忘却故に我等は進み、過つ。
■◇■
「おはようございます皆さん。本日も序列学の講義を始めていきましょうか」
緩やかな雰囲気が教室の中に広がっている。
本来この時期は各講義の試験や課題で忙しく、それ故に単位を取り逃す訳にはいかない三年目までの学徒にとっては緊張感が高まる時期だ。
しかしこの講義、序列学は少し様子が違っていた。
その理由は序列学の講義が通年で行われる為、学期毎の大きな試験や課題というものが無く、数回に一度の小課題を提出する事で成績を付ける形式だからだ。
人によってはそちらの方が不便だと、面倒臭いと感じるかもしれないが、緊張感という面においてはやはり緩くなる。
そしてこの穏やかな雰囲気にはもう一つ理由があった。
「ではいつも通り簡単に前回の復習からやりましょうか。ふむ……そういえば今日は良い風が吹いていましたね。風……ではエリン・ペンテシア・フィ・ルッツさん、質問に答えていただけますか?」
「はい、先生」
白髪交じりの男性教師がエリンを指名する。
その声音は先程と同じく、非常に温和なものだ。
これが穏やかさの理由の二つ目だった。
男性教師、ペリエは穏やかな微笑みのまま出題する。
「前回の講義では歴代の序列について学びましたね。ではエリンさん、確認できる最古の『序列論』から最新において一度も序列から外れた事がない者は何名いるか分かりますか」
「はい。第一位【虚無神】、第二位【侵略の魔王】、第三位【半神】、第四位【支配の魔王】、第十位【大賢者】、第十二位【黒の魔王】の六席です」
ペリエの質問にエリンは淡々と回答する。
考える素振りが無いのは、既にエリンの中で正しい知識として定着している証拠だった。
「正解です。名前までご丁寧にありがとうございます。そう、全十二席の内半数の六席が遥かなる過去から変わっていないのですね」
エリンの回答を聞いて、満足そうにペリエは頷く。
エリンもまた当然であるとばかりに真剣な表情を崩さない。
若干周囲の穏やかな空気感からは浮いているかもしれないが、エリンはこれが通常運転だ。エルフは皆美しい顔立ちをしているが、その中でもエリンは凛とした顔立ちである。
そのままエリンが着席するのを待って、ペリエは次の言葉を紡ぐ。
「では隣の席のゼルマ・ノイルラーさん。これが意味する事はなんでしたか?」
「彼等の影響力が未だに衰えず、巨大なものである事を意味しています」
「端的に言えば?」
「……彼等は不老だという事です」
ゼルマが少しだけ考えて、回答を言い直す。
ペリエはこうした指摘も穏やかな事からも学徒に人気が高い教師であった。
最高学府の教師は自ら教師という在り方を選んだ者達なだけあり、教育について熱心な者達が殆どだ。しかしその教え方は教師によっても異なる。
厳格な教師も居れば、温和な教師も居る。ペリエは完全に後者だ。
学徒もまた人間。どうせなら優しく教わりたいと考えるのも当然と言えば当然という事なのだろう。
「正解です。流石ゼルマさん。君には少し簡単だったかもしれませんね。その通り、重要なのは彼等の力は衰えず現代にまで残っているという事なのです。不老の彼等は悠久の時を生きる。そしてこれこそが我々人間が『序列論』を編集し続けている意義なのですね」
度々ペリエの言葉に出る『序列論』。それは序列について記載された本の題名である。
広義では魔導書にあたるかもしれないが、魔術について専門的に書かれるものではない為に分類は難しい。具体的に何か、と問われれば『序列論』という一つの分野と答えるのが無難だろう。
人間の長い歴史の中で、最も改訂され出版され続けて来た書籍でもある。
「例えば第四位の【支配の魔王】は最後の活動記録からもう何百年も経過しています。第十二位の【黒の魔王】に至っては初期の『序列論』にしか記録が無い。ですが両者が残っているのも、それだけ両者が持つ影響力が大きいと過去の記録から判断できるからなのです」
穏やかな空気の中でも学徒達は真面目にペリエの話に耳を傾けていた。
