一を知る事は時に十を知る事よりも重要である。
最近ペースが守れず申し訳ございません……。
■◇■
最高学府で最も『入り難い場所』はどこか。
中央大図書館の秘密書架だろうか。
六門主の個人研究室だろうか。
倫理委員会管轄の禁忌収容庫だろうか。
どれも最高学府において人間を遠ざけ、隔離された場所である。
共通する点は、いずれも『知られてはならない』ということ。
故に、極々限られた魔術師だけが立ち入る事を許される。
例えば中央大図書館の秘密書架には、閲覧権限を有する大司書以外には六門主であっても入室・閲覧どころか場所すらも秘匿されているのだ。
そうして、最高学府にはもう一つ代表的な例が存在する。
そこは多くの学徒にとって無縁の場所でありながら、多くの学徒にとって憧憬の場所。
選ばれた一握りの魔術師しか入室を許されない、最高学府の最奥であり権力の象徴。
即ち、学園長室……キセノアルド・シラバスの私室である。
そこに立ち入れる者は学園長に招かれた者だけ。
六門主であれ、特待生であれ、招かれざる者は決して入れない。
学徒の大半は招かれる事を夢見ながら、ついぞその機会を得られる場所。
それが学園長室。
―――そんな場所に、ゼルマとフェイムは居た。
正確には、その扉の前に。
「どうかしましたか先輩?」
「……いや、何でもない。少し……まぁ、複雑な気分なだけだ」
「先輩はよく複雑な気分になられるのですね」
「……主にお前のせいでな」
等と言い返してみるものの、実際にゼルマの心情は複雑なものだった。
最高学府学園長キセノアルド・シラバス。
最高学府における最高位権力者であり、また最高峰の空間魔術師でもある。
事実、最高学府に張り巡らされた空間転移を感知する結界はキセノアルドが開発したものである。
最高学府を覆う程の規模と空間転移を決して見逃さない感知能力。
結界を実際に張っているものが彼自身ではないにしても、それだけの魔術を開発できる魔術師が世界にどれだけ居ることだろうか。
だからこそ、最高学府の学徒はキセノアルド・シラバスに尊敬の念を抱く。
単なる権力者ではなく、自らの先を進む魔術師であるが故に、学徒は崇敬する。
彼等にとって、キセノアルドという魔術師は最早物語に登場する英雄に近しい。
代替わりする六門主とは異なり、学園長という立場に就いた魔術師が、最高学府の歴史上キセノアルドただ一人だけという事実もそれに拍車をかけている。
生きる伝説。それがキセノアルド・シラバスという魔術師であった。
(まさか、この部屋に来るのがこんなに早いなんてな……これも運命というやつか?)
本来のゼルマであれば無縁の筈だった場所。
ともすれば一生無関係だったかもしれない場所に、今は来ている。
ゼルマとて憧れが無かった訳では無い。
学園長室に招かれるという事は、学園長が直に興味を抱いたという事だからだ。
最高学府の学園長であり、世界最高峰の魔術師であり、稀代の空間魔術師。
最高学府で魔術を学ぶ学徒として、彼と話す事を光栄に思わぬ者は居ないだろう。
居たとすれば、それは度を過ぎた偏屈者だ。
だが、今回ゼルマがこの場所へ赴いたのは決して彼自身の力ではない。
ゼルマの今日の役割は、あくまでも付き添いである。
その事実が、ゼルマの心情を複雑にしていた。
―――まるで、自分はオマケだと言われているようだ。
(……ッ!!)
