過去の経験が現在を象っている。
■◇■
それから暫く、ゼルマとヴィザ―は他愛も無い雑談をした。
趣味の事、魔術の事、様々な事を話した。
淹れられた茶が冷めない程度の短い時間。だが十分に充実した時間だった。
「……そうして、私はブランと知り合ったのさ」
「まさかお二人の間にそんな繋がりがあるなんて意外でした」
「良く言われるよ」
そうしてヴィザ―が茶を飲もうとした時、既にカップの中が空である事に気が付いた。
「おっと、飲み切ってしまったか。どうだ、もう一杯飲んで行くか?」
「……いえ、そろそろお暇させていただきます。あまり長居しても悪いですから」
「そうか。まぁ君も何かと忙しいだろうからね。無理強いはしないさ」
少し残念そうな表情を浮かべるが、ゼルマも暇ではない。
差し迫った危機が無いとはいえ、今のゼルマにはやる事が山の様にある。
最高学府の外へ言ってしまうクリスタルへの対応、フェイムの師匠としての役割、更には学園長から与えられた宿題まで。
案件としては概ね三つだが、それぞれに係る時間は幾らあっても足りないだろう。
加えて普通の学徒としての課題などもあるのだ。そちらも最高学府で過ごしていくにあたり、決して疎かにはできない部分だ。
ゼルマとしてもヴィザ―は話していて楽しい相手だ。
同級生や先輩、後輩とも異なる貴重な話し相手である。
だが、雑談とは文字通り雑談。それにかまけていては本末転倒である。
「是非また来てくれ。次は―――「ヴィザ―!!!!」」
別れの挨拶をしようとしたその時だった。
扉が勢いよく開かれ、ヴィザ―の名前を呼ぶ声が研究室に響く。
その声を聞いたヴィザ―が眉間に手を添える。
明らかに聞き覚えがある者の反応であった。
そうして入って来たのはゼルマと同じか、少し低い背丈の人間。
長い髪に大きな瞳、中性的なヴィザ―とは対照的な女性らしい服装。
一言で言えば、美人となる、そんな人物だった。
「ヴィザ―が忙しそうだったから直接来ちゃったよ。さっきは急に会話も途切れたし、大丈夫?変な事起きていない?」
「……少し空気を呼んでくれないか」
「ごめんね。あ、はいこれ、お土産ね。保存もきくから落ち着いた時に食べてね♡」
「……頼むから状況を見てくれないか。少しで良いんだ」
「え、状況?―――って、お客さんいるじゃない!早く言ってよ!」
「はぁ……」
唐突に目の前で繰り広げられる会話に、ゼルマはついていけなかった。
急に研究室に飛び込んで来た人間はまるでゼルマなど居ないかのようにヴィザ―に話しかける。意図的に無視しているのかとも思ったが、ヴィザ―に言われて気が付いたあたり素の反応だったようだ。
「ご、ごめんね?ちょっと気が付かなくて。……ってあれ、君は……」
そう言って、その人物はヴィザーへ確認の眼差しを向ける。
「そうだ。彼がゼルマ・ノイルラーだ」
「へぇ~やっぱり!君があのゼルマ・ノイルラー君なんだね。会えて嬉しいよ。君にも、はい!」
「あ、ありがとうございます……?」
ヴィザ―に渡していた物と同じお土産を一つ手渡され困惑するゼルマ。
だが困惑した理由は唐突にお土産を手渡された事ではない。
その前、ヴィザ―達の会話の内容である。
「すまないなゼルマ。コイツは昔からこうなんだ。許してやってくれ」
「いえ、別に何も思っていませんから」
「本当にすまない。ほら、お前も謝れ」
「ご、ごめんね?」
ヴィザ―に促され、その人物は素直に謝る。
まるで母と子、或いは姉と弟のようにも見える関係。少なくとも普段の教師らしいヴィザ―の姿ではない事から、目の前の人物が非常にヴィザ―と親しい関係にある事が分かる。
「紹介しよう、ゼルマ。コイツの名はシジュウ。私の……まぁ、幼馴染という奴だ」
「初めまして~。シジュウです」
シジュウがひらひらとゼルマに手を振る。
その様子はやはりどこか朗らかでヴィザ―とは対照的だ。
幼馴染とヴィザ―自身が紹介しているのだから嘘という事はないだろうが、増々どういった関係性なのか不思議に思える。
だがゼルマにはもう一つ気になる点があった
「あの、一つ聞いても良いでしょうか」
「え、何々。何でも聞いて良いよ」
「失礼だったらすみません。……貴方はもしかして男性ですか」
「うん、そうだよ。よく分かったね。初めての人にはまず気付かれないんだけどな」
シジュウはあっさりとゼルマの質問に肯定する。
少し驚いているようだが、それはあくまでゼルマ自身の観察力に対してだろう。
「どうしてコイツがそうだと気付いたんだ?私が言うのもなんだが、コイツはどう見ても男には見えないだろう」