現在は前回の講義の復習中、それ故にペリエの話す内容は前回の講義を受講していた者にとっては既知の内容だ。
彼が言及した【支配の魔王】も【黒の魔王】も既に知っている。そもそも序列に並ぶ者は皆有名だ。序列学を受講する以前から名前や逸話を知る者は多い。
ただそれでも学徒達が彼の話をきちんと聞くのは、彼の人望故でもあり、彼の話す内容がどれだけ重要かを理解しているからだった。
「人間の寿命は短い。故に我等は忘却してしまう。存在を忘れてしまう。忘れてしまい、過ちを繰り返してしまう。だからこそ我々は序列を作成し、数字を与え、目に見える形にしたのです。その存在を未来へと知らせる為に、他ならない人間という自分自身の為に」
そこでようやく、ペリエの顔から微笑みが消える。
真剣な眼差しが、言葉の重みを聴衆に実感させる。
だがすぐに微笑みは顔へと戻り、再びあの温和な空気を纏うペリエになった。
「……と、これは最初の講義でも言いましたね。ですが大事な事です。よく覚えていてください。魔術歴史部門に序列科が存在するのも、それだけ重要なものだからです」
魔術歴史部門に存在する三つの科の一つ。
現代科と神代科に並ぶものとして序列科が独立している理由。
現在、『序列論』の改訂作業を主に行っているのも序列科である。
「興味を持った方、よろしければ序列科の門を叩いてみてください。序列科の資料室には過去の序列の記録が文字通り山程ありますよ。と宣伝を挟んでしまいました」
そう言って、序列科の魔術師ペリエは微笑んだ。
「それでは前回の復習も終えた事ですし、今回の講義を始めましょうか。今回は序列の改訂作業からですね―――」
■◇■
序列学の講義が終わり、学徒達は教室を出て行く。
当然ゼルマとエリン、フリッツの姿もあった。
当然、クリスタルの姿はこの場には無い。
「やっぱペリエ先生は優しくて良いな!内容も分かりやすいし!何より面白いし!」
「お前は本当にそういうのが好きだな」
「やっぱ強いのはかっこいいぜ!そうだろ、ゼルマ!……ゼルマ?」
「……ん、ああそうだな」
フリッツの問いに、ゼルマは少し遅れて反応する。
心ここに在らず……とまではいかないにしても、何か考え事をしている様子だ。
少なくとも普段なら静かに話を聞いているゼルマが一瞬反応が遅れたのだから。ゼルマとの付き合いが長い二人からすれば違和感を覚えても仕方ない行動である。
「どうした、何かあったのか?」
「いや、大した事じゃないんだ。本当に。悪かったな」
「別に気にしてねぇけどよ。マジで何かあったのなら言えよ?」
「勿論その時は言うさ」
そう言って、ゼルマは普段と同じ表情を作った。
その表情を見て一旦は安心したのか、二人は微笑む。
この何か感じていても、無理に深入りしようとしない二人の優しさがゼルマには好ましかった。
「じゃ!俺次の講義行くからよ!!また明日な!!」
「私もだな。じゃあな、ゼルマ」
「ああ、また明日」
本日の必修科目は序列学のみ。この後の講義はエリンともフリッツとも被っていないので、完全に別行動となる。また二人と出会うのは明日になるだろう。
そうして別の講義へと向かう二人を見送り、ゼルマもまた次の講義へと向かった。
◇
ヴィザ―・アージュバターナーとの模擬戦から二日が経過していた。
幸い、〈廻る世界の時針〉を使用した反動は既に無くなっている。模擬戦の終了後はかなり酷かったが、現在は痛みも全くない状態だ。
元々そうした回復を見越して時間設定をしていたとはいえ、身体強化に伴う肉体への負担と精神の消耗は好んで味わいたくなるようなものではない。
「…………」
目の前で淡々と進む講義に耳を傾けつつも、ゼルマの思考は別の方向を向いていた。
現在受講しているのは人種歴史学。人種の歴史について、眼前では教師が地図を広げながら話している。だが、ゼルマは教師の話す言葉を認識しながらも、内容として呑み込めない。
