未知とは、常に希望であり、故に恐怖である。
説明回です。
■◇■
静謐なる部屋で、二人の魔術師が相対している。
だが二人であって、彼等は二人ではない。
彼等は根本的に一人だったからだ。
序列十位、全ての魔術の生みの親、大賢者。
「貴方が……【教導】の大賢者」
「驚かないのかね。予想でもしていたか」
「……【伝令】の口ぶりから最高学府に俺達以外の大賢者が居る事は想像できました。なら可能性として一番高いのは……何百年も学園長として座す、貴方だ」
「そうか。流石、大賢者だ」
案外、ゼルマに訪れた衝撃は少なかった。
決して軽かった訳では無い。だが、目の前に居る本人から語られれば納得せざるを得ない。
そしてゼルマが説明したように、彼が大賢者である事自体は想像できた事だったのだ。
それを聞いたキセノアルドがコツリと机を指で叩きながら、続く言葉を紡いだ。
「だが、一つ訂正しておこう。優れた魔術師ならば自身の寿命を延ばす手段など、当たり前の如く持ち合わせている。生きた年月だけでは私を大賢者だと推測するには少し足りないな」
「……授業のつもりですか?」
「それが【教導】の大賢者だからな」
僅かな微笑み。確かに【教導】の大賢者ならば、それが役割だろう。
ゼルマを含む大賢者達は基本的には同一人物だ。
同じ魔術回路、同じ才能を有している。ゼルマ・ノイルラーも制限を受けていなければクリスタル・シファーと全く同一の魔術回路と才能を有しているのだ。
だが全ての大賢者がこの世界において全く同一の存在として活動している訳ではない。
役割が異なり、活動場所が異なり、ともすれば能力や人格すら異なる。
故に、大賢者には個体識別名が存在する。
ノイルラー家の魔術師であるゼルマ・ノイルラーには【末裔】が。
天才として生きるクリスタル・シファーには【天賦】が。
それぞれに与えられている。
ならば【教導】の名を持つキセノアルドの役割は明確だ。
教導とは、教え導く事。
最高学府の学園長という立場を持つ彼にとって、これ以上ない程合致している名であろう。
「しかし、君にも察しがついているだ」
「【伝令】が貴方にも来ているという事は……貴方も俺と同じように完全な記録情報の共有を行っていないという事ですね」
「そうだ。私が最後に記録情報共有を行ったのは、君と同じく私が世界に生じた時だ。もう何百年も前だな。それ以来、私は記録情報を共有していない」
「……何百年も前、ですか」
大賢者の中には様々な理由から記録情報共有を行わない、或いは行えない大賢者も存在する。
ゼルマやクリスタルはその最たるものだ。
ゼルマが最後に記録情報共有を行ったのは大賢者に目覚めた時であり、クリスタルに至っては記録情報共有を行ってすらいない。
キセノアルドが言うように、何百年も記録情報共有を行っていない大賢者も中にはいる。
理由は多岐に渡るが、概ね研究の為である。
そして、そうした大賢者へ情報を伝え、逆に情報を得る役割を持つ大賢者が【伝令】の大賢者だ。
「記録情報共有は有用だが、危険性もある。単なる『知識』の共有なら兎も角、『経験』の共有は他の大賢者に対して悪影響を及ぼしかねない。特に君や私のように、自己を大きく残した大賢者との情報共有はな。だからこそ【伝令】がいる」
「俺達に伝える為ではなく、俺達から伝える為に、ですね」
「左様。一度【伝令】が『知識』として得た『経験』ならば影響もない」
単なる『知識』の共有とは違い、『経験』の共有にはある種の危険性が存在している。
魔導書を読む事と、魔術を実際に使う事では全く異なるように。
人が死んだと知る事と、人を殺すのとでは全く異なるように。
そこには、『知識』と『経験』の間には大きな違いがあるのだ。
これは記録情報共有が、記憶を完全に共有してしまう事の弊害ともいえる。
それを回避する為に存在する者が【伝令】の大賢者、ラガンドア。
クリスタル・シファーとキセノアルド・シラバスを除けば、ゼルマがこれまでに唯一面識のあった大賢者でもある。
「俺達のように人格を残した大賢者は多いのですか」
「いや。少なくとも【末裔】や【天賦】の様に完全な自己を有した大賢者は極々少数だ。私も含めてな」
「……そうですか」
実の所、ゼルマは自分以外の大賢者についてよく知らなかった。
自分が大賢者だという自覚はある。制限されているとは、ゼルマも有事には【賢者機関】へと接続する事で大賢者としての力を発揮できるのだ。
しかし、ゼルマがこれまでに出会った大賢者は【天賦】と【伝令】の二名のみ。目の前の【教導】を合わせても三名である。
ゼルマは大賢者でありながら、他の大賢者について深く知らずにいたのだった。
「さて、話を戻そうか。先の新星大会、上手く立ち回ったようだな。見事だ。結果として、君も得たもものが多かったのだろう?」
「見ていたんですね。闘技場からですか」
