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大賢者の末裔  作者: 理想久
第三章 魔術師の宿題
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意思とは超克の原動である。


 ■◇■


「……ゼルマ・ノイルラーです。光栄です。あのアージュバターナー先生と話せるなんて」

「止してくれ。私はそんなに大層なものではないさ」

「ご謙遜を」


 ヴィザ―・アージュバターナー。

 現代魔術部門物質科の科長を務める魔術師であり、歴代最年少で科長の座に就いた魔術師でもある。

 性別は女性だが男装を好み、言葉遣いも男性的だ。


 だが彼女を語る上で最も重要な点は、地位でも外見でもない。

 それは彼女が、『アージュバターナー』であるという事だ。


「謙遜等ではないさ。私は君が思っている程高尚な人間ではない。科長の座を継いだのも、言ってしまえば偶然の産物だ。私自身はそのような器ではないさ」

「……」


 それこそ謙遜でしかない。

 部門の(トップ)である門主を代々六門主の一族が継承する最高学府において、一般の学徒にとっての最高地位は各学科の科長である。

 当然、科長には相応の実力と実績が要求される。決して偶然の産物で就けるような地位ではないのだ。

 加えてヴィザ―・アージュバターナーは歴代最年少の科長である。現代魔術部門は他の部門に比べると科長の入れ替わりが頻繁とはいえ、彼女程の若さで科長に就任するというのは異常である。


 彼女が器でないのだとすれば、他の誰が器を持ち得るのだろうか。

 そんな疑問が生じるだけの『力』が彼女には備わっているのだ。


「まぁそんな事は良い。君も此処に来たという事は、何か調べものがあったのだろう。良ければ聞かせてくれないか?これでも物質科の魔術師だ。何か力になれる事もあるだろう。時間を奪ってしまった詫びだ」

「それは……いえ、ありがとうございます」


 一度は遠慮しようとしたが、ゼルマは好意を受け入れる事にした。

 大賢者としてのゼルマではなく、魔術師ゼルマとして彼女ともう少し語らいたいと思ったのだ。

 或いは、彼女から称賛を得た事によって無意識に普段の警戒心が緩んだのかもしれない。


「実は結晶魔術について資料を探しているのですが」

「ふむ……態々此処に来たという事は、結晶魔術の産物を見に来たという事だな?」

「はい。この部屋で収蔵されているという『()()()()』を閲覧しにきました」

「あれか。確かに、あれは結晶魔術の代表例だな」


 ゼルマが言った言葉に覚えがあったのだろう、ヴィザ―はすぐにゼルマが求めている物が何か察しがついたようだ。


「君が運が良い。本来あれは気軽に見れるものでは無いからな」


 資料室で保管されている資料は基本的に申請さえすれば誰であっても閲覧できる。

 だが一部の資料……最高学府の長い歴史においても貴重な資料には閲覧制限が掛けられているのだ。

 資料を保存する為であり、保護する為なのだが……こうなると手間がかかる。

 閲覧の申請に加え、資料室の管理者からも閲覧の許可を得る必要があるのだ。


 だからこそ、ヴィザ―が言ったようにゼルマは幸運だった。


 中央第四資料室。

 様々な鉱物資料やそれに関する魔術の資料を保管するこの部屋は現代魔術部門物質科が管理する資料室であり、そしてこの資料室の管理者は他ならない彼女、ヴィザ―・アージュバターナーである。