まるで耳から頭をすり抜けていくような、そんな感覚だった。
あの日、あの試合、最後の瞬間。
ゼルマは渾身の一撃を防がれ敗北した。
しかも、ヴィザ―はゼルマも守った上でゼルマの魔術を完璧に防ぎ勝利したのだ。
あの時、土の槍が衝突する瞬間、出現した砂塵が薄くゼルマとヴィザ―を体表を覆った。そしてそのまま飛来する槍の全てを防いだのだ。
流動する砂の鎧。ヴィザ―が生み出したそれはレックスの用いるものよりも格段に強靭であり、堅牢だった。しかもヴィザ―は集中砲火を容易く防いだ上にゼルマまで守り抜いた。
正に完敗である。
ゼルマの策を正面から実力で叩き潰した。
彼女が本気なら、もっと早くに敗北していた筈だ。
(……詠唱は無かった。魔術陣に待機させていた魔術だったという事だ)
魔術陣に待機させている魔術ならば瞬時に発動できる。
魔術節を唱えずとも、詠唱をせずとも発動できる。
ヴィザ―程の魔術師であれば魔術陣の待機枠も膨大な筈だ。あくまでも最後の最後に一つ使わせる事ができただけである。
そうして〈土槍〉を防がれた後は、そのまま砂で全身を締め上げられ身動きが取れずに敗北した。
これがヴィザ―との模擬戦の顛末である。
(……やはり、単純な身体能力の強化では限界がある)
ゼルマの魔術、〈廻る世界の時針〉は魔術式の中に組み込んだ魔術を発動させる魔術。現状ではゼルマだけの固有魔術だ。
発動させてからは意識の外側で自動的に魔術が発動され続けるために、一々魔術式を書き直す手間を省き、他の事に意識と時間を割けるというメリットがある。
だが同時に幾つかの不便さもある。
その最たるものが、魔術式に魔術式を組み込むという都合上、複雑すぎる魔術は組み込めない事だ。
例えば〈身体強化〉程度なら問題無いが、単純な魔術節だけで収まらない魔術は今のゼルマには組み込めない。
現状では〈身体強化〉による身体能力の向上だけでも戦術に使えるが、対応力という面ではまだまだ未熟と言わざるを得ない。
そしてもう一つ。
詠唱を必要とする古代魔術は〈廻る世界の時針〉には組み込めないのだ。
古代魔術には必ず、決められた詠唱が存在する。
短文であれ長文であれ、それを唱えなければ古代魔術は発動しない。つまり魔術式を組み込む事で意味をなす〈廻る世界の時針〉では古代魔術の発動は出来ないのだ。
この点が魔術陣とは大きく異なる部分である。
魔術陣は予め魔術を発動させておき、待機させる技術。
古代魔術であっても既に詠唱を終えたものが待機される為に問題にならない。
魔術陣で問題になるのはあくまで個人毎に存在する待機枠の上限であって、その魔術師が使える魔術は一部の特殊な過程を要するような魔術を除けばどのようなものであっても待機可能なのだ。
魔術陣はあくまでも技術。
一定以上の実力を有する魔術師ならば誰でも用いる事ができる。
魔術そのものではないからこそ、その力は魔術の種類に左右されづらい。
「…………」
ゼルマは無言のままぐっと拳に力を入れ、そこでようやく気が付く。
拳を握った痛みによって、ようやく自分が講義に集中できていない事に気が付いた。
改めて時計を見れば、既に講義時間の半分が過ぎている。
ほんやりと内容は覚えているものの、逆にその朧気さこそが自分が講義に集中できていない証左だった。
(……今は兎も角、講義に集中しよう。試験もある。単位を落とすのは洒落にならない)
無論、ゼルマは普段から勉強している。勤勉な学徒と言ってなんら差し支えない。単位を落とすなんて自体はゼルマには無縁なものだが、もしもという事もある。
どこかの誰かの様に期限ぎりぎりに焦って試験勉強をし、課題をこなすような事は無い。
だが教師の発した言葉の隅に重要な情報が置かれている事はよくある話だ。そうした情報程、ゼルマが知りたいものである。
ゼルマは少しだけ頭を振って、意識を講義に再集中させた。
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