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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
68/87

自己とは最も遠い他人である。


 ■◇■


「先生、課題の提出に来ました」

「あ、ありがとー。そこ置いといてくれるー?後で見とくからー……」


 ゼルマが紙束を手渡そうとすると、気だるげに女性が言う。

 女性が指さした方を見れば、同じような紙束が山積みになっていた。


 ここは最高学府の一角。教師であるヴァイオレット・ハールトの研究室であった。

 現在ゼルマは彼女が担当する神代歴史学の課題を提出する為に研究室を訪れていた。


 最高学府には教師達が一堂に待機する部屋、所謂『職員室』のようなもの存在し無い。

 会議室等はあるが、あくまで集合するのは一時的なものだ。


 なので最高学府の教師たちは講義が無い間、基本的には自身の研究室か教室で過ごしている。或いは自身が管理する資料室等だが、やはり研究室で過ごす事が多いだろう。

 研究室は魔導士達の実質的な私室なので、そうした面でも利便性が高いのだ。

 逆に私生活と仕事は完全に分別したい者等は教室で過ごす者もいる。


「はぁー……」

「…………」


 ヴァイオレットが大きく溜息を吐く。

 無意識なのか、或いは見せつけているのか。

 普段は明るい性格の彼女なだけに、その姿は意外ではあった。


「はぁー…………」

「…………」


 先程よりも深く、長い二度目の溜息。

 ここまでされれば流石のゼルマでも気が付くというものだ。


「……何かありましたか?」

「あーごめんねー。実は最近、色々あっちゃってねー……」


 困ったような笑顔を浮かべるヴァイオレット。

 どうやら彼女も無意識に漏れ出ていた溜息だったらしい。


「俺で良ければ話を聞きますが」

「そんな悪いよー。だって私先生なのに生徒にお悩み相談なんてさー。でも、そうだねー確かにちょっと誰かに話を聞いてもらって方が楽にはなるかも……良いのかな?」

「一時間程度なら大丈夫です」

「そんなに長く話さないよー。……じゃー聞いて貰っちゃおうかなー。あ、飲み物出すね」


 ◇


「うーん、何から話せば良いのかな。実は最近ね、実家……というより本家がごたごたしてて、言っちゃえば色々と揉めてるんだよね」

「本家というと……」

「そう。ハールト家ね」


 淹れられた紅茶を飲みながら二人は向かい合って話す。


 ハールト家。

 最高学府でも名家と呼ばれる魔術師の家系であり、ヴァイオレットの実家だ。

 六門主には及ばないものの、優秀な魔術師をこれまでに多く輩出してきた事から最高学府内でも名の知れた家系の一つだ。


「それで私の従妹……現ハールト当主の娘さんがね、居なくなっちゃんだよねー」

「ヴィオレ・ハールトさんがですか?確かに最近見かけないとは思っていましたが」

「そうなの。多分というか、絶対もう最高学府内には居ないと思う。出て行った記録も見つかっているらしいし、何処に行ったのか……行方不明ってやつ」

「それは本当に自分の意思で?」

「まーそうだろうね。しょーじき、思い当たる理由もあるし……」


 ヴァイオレットはそう言うと、封筒を一つ机の中から取り出し、ゼルマに手渡す。

 開けていいものかとゼルマがヴァイオレットの目を見ると、彼女は無言の許可を示していた。

 そうしてゼルマが封筒を開けると、中には一枚の便箋が入っていた。


「…………成程」

「ね。まー理解できなくもないよねー。それが例え、私達の宿命だとしても」


 そこに記載されていた内容は確かに彼女にとっては十分逃亡の理由になるものだった。


 ―――婚約相手。


 簡潔な文章中で目を引く、その一単語。

 ゼルマも直感的に理解出来た。恐らくは、少なくともこの手紙の内容が彼女が逃亡した理由の一つであるのだろうと。


 魔術師同士の婚姻関係は何ら珍しいものではない。

 寧ろ逆だ。魔術師の家系とはそもそもそうして出来上がるものである。

 優秀な魔術師の血を取り入れ、時に与える事で血統が持つ力を高めていく。そうした血の取引の積み重ねこそが現在の魔術師の家系、特に名家と呼ばれる家系を作り上げたのだ。


 それはゼルマ自身も覚えがある事で例外では無かった。

 ノイルラー家は『大賢者の末裔』である。決してその血を途絶えさせてはならないという使命がノイルラー家には存在している。

 ゼルマもまた、いつしかその順番が回って来るのだろう。


 兎も角、魔術師にとって婚姻関係とはある種の手段である。

 魔術師というものであるならば当然のように存在する義務に近しいものである。


 だからといって「はい、そうですか」と簡単に受け入れられるものでも無い。

 特に最高学府に通う若き魔術師にとっては。


()()()()()()を経験した直後に()()でしょ。そりゃあ嫌にもなっちゃうよねー。私だって出来る事なら届けたくなかったけど、本家に逆らえないっていうかさー……」


