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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
70/87

無意識の選択が現在を象っている。

 

 ■◇■


「……さて」


 レックスとの念話を切り、ゼルマは再び歩みを続ける。


 現在ゼルマが居るのは最高学府本校舎のとある場所だった。

 ゼルマは研究室から遠く離れたこの場所を歩く理由は一つ。

 ブラン・ハールトの頼み、ヴィザ―・アージュバターナーへのお使いを果たすためであった。


(……まさかこんな短い期間に二度も会う機会があるとはな)


 最高学府には多数の教師が居る。

 最高学府全体における魔術師の数から見れば一握りだが、それでも十分多いと言っていいだろう。


 故にその教師の講義を受講していたり、或いは教室に所属していたり等でもなければ教師といえども短期間に何度も出会う事は滅多に無いのである。

 現在ゼルマが受講している講義にヴィザ―が担当するものはなく、一週間も経たない内に二度出会う機会があるのは非常に珍しかった。


(……此処か)


 廊下を進み、辿り着いた先には木製の扉が佇んでいた。

 ブランから教えた貰った所在地に相違はなく、間違いなくヴィザ―の研究室である。

 実際、扉の上方に取り付けられた板にも『アージュバターナー』と名前が彫られていた。


(案外普通だな。……あの部屋が異常だっただけか)


 当然と言えば当然の事だが、佇む扉は隣にある扉と何も変わらない。

 つい先日学園長室に赴いた事で感覚がずれているのかもしれない。それだけ学園長室が放つ雰囲気は独特で異様であったのだ、とゼルマは再認識した。


 そして、ふぅ、と一息だけついてゼルマは扉を二度叩く。


「ブラン・ハールト先生の使いで来ました。ゼルマ・ノイルラーです」


 返事はない。

 だが静寂の中で耳を澄ませば、微かに話し声は聞こえてくる。ヴィザ―とは会話した事があるゼルマだが、外からではそれが彼女のものか判別までは出来なかった。


「すみません。アージュバターナー先生はご在室でしょうか」


 再度の呼びかけ。少しだけ声量を上げるが、それでも返事は無かった。


 そもそも私室でのマナーは教師によっても異なる。

 だが秘密保持の観点から許可の無い入室は禁じられている事が多い。

 故に中に人が居るからと、許可なく入室する事は中々に躊躇われる事であった。


 しかしながら、ゼルマとてそれなりに多忙の身である。

 また、ブラン・ハールトから預かった書類を持ち帰るのもまた躊躇われた。


「……失礼します」


 仕方なく、ゼルマは意を決して研究室へと入る。


 研究室内は様々な資料が置かれているが、それでも雑な印象は受けなかった。

 整理整頓が行き届いているからなのだろう。


 ゼルマが足を進めると、窓際に見覚えのある人影が立っているのが見えた。


「―――ああ、だから暫くは忙しいんだ。勿論私も時間を作りたいさ」


 その人影は誰かと会話しているように見える。

 手に持った何かを耳に当て、言葉を紡いでいる。

 しかし、室内に影は一つだけ。


「分かっている。私も気持ちは同じだ。だが仕事も……ん?すまない、切るぞ」


 人影は入って来たゼルマに気が付くと、持っていた何かを降ろす。


 人影の正体は言うまでもない。

 この研究室の主、ヴィザ―・アージュバターナーであった。


「君は……ゼルマ・ノイルラー?」

「すみません。盗み聞きをするつもりは無かったのですが、返事がありませんでしたので……」

「いや、私の方こそ気が付かずにすまない。それで、どうして君が此処に?」

「ブラン・ハールト先生からアージュ……ヴィザ―先生へお使いを頼まれまして」

「お使い……?」


 ゼルマの言葉にヴィザ―は聞き覚えがないかのように繰り返す。

 疑問を顔に浮かべたままヴィザ―はゼルマから袋を受け取ると、中身を見る。


「……これは。ああ、そうか、随分前に頼んでいたから忘れていた。ありがとう、助かった」

「いえ、俺は届けただけです」


 実際、ゼルマは中身の事を何も知らない。

 単に届けただけに過ぎず、作成者はブラン・ハールトであってゼルマではない。


 だがゼルマの回答に、ヴィザ―は不思議な微笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。


「助かったのは本当だ。素直に感謝は受け取っておくといい」

「……分かりました」

「そうだ。その方が感謝する側としても良い」


 ゼルマの回答に、今度は満足そうにヴィザ―は頷く。

 前回もそうだったが、ゼルマは彼女との会話では何かと調子を狂わされがちだった。


「これはハールトに頼んでいた資料でな。まとめるのに多少時間がかかるとは言っていたが……三ヶ月もかかるとは。流石に忘れていたよ」

「それ程貴重な資料なんですか?」

「いや。資料といっても作成したのはハールトだ。そういう意味では貴重かもしれないが、考古学的な価値はない。ただ内容が少々複雑でな。個人的な頼みなので暇な時にでもと頼んでいたんだ。彼女には感謝だな」