「丁度鍵も持って来ている。持って来てやろう」


 そう言うと、ヴィザ―は資料室奥の保管庫の方へと向かった。


 ◇


 嘗て、とある魔術師が居た。


 その魔術師は誰よりも孤独を愛していた。

 洞穴に住まい、ただ一人魔術の道を歩んでいた。

 孤独に寄り添い、思考と共に歩を進めていた。


 だがそんな魔術師にも転機が訪れる。

 偶然にも洞穴に迷い込んだ一人の奴隷。

 魔術師は孤独を愛してはいたが、しかし冷酷でも無かった。


 幸か不幸か、魔術に適性を持っていた奴隷を魔術師は弟子として迎え入れた。

 魔術師は孤独から離れた。


 だがその奴隷はとある貴族の所有物であった。

 長い耳を有する奴隷は傷だらけであった。

 貴族は奴隷の返還を求め、魔術師に成果と共に献上するように求めた。


 魔術師は孤独に戻れず、貴族と争った。


 根城にしていた洞穴での攻防は三日三晩に及び、戦いは熾烈を極めた。

 争いの最中、不運にも奴隷が流れ弾に当たり、重症を負ってしまう。


 魔術師は孤独になれなかった。

 魔術師は洞穴を水晶で覆い尽くし、封じ込めた。

 千年は開かれぬ、二人の牢獄であった。


 ◇


 その結晶は卓上で静かに輝きを放っていた。

 いや、水晶そのものが輝いているのではない。

 空間に微細に存在する魔力の光を、水晶が増幅させる事によって輝いているのだ。


「……魔力が霧散せず、残り続けている。これが本物の『千年結晶』ですか」


 ゼルマは結晶と共に出された説明文(キャプション)を読み終えると、卓上の結晶をまじまじと観察する。由来が真実であれば、目の前の結晶は千年以上もの時間を過ごしている事になる。


 本来、魔術というものは時間制限が存在するものだ。

 魔術に込められた魔力が無くなれば、魔術は魔術としての形を失う。

 魔術によって土を生みだし壁を生じさせたとしても、魔力が消えれば壁は霧散して消える。魔術で生み出した火は魔力が無くなると共に消え、魔術で動かす人形は魔力が無くなると共に動きを止める。


 その期間は魔術によっても、或いは込めた魔力によっても変動するが、それでも永続という事は有りえない。一見永続に見える魔術でも、何かしらの仕掛けがあってそう見えるだけなのだ。


 そうした魔術の中にあって、目の前の結晶は特殊中の特殊である。

 発動者が死してなお形を残し、千年の時間残り続けている。

 そこに複雑な仕掛けは存在していない。

 余りにも美しく、規則正しく配列された魔力が生み出した結晶構造が、この半永久的な持続時間を実現しているのだ。


「結晶魔術の一つの到達点。偶然にもその魔術師は辿り着いたのだろう」

「……これはこの一つだけですか?」

「少なくとも、この資料室に保管されているものはこれだけだ。何せ、これは最上級の魔術触媒になる。発掘されて以来、数は減る一方だ」

「当然でしょうね。これを生みだせる魔術師は……そうはいない」


 千年は残る結晶。単にそれだけならば長く残る頑丈な結晶でしかない。

 勿論魔術として資料的な価値は高いが、この結晶にはもう一つ価値が存在しているのだ。


 それは魔術の触媒としての価値である。

 実力ある魔術師の造りだした結晶は非常に高い魔力の伝導性を誇る。しかし普通の結晶魔術であれば時間と共に霧散して消える為、いくら魔力の伝導性が高くとも魔術の触媒としては使い辛い。


 だが、この『千年結晶』ならばどうか。

 千年は持続する程に規則正しく魔力が配列された結晶である。

 その魔力伝導性はいかほどのものか。

 魔術の触媒として、これ以上ない程の素材であろう。

 

 故に『千年結晶』は資料として高い価値を持ちながらも、保管されるのではなく消費される事が多いのだ。結局の所、魔術師にとって一番重要なのは自らの魔術なのだから。

 そうして新たに生み出される事のない『千年結晶』は時と共に数を減らし、今は少数が私蔵されるのみとなっている。

 極々稀に市場に出回る事もあるが、その際には天井知らずの金額で取引されるという。


「魔術師が自らの結晶を触媒として用いる事は想定されますか?」

「非効率的だ。それなら普通に水晶魔術のような形で用いる方が良い。そもそも『千年結晶』は卓越した結晶魔術の使い手が奇跡によって生み出したものだ。想定はまずしないだろう」