「此処は最高学府だ。結界の内で起こる事象の大半は把握できる。闘技場でろうが、無かろうがだ」
「……最高学府の結界は、貴方にとって眼も同然という事ですか」
「全てを把握できる訳では無い。事細かに知るには注視しなければならない。それも常にとはいかないのでな」
それはゼルマ自身も覚えがある事だった。
結界魔術を使用した際に、漠然とだが内部の状況を感じる事がある。
それだけで何が起きているのかを把握する事はゼルマには困難だが、目の前の魔術師にはそれが可能という事なのだろう。
「では聞こうか。どうやってあの娘を降した?」
「……事情は既に把握しているのではないのですか?」
「顛末は知っていたとしても、君の内までは私の眼も及ばない。私が知りたいのは君の考えの方だ」
「…………」
つまりキセノアルドは『エリザベート・コルキスとの戦闘で何が起きたか』ではなく、『エリザベート・コルキスとの戦闘で何を考えたか』を問うているのだ。
結果ではなく、過程について尋ねられているのだ。
そうして、断る事も出来ないと判断したゼルマは、少し前の事について淡々と語り始めた。
「……相手が誰なのか迄は、正直あの時点では把握できていませんでした。ですが、六門主に連なる魔術師、或いはその直属の魔術師である事は予想できたので、それに見合った準備をしました」
「見合った準備か」
「はい」
ゼルマは軽く頷く。
「……仮に六門主直属の魔術師であれば俺ではまず勝てない相手です。勝てたとしても、それは完全ではありません。今回は相手の口を封じる為にも、心を圧し折る戦いをしなければならなかった。……それは今の俺にはできない。だから俺は俺の力を使いました」
エリザベート・コルキス。
彼女の力は本物だった。素のゼルマの力では苦戦、ともすれば敗北する相手である。
それは彼女でなくとも、六門主に関係する魔術師とはそういう実力者の集まりなのだ。
だからこそ、ゼルマは大賢者の力に頼らざるを得なかった。
「俺が用意したのは二つ。見せ札と鬼札、相手を圧倒する魔術と恐怖させる魔術です」
「それがあの魔術という訳か」
「はい」
一つはゼルマの魔術、〈廻る世界の時針〉。
これは相手に想定外の力を持つと印象付ける為の魔術だった。
魔術を発動させる魔術というこれまでに無かった魔術を見せつける事で、エリザベートは想定通り、ゼルマを想定外の力を持つと認識し評価した。
同時にエリザベートに対して『時間制限』を強く植え付け、切り札を先に出させる事も成功した。
古代魔術を主とする魔術師であるエリザベートは、強力な魔術を使う為に詠唱を必要とする。その点でも相性が良かった。
「鬼札の方は単純です。【図書館】から【魔術陣】を借り受けられるように申請しました」
【図書館】とは大賢者が作り上げた知識の保存場所だ。
これにより、大賢者は記録情報を共有し完全な全員が同一人物という状態を可能にしている。
そして保存しておけるのは単なる知識に留まらない。
記憶や経験といったもの、そのままに保存可能である。
魔術の名前、魔術式、魔術に関する性質……そして魔術そのものでさえも保管できる。
それこそが真の【魔術陣】。
完成した魔術そのものを保管し、行使する力である。
ゼルマが今回【図書館】から借り受けた魔術は三つ。
魔術を消す魔術、〈終譚宣言〉。
不死者を殺す魔術、〈終末宣告〉。
隻腕王ゾーオスの力、〈万世穿つは王が五指〉。
どれも今のゼルマには発動できない魔術だが、【魔術陣】として借り受ければ関係なく発動可能だ。発動に詠唱すら必要としない。
エリザベートの目の前で魔術名を言ったのは、あくまで見せつける為である。
「未知への恐怖心を植え付ける為の戦闘か。面白い。であれば何故、【賢者機関】と連結しなかった?以前は使用したのだろう?」
「……使わずとも勝てると判断したからです」
「ほう?」
大賢者の力の象徴、【賢者機関】。
全ての大賢者が同一の力を使える理由であり、全ての大賢者が大賢者である理由。
【図書館】も【賢者機関】に組み込まれた機能の一つだ。
確かに【賢者機関】を使えば、エリザベート・コルキスを相手に苦戦する事は無かっただろう。魔力量だけではない。魔術回路の制限が解かれ、大賢者が有するあらゆる魔術を使えるようになる。
レックス・オルソラを一方的に虐殺したように、【賢者機関】は絶対的な力だ。
だがそれを使わなかったのは、あくまでゼルマ自身の拘り……感情の問題だった。
【賢者機関】とは絶対的な力であると同時に、ゼルマ・ノイルラーという個人を失う力でもある。
思考は本来の大賢者に近づき、普段のゼルマならしない判断、しない行動でさえ軽々と行ってしまう。例えそれが倫理観に反する事であったとしても、大賢者なら関係なく行ってしまう。
行えてしまうのだ。
「……一つ、聞かせて下さい」
「何だね」
暫しの静寂の後に、口を開いたのはゼルマの方だった。
