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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
64/87

無自覚ならば、それは恐怖か安寧か。


 ■◇■


「―――これで説明は以上だ。後は連絡を待っていれば良い。理解したか?」

「……ええ、嫌という程に理解しましたわ」

「そりゃあ良かった。俺もこんな事何度も説明なんてしたくはないからな」

「何度も?こんな話、嫌でも忘れる訳が無いでしょう?」

「想像もつかない馬鹿の可能性だってあるだろうが。此処に来たって事はそうだろう?」

「…………っ」


 男女が二人、薄暗い雰囲気の店内で会話をしていた。

 狭い店内には無表情の店員と男女以外に客の姿は見えない。

 無表情の店員も男女の会話に興味が無いのか、奥の椅子で一人読書をしている。

 この場所が()()()()()目的の店である事は明白だった。


「一応言っておくが、無駄な抵抗はしない方が身のためだぜ。足掻いた所でどうせ何も変わらないからな。それならさっさと受け入れてしまった方が楽だ。命令さえこなしておけばそれなりに良い思いもできるからな」

「……分かっています。アレはそういう人間だと、痛い程に」

「まぁ同情はするぜ。だからといって助けはしないがな。やるなら勝手にやれってだけだ」

「随分甘くなったのですね。過去の貴方が今の貴方を見たら、どう思うでしょう」

「それこそ殺してたかもな」


 男がぐいと目の前の一杯を飲み干す。

 息を吐き出すと共に、軽い酒精の香りが鼻から抜ける。

 男は普段酒を好んで飲む事はしない。だが今日は少し気分が違っていたのだ。


 理由は男自身も理解している。

 かつて自分がされた事を、今度は自らがしているのだから気分が良い筈も無い。

 酒精は感覚を鈍感にさせてしまうとしても、それでも飲まずにはいられなかったのだ。


「さて、俺はもう行くぜ。お前も精々頑張れよ」

「一つ聞かせなさい、レックス・オルソラ」

「……なんだ?まだ聞きたい事でもあんのか?」


 男は、レックス・オルソラは名前を呼ばれて立ち上がる動作を中断する。

 対面に座る女……エリザベート・コルキスは自身のグラスを握りしめていた。

 強く、ともすれば割れてしまうのではないかという程に。


「俺はくだらねぇ話なら御免だぜ」

「構わないでしょ?どうせ()()()今は暇なんですから。少し話をする暇もない程貴方の仕事は多いのなら別ですけれど」

「……色々と忙しいんだよ、俺もよぉ」


 文句を言いながらも、レックスは再び席に戻る。

 同時に奥に座る店員に向けて二杯目を注文した。

 強制ではないが、居座るのならば注文するのが礼儀である事位はレックスも知っていたからだ。


 そう時間も経たない内に二杯目の酒が到着し、少しだけ口を付けてレックスが言う。


「チッ……で、なんだよ聞きたい事って」

「安心なさい。そう時間は取らせませんわ」

「ならさっさと言えや。何度も言うが暇じゃねえんだ」


 二杯目を頼んでおきながら、という目線を向けられるがレックスは気にしない。

 普段好んで飲まないだけで彼は酒には強い方だった。


「……貴方、どうして()に従っているの?」

「……お前と似たような理由だよ」


 レックス・オルソラとエリザベート・コルキス。

 二人は奇妙な組み合わせであった。

 互いに古代魔術部門の魔術師であるという事は同じであっても、この二人が揃う事は無かった。両者を知る者からすれば、この光景は想像もできないものだった事だろう。


 戦いを主目的にし最高学府を出ようとしていたレックス。

 魔術師らしい魔術師として門主の下で動いて来たエリザベート。

 同じ部門であってもその性質はあまりにもかけ離れている。


 だが今の彼等に大きな共通点がある。

 彼等は縛られている。心と身体が縛られている。

 それはある意味で親兄弟の絆よりも深い繋がりだ。

 彼等は同じ者に縛られた者同士であった。


 エリザベートが自身の首をさする。

 今は透明で見えないそこには、レックスの首にあるものと同じ文様が存在している。

 首輪の如き文様、刺青とも異なる魔術的な証。

 契約魔術によって刻み付けられた、契約の証である。


「嘘ね。貴方のような人間がそれだけで他人の命令を素直に聞くようになる筈が無いわ。あの野蛮なレックス・オルソラがそれだけで大人しくする筈が無い。貴方は何か……少なくとも私が知っている事以上の()()を貴方は知っているんじゃないの?」