「水晶魔術以外の結晶魔術でもこうした結晶は存在するのでしょうか?例えば、水属性では氷魔術に近しい形のものがありますが」

「少なくとも資料室には保管されていないな」


 そうして、暫く結晶魔術を含めた様々な魔術について話に花を咲かせた二人。

 その時間は僅かではあったが、充実した時間であった。


 それから、話が途切れた時、不意にヴィザ―が言う。


「どうだ。クリスタル・シファーの事は分かりそうか?」

「どうして彼女の名前が出てくるんですか?」

「あの戦いの後に結晶魔術を調べたいと此処を訪ねて来るんだ。目的はそれしかないだろう」


 目的を言い当てられるゼルマだが、別に不思議でもない。

 実際はゼルマ個人の事情による部分が大きいのだが、ヴィザ―の言う事も理理解出来るからだ。


 新星大会は智霊大祭の目玉。

 あの時、クリスタル・シファーとフェイム・アザシュ・ラ・グロリアの決勝戦を見た魔術師は多い。若い魔術師の間では特にだろう。

 ゼルマとてエリザベートの対応が無ければ見たかった所である。


「アージュバターナー先生から見て、」

「ああ、すまない。そのアージュバターナー先生と呼ぶのは止してくれないか。家名が嫌いな訳では無いんだが、如何せん長いんでな。ヴィザ―で良い」

「……分かりました。ヴィザ―先生から見て、クリスタル・シファーという魔術師はどう思いますか?」


 ゼルマは呼び方を訂正しつつ、ヴィザ―に問う。

 脳裏にはクリスタルの顔を思い浮かんでいた。


「そうだな。一言で言えば、面白い人間だろう。傍から見ていても、彼女は実に面白い」


 先程ゼルマに微笑んだように、ヴィザ―は笑っている。

 どうやら彼女は意外にも良く笑う人間なのかもしれない。


「論文も完璧であり、魔術の腕も良い。学園長がお墨付きを与えるのも納得できるというものだ。物質科を選んだのなら、彼女とも語り合いたいものだ」

「……彼女は天才ですからね」

「そうだ。疑いようもなく、彼女は天才だ」


 あのヴィザ―からしても、やはりクリスタル・シファーは別格の魔術師なのだろう。

 ヴィザ―はクリスタルが天才であると断言する。


「だが、私は彼女だけが特別な人間だとは思っていない」


 しかし、続く言葉は意外なものだった。


「彼女は確かに天才だが、それだけだ。彼女は単に、人よりも魔術の理解が深いだけの人間でしかない」

「それが、特別という事なのでは?」

「そうだろうか?では聞くが、クリスタル・シファーという人間についてどう思う?」


 思い寄らぬ問いかけに、内心で少しだけ戸惑うがすぐにゼルマは答える。


「同じです。紛れもない天才ですよ。それ以外に何かありますか?」

「違う。それは答えになっていない。私が聞きたいのは、彼女という人間についてであって、彼女の魔術師としての資質を聞いているのではない。一人の()()として、君は彼女をどう思う?」

「どう、って……」


 考えた事も無かった事だった。

 ゼルマにとって、クリスタル・シファーという人間は自分の生きる目的である。

 【末裔】の大賢者であるゼルマにとって、【天賦】の大賢者であるクリスタルは、最初から【天賦】の大賢者でしかなかった。


 それは今も同じである。

 幾つかの交流を経た今も、ゼルマが彼女をどう思うかと問われれば一つだ。

 【天賦】の大賢者、つまりは『天才』である、と。


「勿論、君が個人としてのクリスタル・シファーを知らないという事もあるだろう。だがそれは私も同じだ。私とて直接彼女を知っている訳ではないからな。それに、私からすればクリスタルも君も大きな違いはない。『面白い人間』、それだけだ」