「明確な理由があった訳ではありません。ただ衣服や声質からもしかしたら、と考えただけです」
ゼルマもシジュウが男性だと言える確信があった訳では無かった。
長い麦色の髪と睫毛、女性らしい仕草は女性よりも女性らしいまである。
だが身体の線が出ない大きいサイズの衣服に、女性にしては低い落ち着いた声色からもしかしたらと想像しただけである。
そしてある種の読みとして、ヴィザ―の知り合いならば或いはと考えたのだ。
ただ流石にこれは言葉にはしなかった。
それを聞いて、満足そうにシジュウが微笑む。
一瞬、触れてはならない事に触れて不機嫌になったのではと思ったが杞憂だったようだ。
「流石の観察力だね。でも半分正解、半分不正解って感じかな」
「という事はやはり……」
「そう。私は身体は『男』だけど、心は『女』って事。惜しかったね」
肉体の性別と心の性別は基本的には同じものだが、それが一致しない人間もいる。
シジュウの場合、身体は男性だが心は女性だったという事だ。
ゼルマは肉体面の違和感からシジュウが男性であると推測したが、心が女性であると分かればシジュウの仕草が女性的であった事にも納得がいく。
「でも流石だよ。ね、ヴィザ―」
「ああ。お前の言っていた通り、彼は面白い人間だよ」
「シジュウさんが、俺の話を?」
ゼルマの事を知る人間は少なくないだろう。
以前も丁度ヴィザ―が言っていた通り、ゼルマは幾つかの意味で知られている。
大賢者の末裔であり、新学期早々に決闘を行い、魔導士の資格も取得している。
ゼルマの名を知る人間は少しずつ増えていると言って良いだろう。
だが名前を知っている事と、ゼルマを『面白い人間』だと評価する事とは全く別だ。
ゼルマは確かに注目を受けた。だがそれだけだ。
魔導士に認められたとしても、そんな魔術師は他に何人も居る。
それだけで『大賢者の末裔』が持つ意味を消す事は出来ない。
故に疑問に思う。
何故シジュウは出会っても居ない自分を面白い人間だとヴィザーに話していたのか。
「ああ。別に隠していた訳ではないんだが、元々君の事はシジュウから聞いていたんだ。『ゼルマ・ノイルラーという面白い魔術師が居る』とな。だが誤解しないでくれ。元々コイツから聞くより前に君の事は知っていたんだ。君の論文を読んだのも話される前だしな」
「まさか話す前から知ってるなんて思わなかったよね」
「お前は論文も読んでなかったからな」
「あ、あはは……もう読んだから許してよ。ごめんねゼルマ君」
元々ゼルマはヴィザ―を疑った訳では無かったのだが、ヴィザ―が元々ゼルマを知っている中でシジュウから話を聞かされたというのが実際の流れだったらしい。ゼルマの論文を読んだのも、シジュウから薦められたのではなく自分が興味を持ったからだったようだ。
「別に謝る必要はありません。隠していたと怒っている訳では無いですから。それより何故、シジュウさんは俺の事を『面白い魔術師』だとヴィザー先生に話していたんですか」
「ちょっと伝手があってね。君の事は色々と知っていたんだよ」
「……色々とは?」
「うーん、例えば……君があの皇女様を決勝戦まで連れて行った立役者だって事とか?」
そうして、シジュウは言い放つ。
それは明らかに意味を持った発言だった。
ただの補助要員としての意味では無い、他の何かを孕んだ言葉。
「それは誤解です。俺はそんな大層な事は出来ていません。実際、彼女はクリスタルに負けました。俺が本当にそんな人間なら、彼女を勝たせられた筈です」
「まぁ、そうかもしれないけど。残念ながらそっちじゃないんだよね」
「そっち……?」
「兎も角!君の事は新星大会の時から面白い子が居るなあって思っていたんだよ」
気になる言い回しだったが軽く話を流されてしまう。
聞き返すのも憚られたので、ここは素直に流すしかないのだろう。
「だから私、すっかり君のファンになっちゃったみたい。論文もしっかり読んだよ」
「ファン……?それは有難いですが……」
ファン。そういった存在は最高学府では珍しくない。
クリスタル・シファーを始めとした有望な魔術師を応援する者も居れば、一部の人気教師の講義は必ず受講し教室にも参加する者等も居る。同じ作者の魔導書を熱心に読むという意味ではゼルマがその中に加わる事もあるだろう。
だがまさか自分にファンが出来るとは思うまい。
フェイムもゼルマのファンと言えなくもないだろうが、あれは正確には大賢者であってゼルマではないのだ。
例え何か裏があるとしても、ゼルマが困惑するのも無理が無い話だった。
「じゃあ握手しておく?はい、握手」
「それはちょっと……遠慮しておきます」