「貴方がこれまでに作った魔術は……これまでに書いた魔導書は……魔術師“キセノアルド・シラバス”として生み出したものですか?それとも……【教導】の大賢者として生み出したものですか?」
ゼルマは問うた。
それはある種、当然の疑問である。
魔術師キセノアルド・シラバスは最高学府の学園長であると同時に、魔術師として研究者としても高い評価と名声を得ている人物だ。
彼がこれまでに執筆した魔術論文も当然存在し、魔導書も出版されている。
勿論ゼルマもそれ等を読み……静かに感動した経験もある。
「それを聞いて何になるというのかね?」
「……確かめたいだけです。言うなれば、『好奇心』でしょうか」
「そうか。ならば答えよう」
キセノアルドは真っすぐにゼルマの目を見て言う。
「あれらは、間違いなく今此処に居る私として生み出したものだ。魔術師“キセノアルド・シラバス”が書き記したものだ」
その宣言に嘘は無かった。
真偽は分からない。だが少なくともゼルマはキセノアルドの視線から虚偽を感じなかった。
それだけでゼルマにとっては十分だった。
「……そうですか」
「満足したかねゼルマ・ノイルラーよ」
「はい、確かめられて良かった。貴方が俺の尊敬する魔術師で、本当に良かった」
「そうか。それは何よりだ」
同じ大賢者、同じ人物。
【末裔】の大賢者たるゼルマ・ノイルラーと【教導】の大賢者たるキセノアルド・シラバス。
だが両者は同一人物でありながら、彼等は別の人物でもある。
別の立場で、別の目的を持ち、別の考えで動く別人でもある。
同じ大賢者であっても、ゼルマ・ノイルラーが魔術師であるように。
同じ大賢者であっても、キセノアルド・シラバスも魔術師なのだと。
それが確認できただけで、ゼルマは良かった。
「ならばそうだな。君に一つ『先生』らしく振る舞うとしようか」
「……?」
キセノアルドがゼルマに語り掛ける。
纏う雰囲気は先程より幾分か柔らかい。
彼の言葉通り、教育者らしい眼差しである。
「一年の終わり、三つ目の大祭が開かれる事は知っているな」
「魔儀大祭、ですね」
「ああ」
最高学府には三つの大祭と呼ばれる祭事が存在する。
一つはつい先日開催された智霊大祭。
一年の中で最初に行われる大祭であり、三つの大祭の中では最もイベント色が強い。
この期間中は様々な催しがなされ、特に三学年までの学徒で行われる新星大会は人気を博している。
二つ目が精霊大祭。
一年の中に二番目に行われる大祭で、三つの祭りの中では最も宗教色が強い。
精霊への祈りを起源としており、他の祭りのような熱気は無く大きな儀礼の様なものだ。
そして三つ目。
一年の最後、年度末に行われる大祭こそが魔儀大祭である。
一年の総決算とも評され、魔術に関する様々な大会が開催されるのが特徴の大祭だ。
「君も参加したまえ」
「なッ―――」
そんな大会にキセノアルド・シラバスは参加しろと命じた。
聞き間違いではない。聞き間違えようの無い言葉だ。
「それは……どちらの事でしょうか」
「無論、どちらもだ。それ以外にあるのかね?」
「…………」
魔儀大祭では様々な大会が開催されるが、主となる大会は二つ。
魔術の闘技大会、大賢魔戦。
魔術の理論大会、理智魔会。
両大会共に最高学府の全魔術師が参加可能。
つまり最高学府でその年に最も実力のある魔術師を決める大会である。
その両大会への参加をゼルマは命じられている。
「魔儀大祭に出場し、君の成果を見せろ。君も魔術師であるのならば」
「……それは、大賢者としての命令ですか?」
ゼルマは問う。
「違う。これはあくまで私からの―――言うなれば宿題だ」
それにキセノアルドが答える。
大賢者としてではなく、一人の教育者……最高学府学園長として答える。
「またいつでも来ると良い。我が部屋はいつでも君を受け入れるだろう」
こうして、ゼルマには一つ宿題が与えらえれたのだった。
大賢者の任務ではない―――魔術師の宿題が。
■◇■
〇智霊大祭
一年の中で最初に行われる大祭。三つの祭りの中では最もイベント色が強い。
この期間中は様々な催しがなされ、特に三学年までの学徒で行われる新星大会は人気。
元は大賢者を祀るための祭事だった。
〇精霊大祭
一年の中に二番目に行われる大祭。三つの祭りの中では最も宗教色が強い。
精霊への祈りを起源としており、他の祭りのような熱気は無い。
期間中に行われる『祈りの儀』は最高学府外からも観光客が訪れるほど。
〇魔儀大祭
一年の中で最後に行われる大祭。三つの祭りの中では最も魔術色が強い。
他の大祭とは異なり、起源は無い。
一年の総決算とも評され、魔術に関する様々な大会が催される。
大賢魔戦 最高学府の全魔術師が参加可能な魔術の闘技大会。
理智魔会 最高学府の全魔術師が参加可能な魔術の理論発表大会。
純粋魔術理論の部や魔道具の部等様々な部がある。