そんな考えが頭に過り、咄嗟にゼルマは否定する。
それは、余りにも曲がった考えであるとすぐに自覚したからだ。
そも、今日来た目的は新星大会で準優勝を獲得したフェイムに用があるという事だった。
模擬戦を終え、そろそろ解散しようかといった時にフェイムが学園長に呼び出されていると言い出した事が今回の訪問の切っ掛けである。
ゼルマ自身は「それなら自分には関係ない」と別れようとしたのだが、
◇
「そういえば先輩も呼び出されていました。付いて来てくださいますか?」
「……それは何日前に分かっていた?」
「一週間くらい前でしょうか。すみません」
「………………」
◇
といった会話があり、そのまま連行されてきたという流れである。
因みにゼルマは再度報連相の重要さをフェイムに教えようと決心した。
一応フェイムの言い分である、最近模擬戦以外で話せる機会が少なかった、というものも一理あるのであまり強くは言えないのだが。
等と考えている内に、フェイムはすっと腕を扉の前へと差し出す。
そして、コンコン、と二度のノックをした。
僅かな間隔の後、フェイムは口を開く。
「フェイム・アザシュ・ラ・グロリアです。ご召喚に応じ、参りました」
フェイムのすっきりとした声が、廊下に響く。
気品のある声音、彼女はもう慣れているのかもしれない。
そうして、変化はすぐに訪れた。
「―――結界が消えたな」
「はい。これで入室できます。入りましょう、先輩」
扉が開かれ、二人は最高学府の最奥へと足を踏み入れる。
■◇■
そこは静謐な空間であった。
ある種、意外でもあったかもしれない。
壁一面に本棚があり、照明が空間を照らし、所々に装飾家具が並ぶ。
まるで普通の書斎といった様相の空間。
だが少し観察するだけで、理解もできてしまう。
その部屋にある物は、その全てが最高品質であった。
本棚に並ぶ本達は魔導書だけではなく、様々な分野のものが取り揃えられている。
また証明と装飾家具は魔術的な効果が付与された魔道具に近しいものだ。
更に言えば、部屋の中には扉から感じられたものよりも一層強力な結界が張り巡らされている。
一見普通の書斎でありながら、魔術師の部屋としては最高級。
「失礼いたします。……お久しぶりです、学園長先生。ご用命通り付いて来て頂きました。こちらが今回の大会で私を支えてくださった先輩の方です」
「……お初にお目にかかります。ゼルマ・ノイルラーです」
そして、そんな部屋の主が……入室者を待ち構えていた。
「ようこそフェイム・アザシュ・ラ・グロリア、そしてゼルマ・ノイルラーよ。私からも改めて名乗ろう。学園長、キセノアルド・シラバスだ」
古い木椅子に座した老爺。
しかし、感じられる魔力はゼルマがこれまでに出会ってきたどの魔術師よりも練り上げられている。
彼こそがキセノアルド・シラバス。
最高学府全ての学徒を導く先導者。
◇
「フェイム・アザシュ・ラ・グロリア。先ずは新星大会、二位入賞おめでとう」
「……ありがとうございます」
キセノアルドに労いの言葉をかけられるフェイムだが、その表情は決して明るくない。
「では聞こう。人生で初めて、大敗を喫した気分はどうだったかね?」
「…………」
「クリスタル・シファー。彼女と戦い、君は確かな敗北を得た。それは君の人生でかつてない衝撃を与えた事だろう。事実、彼女はまだ余力を残していた。君はどう感じた?何を思った?」
だが、その理由について既にキセノアルドは察しがついていたのだろう。
労いの言葉は最初の一言だけ。続く言葉は、彼女に対しての問いかけであった。
「……悔しかったです。自分の未熟さを知りました。自分が今まで、いかに不勉強であったのか。そして自分の弱さも」
「では、諦めるのかね」
キセノアルドが再度問う。
だがその答えをゼルマはもう知っている。
彼女が何を答えるのか、ゼルマは知っている。
「いえ。それは有りえません。寧ろ逆です……私は、もっと学びたいと感じました。魔術を学び、戦術を学び、世界を学びたい……。今まで以上に、知りたいと感じました」
はっきりと、フェイムはキセノアルドを目を受け止めて答える。
彼女の輝ける瞳が、真っすぐに視線を伸ばす。
決して嘘偽り等ではない、真摯なる回答。
それは紛れもない、ゼルマを動かした彼女の言葉だった。
「では君は何をする?何を最高学府で学び、知りたいと願う?」
「……まずは、今まで疎かにしていた基本から学び直しています。それと並行して、私自身の強みを生かせるように、より高度な魔術……新しい魔術の開発についても取り組みたいと考えています」
「そうだ。一を知る事は時に十を知る事よりも重要だ。基本を学べば、より視野は広がり、君の世界は明るくなる事だろう」
「はい」
フェイムは成長している。彼女の気質は変わっていない。
だが、彼女は確かに成長している。
大会の前と後では比べようもない程に。彼女は変わっている。
ゼルマは彼女の言葉を傍で聞いて、改めて責任について自覚した。
「……では以上で大会に係る報告課題を終了したものとする。次回課題は再度使いを寄越すので、期日を厳守して提出を行うように」
「はい。ありがとうございます」
フェイムが軽く頭を下げる。
どうやら今回の来訪は特待生に課される課題の一環だったらしい。
そもそも新星大会の出場自体が三年目までの特待生に課された課題だったので、大会の報告も当然に課題の一部だったという事なのだろう。