「ガーン!ちょっぴりショック。もしかして嫌われたのかな、ヴィザ―」
「お前の距離感が変なだけだ」
泣きつくシジュウを一蹴するヴィザ―。
その様子はこれまでに幾度となく同じ事が繰り返されて来た事を容易に想像させる。
「すまないゼルマ。だが、悪い奴ではないんだ。ただ素直というか……なんというか……。まぁコイツに気を使う必要は無いとだけ言っておく。適当にあしらってくれていい」
「ひ、酷いよヴィザ―!私だって傷つくんだよ!?」
「そうか」
「そうかって何!?」
幼馴染。確かにヴィザ―はそう言っていた。
エリンとフリッツを想起するような会話だが、やはりそれとも少し異なる。
積み重ねた年月故なのだろうか、友人以上の、まるで家族のような信頼が感じられた。
そんな光景を見て、ゼルマは不思議と気が緩む。
だからなのだろう。ゼルマもまた、不思議とその言葉を紡いでいた。
「お二人はまるで家族のように見えますね」
「そりゃそうだよ。ヴィザ―は私と一緒に育ったんだから」
「そうだったんですか?」
「ああ。アレが起きた後、私はシジュウの家に拾われたんだ」
「……すみません」
アレ。この場において、言葉にせずともゼルマ達には伝わるもの。
アージュバターナーに起きた悲劇。世間ではそう呼ばれる事件である。
「別に過ぎた事だ。重要なのは今だからな。逆に言えば、アレがあったから、私はシジュウと出会った。そして今の私が居る」
ヴィザ―・アージュバターナー。
彼女がこれだけ強い人間なのは、過去の経験故なのかもしれない。
若くして、彼女は多くの事を経験した。経験しなくても良い事まで、経験してしまった。
だがそれが自分の今を形作ったのだと、彼女は言う。
温かな雰囲気。
だが、突如として響く声。
「ヴィ、ヴィザ―!!!!私も、私も好きだよ!!愛してる!!!!」
「お、おい人の前で泣くな……!」
「ヴィザ―!!幸せな家族になろう!!」
「やめろ……!ゼルマが居るだろう……!!おい、いい加減に……!!」
感極まったのか突如として大粒の涙を零しながらシジュウがヴィザ―に飛びつく。
抱き着こうとするシジュウにヴィザ―が必死に抵抗するが、それでもシジュウは話を聞いていないのか、そもそも聞ける状態にないのか止まらない。
「えっと……え?」
余りにも急な状況の変化に、流石のゼルマも追い付けない。
傍から見れば、美女が麗人に飛びついているという意味が分からない光景である。
「く、仕方ない……〈身体強化〉!」
「痛ッ―――!?」
そうして、シジュウは力尽くで引き剥がされたのだった。
◇
「ご、ごめん……つい」
「えっと、俺は別に良いんですが……」
ヴィザ―に投げ飛ばされ、壁にぶつかったシジュウが席に戻る。数十秒程呻いていたが、彼も魔術師という事なのだろう。起き上がるとトボトボと歩いて戻って来た。
だがまだ意識が覚醒しきっていないのかぼーっとした表情をしている。
「えっと……」
何を言えば良いのか分からない。あんな光景を見せられれば当然とも言える。
「はぁ……ゼルマ」
「はい」
ゼルマを呼んだヴィザ―の表情は明らかに『仕方ない』と言っていた。
「コイツは……シジュウは私の恋人なんだ」
「それは……まぁそうなのだろうと」
話の流れから察するに、ゼルマも薄々、半ば確信に近い形でそうだとは考えていた。
家族のような親しさはありつつも、明らかに家族のそれではない行動もあった。
研究室に入って来た時の念話相手もシジュウだったのだろう。
そうなると……。
「そして私はシジュウとは逆の人間なんだ」
「……そういう事ですね」
「君は理解が早くて助かる」
シジュウとは逆。つまりはそういう事だ。
互い違いの組み合わせ。それは正に運命だったのかもしれない。
「さて、今日はすまなかったな。簡単な用事を長引かせてしまった。詫びになるか分からないが、色々と持って帰ってくれ」
「これ全部シジュウさんからの手土産だったんですね……」
そうして最初に言っていた茶葉意外にも様々なお菓子を詰めている所に、ようやく意識が戻ったシジュウが割り込んできた。
「ちょ、ちょっと待って。良いのヴィザ―?」
「お前のせいで迷惑をかけたんだ。寧ろ足りない位だと思うが?」
「そうじゃなくて、あの事!言わなくて良いの?」
「―――!」
その言葉を聞いて、ヴィザ―の様子が明らかに変わる。
何かを思い出し、そして悩んでいる。
「だが……」
「それに、お詫びになら丁度良いんじゃない?」
「……成程」
そうして納得したのかヴィザ―はゼルマの方へ向き直る。
そして口を開く。
「ゼルマ、私を手合わせをしないか?」
■◇■




