚した。
「あの、でも楽しいのも本当なんですよ?楽しいと悔しいが混ざっていて……言葉にするのが難しい感情です。でも確かに悔しさはあると思います」
「……そうか、そうだな」
少し慌てた様子で、フェイムは自分の発言の補足をしている。
そんなフェイムに、ゼルマは微笑ましいと言わんばかりに頷く。
「ありがとうフェイム。喉の奥に突き刺さった小骨が取れた思いだ」
「それは……お役に立てたという事でしょうか?」
「ああ。お前はとても良い後輩で……弟子だ。俺もお前に教わった」
「…………?それなら良かったです」
フェイム自身は理解していないかもしれない。
それでも、弟子である筈のフェイムからゼルマはたった今教わった。
自分一人では気付かなかった。これまでに無かったものを、ゼルマは教わった。
「そうか、俺は…………悔しかったのか」
不思議そうにこちらを眺めるフェイムをおいて、ゼルマは一人呟く。
「そうか、そうか」
そして今度は自分自身に頷きを繰り返す。
「――――――よし」
■◇■
「ようこそ、歓迎しよう。ゼルマ・ノイルラー」
「…………」
その部屋をゼルマが訪れるのは二度目だった。
荘厳な、静謐な空間。物寂しく、喧騒から隠れたる空間。
眼前に座す魔術師、学園長キセノアルド・シラバスの私室である。
「君が此処に来るのは、初めて会った時以来だな。さて……今日は何の用があって来た?」
「渡されていた宿題の……回答をしに来ました」
「ほう」
興味深そうに、キセノアルドが呟く。
前回キセノアルドと出会った時、ゼルマは彼から宿題を課されていた。
その回答を今から行うのだと、ゼルマは他ならぬキセノアルドへ言う。
「俺は―――魔儀大祭へ出ます」
簡潔で、それ以外の意味に取りようのない言葉。
単純で、それでしかない言葉。
ゼルマが導き出した、キセノアルドに対しての回答。
魔儀大祭。最高学府で行われる一年の総決算。
全魔術師が智と技を競い合う、魔術の祭典。
「それでは私の出した宿題の通りだと思うが?態々此処へ来た意味は何だ」
キセノアルドの言う通り、『魔儀大祭への出場』はキセノアルドが出した宿題だ。
ならばその宿題は、実際に魔儀大祭に出場する事が回答ろなる筈だ。今のゼルマは、単にキセノアルドが出した宿題自体を宣言したに過ぎない。
つまり、ゼルマの言葉には他の意味がある。
「これは……尊敬する貴方という魔術師に対して、礼儀を通す為です」
「礼儀、か」
「はい」
ゼルマは素直にキセノアルドの言葉を首肯する。
これから行う事が、どういう意味なのかを理解しているが故に。
「俺は、貴方の宿題の為に魔儀大祭に出ると決めたのではありません。俺は、俺自身の為に魔儀大祭に出ると決めました」
「私の宿題ではなく、か」
「はい。言うなればこれは……」
「俺から、魔術師への宿題です」
■◇■




