法が力なのか、或いは力が法なのか。
■◇■
「いやぁ、晴れて良かったねぇ!」
「そうですね」
「これはとても良い野外調査日和じゃあないか!うん!」
青空の下、道を進む二人の魔術師がいた。
ゼルマ・ノイルラーとノア・ウルフストンである。
二人は最高学府内で借りた馬を駆って、現在は最高学府から西方へ向かっている。
彼等の目的は一つ。ノアと約束していた野外調査だ。
「流石、ウルフストンの魔術師ですね。まさか名前だけで通れるとは思いませんでした」
「まぁねぇ。正確には、一年単位で許可を得てるって感じだけど」
「そんな事ができるのは六門主位ですよ」
「使えるものは使っていかなきゃ損だからねぇ」
本来最高学府外への外出には様々な手続きを要する。
だがノアの場合は彼女の家名を明かすだけで外出許可を得られたのだ。
実際長時間の外出に比べ、日帰りのような短時間の外出や、研究目的の野外調査であれば比較的に外出許可は得やすい傾向にはある。
しかしここまで簡単に許可が下りるのは、やはりウルフストンの力と言わざるを得ないだろう。
「所で、聞かされてないんですが今日は何処まで行くつもりですか?」
出発してから半時間程、ゼルマがノアに行先を問う。
ノアに導かれるがままに外出へと連れ出されたゼルマは今日の目的地が何処か知らずにいた。
「一日馬を借りたという事は日帰りで行ける場所なんですよね?」
「そうだよ。……まぁこの辺りの遺跡なんて殆ど発掘が終わってるんだけどね。たまにに文字通りの掘り出し物が見つかるかもしれないからねぇ……そういうの浪漫じゃないかい?」
「確かにそうかもしれませんね」
「だろう?ま、今日は発掘がメインじゃないんだけど」
「……?ではなんの為に?」
ゼルマは疑問に思う。
ノアは出不精ではあるが、研究に関しては妥協しない人間だ。
発掘目的ではない野外調査となると真っ先に考えられるものは単純な見学だが、最高学府近辺の遺跡にノアが来たことが無いものがあるとは考えづらい。
「もしかして俺に気を使ってますか?」
「いいや?違うとも。単純に興味というか……確認したい事があったというだけさ」
「確認?」
「それも向こうに着いたらちゃんと話すさ」
◇
出発から馬を走らせる事、約二時間。
それ程速度は出していなかったので、それ程最高学府からは離れていないであろう平原にそれは佇んでいた。
「……家?いや、何かの儀式に使う祭儀所……ですか?」
それは確かに家のようにも見える廃墟だった。
しかしながら神を祀る神殿のようにも、教会のようにも見える場所。
内部は開けており、円形の中央部を囲むように柱が並んでいる。
現在は建物の一部が崩れて外部の光が漏れ出るように差し込んでいるが、かつては天井に空いた円形の穴から差し込む陽光が主の光源だったのだろう。
そんな、ある種の神秘さがゼルマが祭儀所と考えた所以であった。
「その通りさ。ここは嘗て存在した王国の……祭儀所だったとされている」
既に来た事があったノアがゼルマの言葉に回答する。
「広い遺跡ですね。結構な人が入りそうだ」
「実際、人は沢山来たんじゃないかな。祭儀というのはそういうものだからね」
椅子のような物は見当たらないが、遺跡のどこに居ても中央部が見えるようになっている構造は、かつてこの場所で行われていた祭儀に多くの見物人が居た事を示唆していた。
「ほら、見てみなよ」
ノアが指を指した奥の壁には巨大な壁画が彩られていた。
入口から見た奥の壁に広がる壁画は、勿論遺跡内部に入った時点からゼルマの眼に入っていた。
だが中央に立って改めて見てみると、その威容には何か心を揺さぶられるものがあった。
壁画に描かれていたのは、数十人の人間だった。
皆同じような服装を身に纏っている中で、壁画の中央の人間だけは違った。
その者は剣と秤を持ち、剣を天に向かって掲げている。
鎧と魔術師が羽織るようなローブを合わせて着込んでおり、明らかに身分が異なる事は感じさせる。
―――王だ。
ゼルマはそう直感した。
「中央に描かれているのは嘗ての王国を治めた王。その周囲に居るのは王を支えた側近だと言われている。そして、この絵が示すのは……この場で行われていた祭儀の様子だ」
「祭儀を行っていたのは王という事ですか?」
「そうだね。王が祭儀を行う場所で、その王を描くというのは少し変な気もするけどねぇ」
ノアの言う通り、祭儀を行っていたのが王本人であれば、その王を象る壁画を祭儀所に描くというのは違和感がある。
「描かれた王が死んだ後に描かれた可能性もあるのでは?祭儀が国にとって重要であれば、次の王が祭儀を執り行うでしょうし」
「そうだね。多分王が死んだ後に描かれたというのは合ってるよ。でも、次代の王が祭儀を継承した……というのは多分無いだろうね」
「そうなんですか?」
「うん」
普通、国事は代々の王に継承されるものだ。