 ヴァイオレットの言う『あんな負け方』とは十中八九新星大会の事だろう。

 あの日、ヴィオレ・ハールトはクリスタル・シファーに大敗を喫した。

 単純な魔術の技量だけではなく、魔術師という存在において敗北してしまった。

 それは単純な勝ち負けでは無い。人生の敗北感を彼女に与えてしまったのだろう。


 ゼルマはその試合を見れてはいないが、補助要員で観戦していたエリンとフリッツ経由で概ね流れは把握している。心を圧し折られる、そんな戦いであったという。


 だが敗北を以て彼女を責める事はできないだろう。

 それはある意味当然の事だからだ。

 クリスタル・シファーとは生まれながらの『天才』であり『魔術師』。

 同年代ならば彼女の壁はより高く、分厚く聳え立つ。

 見誤る事で自尊心を打ち砕かれたとしてもおかしくはない。


「あーやっぱり私が代わりなのかなー……嫌だなー……我儘だよねー」

「よく分かりませんが、先生が代わりで許されるものなんですか?」

「こらーどういう意味だー……って冗談冗談。ごめんねー分かってるよ」


 怒る真似をしつつ、朗らかに笑うヴァイオレット。

 やはり本来の彼女の気質はこうしたものなのだろう。

 少しずつだが、彼女特有の()()が戻っているのかもしれない。


「ま、普通は駄目だよねー。だって相手は『ハールト本家』の『ヴィオレ・ハールト』だから婚約を決めたんだもん。『分家』の『ヴァイオレット・ハールト』はお求めじゃないんだ」

「ならどうして無用な心配を?」

「どうしようも無かったら私しかいないからねー。変な話、丁度いい年齢の女性がさ」


 彼女は変な話とは言うが、実際それは大きな問題だ。

 血統を繋ぐという都合上、どうしても子供を産むという事が望まれてしまう。現実的に子供が居なければどれだけ長く続いた魔術師の家系であろうと途絶えてしまうのだから。


「それでも、婚約を破る事には変わりないからねー。ハールト家はこの契約において、凄く不利な立場になっちゃう。だから今うちの家は必死にヴィオレちゃんを探してるんだけど……世界は広いからね。このまま行くと私になっちゃう可能性が高そうなんだよね……はぁ…………」

「…………」


 何度目かの溜息をヴァイオレットは吐く。


 確かに、この広大な世界でたった一人の人間を探しだすというのは余りにも困難な事だ。

 最高学府から遠く離れた場所で活動するのであれば、例え見つけられたとしても相当な時間を要する。更に名前を隠していれば、より一層発見は困難になるだろう。


 ゼルマには婚約契約の仔細を知る術は無いが、それ程長く相手を待たせておけるものでも、誤魔化せるものでもない筈だ。


「……因みに、ヴィオレ・ハールトの婚約相手というのは?」

「うーん流石にそれは言っちゃ駄目……いや、まぁ良いのかな?駄目だとも言われてはないけど……」

「言えないなら無理に教えてくれなくとも大丈夫ですよ」

「いや、でもここまで話して君の疑問に答えないというのは不誠実だよね。答えるよ」


 うん、と一人で納得してヴァイオレットは言う。


「あの子の婚約相手はね、六門主ヴィーボアの魔術師なの」

「ヴィーボア……ですか。それは、また……意外な」

「意外だよねー。あのヴィーボアが、だもんね」


 六門主ヴィーボア。

 魔道錬金部門の門主であり、魔道具技師の大家であり、錬金術の名門。

 滅多に俗世間と関わりを持たず、自らの工房へと籠って過ごしている事で知られている。


 ゼルマが意外だったのはそこだ。

 ヴィーボアは良くも悪くも権力に無頓着な家系である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それだけで天秤を保つだけの力を持っている。


「だから、多分持ちかけたのはハールト(こっち)の方なんだよねー。……焦ってるのも、それが理由だろうけど。六門主相手に契約不履行なんて、なんの冗談にもならないよね?」

「かも、しれませんね」


 いくらハールトが名家だと言っても、その力は六門主には及ばない。

 権力に無頓着なヴィーボアでさえ、ハールトよりも大きな影響力を持つ。

 ヴィーボアがやろうと思えば、ハールトは文字通り捻り潰されるだろう。


「あー!ちょっとすっきりしたよー!ありがとうね、話を聞いてくれて」

「俺は何もしていませんよ。話を聞いただけです」

「ううん。吐き出すのは大事だよ、溜めこむとそれこそあの子みたいに爆発しちゃうかもしれないしね。あはは、教師と生徒、立場が逆転したみたいだね?」

「そうですかね……?」


 ゼルマは話を聞いていた。ただそれだけだ。

 だが、今回の会話の中でゼルマが得たものもあった。

 ならば、それは果たして立場が逆転したと言えるのだろうか。


「うん。大賢者様も言っているでしょ。『自己とは最も遠い他人である』だって。色んな解釈はあると思うけど、私はこの言葉はそれだけ自分を制するのが難しいって意味だと思っているんだよね」

「……それは、とても良い解釈ですね」

「だから、君に話を聞いて貰えて良かったよ」


 ヴァイオレットが笑う。陰りの無い、朗らかな微笑み。

 彼女の言う通り、ゼルマに話した事で幾分か楽になったのだろう。


「さて、憂鬱な話はここまでだね。課題の提出、ありがとう。ちゃんと見ておくから安心してねー」

「そこは心配していませんよ」

「信頼してくれてありがとうね」


 そうして今度は同時に、二人は微笑んだ。


「あ、もう一つ、ついでにお願いしても良いかな?」

「……内容によりますが」

「大丈夫だよー今度はそんなに重くないから」


 ゼルマが疑問に思っていると、ヴァイオレットは封筒を持って来る。

 書類がすっぽりと入る大きさで、既に中には書類が入っているようだった。


「これをね、ある人に届けて欲しいの」

「ある人とは……?」


 封筒を受け取り、ゼルマは問う。


「知ってるかな?ヴィザー・アージュバターナーっていう先生なんだけど」


 ■◇■



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