「……俺はそんな人間ではありません」


 ゼルマは否定する。

 謙遜ではない、本心からの言葉。


 ゼルマは魔術が好きだ。それは間違いない。

 論文を書いて、固有魔術を開発したのも、ゼルマが魔術を好きだからした事だ。

 だがそれと、ゼルマの自己評価の低さとは相反しない。

 

 【末裔】の大賢者は、あくまでも【天賦】の大賢者の副産物なのだ。


 そうして、そんなゼルマの言葉を聞いてヴィザ―は意味深に微笑む。


「もう一つ問おう。君はどうして彼女の事を知りたい?」

「どうして……他者の評価を知る事も重要ではありませんか?そうする事で得られる学びもあると思いますが」

「確かにそうだ。それは間違っていない。だが、それは他者を越えようとする場合ではないか?」

「……どういう意味でしょうか」


 ヴィザ―はゼルマの言葉を聞いて、静かにゼルマの眼を見つめる。


「君からは不思議な印象を受ける」

「不思議な印象、ですか」

「そうだ。少し話しているだけでも伝わって来る。君は深い知識を持ち、卓越した観察眼を持っている。まるで老獪な魔術師と話しているようにすら感じられる」

「……単なる若輩ですよ」

「そうだな。少なくとも君は私よりかは若い」


 ヴィザ―の言葉に、ゼルマは謙遜で返す。

 だがヴィザ―の眼は今もゼルマを見つめていた。


「にも関わらず、君からは感じられないんだ。漲るような野心がな」

「……」

「もっと誇ればいい。君の年齢で魔導士の学位を有する者等滅多にいない。君にはそれだけの才能がある」

「……それは」


 図星だった。

 ゼルマには確かに存在していないもの。

 それは他者を越えたいと願う野心だ。

 野心とは即ち、自信である。ヴィザ―の言う通り、ゼルマには確かに存在していないものである。


 それを少しの会話で見抜かれた。

 出会って間もない、殆ど初対面の人間に見抜かれたのである。

 ヴィザ―はゼルマを観察眼に優れたと言ったが、それは大賢者由来の知識から来るものであって、真に観察眼に優れているのはヴィザ―の方だろう。


「答えられないのであれば、それならそれでいい。全てを他者に曝け出す必要は無い。だがこの先へと進むのであれば覚えておけ」


 ゼルマは静かにヴィザ―の言葉に耳を傾ける。

 ヴィザ―の言葉は彼女の視線と共に、真っすぐにゼルマへと届けられる。


「魔術師にとって、乗り越えるという工程は必要不可欠なものだ。それは自身に限られない。他者である事も、環境である事もあるだろう。重要な事は、意思だ」

「……意思」


 ありふれた言葉かもしれない。実際、どこかの魔導書を開けば、出て来るかもしれない。

 だが()()()()()()()()()()()()()()の言葉には確かな説得力があった。


「確か、『意思とは超克の原動である』だったかな。余りこうした事は言わないんだが、今日は楽しかった。先生からの助言だ」

「―――ありがとうございます」


 ■◇■


 一人、ヴィザ―はゼルマが去った資料室に残っていた。


「ああ、お前が言った通り彼は面白い人間だったよ。あの皇女が気に入るだけの事はある。偶然ではあったが、話せて良かった」


「魔術について少し話したが、やはり視点が良い。現状の発展だけに留まらない、新しい視座を感じさせる部分がある。勿論、私の勘も大きいだろうが」


「ん?別に特別聞くような事はしていないさ。必要ないからな」


「分かった。もし次に会う事があれば聞いてみよう。気が乗ったらだが」


「それと、柄にも無く助言してしまったよ。苦悩というものは目に見えない事が殆どだが、彼もまた何か抱えている人間だろう。一目見て分かった、というのは傲慢かもしれないがね」


「同情……ではないな。『ノイルラー』と『アージュバターナー』は似ているかもしれないが、それは私達には関係ない。私は教師で、彼は学徒という事だっただけだ。それだけの事だ」


「そろそろ切るぞ。ああ、また会おう―――シジュウ」


 ■◇■


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