王だけに限らず、祭事というのは継承される事はより意味を増していく。
王だけが行える権力の行使、それが民衆にとっての王という存在へと昇華されるのだ。
にも関わらず、ノアはその可能性を明確に否定した。
「……つまりこの王はそれだけ特別だったんですね」
ゼルマはそう呟く。
魔術師の世界にも、或いは王であったとしても。
一代限りの不世出の天才という者は存在する。
魔術師の世界でいえば、天才が生み出した強力な魔術が血統魔術として引き継がれず、一代限りのものとして失われるようなものだ。
恐らくはこの王も一代限りの巨大な王であったのだろう、とゼルマは思ったのだ。
「そうだね。……この審判所はその王の為だけに作られたものだっただろうから」
その時、ノアがポツリと言葉を漏らす。
今までとは異なる言葉が、意味がそこには込められていた。
「……審判所、ですか?」
そう。ノアは今この場所を指して祭儀所ではなく、より具体的な機能を持つ審判所と言った。
祭儀と審判。それは確かに行事という視点では似ているが、性質は異なる。
「そうさ。此処では嘗て……魔術師の審判が行われてたんだ」
「…………」
ゼルマはいつかに学んだ知識を思い出す。
かつて魔術師が迫害を受けた歴史と国があったと。
魔術師であるというだけで、人が死ぬ時代があったと。
そして―――それは。
「審判所に連れて来られた魔術師は、ある儀式を強制された。自身が神に認められた存在である事を証明する為の決闘による儀式だ。当然……敗北は死を意味しただろうね」
最高学府で行われる決闘には厳格な規則が存在している。
その最たるものが『不殺』だ。
最高学府の決闘において、相手を殺す行為は固く禁じられている。もしこれを破れば決闘に敗北するだけでなく、厳しい罰を受ける事になる。
だからこそ最高学府では決闘はある種『安全』な娯楽として存在しているのだ。
しかし、最高学府の外ではどうかというと必ずしも不殺の規則が存在するとは限らない。
現代に行われる決闘は不殺の規則が設けられている事が殆どだが、ごく一部では何でもありの決闘を行っている場所も残っている。
ましてそれが遥かな昔であれば。
当然のように、決闘によって命を落とす事もあっただろう。
「だけど、勝てば生きられると言っても実際にそんな事は起きなかった。魔術師にとって、此処に呼ばれるという事は即ち死を意味していた。何故なら儀式を行っていたのが……他ならない王本人だったから」
「…………」
王本人が直接魔術師と決闘を行う。
そして、勝利する。
有りえない話ではない。
だが、ありふれた話でもない。
そして、そんな物語をゼルマも一つ知っている。
「王国を治めていた王の名前は……リウファオン・ユーティスネィア」
何も言わず、ノア・ウルフストンがゼルマを見つめる。
「リウファオン……彼女があの日使った魔術の原典だよね?」
「……どうかしましたか、先輩」
「そうかもしれない。でも、君に聞きたい事があるんだ」
ノアは真剣な、それでいてどこか迷っているような表情のまま話す。
「英雄という言葉があるよね?魔術歴史部門では英雄を、物語の人々であると定義している」
「…………」
「神話、伝承、御伽噺……伝説上の英雄たち。物語に伝えらえる彼等は決して空想の存在ではなく、過去この世界に存在した実在の人間だった」
魔術歴史部門の魔術師は語る。
彼女達の中で、長きにわたり伝えられてきた常識を。
「今よりも遥かに世界に魔力が溢れ、今よりも遥かに凶悪な魔物が統べていた世界。そんな世界に生きた英雄たち……知ってると思うけど、そんな英雄たちの力を現代に再現することが私の研究分野なんだよね」
それこそが再現魔術という魔術分野であり、ノア・ウルフストンの専門分野。
過去に存在した英雄たちの力を魔術として再現し、使う魔術の在り方である。
「だから、多分私は気が付いたんだ」
「…………」
ゼルマは静かに言葉の続きを待った。
「あの日、フェイム君が使った魔術……〈終譚宣言〉は私でもあの場では使えない魔術だよ。だって……あの魔術は儀式魔術だ。現行の魔術式では儀式が無ければ発動できない」
「……フェイムの才能は凄いですよね」
「そうだね……それで終えられるのが普通だと思う」
ゼルマは嘘を言わなかった。せめてもの抵抗か、或いは。
ただ嘘を吐かなければ誠実であるとはならない事は、既に理解していた。
そうして、だから、とノアが続ける。
「何か仕組みが……一番考えられるのは生得魔術のような固有技能の類かなぁ。例えば魔術陣のように、前もって発動していた魔術を発動させる力とか。でもねぇ、私には彼女がそこまでの魔術師だとは思えない。それだけであの魔術を使えるようになったんだとは思えない」
淡々と、ノアが考察を続ける。
彼女の根底にあるのは優秀な魔術師としての観察眼だ。
今も尚、彼女は考え続けている。理由を求めている。