 ブラン・ハールトは魔術歴史部門の魔術師だ。

 その専門は『神代における魔物と人の関係』である。


「魔術歴史にも興味をお持ちなんですね」

「ああ。と言っても研究を始めたのは一年程前からなんだがな」


 一年前から研究を始め、資料の依頼が三ヶ月前という事は中々の期間を待っている事になる。

 それでも不満一つ見えないのは、それだけ難解な資料作成を依頼していたからなのだろうか。


 兎も角、これで目的は達成された。

 ゼルマが最後に挨拶をして帰ろうとしたその時、ヴィザ―から声がかけられる。


「ありがとう。折角だ、少し休んで行くか?」

「それは……」

「実のところ、君の話を聞いてみたいと思っていたんだ。前回の魔術談義も素晴らしい時間ではあったが、今日はもう講義も無いしな」

「…………では、厚意に甘えさせていただきます」


 ◇


 コト、と丁寧な動作で茶器が目の前に置かれる。

 中には半透明で仄かに赤い液体が注がれていた。


「どうだ?悪いが、茶を淹れるのには慣れていなくてな。味の保証はできない」

「いえ……凄く美味しいです。香りが良いですね。甘いようで、すっきりとしている気がします」


 ゼルマも味の良しあしについて特別詳しい訳ではない。

 だがそんなゼルマでも不思議と『これは相当に良い物なのだろう』と理解出来る味だった。


「そうか、それは良かった。貰い物だが、一人で飲みきるには量が多くて困っているんだ。良かったら何袋か持って帰るか?」

「いや、あまり茶は嗜まないので……申し訳ないのですが」

「別に君だけで消費しろと言っているんじゃない。私もこうして君に出しているしな。友人等に振る舞うなり、分けるなりしてくれても良い」


 そう言われ思い浮かぶのは普段の面々である。

 エリンとフェイム、ノアは茶が好きだろうし、フリッツは何でも美味しいと言って喜ぶ人間だ。クリスタルの好みは分からないが、この茶を嫌う事は無いように思えた。


 意外にも振る舞える人間が思い浮かんだゼルマはもう一度手の中にある茶を眺めた。


「良いんですか?」

「ああ。このまま腐らせてしまうよりは随分とマシというものだ」

「……ありがとうございます。ではいただきたいと思います」

「そうしてくれると助かる」


 そうして、ヴィザ―もまた茶を啜る。

 落ち着いた時間が緩やかに流れていた。


「さて、何を話そうか」

「何って……何か俺に聞きたい事があったんじゃないんですか?」

「あるにはあるんだが……うむ、難しいな」


 そもそもゼルマはヴィザ―に自分の話を聞きたいと言われたから残ったのだ。

 にもかかわらず問われないとなれば、どうすれば良いのか分からなくなる。


「……そうだな、こういう時は先ず自己紹介だ。思い返せば、前回会った時は碌な自己紹介もしていなかった」


 ヴィザ―は真剣な表情でそう言うと、茶器を置いてゼルマの方へ向き直る。


「改めて、物質科で科長をしている。ヴィザ―・アージュバターナーだ。講義としては『土属性魔術発展』や『物質魔術発展』等を教えている。魔術論文は……まぁ色々だな」


 こうして紡がれたそれは余りにも真っ当な自己紹介であり、


「好きな魔術は物質操作に関する魔術。趣味は読書だ。最近は過去の伝奇を色々と試している。仕事半分、趣味半分といったところだ」


 余りにも気軽な世間話でもあった。


 多くの人間が抱くヴィザ―・アージュバターナーという人物像そのままでありながら、多くの人間が知らない彼女個人の情報であったのだ。

 物質科長として畏敬を集める魔術師でありながら、当然の事のように身近な趣味を持っている。

 そんな当たり前をゼルマは再認識させられてしまう。


「さて、では君の自己紹介を聞かせてもらおうか」

「俺の……ですか?」

「ああ。私がしたんだ。君も続くのが流れというものじゃないか?」

「だとしても俺の自己紹介なんて何の面白味もないかと思いますが……」

「面白いか面白く無いかを決めるのは私だ。それに自己紹介に笑いは求めていないよ」


 出会った時とよく似た言い回し。

 これは断れないのだろうと察し、ゼルマは観念して自己紹介を行う事にした。


「……ゼルマ・ノイルラーです。入学からして二年目、先日魔導士の学位を取得しました」