そして、課題自体は無事終了したようだ。
フェイム自身は納得していないだろうが、それでも結果だけを見れば新星大会の準優勝である。
しかもフェイムはまだ一年目であり、群雄割拠の状態となった今回の新星大会でこの結果を残したのは寧ろ讃えられるべき結果である。
(……返ったら何か奢ってやるか)
財力で考えればフェイムは奢り等必要とはしないだろうが、何か先輩らしい事をしてやった方が良いのではないかとゼルマなりに考えた結果である。
だが、まだ終わってはいない。
「さて……君とも話そうか。ゼルマ・ノイルラー」
「はい。光栄です、学園長」
そうだ。今日この場所に訪れたのにはもう一つ理由がある。
課題の報告だけならば、ゼルマが同行する意味は無い。
事実、フェイムは最初に言った。『ご用命通り、付いて来て頂きました』と。
それはつまり、単にフェイムがゼルマを同行させたという事ではなく、学園長自らがゼルマ・ノイルラーを呼び出したという事である。
「ではフェイム・アザシュ・ラ・グロリア。君への用は以上だ、帰りたまえ」
「えっ!?ど、どうしてでしょうか?」
「言った通りだ。君への用件は終わった。これからはゼルマ・ノイルラーとの私的な会話になる」
「―――!」
「で、ですが私にも関係があるのではないのですか?」
食い下がるフェイムだが、ゼルマは別の部分に驚いていた。
確かに、今キセノアルドは『私的な会話』と言った。それも、フェイムを帰らせる程にだ。
てっきりフェイムの新星大会に関連した事について会話を行うと考えていただけに、ゼルマにとっては予想外の展開である。
「そうだな。無い事も無いだろう。だが、大きく関係する訳でもない。であるならば、君はその時間をより有意義に使用するべきではないか?時間は有限なのだからな」
「……それは、そうでしょうが」
ちらりとフェイムの視線がゼルマに向けられる。
だが、ゼルマに出来る事は無い。
他ならないキセノアルドがフェイムに無関係であると言い切っているのだ。ゼルマがフェイムを引き留める事は困難である。
加えて、最高学府おいてキセノアルドの言葉は概ね絶対的だ。
学園の運営を直接行っているのは門主会議を始めとして各種機関だが、その全ての頂点に位置するのは学園長である。他の機関はあくまで学園長の代行を行っているに過ぎない。
なので一介の魔術師に過ぎないゼルマがキセノアルドに物申せる筈もないのであった。
更に言えばキセノアルドの言葉は正論である。
関係ないと言い切られている話を聞く時間があるのであれば、その時間を学びに費やした方が遥かに効率的だ。しかも先程の発言の後ならば尚の事。
「理解したかね?これ以上の問答こそ、無為だと思うが」
「……分かりました」
そうして、若干拗ねた表情でフェイム学園長室を後にした。
その背中は心なしか、寂しげに見えた。
(……何か買ってやろう)
改めてゼルマはそう思った。
■◇■
「……俺に話とは何でしょうか」
「待ちたまえ―――〈不人領匣〉、〈隔絶量域〉」
「―――!」
流れるように発動された二種の魔術。
瞬間、間違いなく部屋という空間で『何か』が変わった事をゼルマは知覚する。
「今のは……」
「結界を張らせて貰った。用心するに越した事はないだろう」
「…………」
「さて、ゼルマ・ノイルラー。見事な手腕だったな」
「何の事でしょうか?」
「彼女の件だとも」
キセノアルドとゼルマだけの部屋。
静謐な部屋が、より静けさを増したように感じられる。
「……俺は何も特別な事はしていません」
「何もしていない、か。謙遜は不要だ。君の事は彼女から全て粒さに聞いている」
「彼女が大袈裟に話しているだけで本当に俺は何もしていません。全て彼女の才能と努力故です」
関係ない話と言いつつ、開幕から新星大会について話を切り出され、ゼルマは少し戸惑う。
この内容ならば、別にフェイムを追い出すような真似をする必要は無かった筈だ、と。
「必要以上の過剰な謙遜だな。君は本当にそう思っているのかね?それとも……何か目立ちたくない理由でもあるのかね?」
「そんなものはありません。これは俺の本心です」
「隠さなくても良い。君の事は全て理解している」
「隠すも何も―――」
そこで、ゼルマは気が付く。
目の前にある、違和感に。
「……貴方は、キセノアルド・シラバスですよね?」
「何を当たり前の事を聞いている。間違いなく私は最高学府学園長、キセノアルド・シラバスだ」
「……違う。それは全てじゃない」
それは、ある種の共鳴だ。
だからこそ、気が付いた。
「そうだ。君は理解している筈だ」
「…………貴方は」
ゼルマは、この感覚を知っている。
「こうして会うのは初めてだな【末裔】よ。君の事は【伝令】から報告を受けている」
それは、世界の誰も知らぬ筈の言葉。
たった一人、ゼルマ自身達を除いて。
「改めて名乗ろう。私が【教導】の大賢者―――キセノアルド・シラバスだ」
そう、大賢者を除いて。
〇中央大図書館
最高学府で最も大きな図書館であり、最高学府中の図書館を統括する組織。
秘密書架には六門主でさえ閲覧できない魔導書等が収められている。
〇倫理委員会
最高学府における倫理について管理を行う組織。
禁忌指定にされた魔術師、魔道具、魔導書等を半永久的に収容する禁忌収容庫を管理している。