「〈終譚宣言〉は私でも三日はかかる儀式魔術だ。分かるよね?この私が三日は必要な魔術なんだ。これは傲りでも何でもない。流石に彼女が普通に使えるとは考え難い」
だからこそ、彼女は問わずにはいられなかったのだろう。
その言葉が、何かを明確にしてしまう予感を孕んでいたのだとしても。
「……君が、教えたんじゃないのかい?あの魔術を」
何もしていません、とは彼女には言えなかった。
それは彼女への裏切りだったから。
ノアという人間に対する、不誠実だと知っているから。
「それなら色々と納得がいくんだよねぇ。彼女が一度しかあの魔術を使わなかった理由も、彼女が……君を補助要員に選んだ理由も」
「俺だって使えませんよ」
「かもしれない。けど、そう考えるのが……なんというか自然なんだよねぇ」
ゼルマは誤魔化す言葉を絞り出すが、問題はそこではない。
「でも君はこの遺跡を知らなかった。〈終譚宣言〉は知っているのに、リウファオンの審判所の事は知らなかった。これは矛盾している。補助要員なのにあの魔術については知らなかった、というなら話は別だけど。君に限ってそんな訳もないしねぇ」
ノアはゼルマの事を知っている。
それ程長い付き合いでも無いが、ゼルマがどういう性格の人間なのか彼女は知っている。
知っているからこそ、彼女はゼルマと親しくなったのだ。
知っているからこそ、彼女は疑問に思ったのだ。
知っているからこそ、彼女は聞かざるを得なかったのだ。
「だから聞きたい。君は―――いったい、何者なんだい?」
「……それが、今日の本当の目的ですか」
「最初は普通に野外調査でも行ければ良いなって思ってたんだけどねぇ。あれを見てしまったのなら……魔術歴史部門の魔術師として聞かない訳にはいかないから」
彼女の言う事は最もだ。
何も秘密を全て明かす必要は無いだろう。
ノアにも、フェイムにも、エリンにも、フリッツにも、人には言えない秘密の一つや二つある事だろう。それ自体は普通の事だ。
ノアにもそれが分かっている。
分かっているからこそ、それが聞いて良い部分なのか、もっと言えば踏み込んで良い領域なのか迷っている。迷った末に、彼女は問うと決断したのだ。
そうして、
「先輩、俺は―――」
「でもね」
ゼルマが言葉を紡ぐ寸前に、他ならないノアがそれを遮った。
「こういうの、正直慣れてないしさぁ……私は君が良い奴だって知ってるからねぇ……勿論、ウルフストンとして……魔術師としては問い詰めた方が良いんだろうし、というか聞くべきだろうし。実際我慢できなくなって今こうして聞いちゃった訳なんだけれど……」
「……先輩」
ブツブツと呟くノア。
数秒程言い訳らしきものをして、ノアはゼルマの手を握った。
「―――っ!」
ゼルマは不意の行動に驚くが、優しく握られたその手を振り払う事も出来ない。
「答えは、もう良いよ」
「…………俺は」
「私は、君を苦しめたい訳じゃ無いんだ。気のいい、世話焼きな君を信頼しているからねぇ。私も、君に嫌われたくはないしね。だからもしどこかで、私に話しても良いって思った時に……その時には私に話しておくれよ」
「…………先輩」
「すまなかったね。私は君に裏切られたなんて少しも思っていないさ。ただ、聞いてみたかっただけ。魔術師としてね。……だから、そんな辛そうな顔をしなくても良いんだ」
表情は変えていなかった筈だ。
だが、ノアには何かが分かったのだろう。
ノアが遮ったゼルマの言葉。
もしあれがこの世界に存在していたのなら。
それがゼルマとノア、或いはそれ以上を変えてしまうかもしれないと彼女は気が付いたのだ。
「さ、帰ろうか。帰りも同じ時間がかかるからねぇ」
そうして、握っていた手を離しノアは入口へと戻っていく。
その背に、ゼルマは思わず声をかけてしまう。
「先輩」
「ん?何かな」
「……今日はありがとうございます」
「私は何もしてないさ。それに帰り道も一緒だろう?気まずいよ」
「……それもそうですね」
審判の壁画を背にして彼等は戻る。
尚も剣は掲げられ、秤は存在していた。
■◇■
■リウファオン・ユーティスネィア
『戒律の暴君』『法源術王』
かつて大国を『法』の力を以て治めた伝説的な王。
神代終焉以降の混乱期において厳格な司法制度によって国家の繁栄を築いた一方で、法を犯す者には一切の容赦をしないという苛烈さを併せ持っていた。彼は強大な魔術師でありながら、魔術による無法を嫌っていたとされ、生涯の内に『魔術を禁ずる魔術』を創出した。彼の国では一般市民が魔術を用いる事は固く禁じられていたとも伝わっている。もし魔術を用いた事が分かれば、審判にかけられ、処刑された。また彼自身も気付き得なかった事だが、彼の創出した『魔術を禁ずる魔術』は厳密には現代魔術のような体系化されたものではなく、彼固有の魔力と精神性とが合わさった生得魔術に近しいものであった。