「…………」


 レックスは思い出す。

 あの日に起こった事を。そしてあの日から今までの事を。

 全身を焼け焦がされ、肉体を失い、蘇生されたあの日の出来事を。

 生ける伝説に触れた、恐怖の火を。

 決して触れてはいけない領域に踏み込んだ、愚かな自分の行為を忘れない。


 そういう意味でレックスとエリザベートは同じだが、同じではない。


 レックスがエリザベートを見る。

 それは憐憫だった。同時に羨望であった。


 彼女は自分が負けた相手を『実力を隠していた天才』だったと考えている。

 偶然逆鱗に触れて、不運にもこうなってしまったのだと考えている。

 だがレックスは知っている。

 彼等を縛る恐怖は単なる『実力を隠していた天才』なんかでは無いのだと。

 そんなものを大きく超えた、『天災』に近づいたのだと。


「答えなさいレックス・オルソラ」


 エリザベートは知らないのだ。

 だからこそレックスは羨ましくもあり、憐れんでもいる。

 知らぬが故に彼女は諦めていない。

 知るが故に、レックスは安心さえ覚えている。

 どちらが良いのか、まだ答える事はできないにしてもだ。


 そうして再び酒を口に運んだ後に、レックスは言葉を紡いだ。


「……ならよぉ、答える前に俺も一つ聞いとくぜ」

「…………何ですか。質問をしているのは私ですが」

「手前、それを聞いてどうするつもりだ?」

「……それは」


 エリザベートは口を噤む。

 レックスが告げ口をしないか警戒をしているのだろう。

 レックスとしてはどうでも良い事なのだが、彼女が気にするのも当然だ。

 エリザベートから見たレックスは、間違いなく同士だとは言い切れない存在なのだから。


「『情報』ってのはよ、それだけで価値のあるもんだ。毒にも薬にもなる。祝福にも呪いにもな。『情報』一つで誰かを救う事もあれば、殺す事もある。『情報』にはよぉ、それだけの意味があるんだ。手前なら十分理解しているよな?」

「…………貴方」


 レックスは言う。

 ハルキリア王国にて長きに渡り諜報の大家、オルソラ家の魔術師として育ってきたレックス。

 そんな彼だからこそ、その言葉には実感が宿っているように感じられる。


「それに警戒心が足りなかったんじゃねえのか?オレがあいつの命令を聞いているのは……単に雇用関係なのかもしれない。或いは、俺はあいつの掃除を請け負っている人間かもしれねぇってよぉ」

「……っ」


 そうだ。

 エリザベートは意図を隠したが、それ以前の問題でもある。

 もしレックスがエリザベートと同じ立場ではなく、単なる雇用関係でしかなければどうだったのか。或いはそれ以上の関係性であればどうだったのか。

 問いの意図を隠したとて、問いかけた時点で悪手であった筈だ。

 それこそ、どうなったか分からなかった筈だ。


「……まぁ、というのは単なる冗談だがな。探るっつーのはそういう行為だぜ。理解したんならよ、これ以上深入りすんのはやめておけ。これは優しいオレからの忠告だ。分かったか?」


 実際の所、レックスは今回の事を態々報告するつもりは最初から無かった。

 エリザベートが勝手に動くなら自分には関係ないと考えていたのも一つの理由だが、彼女が動いた所で大きな問題にはならないだろと考えていたのだ。


 レックスは自分が忠誠心を抱いているつもりはなかった。

 命令をこなせば報酬が与えられる。契約魔術で縛られているとはいえ、それはオルソラ家の在り方に近しいものがある。そしてオルソラ家が仕事を依頼する者達に忠誠心を抱いていたかといえば決してそうではない。寧ろ逆であった事の方が多いかもしれない。

 諜報によって秘密を握り、暗殺によって手綱を握るのがオルソラ家のやり方だ。


 だが同時に、今のレックスには奇妙な信頼感もあった。

 正体を知るレックスだからこそ、彼は現在の状況にある種の安心感すら覚えていた。

 勿論、契約魔術で縛られている事への不満はある。自分という存在が良いように使われている事について、苛立ちを覚えない訳では決してない。

 しかし圧倒的な強者の下に居るという安心感が、レックスに奇妙な信頼を与えていた。


 序列。理解し難き力を、理解出来る数にしたもの。

 魔術師として知らぬ者は居ない、生ける伝説。


 故にレックスは柄にも無く忠告を与えたのだが……返って来た言葉は斜め上のものだった。


「……ええ、今の貴方の反応で確信しました。やっぱり彼は単に凄腕の魔術師だとか、隠れた天才だとか、そういう領域にいる存在じゃないという事をね」

「手前……」

「恐らく彼は六門主と同格か、或いはそれ以上の何か……。ともすれば……」


 折角忠告をしてやったのに、という感情がレックスの中に生まれるがエリザベートが気にも留めず続く言葉を紡ぐ。


「それにもう一つ。貴方は彼からそんな権限を与えられてはいないわ。もし貴方が本当に彼の掃除人なら、お優しい警告なんてせずに、とっくに私を殺している筈ですもの。ばっさりと、鮮やかにね。こんな手間をかける意味もない」