「改めておめでとう。それで?」

「好きな魔術は……全般。趣味は俺も読書です」


 ヴィザ―と同じ内容を言う事に気恥ずかしさを覚えながらも、ゼルマは真っ当な自己紹介を行う。

 そもそも自己紹介なんて行った事が無いことに気が付いたのは今更だった。


 だが、ヴィザ―は揶揄う様子も見せずゼルマへと問いかける。


「読書か。普段はどんな類のものを読むんだ?」

「専ら魔導書ですが……たまに歴史書や物語を読む事もあります」

「いいじゃないか。好きな物語はあるかね」

「……英雄譚、は好きかもしれません」

「ほう英雄譚か。私も好きだ。幼い頃は読み漁ったものだ。勿論、今も好きだがね。『紅の女主人』、『山越えの明日』、『名もなき魔王』……懐かしいな」


『紅の女主人』、『山越えの明日』、『名もなき魔王』。

 それ等はどれも古くから存在する物語……中でも英雄譚と呼ばれるものである。

 人気の高いものから余り有名ではないものまで並べるあたり、本当に英雄譚が好きだったのだろう。


「幼い頃にですか」

「そうだ。想像出来ないかもしれないが、私にも子供の時分はあったのさ。寝物語、という奴だ。……ああ、本当に懐かしいな」


 ゼルマが言いたかったのは、子供が読むには大人びた内容ではないか、という事だったのだがヴィザ―は別の意味に受け取ったらしい。

 そして、彼女が挙げた名前に()()()()が無かった事もゼルマには気になった。


「勇者に憧れた時もあったが、今は今で自分に向いていると思っている。魔術が好き、だからな」

「魔術師が勇者になれない、なんて事は無いと思いますが」

「そうだ。だから憧れを諦めた訳じゃない。ただ変わっただけだ。自分も、環境もな」


 そう言って、彼女は一口茶を啜る。


 その様子を見て、ゼルマには一つ疑問が生まれる。

 一瞬問うべきか悩むが、これも機会であると問いかける事にした。


「……俺からも一つ聞いて良いですか?」

「勿論構わない」

「ヴィザ―先生はどうして『教師』という道を選ばれたのですか」


 ヴィザ―・アージュバターナー。

 最高学府を見渡しても、彼女程に優秀な人間を探し出すのは難しいだろう。

 地位も名誉も実力も兼ね備えている。そんな彼女が何故最高学府の『教師』になったのか。

 彼女程の人間ならば、先程彼女が言ったように別の道を選ぶ事は出来たはずだ。

 彼女はヴィザー・アージュバターナーなのだから。


「ふむ……それはどういう意味でだ?」

「言葉通りの意味です。他意はありません。簡単な回答でも大丈夫です」

「そうか。それはそれで難しいが……答えよう」


 穏やかな表情のまま、ヴィザ―は語る。


「一つは、成り行きだろうな。『科長』の座に就いたのと同じだ。偶然……或いは運命と言ってもいいのかもしれない。兎に角、そうなったんだ」

「それは断ることが出来なかった、ということでしょうか」

「いや違う。断る事は出来ただろう」


 ヴィザ―は明確に否定する。

 では何故、彼女は断らなかったのか。


「多分私は魔術を学ぶ事だけではなく、少なくとも『教師』を今も続けている程度には、魔術を教える事も好きだったみたいなんだ」


 それが彼女が『教師』という道を選んだ一番の理由。

 彼女が今に至るまで『教師』を続けた理由。


 ただ好きだった。とても単純で、一番大きな理由。


「だから物質科長になって、忙しさ故に自分の教室を持てなくなってしまったのは残念だよ」


 確かに科長程多忙であれば、教室を持つ余裕は無いかもしれない。

 だが教室を開くのは義務では無く、あくまでも権利に過ぎない。その中で教室を開きたいと考えているのは、彼女は彼女が言っている以上に『教師』だったという事なのだろう。


 そもそも科長になってからも講義を続けている事の方が珍しいのだ。


「答えになったかは分からないが、こんな所だ」

「ありがとうございます。とても参考になりました」

「それは何よりだ」

 

 ヴィザ―が微笑む。

 その微笑に、思わずゼルマもまた表情を緩めたのだった。


 ■◇■



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