「……手前が望むんなら今すぐにでもやってやるが?」

「貴方は出来ないわ。だって今の私は彼との契約に縛られているのですもの。主人の所有物を壊した召使の末路を貴方なら知っているでしょう?」

「…………」


 エリザベートの言葉通り、レックスにそんな権限は与えられていない。

 レックスの方が先輩ではあるが、レックスとエリザベートの立場は同じだ。そこに優劣は存在していない。ここから仕事をしていけば立場が変わる事もあるかもしれないが少なくともレックスとエリザベートの立場は同じである。


 因みにだがレックスの部下とは違い、エリザベートの部下は契約魔術で縛られていない。つまりエリザベートの部下達は現在も自由だ。

 この件についてレックスは「する意味も無かったんだろう」と勝手に解釈していた。契約魔術を人間相手に使うには本来様々な制限が存在しているので、その辺りの面倒を嫌ったのかもしれないと。


 そうして、エリザベートは最後の一滴まで飲み干して席を立つ。


「……でも、そうね。忠告には従っておく事にしますわ。ありがとう、レックス・オルソラ」

「…………チッ」


 ■◇■


(やはり……彼は只者ではない。少なくとも……最高学府に居るどの魔術師とも違う。オルソラは私が出した殺気に見向きもしなかった。それはつまり……私程度が出す殺気じゃ、もう感情も動かされないという事)


 エリザベートは一人で自宅への帰路を歩んでいる。

 古代魔術部門においてエリザベートの立場はかなり高いものだ。

 六門主の代理として門主会議に出席する程には信頼を得ており、本人の能力の高さもあって古代魔術部門ではかなり名の知れた魔術師である。


 そんな彼女だが彼女の自宅があるのは最高学府の中心区域から少し外れた外郭付近だった。

 当然の事ながら外郭は中心区域に比べ最高学府校舎への接続が悪い。その分家賃が安かったり広い空間を確保できるのが特徴で、場所によっては人工的な自然まで用意されている。


(勇敢故の鈍感さ……?いえ、あれは……諦観。諦めているからこその鈍感さね)


 エリザベートは歩きながら物思いに耽る。

 レックス・オルソラと会うのは今日が始めてではない。


 その時の印象は、野蛮であり凶暴な悪人だった。


 最高学府に属する魔術師の多くは一生を魔術師として生きる。

 この魔術師というのは簡単に言えば『探求者』だ。

 だが、レックス・オルソラは違う。

 最初から最高学府の外で生きるつもりで入学し、実際に外に出ようとしていた。

 

 そんな人間が今は最高学府に残って一人の魔術師の下で生きている。


(……一体、何者なのゼルマ・ノイルラー)


 あれ以来エリザベートはゼルマには出会っていない。

 レックスを通じて呼び出され、レックスからこれからの説明を受けただけだ。

 ゼルマに会いに行こうとした時もあったが、レックスの部下によって阻まれた。

 そうして今日の説明により、ゼルマからの呼び出し以外には基本的に自発的な接触が禁止であると伝えられたのである。


(シャア様……)


 あの日以来、エリザベートはシャア・レオニストからの呼び出しを受けていない。

 シャアと出会う事も無ければ、破門を告げる使者も、通達も無い。

 普通に考えれば見捨てられたのだが、怖い程にエリザベートの周囲には変化が起きていない。

 ただエリザベート自身が避けているだけなのかもしれない。

 だがそれすらも確認が取れないのだ。


 彼女は何も変わらず、ただ変わってしまったのだ。


(……いえ、もう考えるのは止しましょう。私は多分もう無理だけれど、まだコルキス家が古代魔術部門から消えた訳じゃない。私が終わったとしても、あの子が血統を繋いでくれる)


 古き魔術師の家系、コルキス。

 遥かなる過去から受け継がれてきた誇りある家名と血統だ。

 その血統までもが失われた訳では無いと彼女は自身に言い聞かせる。


(それに…………まだ全てが終わった訳じゃ無い。もしかすると……という事もある)


 彼女は思い出す。

 常にそれは彼女の頭に残り続けている。


(魔力、魔術回路、そして才能……どれを取ってもシャア様に勝るとも劣らない力を有していた。つまりそれは……相手としては最高という事でもある)


 あの日見た全てを。

 空間に迸る魔力を、眩く輝く魔術回路を。

 そして何より……目を奪われる圧倒的な魔術の力を。


 天空を漂う浮雲を穿つ程の卓越した強大な魔術。

 自身が用いていた魔術を遥かに超える、無比なる魔術。

 それを宿す血は……いったいどれだけの才能を次代へ繋ぐのだろうか?


(……あの子は汚いと言うかもしれないわね。でも、全てはコルキス家の為)


 ぐっと拳を握り締める。

 握り締められた拳の中には、彼女がいつも首元にかけているロケットが入っていた。


(私は私で、此処を生きてみせるわ)


 そうして、彼女は夜の街へと溶けて行った。


 ■◇■


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